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地底湖

「どうして今まで道を見つけられなかったのか、不思議なくらいですね」


 アロイスと共に地底湖へ向かう私は改めてドロフェイの術に感心した。


 裏山への道は城の裏側に面した崖の隙間にあった。崖の前にはいくつか木が植えられており、直接見えないとはいえ覗き込めばすぐに見つけられそうなものだ。


 建物へと向かう石畳には青い石が、壁になっている崖には赤い石が、何かの模様のように嵌めこまれている。どちらも1センチほどの丸い石だ。


「建物と入り口となるとずいぶん広範囲ですけど……」


 ドロフェイに最後に会った時、なんだか疲れているように見えたが、随分と力を使う術なのではないだろうか。それほどまでして見つけられたくない場所なのかもしれないと思ったら、とても厳粛な気持ちになった。


 建物の入り口にも青い石と赤い石があったが、こちらは階段のものよりも一回り大きい。更にはべっ甲のような飴色の石と透明な緑色の石も扉に嵌めこまれていた。


 扉を開けると、つい昨日まで誰かが暮らしていたかのような普通の部屋があった。飾り気のない白いカップや皿が置かれた食器棚、小さなテーブルと2客の椅子、奥には寝台もあったが、片付けられたのか布の類は見当たらない。小さなテーブルの上には、使い込まれた様子の懐中時計が置かれていた。


 入り口から見て左手側には下りの階段があり、中は暗くてよく見えないが、石畳が敷かれているようだった。


「この階段でしょうね。降りてみますか?」

「ええ」

「手を。暗いですから」


 持ってきたランタンを片手に、アロイスが手を差し伸べる。


 階段はかなり長い距離であるらしく、地底湖のような空間に出る気配がまったくしない。広くて緩やかな階段は高いところが苦手な私でもそれほど苦では無いが、このまま生き埋めになったらどうしようと不安が頭を過る。


「ドロフェイはウルリーケさんの水の神なんじゃないかと思ったのですけど、否定されてしまいました」

「私が知るジーグルーンの神話は水の神は出てこないのですよ」

「そうなのですか?」


 不安そうな私の気を紛らわせようとしたのか、アロイスが神話の話に乗っかった。


「水の神ではなく白ヘビでした。白ヘビがジーグルーンを探して連れて行くと」


 アロイスは王都よりも北側の出身だ。その地方に伝わる神話はデニスや西のマーリッツ出身のナディヤが語った物とは少し違うようだ。


 デニスが語った神話では、シーグルーンの歌声に誘われた水の神が迎えに来て神々の国で暮らしたはずだ。


「じゃあナディヤが言っていた話は伝わっていないのですね」


 ナディヤの話はその続きで水の神がウェルバウムを害する竜を退治して、毒で死んだというものだった。さらに悲しむジーグルーンを哀れに思った神々が来世で結ばれることを約束したのだったか。


「竜の話はありますよ。確か白ヘビは竜の手下で、ジーグルーンは竜を慰めるために連れて行かれるとか」

「ウェルトバウムの根をかじる竜を慰めるってことなのでしょうか……? でも、それって救いがないような気が……」


 ジーグルーンが竜に差し出されて終わりなんてバッドエンドだと思う。


「言われてみればそうですね。すみません、あまり興味がなかったので実はうろ覚えです」

「アロイスはお話よりも教会でオルガンですか?」


 教会のオルガンはミサが無い時は子どもたちに開放されている。音楽に興味を持つ子どもは少ないわけではないが、長続きする者はそれほど多くはないらしく、取り合いになったりすることは無いようだ。


「それもありますが、物語はカスパルがずっと語りつづけるのでうんざりしていたのです」

「ふふっ、カスパルさんは子どもの頃はおしゃべりだったんですね。だからエグモントさんと気が合うのかもしれませんね」


 カスパルは大人しいという訳ではないが、一心不乱に戯曲を書いている姿が強烈すぎて、あまりたくさん話をするというイメージではない。だが、エグモントとは波長が合うようで、一緒にいるところをよく見かけた。


「アマネさんはどんな子ども時代を?」

「私は兄にべったりでしたね。よく後を追いかけてました」

「おや、それは兄君がうらやましいですね」

「そういうのではないのですよ」


 どちらかというと、兄が何か仕出かさないか見張っていたという感じだ。


「帰りたいと思われますか?」

「それは……まあ…………でも街の人たちも優しいですし、事務所のみんなも良くしてくれますから。そうだ、マルコから荷物が届いたんですよ!」


 アロイスの質問を誤魔化したいこともあって話題を変える。自分のことを話すのはあまり得意ではないし、元の世界を思い出せば、どうしたって家族のことが心配になってしまうのだ。


「喜んでください。金管楽器の改善がどうにかなりそうなのです!」

「それは良かったですね」


 マルコから届いたのはバルブシステムを使ったホルンだった。さっそくラウロに試演奏をしてもらったのだが、空気漏れもしていなくて綺麗な音だった。マルコの手紙によると、内部はゴムを使っているらしい。そういえばユリウスがリーンハルト様からもらったゴム製品はアールダム製だった。


「次はチューバを作ってもらうんです!」


 チューバが完成すればチャイコフスキーもマーラーも演奏できるのだ。トランペットも半音階が出せるようになるから、だいぶ楽曲の選択肢が増える。


「アマネさん、嬉しいのはわかりますがもう少し慎重に……」

「演奏したい曲がたくさんあっ、わわっ」


 浮かれていた私が階段を踏み外すが、危なっかしいと先に立って身構えていたアロイスに抱き留められた。


「気を付けてください。ここは入ることが出来る者が限られているのですから、怪我をしたら大変ですよ」


 暗に2人揃って怪我をしたら誰にも助けられないのだと言われ、私は身を固くした。


「ご、ごめんなさい……やっぱりいつも通り外で奉納した方がいいでしょうか」


 逆に言えば誰も入って来られない場所に男性と2人でいるのだということに、今さらながら気付いてしまった。ドロフェイがもっと気を付けるべきだと言ったのは、私のこういうところを示唆した発言だったのかもしれない。


「エルヴェ湖畔は誰でも入って来られますから、危険でもありますよ」

「そうですけど……」


 今まで大丈夫だったのだし、突き落とされるようなことがそうそうあるとは思えないのだが、フルーテガルトに外から人が入ってくるようになったのだから、気を付けるべきだとアロイスは言う。


「何もしませんから、そう意識されなくても大丈夫ですよ」


 私の内心を見透かしたかのようにアロイスがくすりと笑う。


「ユリウス殿とあの女のこともありましたが、演奏の後は気持ちが高ぶってしまって……貴女の楽器として役割を果たせたと思ったら、ダメだと思っても止められませんでした。申し訳ありません」

「えっと、あの、私の方こそ……なんかすみません」


 演奏会についてはあまり言及しないで頂きたい。おそらくあの場にいた多くの女性がそうだったとはいえ、私自身もアロイスの音にドキドキしてしまったのは逃れようもない事実なのだから。


「そろそろ着くようですよ」


 しどろもどろな私に気を遣うようにアロイスが明るい声を上げた。周りを見渡すと少し先で階段が終わっており、うっすらとした青い光と岩場が広がっているのが見えた。


「あ……なんか青い光が……」

「これは……すごいですね」


 目の前に広がる地底湖に、私たちは感嘆の息をもらした。そこには、物音を立てるのも恐れ多いと感じてしまうような、厳粛で幻想的な光景が広がっていた。湖の底からは青い光が立ち上り、洞窟内の壁や天井をうっすらと染めている。


「ウェルトバウムの根?」


 湖の真ん中ほどに太い樹木の根を認め、自然と声を潜めて呟く。


「あれがそうなのですか……しかし、上はどこに繋がっているのでしょうね」


 確かドロフェイは地底湖は城の一部と重なっていると言っていた。だが思い返してみてもウェルトバウムのような木は無かったような気がする。城の下に異空間みたいな場所があって、その更に下にこの地底湖があるのだろうかと私は断面図を想像してみた。


「そんなファンタジーみたいな……まあ、ドロフェイもアルフォードも大概だけど」


 ぶつぶつ呟く私を余所に、アロイスは周囲を見渡す。


「アマネさん、あれを見てください」


 暗くてよく見えないが少し進むと何が置いてあるのか見えてくる。


 それを見て私は呆れかえった。


「これはさすがにドロフェイの仕業でしょうね」


 それであんなに疲れ切っていたのかと納得するけれど、一体どこから調達したのかは心配だ。


 そこには真新しいピアノが置いてあった。


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