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ユリウスのお土産

 あっという間に6月になり、劇場の演奏家たちも月初のオペラ公演を終えてフルーテガルト入りした。


 出演者たちの衣装を始めとして朗読劇の準備が整い、ゲネプロも終盤に差し掛かった頃、例によって街の人々を対象とした公開ゲネプロが行われたのだが、これが大盛り上がりだった。


 なにしろ自分たちの知り合いが演者として舞台に立っているのだ。盛り上がらないはずがない。特にコッぺリウスの家にたくさん置かれている人形役を買って出てくれた者たちは、そのからくり人形っぽい動きのひとつひとつに歓声が上がっていた。


 そうして迎えた演奏会前日、ようやくテンブルグからユリウスが帰って来た。


「土産だ」


 執務部屋を訪ねてきたユリウスがそう言って手渡して来たのは、ちょっと大き目のビーズのような濃紺の石がたくさんあしらわれた髪留めだった。


「ユリウス……っ、あのね……」


 なんだかじーんとしてしまって言葉に詰まる私だったが、ユリウスは触れるだけのキスをして言った。


「マリアの件は朗読劇が終わった後だ」


 たぶん動揺させないように気を遣ってくれたのだと思う。


「この石は水の魔力の結晶だ」

「そうなの? でも、変換装置は持って行かなかったよね? それに、こんな小さくできるんだ?」

「時間はかかったが、濃度の高い石を変換装置なしで作れるようになったのだ」


 ユリウスが長くなった私の髪を後ろで一つにまとめて髪留めを付けてくれる。


「じゃあ、これを着けて音楽を捧げたら、私一人でもハーベルミューラに届くかな?」

「どうだろうな。だが一人で行くのはダメだ」


 カチリと音がして手が離される。


「ふふっ、自分で見えないんだけど、どう? 似合う?」

「ああ…………綺麗だ」


 ドキリと心臓が一際大きく脈を打つ。綺麗なんて記憶にある限り初めて言われた。ユリウスの話し方はいつも通り抑揚がなくて感情が読めないのに、どうしてだか今日はとても甘く感じられる。


「創世の泉に行ってみたい」

「今から行ってみる?」

「仕事はいいのか?」

「うん。もうゲネプロも終わったし」


 協奏曲の演奏会の翌日にテンブルグに行ってしまったユリウスは、まだ創世の泉に行ったことがない。手紙では知らせてあったので、気になっていたらしい。


 階下に降りてまゆりさんに声をかけ、城の中を通って裏手へと向かう。途中でユリウスが伸ばしてくれた手を取って並んで歩く。今日は歩調を合わせてくれて、私の頬は緩みっぱなしだ。


「お前がエルヴェ湖に落ちた時、肝が冷えた」

「心配かけてごめんね」

「いや、俺も追いかけるべきだった」


 あの時、私は知らなかったけれど、私が去ったユリウスの部屋にアルフォードが現れてくれたのは行幸だったと思う。人型をとれるようになったのも大きい。おかげで沈んでいくだけの私を引き上げてくれたのだから。


「バカ猫はどこにいる?」

「寝てるよ。ヤンクールに行ってもらったから、疲れちゃったみたい」


 アルフォードはユリウスに手紙で命じられ、レオンが滞在する部屋のカギ穴を目指した。前に行った時に見つけた商会はどういうわけだか畳まれた後で、ドロフェイの術も無くなっていたらしい。ゲロルトやイージドールの姿も見えなくなっていた。


「まあ、とっくに動いているだろうとは思っていた」

「そうなの?」

「ああ、ドロフェイは顔を出したか?」

「ううん。全然」


 ドロフェイは創世の泉について教えてくれた日以来、姿を見せていなかった。もしかするとまだ力が回復していないのかもと心配しているところだ。


「ユリウスはしばらくゆっくりできそう?」

「1週間くらいは。その後は王都に報告に行かねばならん」


 マール貿易の件でテンブルグに行ったのだから、王宮へ報告に行かなければならないのは道理だった。


「あれ? でも、それだったら王都には一緒に行ける?」

「ああ、客演があるのだったな」


 劇場の客演は7月に入ってすぐから1週間行われる予定だ。ゲネプロもあるため私とアロイスは朗読劇が終わった後に王都入りする予定でいた。


「2人だけか?」

「ううん。ラウロとモニカも一緒」


 せっかくの交響曲なので全員が聞きたがったが、公演は1週間もあるのだから交代で見に来ることになっていた。


「ならば馬車1台で行こう。事務所に1台残しておいた方がよいだろう?」

「貸馬車でもいいんだけど……一緒に帰るかわからないでしょ?」

「お前に合わせる」


 嬉しいけれど忙しいのではないだろうか? ちらっとそう思うが、ちょうど最終日にはダヴィデとジゼル、そして、ベルトランの救貧院の音楽教室もある。ダメだったらそれに便乗させてもらおうと思い直す。


「ところで、カミラはどうしているのだ?」

「普通だよ。ちゃんと練習にも参加してくれているよ」

「そうか。話をしたかったのだが、朗読劇の後の方が良さそうだな」


 話の内容によるが、動揺させるような話であれば今は止めてほしいところだ。カミラはクリストフと諍いを起こした後は、特に問題を起こすことなく過ごしていた。私も時々一緒にお茶を飲むことがあるが、カミラはヤンクールの話をたくさんしてくれて意外とおもしろかった。


「ヤンクールでね、カスパルさんの書いた戯曲が人気だったみたいだよ」

「ほう。カスパルは知っていたのか?」

「知らなかったみたい。興行権ってどうなってるのかな? カスパルさんはそういうのをあまり気にしてないみたいなんだけど」

「戯曲は出版されているのだろう? 出版社との契約次第だな。だが、人気ならば幽閉の命は解かれているかもしれない」


 演奏会で貴族が多く集まる時、カスパルは北館にカンヅメになるのだから、幽閉が解かれていたらいいなと思う。まあ、元々彼は自ら好んでカンヅメになっているようなものだけれど。


「カミラのこと、お前にきちんと話しておけばよかったな」


 私は思わずユリウスを見上げた。


「あのね、アルフォードからもちょっと聞いたんだよ」

「そうか。だが放置していた俺が悪かったのだ。お前の気が済むなら殴っても構わんぞ」


 眉間に皺を寄せつつも、そんなことを偉そうに言うユリウスに、私は思わず噴き出した。


「ぶふっ、シルヴィア嬢の時みたいに?」

「ああ。そんなこともあったな」


 もうすぐあれから1年になるのだ。あの時はユリウスとこんな風になるなんて思ってもみなかった。


「演奏会の後の……あれは本気じゃなかったよね?」


 この際だからと思い切って聞いてみる。


「なぜそう思う?」

「本気だったらユリウスの手が銀色になってたはずだもの」


 ギュンターのように。


 あの時、私は怖いと思ったけれど、それは押し倒されたことよりも、ユリウスがどうして怒っているのかわからなくて怯えていたのだ。


「ユリウスはどうして怒ってたの……?」


 ユリウスを見上げると、苦いものを飲み込んだような顔をしていた。


「……ピアノ協奏曲を聞いていた時、お前を遠く感じたのだ」

「そうなの? 私はユリウスのことを思い出してたんだけど……」


 第二楽章に入る直前、確かにユリウスの顔が思い浮かんだのだ。


「演奏会が終わって楽屋に行った時、アロイスに口づけられているお前を見たぞ」

「あー……うん。ごめん」


 あれについては言い訳のしようもない。私が望んだことではなかったけれど、エルヴェ湖で似たようなことがあった時は、避けようと思えば避けられたのにそうしなかったのだから。


「それについては頭に血が上るというようなことはなかったな」

「えっ、そうなの?」


 ユリウスとカミラを思い浮かべると私は気が狂いそうになるというのに、ユリウスはそういうことがないのだろうか。


「そうなるだろうと思っていたからな」


 本当に何でもないことのようにユリウスが言う。


「それよりも、お前が何故カミラのことを聞いてこないのかと憤りを感じていた。我ながら身勝手だとは思うが」


 思い返してみれば、ヴァイオリン協奏曲が始まる前に舞台から見たユリウスは、すでに不機嫌そうな顔をしていた。


「そっか……ごめんね。聞くのが怖かったんだ」

「いや、お前から聞いてこないのならば、俺から言えば良かったのだ。だが、お前に嫌われたのではないかと不安だった」


 ユリウスも不安に感じることがあるのかと意外に思ったけれど、そんな風に思っていたなんて、ちょっとだけ嬉しくなってしまったのは内緒だ。


「ドロフェイと共に馬車に乗った時も、お前は俺に気付きもせずにサッサと行ってしまっただろう?」


 演奏会後の片づけは、ヴェッセル商会のみんなにも手伝ってもらっていたのだが、ユリウスはそれを指揮していたようだ。


「いずれ、そうやってあっさりと連いて行って、姿を消してしまうのではないかと」

「うっ……、それは……」


 どうしよう。否定できない。ドロフェイとの賭けにもし負けてしまった時、ユリウスやアロイスを巻き込むつもりはないのだ。


 冷や汗をかく私にとってはタイミングよく城の裏側に出る。


「えっと、こっちに階段があるんだよ」


 誤魔化すように言う私に、ユリウスは恨めし気な視線を送ってきたが、岩と岩の間に続く石畳の階段を前にすると目を見開いた。


「こんなところにあったのか……」

「誰かが見つけそうなのに、不思議だよね」

「赤と青の石は魔力の結晶のようだな。ふむ……温度の違いで蜃気楼のような現象を起こしているのか……?」


 壁と石畳に埋め込まれた石を検分しながら、ユリウスが感心したように呟く。


「エドが裏山を気にしていたのって、これが原因だったのかな?」

「さあな。だが、そうだとすれば……いや、なんでもない」


 ユリウスが何かを言いかけて止めてしまう。


 階段を昇り切り、扉を前にしたユリウスは、今度は扉に埋め込まれた石を調べ始めた。


「四大元素の石……組み合わせると結界のようなものになるのか……?」


 ぶつぶつと独り言をつぶやくユリウスだったが、調べてもわからないと判断したのか、扉を開けて中に入り、部屋の中の物も一つ一つ検分し始める。


「300年前の物だろうが……朽ちていないのが不思議だ」


 言われてみればウルリーケが使っていたのだとすれば300年近い年月が経っているはずだ。建物の中とはいえ朽ちもせずに残っているなんて、まるでこの空間だけが時を止めていたかのようだ。


「懐中時計……? 300年前には無かったはずだが……」

「そうなの? じゃあ後から置かれた物なのかな?」


 テーブルに置かれていた懐中時計をユリウスが手に取ると、じゃらりと鎖が音を立てる。


「動いていないようだな。ん? これも魔力の石か……」


 時計を裏返したユリウスが眉間に皺を寄せる。興味を引かれて私も覗き込むと、裏蓋には扉と同じように4色の小さな石が嵌めこまれていた。


「持ち帰って調べたいところだが、このままにしておいた方が良いのだろうな」


 そう言ってユリウスは時計をテーブルに戻した。


「その階段の先に地底湖があるのか?」


 ユリウスが左側の階段を指し示す。私が頷くと、ユリウスはランタンを持ってもう片方の手を差し伸べてきた。


「ウルリーケさんもこの階段を誰かと歩いたのかな?」


 カツン、カツン、と靴音が響く中、300年前に思いを馳せる。


「水の加護が無ければ奉納にならないのだろうから、そうなのではないか?」

「私、ドロフェイが一緒だったんじゃないかって思ってたんだけど……」


 今日は踏み外さないようにと足元を確認しながらぼそぼそと話す。声が響きすぎて自然と小声になるのだ。


「アレは600年以上生きているのだろう?」

「そう言ってたけど、ウルリーケさんの話をする時のドロフェイは、ちょっと悲しそうで、でもちょっと嬉しそうなんだよ」

「そうか。テンブルグでも神話を聞いたが」


 そう前置いてユリウスが語り出す。


「水の神とジーグルーンは300年に1度、生まれ変わるという内容だった」

「じゃあ、もし私がジーグルーンの生まれ変わりだったら、前はウルリーケさんだったってことかな?」


 ウルリーケはちょうど300年ほど前の領主の娘だ。


「生まれ変わるというのは、物語として作られた部分だろう」


 神話は捻じ曲げられるとドロフェイも言っていた。


「300年に1度、ジーグルーンを生贄に出すという方があり得る。生まれ変わるという聞こえが良い物語にしたのだろうな」


 だとすれば次に生贄になるのは私ということになるのかもしれないけれど、長閑なフルーテガルトにいるせいか全く実感が伴わない。


「そういえばエルヴェ湖の昔話に生贄の話があったね」


 確かヘレナの友人に聞いたのだ。白ヘビが現れて水の加護を持つジーグルーンらしき娘を探していたと。見つかった娘は水の加護を持っておらず、加護を持つ若者を探し出して契らせた上で生贄にしたとか。


「おそらくエルヴェ湖の昔話に出てくる加護を持つ若者と、神話の水の神は同じものを指すのだろう。昔話では加護を持つ若者はその後どうなったのか語られていないが、神話だと生まれ変わるのだろう? ならばその者も生贄になったと考えるのが妥当だ」


 ユリウスの言葉を聞きながら自分の心臓が嫌な音を立てるのがわかった。ドロフェイはジーグルーンに恋をする者はみな悲しい思いをする運命だと言っていた。


 ユリウスの予想が正しければ、ユリウスやアロイスが生贄になる可能性があるということではないのだろうか。だからドロフェイは悲しいと言ったのでは……。


「着いたようだな」


 ユリウスの言葉にハッとして顔を上げると、階段の終わりがすぐそこにあった。そのまま先に進むと青い地底湖が見える。


「これが例のピアノか?」

「うん。こんなところにあるなんて、ビックリだよね」

「うちで作ったものではないか。まったく、どこから調達したのか……」


 ユリウスが苦い顔でピアノの上蓋を開けて中を覗き込む。


「いつもはピアノで奉納しているのか?」

「だいたいはそう。一度アロイスだけで演奏してもらったんだけど、湖に変化はなかったよ」

「なるほど。あくまでジーグルーンが奉納しなければならないということか」


 ユリウスがピアノの椅子に腰かけて前奏を奏でる。いつの間に練習したのか『側にいることは』だった。


 ピアノが置いてある場所からも地底湖は見える。私が歌い出しても特に変化はないが、歌が終わって伴奏が終わるとウェルトバウムの根を中心に水紋が広がる。


「髪留めが……」

「ん?」


 ユリウスを見ると目を瞠目していた。


「歌っている間は髪留めの石の色が変わっていた」

「そうなの?」

「青味が強くなっていた」


 自分からは見えない位置にある髪留めを触る。


「それに、演奏中は俺も力が少し抜けるような感覚があった」

「えっ、それって大丈夫なの?」

「問題ない。むしろスッキリするような感覚だな。アロイスは何か言っていなかったか?」


 言われて思い返してみるが、特にそういったことを言っていた記憶はなかった。ユリウスは考え込むようにじっと髪留めを見ている。


「明日の朗読劇では髪留めを着けて指揮をしてみろ」

「色が変わったら驚かれない?」

「舞台の下にオーケストラを置くのだろう?」


 そうだった。バレエがあるのでオーケストラピットを下に作ってあるのだ。観客が舞台に集中しやすいよう、木枠を組んで暗幕を張るのだ。


「自分じゃうまく着けられる気がしないよ」

「俺が着けてやる」


 ユリウスはそう言って髪にキスを落とした。


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