襲撃とアルプ
目が覚めたら隣に人が寝ていた。
そんな風に言うと色っぽい話に聞こえるかもしれないが、そんなことは全くない。隣にいるのは10歳くらいの子どもだ。少年なのか少女なのかもよくわからない。ナイトキャップみたいな三角形の帽子を被っている。
「えーと……確か馬車で寝ちゃって……はっ! そうだ! 練習しないと!!」
とりあえず、くうくうとよく眠っている子どもは放置だ。演奏会は明日の午後なのだ。
「あ、ユリウス! 楽器借りるね。時間があれば合わせよう。ラース、なんか私の部屋に小さい子が寝てるから後で起こしてあげて」
「は? え……? 子ども……?」
「寝ぼけているんじゃないか?」
失礼な! ちゃんと起きてます。
けれど今の私はとにかく練習しなければならないのだ。
チェンバロの音を頼りにヴァイオリンをチューニングしていると、ユリウスが入ってきた。
「子どもなどどこにもいなかったが?」
「えー、さっきまでいたんだよ? まあ、別にいいけど」
従業員の子どもだろうと考えて練習を始める。
今回演奏するヴァイオリンの曲は、フルーテガルトにいるうちに楽譜を起こしてある。演奏会がいつ行われるのかは不明だったが、念のためにユリウスに伴奏を頼んであった。
ユリウスから借りたヴァイオリンは、形を見れば明らかにバロック・ヴァイオリンだったが、バロックの曲は選ばなかった。受け入れられるラインを見極めたいという実験的な要素もあったからだ。
チェンバロはバッハの曲だ。前回はヘンデルを弾いたのだから、次はバッハでなければならないのだ。理由を問われると困るが、私なりのこだわりなのである。
ヴァイオリンを構えてユリウスを見る。目線と呼吸を合わせて演奏を始める。
フルーテガルトで合わた時も思ったが、ユリウスの伴奏は演奏しやすい。五線譜の見方を多少教えただけなのに、すぐに理解してしまったし、こちらがやりたいことも心得ているような伴奏だ。
「何か……怒ってないか?」
「だってなんかずるい。ユリウスばっかり何でも出来て、音楽の理解も早すぎる!」
「楽器で商売しているのだぞ。子どもの頃から習っているに決まっているだろう」
それは予測していたことだ。だから伴奏を頼んだ。部屋にチェンバロを置いていたし、かなり使い込んだ様子のヴァイオリンも貸してもらっている。
「それにアカデミーで学んだからな」
「アカデミーって音楽も教えるの?」
「ああ、音楽を含む七科目を学ばなければ学士は取れない」
そうだったのか。ユリウスのことだから習う以上のことを研究しまくっていたに違いない。八つ当たりしてごめんねと謝っておく。
「別に構わん。それよりも練習しなくていいのか?」
「そうだった!」
その後も練習を続け、ヴァイオリンの曲もチェンバロの曲もどうにか形になった。
しかしまだ問題があるのだ。ユリウスに言えば怒られることがわかりきっているので言っていないが、実はチェンバロの楽譜が途中までしかできていない。暗譜しているから演奏は大丈夫だが、出来れば完成させたい。
今日は徹夜かな……そう思いながら自室に戻る。
「あれ? やっぱりいるじゃない」
子どもは未だに寝台で眠っていた。しかもどういうわけか半透明だ。見間違いだろうかと思いながら、護衛のために手前の部屋にいるラースを呼ぶ。
「ラース、寝台の上に何か見える?」
「ふとんと枕が見えるが?」
「そっか……ありがとう」
どうやら私にしか見えないらしい。幻覚だろうか? 気にはなるが楽譜を仕上げるのが先だ。
書きかけの楽譜を机に置いて、もう一度子どもをちらっと見れば、ばっちりと目が合った。
「…………ええと、初めまして?」
声をかけると子どもは目をまんまるにして固まった。
目を開ければ判るだろうと思った性別は、やっぱりわからない。銀色の長い髪を一本の緩い三つ編みに結ったその子は、男の子にも見えるし女の子にも見える。
「見えるの?」
「はい? ああ、君が見えるのかってこと? まあ、この通り、見えるけど?」
肩を竦めて答えると、その子は大きな目をパチパチと瞬かせた。
ものすごく肌がきれいだが、比喩でなく透き通っている様子から、人ではないものなのかもしれない。
「ね、君は何者?」
「アルプ。名前はアルフォード」
もしかして私の寝ぐせの犯人? そんなばかな。アルプって夢魔? 妖精? どっちにしても子どもの姿をしているとは思わなかった。
「それよりお姉さん」
その子ども ―― アルフォードが急に立ち上がって、クローゼットを指差す。もう片方の手は口の前に人差し指を立てて黙るように仕草で伝えてくる。
何かいる。ようやく気が付いて警戒する。
(待ってて)
声を出さずにアルフォードに身振り手振りで伝えてラースを呼びに行く。もちろん人差し指は口の前に立てて、ラースにも声を出さないように伝える。
私の顔色を見て驚いた様子のラースだったが、足を忍ばせて着いてきてくれた。
私が指差すと、ラースが私を背に庇いながらクローゼットの前に立ち、剣を構える。
バンっと扉を開けると同時に、煤けた布が飛んできた。
「賊だっ!! アマネ!」
「けふっ、わ、なに?」
ラースの大声と同時に腕を引っ張られ、私がカクンと座り込んでいる間に、ガラスが割れる音がした。何者かが外に飛び出していく。
隣の部屋で勢いよく窓を開ける音がする。けほけほと咳き込んでいると、しらばくしてざぶんという音。
「アマネさんっ、無事ですか!?」
「川に飛び込んだようだ」
珍しく慌てたデニスの声と、ピリピリしたユリウスの声が聞こえた。
◆
「あそこは僕のお部屋なのに、あの男が突然入ってきて居座ったんだ」
銀色の猫がしっぽでテシテシと椅子を叩きながら憤った。
襲撃の後、窓が割れてしまった私の部屋から居間に移動し、デニスがお茶を入れてくれた。
襲撃犯を追いたくとも川に飛び込んで逃げたようだったし、こちら側も手が不足していた。フルーテガルトもそうだが支部にも泊まり込みの従業員はいないのだ。
「アマネ、羽織っておけ」
「寒くないけど?」
ユリウスは有無を言わさずショールを巻き付けてきた。
「旦那、川に小舟が繋いであった。」
念のためにと川を見に行ったラースが戻って来て言った。逃亡に使うつもりで置いてあったのかもしれない。ラースは穴をあけて沈めておいたそうだ。
なぜクローゼットに賊がいると気付いたのか。そう問われた私はユリウスにアルフォードを紹介した。
「ええと、アルプのアルフォードです」
「おねえさん、たぶんおねえさんにしか見えないと思うよ」
そう言ってアルフォードは銀色の猫に姿を変えた。
「え、は? なんで猫?」
「おい、説明しろ」
「大丈夫。僕が説明するから」
猫 ―― アルフォードはそう言って説明し始めた。
それによると、昨日の夜、アルフォードは鍵穴から私の部屋に入り込み、夢を食べようとした。しかしどういうわけだか食べることができず、腹いせに髪をぐしゃぐしゃにした。やっぱり犯人はこいつだった。
その話を聞いたラースとユリウスは咽ていた。朝の私の寝ぐせを思い出したのだろう。失礼な。デニスはと言えば、微笑みながら咳ばらいをしている。
さて、悪戯の出来に満足したアルフォードはクローゼットを見つけ、そこを自分の部屋に決めた。夢を食べるまでは居座るつもりだったようだ。
アルプは昼間は寝て過ごすらしい。私とユリウスが王宮に出かけた後、アルフォードはクローゼットの中でくうくう寝ていた。
そこへ煤くさい襲撃犯が押し入ってきたのだという。多少の怒りを感じたものの、まだ眠かったアルフォードは寝台に移動して寝ていたというわけだ。
襲撃犯が投げ付けてきた煤けた布は、ラースに多大な被害をもたらした。幸いなことにラースの背後にいた私に大した被害はなかったが、ラースは今も煤だらけだ。
「煙突から侵入したのだろうな」
「ユリウスの旦那、暖炉の中に通った痕跡がある」
火を入れていない暖炉を覗き込んでいたラースが言った。ユリウスは難しい顔で考え込んでいる。
暖炉は居間と厨房にしかない。煙突もひとつだ。つまり襲撃犯は煙突から侵入し、昼間は誰もいない2階の居間を抜けて私の部屋に侵入し、クローゼットに身を隠していたということのようだ。
煤だらけになりそうなものだが、布を羽織っていたらしく、ラースに投げ付けてきたのはそれだった。
「ね、アルフォードは他の人には見えないの?」
「うん。僕のお部屋に居座った男にも見えてなかったよ」
「私が見えるのはどうして?」
「わからないけど、おねえさん、朝は僕のこと見えてなかったよね?」
「朝って、もしかしてクローゼットじゃなくて部屋にいた?」
「うん」
全然気付いてなかった。しかしどういうことだろう。私がアルフォードを見つけたのは王宮から帰って目が覚めた時だ。朝は見えていなかったということは、午前中にあった何かが原因と考えるのが妥当だ。
「うーん、今日はいろんな人に会ったからな。えっと最初は辺境伯で……侍従君と侍従長……」
「宮廷道化師を忘れているぞ」
「道化師? そんな人いたっけ?」
私がそう言うとユリウスが顔色を変えた。
「覚えていないのか? 怖がっていただろう?」
「怖がる? 私が?」
「おねえさん、何かの術をかけられたのかもね」
なにそれ怖い。けれど私に術をかけて何をしようとしたのか。
「術のせいでアルプが見えるようになったということか? だが何のためにだ。そんなことをしても道化師にメリットはないと思うが……」
「道化師っていうくらいだから、おもしろいことが好きなんじゃないの?」
「ふむ……術と襲撃は別に考えた方がよさそうだな」
おおっ、ユリウスがアルフォードの意見を聞くとは。アルフォードの見た目が猫な上に元の姿が子どもだから、ものすごい違和感だ。
「あいつ、僕のお部屋で着替えたんだよ。煤がいっぱい舞ってお部屋が汚れちゃったんだ」
なんと襲撃犯は布だけではなく、着替えまで持参していたらしい。
「武器は? 何か持っていたか?」
「小さいナイフみたいなのは持ってたよ。あとは薬みたいな瓶を持ってた」
着替えたのならばどこかに武器を隠していたというわけでもないようだ。まあ小さいナイフでも十分怖いけど。
「殺害するつもりはなかったのか……?」
「船で連れ去るつもりだったのかもしれねえな」
「人ひとり抱えて……まあ、俺も運んだがな」
王宮からの帰り道で眠りこけた私を部屋まで運んだのは、どうやらユリウスだったらしい。
「襲撃犯は渡り人を連れ去ろうとしたのか、それとも陛下の事件と関係があるのか……」
「旦那、陛下の事件はアマネを見つけた日の午後だったよな?」
「そうだ。犯人が渡り人があの場にいたことを知っていて、自分の姿を目撃されたと思ったとしても問題には思わないはずだ。陛下は昼まで生きていたのだから、午前中にその場にいたという証言があったとしても偶然で済む話だ」
ラースが腕を組んで考え込んでいる。珍しい姿に茶化したくなるが、そんな空気じゃないので自重する。
「なあ旦那、あの場所にいたこと自体が不自然な人物ってことはねえか?」
「…………バウムガルト伯爵か」
ギルベルト様の話に出た人物だ。陛下とギルベルト様が子どもの頃、悪戯をしては怒られていたと言っていた。そして数か月前に爵位を継ぐことになって職を辞したとも。
バウムガルト伯爵は今は領地にいるはずで、領地から王都までは5日ほどかかるため、静養のために亡くなる前日にフルーテガルトへ来たヴィーラント陛下の元にいるのは、見舞だとしても不自然なのだという。
「デニス、バウムガルト伯爵とユニオンに関係は?」
「ございます。融資を受けております」
「繋がったな」
何がどう繋がったのか、さっぱりわからない。ユニオンはヴェッセル商会に嫌がらせをしていたと聞いているが、陛下の件にも関わっていたなんて初耳だ。
「ユニオンって陛下と関係あるの?」
「ユニオンは国外での取引が多い。国外での取引には国の許可が必要だ。その許可をする部署の官僚とユニオンは繋がっている」
汚職というやつか。どの世界でもあるのだなと逆に感心する。
「陛下は気付いておられた。官僚にもそれとなく釘を刺していたが、それが仇となってフルーテガルトでの盛大な宴を演出されたのだ」
「ギルベルト様が言っていた『おかしな方向に気を回した』っていうのがその官僚の仕業だったんだ?」
汚職まみれの官僚は、忖度によってヴィーラント陛下が暗愚であることを示そうとした。そうなれば陛下が何を言おうとも、周りがまともに取り合わなくなるだろうと考えたようだ。
「陛下は内々に済ませたかったようだが、何度も続いた上にヴェッセル商会への嫌がらせもあった。それで処罰するしかないと叔父であるクレーメンス様に相談していたのだ。バウムガルト伯爵は爵位を継ぐ前だったから、おそらく相談の場にいたのだろう」
ユニオンから融資を受けていたバウムガルト伯爵は、ユニオンに言われるがままにヴィーラント陛下の動向を逐一報告していたのかもしれない。しかし10年以上も仕えた主をそう簡単に裏切るものだろうかと疑問に思う。
「娘の病が決断させたのだろうな。バウムガルト伯爵の娘は重い病を患っていると聞いたことがある。デニス、バウムガルト伯爵の娘はどうなっている」
「回復されたようです。ヤンクールから高名な医師を呼び寄せたと聞きました」
「ユニオンが間に入ったんだろう」
そもそもバウムガルト伯爵の借金は娘の病にかかったものであったらしい。借金をしてもなかなか治らない娘の治療を餌に、ユニオンはバウムガルト伯爵を操って陛下を殺害せしめた、ということのようだった。
「アマネ、明日の演奏会が終わったら、すぐにフルーテガルトに戻るぞ。バウムガルト伯爵がユニオンにお前のことを話したかどうかは不明だが、話していないとしても知られるのは時間の問題だ」
ユリウスによれば、ユニオンはバウムガルト伯爵よりも厄介なものであるらしい。王都にはユニオンに所属する商会もそれなりにあって、組織力という意味では一伯爵など及びもつかないほどであるのだという。
「うん……あれ? でも変換器は?」
「ぼんやりのほほんにも程があるぞ。殺されたいのか?」
ユリウスがうっすらと微笑んでいる。怖い、怖すぎる……襲撃犯より怖いよ。でも私は実際にバウムガルト伯爵を見たわけではないのだ。狙われていると言われても実感などあろうはずがない。
「明日の午前に私が行ってまいりましょう」
「デニスさんっ……あなた天使ですか?」
デニスの助け舟に思わずその手を握り締めた。デニスは癒し。私の胸にそう刻まれた瞬間だった。