王族との夕食会
えー、エルヴィン陛下に呼ばれてきた私ですが、絶賛混乱中です。
なんでこんなに人がいるのか…………
クレーメンス様とヴィルヘルミーネ王女までは理解できたとして、アーレルスマイアー侯爵とシルヴィア嬢、そして諸悪の根源である師ヴィルヘルムもいる。はっきり言って嫌な予感しかしない。
騙したなとばかりに隣を睨むと肩を竦めるドロフェイがいた。どうやら彼も聞いていなかったらしい。
まあね。師ヴィルヘルムとドロフェイは前回やらかし組というか、ドロフェイがしてやられたわけだから、知らされていたらほいほい迎えに来たりしなかったかもしれない。
「素晴らしい演奏会でしたわ。アマネ様、どうぞお座りになって」
ヴィルヘルミーネ王女に導かれた先は、手前から奥に長細いテーブルの一番奥にいるエルヴィン陛下の右隣。うぅっ、このメンツで私が主賓? 勘弁してくださいっ!
「エルヴィン陛下、遅くなってしまいましたが、フルーテガルトへようこそお越しくださいました」
「渡り人殿、即位式の際は管理が行き届かず、すまなかった」
「とんでもございません。陛下に謝っていただくようなことではありません」
「そういうわけにはいかぬ。後日、侍従長より詫びがあるだろう」
そこまでされるとどうしていいのかわからず困ってしまう。そんな私に構わず、陛下は続けて言う。
「今日の演奏は心に響いた。其方の音楽を聞くと、前へ進もうと思えるのだ」
「陛下のお力になれるのであれば、私にとってもこの上ない喜びです」
数週間前に即位したばかりの若き王は、「男子、三日会わざれば……」という慣用句を思い浮かべてしまうほど、しっかりと前を見据えていた。
「アマネ様、素晴らしい演奏でした。私など鳥肌が止まりませんでしたよ」
正面にはえくぼを浮かべたヴィル様が座っている。
「ピアノの音もすごいですね。オーケストラの表に裏に馴染む音も素晴らしいし、独奏も表現の幅が広い。本当にすごい楽器です」
「ありがとうございます。ヴァノーネにもピアノはあるのでしょうか?」
「国立劇場で1台注文しておりますが、王宮にも1台欲しくなりました」
ヴィル様はレッスンを予約しているので、その時に詳細を聞いてヴェッセル商会に依頼することになった。
王都から連れて来たのか、侍従たちが次々と食事を運んで来る。エルヴィン陛下がグラスを持ち上げ皆が倣うと食事が始まった。マナーの勉強は一応してきたものの、私はおっかなびっくりでシルヴィア嬢とこっそり目で会話しながら食事していると、クレーメンス様が声を掛けてきた。
「渡り人殿、救貧院の少女は随分と大きく成長したな。声もよく出ておった」
口を綻ばせるクレーメンス様は厳しい表情をされていることが多いが、たぶん子ども好きなのだと思う。マリアの歌が聴きたいと言ったのもクレーメンス様だった。
「私も身長は追い越されてしまいました。今はテンブルグから招いた先生に師事しています」
「ほう。テンブルグか。ヴェッセル商会とは縁があるな」
ヴェッセル商会は確かにテンブルグと取引をしているし、中等教育の助言をユリウスが行っていたようだが、クレーメンス様が注目するほどのことなのだろうかと疑問に思う。
「前にマール貿易の話をしたであろう? 先日、ヴェッセル商会の参加が決まったのだ」
エルヴィン陛下の言葉に納得する。確かユリウスはテンブルグと手を組むことを条件にマール貿易に参加すると言っていた。
「本当であれば舵取りを任せるつもりであったのだがな」
クレーメンス様が私を見て意味ありげに笑う。
「若輩の身であるゆえ、することが山のようにあると申してな」
「ええ。結婚もさせぬおつもりですかと申しておりましたな」
クレーメンス様の言葉をアーレルスマイアー侯爵が補足する。ユリウスってばそんなことを言ったんだ……。しかし、確かに貿易会社の舵取りをするとなれば、国を空けることが多くなるのだろう。
「適当な娘を見繕うと言ったのだがな……」
さらにクレーメンス様がもったいぶるように言葉を濁す。だが、王族から縁談を勧められたら、さすがにユリウスも断れないのではないだろうか。
「我らにとってもその方が都合が良いのだ」
エルヴィン陛下が真面目腐った表情で言った。私は視線を下に向けないようにするのが精一杯で、口がちゃんと笑みの形を作っているのかまで気が回らなかった。
「お二人とも、お戯れはその辺で。そもそも、その話は私が反対しておったとご存知のはずじゃ」
私の顔色を気遣ったわけではないのだろうが、師ヴィルヘルムが僅かに不機嫌を滲ませた表情で言う。師ヴィルヘルムの話によれば、ユリウスの縁談はどうやら本人が固辞した上に、師ヴィルヘルムの口添えがあったことから立ち消えになったようだ。
「マール貿易に関してはテンブルグが参加するとなれば話は変わりましょう」
密かに安堵の息を吐く私を余所に、アーレルスマイアー侯爵が言う。そういえばアーレルスマイアー侯爵もマール貿易は時期尚早という考えだったはずだが、テンブルグの参加は宰相の首を縦に振らせるほどのものであるようだ。
「しかし、テンブルグが頷くかどうかはまだわからぬな」
「利がなければ動かぬであろう」
クレーメンス様とエルヴィン陛下が難しい顔で話す。ユリウスは明日テンブルグに向かう。マール貿易への参加を要請すると言っていたが、交渉には時間がかかるのかもしれない。
「テンブルグとの繋がりが固まれば、ヴァノーネとノイマールグントとの繋がりもまた強固なものとなりますね」
ヴィル様がにこやかに言う。この場に他国の者がいることを私はすっかり忘れていたのだが、こんな話をしてしまって大丈夫なのだろうかと心配になる。
「そういうわけですので、ヴァノーネからもお口添えをお願いいたします」
「あはは……前にも言いましたけれど、出来る限り、と申し上げておきましょう」
アーレルスマイアー侯爵の言葉にヴィル様が応えたことで、どうやらヴィル様もすでに知る話だったのだと理解した。
「そういえばユリウスは一緒ではなかったのかのう?」
師ヴィルヘルムが私に視線を寄越した。
「演奏会の時に見かけましたが、しばらく王都に行っていたようなので話はしておりません」
「ふむ。ユニオンの件じゃの。先日、全ての穏健派がギルドに復帰したと聞いたのう」
師ヴィルヘルムは意外と耳が早い。弟子が多い人だから各方面からの情報を集めやすいのかもしれないが、そもそも網を張っていなければここまで早くないだろう。
「ほう。ならばユニオンは瓦解したと思ってよいのでしょうね」
ヴィル様が興味を示す。ヴァノーネにもユニオンは進出していたはずだが、あまり歓迎はされていなかったようだ。
「今頃は過激派が小領地に助けを求めて移動していることでしょう」
アーレルスマイアー侯爵が言うとエルヴィン陛下が頷いた。
「こうなってみると、スラウゼンを無傷でヴェッセル商会が抑えたのは大きいな。バウムガルトが職を辞し、兄上が亡くなった時はどうしたものかと思ったが……」
「ガルブレンも少しは安心できよう。婿入りはまだ先であろうが、我らがヴェッセル商会と懇意にしておれば小領地を牽制できる。問題は我らとヴェッセル商会の繋がりをどう知らしめるかだな」
クレーメンス様が難しい顔で言う。それで先ほどのユリウスの縁談に繋がるのかと、私はようやく理解した。
「ヴェッセル商会に娘がおればよいのだがな。ギルベルトはまだ結婚しておらぬであろう?」
「縁続きにならずともヴェッセル商会とは長い付き合いがあります。婚姻は外に知らしめるにはよい手ではありますが、肝心の娘がおりませんからな」
アーレルスマイアー侯爵がちらりと私を見る。私は男ということになっているし、そうでなくてもギルベルト様みたいな変態は勘弁して頂きたい。
「しかし、スラウゼンの件といいユニオンの件といい、ヴェッセル商会はずいぶんと先読みが優れておるように思えるが、其方が糸を引いたのではないのか?」
「うちもギルベルトに命じて探らせてはおりましたが、ヴェッセル商会に言われて動いたというのが正しいですな」
クレーメンス様の問いにアーレルスマイアー侯爵が肩を竦めて答えた。
私はシルヴィア嬢とこっそり目を合わせて微笑む。なんだかんだ言ってユリウスが褒められるのは嬉しいのだ。
「おじさまもお兄様も、難しいお話はそれくらいにしてくださいませ。アマネ様、私は演奏会のお話を聞きたいです」
「ヴィルヘルミーネはヴァイオリニストの話が聞きたいのだろう?」
ヴィルヘルミーネ王女の言葉をエルヴィン陛下が揶揄う。いつも澄ましているというか堅苦しい感じなのでわからなかったが、兄妹仲は良いようだ。
「お兄様ったら……でも本当に素敵な演奏でしたわ。あの曲はアマネ様がお選びになったのですか?」
「いいえ。いくつかあった候補の中からアロイスが選びました」
「まあ、そうでしたの。前回の軽やかな曲も素敵でしたけれど、今回の協奏曲のようにしっとりとした曲も良いものですわね」
アイドルの話をするように目を輝かせるヴィルヘルミーネ様は年相応のかわいらしさで、私は思わず微笑んでしまう。
「冬の間、とても熱心に練習しておりましたから、ヴィルヘルミーネ王女が気に入ってくださったと知ればアロイスも喜ぶでしょう」
「中間部のオーボエも見事であったな。あの者は宮廷楽師ではなかったかな?」
クレーメンス様はクリストフを覚えていたようだ。しかしクリストフの訴訟について言うのは憚られる。
「すみません、引き抜かせていただきました。彼は人を纏めるのが上手いのです」
「ふむ。即位式でも指揮をしておったな。渡り人殿も先見の明がおありのようだ」
クレーメンス様は褒めてくれたけれど、クリストフがフルーテガルトに来てくれたのは私にとっては運が良かったのだと思う。王都に居づらくなるようなことが起こらなければ、今でもクリストフは宮廷楽師をしていただろう。
「しかし、あのヴァイオリニストといい、ピアノ協奏曲の指揮者といい、初めて名を聞く者ばかりだったが渡り人殿はどこで見つけてきたのだ?」
「アロイスは宮廷楽師のカルステン様のご紹介なのです。エグモントは……」
エグモントは劇場支配人に本人が説明したように、海外で活躍したことにしておこうと思ったがどの国だったか咄嗟に出てこず詰まっていると、師ヴィルヘルムが助け舟を出してくれた。
「私が紹介しましたのじゃ」
師ヴィルヘルムを見るとにんまりと笑顔を返された。貸しひとつ、ということかな。あまり無茶振りはしないでいただきたいものだ。
「次は朗読劇をすると聞きましたぞ」
「ほう、朗読劇とな。どういうものなのだ?」
「渡り人の世界のバレエ音楽を朗読とダンスを交えて披露しようと考えております」
朗読劇については宣伝しなければと思っていたので、エルヴィン陛下の問いにもすらすらと答えられる。
「バレエ音楽も楽しみですが、王都でも客演されるとか。その際には交響曲を聞きたいものですな」
「…………考えておきます」
あーあ、催促されてしまった。魔笛はまた今度になりそうだ。
◆
どうにか食事を終えて解散という流れになり、ドロフェイに伴われて宿屋を出ると、ランタンを持ったユリウスがいた。
「おや、ナイトのお出ましだ。僕は用なしかな」
「城まで送ってくれるって言ったのに……」
「あんな怖い顔をしたナイトとやり合う程、僕は若くないのさ」
600歳を超えているから仕方ないとは思わない。夕食の席ではすっかり大人しくしていたドロフェイは、たぶん師ヴィルヘルムが同席したことが気にくわなくて機嫌を損ねたのだろう。
「城まで姫君を送る栄誉はナイトに譲るよ」
そう言ってドロフェイはさっさと宿屋に引き返して行った。
夕方よりもさらに強くなった風が木々をざわつかせている。
「えっと……ユリウスはどうしてここに?」
「迎えに来たに決まっているだろう」
まあそうだよね。そんな理由が無ければ宿屋の前にいたりしないだろうとは思うけれど、カミラがフルーテガルトに来てからまともに話すのは初めてで、どうにもうまく話せない。
「あの、ユリウス? 城はそっちじゃないよ」
「ヴェッセル商会に向かう。話さねばならぬことがあるのだ」
馬車の行先違いを指摘すると、更に眉間の皺が深くなった。
馬車を降りてからも腕を掴んでずんずん歩くユリウスに、私は小走りで着いていくしかない。離宮に行った時は歩調を合わせてくれたのに、今日のユリウスは機嫌が悪いようだ。
ユリウスの部屋に着く頃には、手を引かれるままだった私は息を切らせていた。
「ユニオンの問題が片付いた」
寝台に座らされた私はユリウスの言葉に頷く。
「うん。さっき、ヴィルヘルム先生から聞いたよ」
「約束は覚えているだろう? 演奏するぞ」
「えっと…………これから?」
夜はすっかり更けている。それにヴァイオリンは城に置いたままだ。
「俺は明日からテンブルグだ」
苛立った表情を隠しもしないユリウスに戸惑う。
「だけど……」
「お前は演奏したくないのか?」
私の言葉を聞きたくないと言わんばかりにユリウスが被せて言う。
「そうじゃないけど、でも私、ユリウスに聞かなきゃいけないことが、ぅわっ」
言いかけたまま、私は肩を押されて寝台に転がされた。そのままユリウスが伸し掛かってくる。
「やっ、ユリウス…………っ、怖いよっ」
体重をかけられて、両方の手首を寝台に縫い付けられる。
「何故だ? お前だって望んでいたのではないのか。この時間に男の部屋にのこのこ着いて来たのだから、期待していたのだろう?」
嘲るようなユリウスの言葉に体が竦んだ。
「だって話があるって…………んんっ」
最後まで言わせてもらえないまま口を塞がれる。こんな風に怒っていても、触れ方はいつもと同じように優しいままで、私はどうしたらよいのかわからずに固まるしかなかった。
「………………悪かった」
唇を解放したユリウスは、私の肩に額を擦りつけて言った。
「お前にひどいことを言った……すまない……」
今日のユリウスは違和感だらけだ。怒ったり謝ったり、こんなユリウスは初めてで戸惑う。
「何かあったの?」
「いや…………だが、話があるのは本当だ」
ユリウスがため息を吐いて起き上がる。乱れた服を直しながら何でもないことのように言った。
「カッサンドラ先生にマリアを預ける」
ユリウスの言葉を聞いて私は飛び起きる。
「カッサンドラ先生もそれを望んでいる」
「い…………やだっ……そんなの……絶対嫌だっ!」
「アマネ、話を聞いてくれ」
「いや…………っ、聞きたくない…………っ」
マリアがいなくなるなんて、そんな話は到底頷けない。ユリウスだってマリアを可愛がっていたのにどうして平気な顔でそんなことを言うのか、どうして断ってくれないのか…………。
「ユリウスのばかっ」
私が部屋を飛び出した後、ユリウスの部屋が銀色の光に包まれたのは気が付かなかった。
◆
暗闇の中をとぼとぼ歩く。ヴェッセル商会を飛び出した私は城へ向かっていた。
「灯りくらい持ってくればよかった……」
月の光があるとはいえ、所々が木の影で真っ暗になっている坂道の途中、私はため息を吐く。
東門までくれば門兵から灯りを借りられるかもと思ったのだが、詰め所には門兵が2人いたものの、どちらも居眠りの真っ最中だったのだ。一応、声をかけてみたのだが起きる様子がなかったので、仕方なくそのまま城へ向かうことにしたのだった。
後悔先に立たずとはこのことか。
もう一度ため息が出そうになった時、ポシャン、と水音が聞こえた。
エルヴェ湖? でも湖には生き物がいないはずだ。湖には風だって吹かないのになぜ水音が聞こえるのだろう。
右を見ればいつも歌っている場所に入っていく繁みの隙間がすぐそこにある。
演奏会の影響だろうか? 結局、演奏会の後は忙しくて様子を見に来ることが出来なかった。ちょっとだけ様子を見ようと繁みの隙間に入っていく。
月に照らされた湖面を見れば波一つなく静まり返っている。聞き間違いだったのかなと思った時、背中に衝撃が走った。
あ、と思った刹那、私は水の中にいた。