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ウルリーケの水の神

 目を開けると北館の天井が見えた。


 もうちょっと、と寝汚く目を閉じると自分を呼ぶ声がして、まだ眠いから知らんぷりをしたかったけど、その声が小さく抑えているにも関わらずあまりにも必死な響きを含んでいて、仕方なく薄目を開ける。


 何度か瞬きを繰り返していると、声の主が視界に入り込んだ。


「…………アロイス?」

「よかった…………目が覚めましたか?」


 アロイスがどうして私の部屋にいるのだろうと、回らない頭で考えていると、お腹にぽすんと衝撃があった。


「あ…………アルフォードっ」

「おねえさんっ」


 銀色の猫を抱き締める。懐かしい温もりに涙が滲んだ。


「アルフォード、遅いよっ! 寝すぎだよ!」

「ごめんね、おねえさん。でもね……」


 アルフォードが私の腕からするりと飛び降りると、銀髪の子どもがそこに現れた。


「ん? 元の姿、だよね?」

「うん、おねえさんにも他のみんなにも見えるようにって長老にお願いしたんだよ!」

「えっ、じゃあアロイスにも見えるの?」


 アロイスを見れば小さく笑みを浮かべている。


「すごい嬉しい! これなら猫に話しかける痛い人にならないね!」

「うん。僕もおねえさんといつでもどこでもお話できるから嬉しい!」


 2人できゃあきゃあ騒いでいると、アロイスが小さな皿を差し出した。


「アマネさん、これを」

「これって、アマネミンD?」

「ふ……そのような名前なのですか?」


 アロイスが笑いを堪えているけれど、なんでアマネミンDがここにあるんだろうと首を傾げてようやく湖に落ちたことを思い出した。ついでにそこに至るまでのあれやこれやも思い出す。


「今って何時? マリアは? カッサンドラ先生は?」


 慌ててアルフォードとアロイスに視線を送る。


「もうお昼だよー」

「マリアはジゼルと一緒に後片付けをしていますよ。カッサンドラ先生はユリウス殿とテンブルグに発ちました」

「そっか……」


 マリアが連れて行かれたのではないかと焦ったが、杞憂だったようだ。そしてユリウスとはケンカ別れみたいになったことを後悔した。


「おねえさん、おにいさんが犯人を捕まえてくれたんだよー」

「犯人って……?」

「覚えていらっしゃらないのですか? あなたはエルヴェ湖に突き落とされたのですよ」


 アロイスが心配気に顔を覗き込む。


「ええと、そういえば背中を押されたような……?」

「ユニオンの過激派だったって、おにいさんが言っていたよ」

「ご安心ください。すでに捉えて王都へ護送されておりますよ」


 展開の速さについていけない私に、アロイスとアルフォードが説明してくれたところによれば、昨晩、私がエルヴェ湖に落ちたという知らせを受けたユリウスは、私のひとまずの無事を確認した後、フルーテガルト中の宿屋の宿泊者リストを集めたらしい。


 昨日は演奏会があったから選別が大変だったのではないかと思ったが、貴族とその供を除けばそれほどの数にはならなかったという。


 さらに門兵を叩き起こして酒を差し入れた者の人相などを確認した結果、該当した者がユニオンの過激派のひとりだったようだ。


「そっか……なんか、迷惑をかけちゃったね」


 ユリウスが私のために手を尽くしてくれたことは嬉しかったけれど、お礼も言えないままテンブルグに発ってしまったのは悲しかった。


「おねえさん、これ、おにいさんが直してくれたよ」


 アルフォードが渡してきたのはロケットだった。


「落としてたんだ……気が付かなかった」

「石は返してもらったから、中身は空っぽだよー」


 ロケットに嵌めこまれたユリウスの魔力の結晶はそのまま付いている。私はそれを首にかけてぎゅうと握りこんだ。


 ユリウス、ごめんね。ありがとう。


 そう心の中で語り掛けると、少しだけ結晶が温かく感じられた。






 ◆






「まだ少し熱があるわね。寝てないとだめよ」


 まゆりさんが布団を賭けなおしてくれる。


「マリアちゃん、後はお願いね」

「うん。アマネさん、見張るです」


 マリアが怖い顔で私を見た。


 すでに窓の外は闇に包まれている。まゆりさんは食事の後片付けが終わったら帰宅するようだ。


「マリア、ごめんね。パパさんは大丈夫だった?」

「泣いてた、けど、デニスさんに、怒られてた」


 マリアは今日、北館に引っ越して来た。ユリウスが留守がちなのでフルーテガルトの店ではデニスがパパさんに発破をかけていて、毎晩遅くまで仕事をしているらしい。だがマリアがいると、どうしてもパパさんが「一人にするのは心配だよ」と世話を焼きたがってしまうそうで、仕事がそれなりに落ち着くまでは北館に寝泊まりすることになったのだ。


「ケヴィンさんも、いるから、大丈夫」


 ケヴィンは協奏曲の演奏会の直前にフルーテガルトに戻ってきた。私が即位式で王都に行った時は、ユリウスも同行したことから仕入れに行っていたのだが、ユニオンの件が片付いたため、ユリウスがテンブルグから帰ってくるまでフルーテガルトにいるそうだ。


「カッサンドラ先生にちゃんとご挨拶できなかったな……」


 私が寝ている間にカッサンドラ先生はテンブルグに発ってしまった。お礼も満足に言えないままだった。


「後で、手紙書くです」

「そうだね。ユリウスは何か言ってた?」

「ユリウスさん、アマネさんのこと、心配してた」


 マリアの様子を見る限り、カッサンドラ先生にマリアを預ける話はまだ聞かされていないようだ。私が知らないうちにいなくならなくて良かったとは思うものの、マリアの将来を考えれば本当はその方がいいということは私も理解はしていた。


「なんか、ダメだね。結局、後始末は全部他の人に任せちゃった」

「アマネさんは、早く、元気になるです」


 劇場の演奏者たちも昼過ぎには王都へ発った。私は体調不良ということでクリストフやアロイスが見送ってくれたようだ。クリストフがわざわざ報告してくれたところによると、カミラも大人しく帰ったらしい。


 次に彼らに会うのは6月の朗読劇になるが、楽譜はすでに渡してあるのでそれについては問題ない。しかし7月の頭にある客演については演目がまだ決まっていないのだ。早急に決めて楽譜を起こさなければならなかった。


「アルフォード、ネタ帳を取ってくれない?」

「おねえさん、寝てなきゃダメだよ!」

「メモするだけだから。書かないと忘れちゃうもの」


 アルフォードは今は猫の姿になっている。ラウロが私とマリアのベッドをくっつけてくれたので、今日は2人と1匹で寝るのだ。


「体調がよくなったらリシャールさんにもお礼に行かないと」


 王宮で迷子になっていたリシャールが、私とアルフォードを湖から引き上げてくれたという偶然には本当に驚いたけど、そういえば演奏会後にドロフェイと共に馬車に乗り込む時に見かけたのは彼だった。どこかで見たことがあると思ったが、言葉を交わしてようやく気が付いたのだった。


「あの人、言葉がへんてこ」

「ふふ、ヤンクールの商人さんなんだって」


 ヤンクールの言葉がああなのかはレイモンの口調を考えると疑問だが、どうやらリシャールの商家はヤンクールの王都よりもだいぶ南寄りに居を構えているらしい。


「アマネちゃん、まだ起きてる?」


 先ほど部屋を出て行ったまゆりさんが困惑顔で戻って来た。


「ごめんなさいね。お客様が来てるのよ。熱があるからって断ったんだけど、どうしてもって。ほら、演奏会の後に来た陛下のお遣いの方」

「ドロフェイが?」


 ドロフェイが普通に訪ねて来るなんてと驚く。どうしてもと言うなら、いつものようによくわからない空間に引き摺り込みそうなものだが、ひょっとしてまたエルヴィン陛下のお遣いなのだろうか。


「わかりました。応接ですか?」

「ええ」


 ドロフェイの用件が何なのかわからないが、マリアがいるこの部屋ではまずいかもしれない。私はアルフォードを伴って応接へ向かった。


「やあ。休んでいるところをすまない」

「ううん。えっと……ありがとう。昨日は助けてくれたって聞いたよ」


 昨日の顛末はアロイスとクリストフから大体のことはに聞かされた。ドロフェイがどうやって私の毒を取り除いたのかは2人とも教えてくれなかったけれど。


「どうしたの? 正面から来るなんて。陛下のお遣い?」

「いいや。今の僕はあまり力が使えないのさ」


 ドロフェイの言葉に驚く。ひょっとして私を助けたことが原因なのだろうか。


「それもあるけれど……そういえばアロイスはどうしている?」

「アロイス? 休んでいると思うけど?」

「ふうん。昨日の様子なら今日はキミにべったりだと思ったんだけど」


 アロイスは特に変わった様子はなかったように思う。私が起きた時もいつも通りだった。ドロフェイが何を言いたいのかわからなくて首を傾げる。


「フフフ、彼は見栄っ張りなんだろう。まあいいさ。それよりもエルヴェ湖のことだ」


 そう言ってドロフェイが語り始めた。


「地底湖? そんなものがここにあるの?」

「ああ。キミが昨日言っていた創世の泉だ。ウルリーケはそこで奉納していたのさ。彼女がいなくなった後は僕が隠していたのだけれど、キミとアロイスと、それから君のナイトは入れるようにしておいたから」


 それを聞いたアルフォードが悲しそうに言う。


「僕は入れないの?」

「君はスヴァルミューラの住人だろう? あそこはハーベルミューラに近いから、入らない方がいいと思うけど?」


 アルフォードはふるりと身を震わせて頷いた。


「でも、なんか協力的だね。どうして? 昨日は教えてくれなかったのに。何か企んでる?」

「企んでなんかいないさ。キミがあまりにも危なっかしいからだよ。僕はキミを連れて行きたいのだから、死なれては困る」


 それはなんというか、申し訳ないとしか言いようがない。昨日、エルヴェ湖の畔にふらふら行ってしまったことは、アロイスやクリストフ、そして護衛の2人にも散々怒られたのだ。


「創世の泉だったら手を繋がなくても奉納できるよ。けれどキミ1人では行かないように。入れる者が限られているのに行き倒れたら困るだろう?」

「ああ、だからユリウスとアロイスもなんだ?」


 納得した私だが、地底湖の入り口が山の中にあると聞いてゲンナリした。


「徒歩30分……通勤しなくなった分、運動になると思うしかないか……」

「まあ上るばかりではないけれど。上った後は階段を降りることになるのさ。ああそれと、僕の力が戻るまではしばらく湖底には行けないから」

「まあ、それは。湖に落ちた時に見えたから、しばらくはいいよ」


 昨日、湖に沈んだ時、ウェルトバウムの根がはっきりと見えたのだ。大きな傷は2つになっていた。前日に見た時は2つと半分だったから大きな進歩だ。もしかすると演奏会の最中の異変が関係あるかもしれない。


「ねえ、演奏会の最中に、エルヴェ湖が音楽を奉納した時みたいにさざ波が立ったらしいんだけど、どうしてだかわかる?」

「ウルリーケは演奏会なんてしたことがないからわからないけれど、領主の館があった頃、屋敷内で演奏した時は奉納にはならなかったよ」


 ドロフェイにもわからないらしい。奉納については自分で調べるしかなさそうだ。


 しかし、私が気になったのはウルリーケのことだ。ドロフェイはウルリーケに詳しすぎるような気がする。


「ドロフェイってウルリーケさんの水の神だった?」

「厳密には違うけど、キミに詳しく教えるつもりはないよ」


 そう言ってドロフェイは立ち上がる。


「王都に戻ったらしばらくこちらには来られないけれど、キミはもっと気を付けるべきだ」

「う……はい……気を付けマス」


 敵対していたはずのドロフェイにまでそんなことを言われてしまえば、頷くしかなかった。


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