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宮廷道化師

 まゆりさんとの小さな演奏会の翌朝、私の頭は大爆発していた。


 寝つきが悪かった私は寝ぐせだらけの髪をラースに大笑いされて、不貞腐れながら整えるはめになった。


「アルプが来たのではございませんか?」


 デニスがくすくす笑いながら言った。


 アルプとは伝承の生き物で夢魔の一種とも妖精とも言われている。鍵穴から部屋に入り込み、眠っている女性の夢を食べる。朝起きて髪がぐちゃぐちゃになっていたらアルプの仕業というのが慣用句であるようだ。


 親が寝ない子に言う法螺話みたいだと思いながら髪を直して、私はユリウスに連れられて王宮へ向かった。


 馬車の中でふと気が付く。あの音が鳴っている。遠くにある鐘の音のような、人の歌声にも似ている音。王都に来てからは聞いてなかったので、フルーテガルトでしか聞こえないものだと思っていた。


 なんとなく気分が上向いてくる。ぐしゃぐしゃだった髪は直ったのだから、いい加減機嫌を直さなくては。


 王宮に着いてラースが開けてくれた扉から馬車を降りる。段差が結構急なので、飛び降りた方が早いのだが、飛び降りるなと何度も言われている。なるべくゆったりとした足取りを心がけるが、思わず途中で足が止まってしまった。


「う、わあー」


 目の前の王宮は圧巻の一言だった。


 柱以外のすべてが丸みをおびており、これでもかというほどに装飾が施されていて、装飾が無い部分を探す方が大変なくらいだ。


 丸い天井が重なるトンネルみたいな廊下をユリウスと二人で進む。キョロキョロ見回したい気もしたが、あまりにも装飾が多くて確実に酔うと思ったので、なるべく視線を固定して歩いた。


「失礼ですが、ヴェッセル商会のユリウス殿では?」


 しばらく歩くと矍鑠とした厳しい顔立ちの男性が声をかけてきた。


「そうですが、あなた様は……マーリッツ辺境伯のガルブレン様ではございませんか」


 ユリウスの言葉に辺境伯は満足そうに頷いた。


 痩せ型であるにも関わらずいかにも武人という雰囲気の辺境伯は、笑うと目尻にたくさんの皺がよって瞬時に優しい顔立ちに変わる。


 二人はお互いに知ってはいるが言葉を交わすのは初めてであるらしく、特にユリウスは困惑と警戒心が入り混じったような視線で相手を見ていた。


「そちらは?」

「店の従業員です」


 私の前に壁のように立ってユリウスが言う。とりあえず私は礼をするに留めた。


「王都にいらしていたのですね」

「小領主たちがおかしな動きをしておってな、ユリウス殿は何かご存知かな?」

「……先日、劇場でユニオンの者と共にいるのを見かけました」

「ほう、ユニオン……貴殿も含むところがあるのでは?」

「とんでもございません。私などまだまだ経験不足の若造です」


 二人の笑顔は崩れない、状況がさっぱりわからないながらも、互いに腹の内を探り合っていることは伝わってきた


「ユニオンは、最近ヤンクールの貴族や王族に取り入るような動きを見せておる」

「それは……小領主の皆様方も、ということでございますか?」

「烏合の衆も後ろ盾次第で強敵となる。貴殿も気を付けられた方がよい」

「ご忠告、感謝いたします」


 そこで短い会談は終了した。立ち去る辺境伯の背を見送りながら、ユリウスは何かを考え込んでいる。


 邪魔をするのは気が引けたが、王宮への報告はまだ済んでいない。遠慮がちに腕を引くとユリウスは我に返って再び歩き出した。


「ユリウス、マーリッツってどの辺?」

「ヤンクールとの国境だ。アマネ、話は後だ」


 今は黙っていろ、ということか。まあ王宮なんてどこかで誰かが聞き耳を立てていそうな雰囲気があるから仕方がない。こうして歩いていても柱の向こうに影が見え隠れするし、そうでなくても壁に並ぶ彫刻の視線が気になって、ゆっくり話すどころではない。


 しかし仮にも王宮なのだから、誰か案内のような者が付くのかと思ったが、そういった者もない。人手不足なのだろうかと思ったところで大きな扉に辿り着いた。


 そこには槍を持った兵士が二人立っており、ユリウスが取次ぎを頼むと、中から侍従らしき者が出てきた。


 どうやら私が廊下だと思っていたところは、まだ玄関口だったらしい。


 少年とも言えそうな10代半ばくらいの侍従が、こちらへどうぞと先を歩いて案内してくれる。先触れをしておいたせいか、詳しく話さずとも私が渡り人であると知っているようで、好奇心が隠れていないきらきらとした目を私に向けてくる。


 もしかして、何か期待されてる……?


 勘弁してくれと内心思いながら、ユリウスを壁にしようと足を遅らせた時、後ろからパシリと腕を捕まれた。


「うわ、何?」

「ドロフェイさん! いきなり腕を掴むなど無礼ですよ!」


 完全にふいをつかれたせいか、ユリウスがわずかに目を見開いている。そして私はと言えば、ポカンと相手を見上げるしかなかった。


 白と黒の格子柄の帽子、黒いベストの中に着たシャツは、半分が格子柄で半分がストライプ。見ているだけで目がチカチカする奇抜な格好だが、顔も奇抜だ。片方の目の外側は殴られたように青く塗り潰され、縦長のひし形が線のように細く重なっている。


「ピエロ……?」

「失礼しました。宮廷道化師のドロフェイさんです」

「フフフ、ごめんね。おもしろそうな子がいたからつい、ね」


 宮廷道化師……バレエの白鳥の湖に出てくるような道化師のことだろうか? だが話し方は道化師というよりも童話に出てくる魔女みたいに怪しげだ。


「手をお放しください」


 ユリウスが道化師に促す。


「怖いなあ、怖い怖い。ほうら、お姫様を返してあげよう」


 怖い怖いと繰り返す道化師は、私の手を恭しく両手で持ち上げてユリウスに差し出す。


 私はと言えば、背が凍り付いたようにぎくしゃくとなされるがままだ。道化師の仕草は滑稽であるはずなのに、蛇に睨まれたカエルみたいにうまく動けない。


 ゾクゾクとした悪寒が背筋を這い上ってくる。


 嫌いだとかイヤだとか、そういう感覚もないまま、ただ、怖い、とだけ感じた。


「大丈夫だ。落ち着け。ほら、息を吐きだせ」

「ユ、リウス……?」


 そう言われて初めて私は息を詰めていたことに気が付いた。ユリウスが気遣うように手を包んでくれて、その安心感に自然と息が吐きだされた。


「ああ、ひどい顔色です。ドロフェイさん、あなたのせいですよ!」

「フフフ、驚かせたかな。でも、君は耳がいい、ね」


 道化師の声は不協和音みたいだと思った。その男が話すと、頭の中で怖い怖いとわんわん響く気がする。ひどく耳障りで耳を塞いでしまいたいと思っていたら、ユリウスが私の頭ごと抱き込んでくれた。


「悪いが立ち去っていただけませんか。連れが具合を悪くしている」

「ドロフェイさん、エルヴィン様はどうされたのです? ついていなければ駄目でしょう?」


 塞がれた視界のなかで侍従君が説得する声がくぐもって聞こえる。


「猫によろしく、ね」


 全く意味がわからない言葉を残して、道化師は立ち去ったようだった。


「すみません。大丈夫ですか?」

「今の人は……?」

「宮廷道化師をご存知ありませんか? 王族がその言動をおもしろがるためのペットみたいなもので、割と何をしても許されてしまう道化者のことです。すみません、お休み頂いた方がよいのでしょうが、侍従長が待っておりまして」


 人間をペットだなんて、と思ったが、あの道化師は人に飼われるような存在ではないように感じた。


 さきほどの不協和音みたいな不快感はなんだったのか不明だが、とにかく報告を済ませなければならない。侍従君にも迷惑はかけられない。


 そう思った時、一人の男性が前方から近付いてきた。逆光になっていて顔がよく見えないけれど、どうやら気遣ってくれているようだ。


「どうかされましたか? 顔色が随分悪いようですが」

「あー……、ライナーさん、さきほどドロフェイさんに脅かされたのですよ」


 ライナーと呼ばれた男性は、眉を顰めてなるほどと呟き、侍従君に言った。


「少し休ませて差し上げた方がよいでしょう。侍従長へ連絡を。君が戻ってくるまで私が着いていましょう」

「ですが……」

「唇も青くなっておりますね。貧血を起こしておられるのでは?」


 言い淀む侍従君を放置して、ライナーは近くの部屋へと私たちを案内してくれた。侍従君は諦めた様子ですぐに戻ると言いおいて姿を消した。


「こちらの長椅子をお使いください」


 普段は使っていない部屋なのか、カーテンが閉め切られていて室内は少し薄暗い。


「ありがとうございます」


 ユリウスが私に変わって礼を言う。道化師のせいなのか、私はどうにも大人の男性が怖くて、身を縮めるばかりだった。


「あなたたちをオペラでお見掛けしましたよ」


 空気を和ませるように、ライナーが柔らかい口調で言う。


「あ……階段のところで……?」

「ええ。覚えていらっしゃいましたか」


 どうりで癖のある亜麻色の髪に見覚えがあるような気がしていたのだ。


「身長差を考えてさしあげなくては、転んでしまいますよ」


 何のことだかわかっていないユリウスに対し、ライナーは小さく微笑んで言った。


「…………気を付けます」


 心当たりがあったのか、ちょっとだけ嫌そうな表情でユリウスが言う。なんだか拗ねているようにも聞こえ、私は少し笑ってしまった。


「ああ、戻ってきたようですね」


 侍従君の声が扉の向こうから聞こえ、ライナーは扉へ向かって歩き出した。


「では、私はこれで」

「あ、あのっ、ありがとうございました」


 声を掛けてみると、さきほどまで怖いと思っていたはずなのに、いつの間にか肩から力が抜けていることに気が付く。ライナーは会釈をして侍従君と入れ替わるように出ていってしまった。



「大丈夫ですか? 侍従長には伝えてきましたので、少しお休みいただいても問題ありませんよ」

「すみません。もう大丈夫です。ユリウスも、ありがとう。行こう」

「……手を」


 ユリウスは立ち上がって私に手を差し伸べた。先ほどのライナーの言葉に思うところがあったのか、私の腕を取って歩き出す。男装中の私だが、道化師がまた後ろから手を伸ばしてきそうな気がして、外面を気にする余裕もなかった。


 案内された部屋に入ると、お年を召した気難し気な男性が待っていた。


「お待たせして申し訳ございません」

「いや、お顔の色が優れないようですが、大丈夫ですか?」

「ええ、もう大丈夫ですので……」


 私の顔色を心配気に見ていた侍従長は、握手をしようと手を差し伸べてきた。中指と薬指を半ば曲げたような手を見て私は目を瞬く。昨日フィンに教えてもらった『フライ・ハイム』の挨拶だ。


 私も同じように手を差し出すと、侍従長は少しだけ微笑んでくれた。ユリウスとも同じように挨拶を交わし、侍従長はソファを勧めてくれた。


「宰相よりお話は伺っております。容易に情報が洩れることはございませんのでご安心を」

「ありがとうございます。助かります」

「陛下の葬儀の件ですが、かなり確率が高い話であると申し上げておきます」


 侍従長によれば、亡き陛下が気に入っていたベルノルトという音楽家は、評判が悪く、周りの進言もあって陛下存命中に追放されてしまったそうだ。宮廷楽長はいるが、高齢でほとんど寝たきりであるらしい。後任も適任者がおらず、とても困った状況だという。


「フルーテガルトから何度もご足労頂くのも心苦しいので、詳細をお話してしまいたいのです。ですが決定という訳ではございません」

「わかりました。お話を伺いましょう」


 葬儀の曲については特別秘すべきことでもないので、私が任ぜられるかどうかは決まっていないが、話してしまっても問題ないということのようだ。


 しかも本来であればそういったことを取り仕切る宮廷楽長が寝たきりであるため、最低限の取り決めを除けばほとんど一任したいということだった。


「しかし私では演奏者の手配が難しいです」

「宮廷楽師はもちろん参加させます。それにヴェッセル商会ならば集められましょう」


 そうなのか。楽器の販売をしているのだから演奏家には顔が利くのかもしれない。


「あとは宗教観ですね。私が生まれた国は特定の宗教を重んじる国ではなかったのです」

「なるほど。しかし、それもユリウス殿やそのお身内の方に相談できましょう」

「そうですね。お任せ下さい」


 任せろと請け負うからにはかなり頼りにしてしまうけど、なんでもかんでもユリウスとヴェッセル商会任せでいいのだろうか?


「楽譜の配布や練習場所の確保は、王宮側で手配します。そうですね。二ヶ月前までには楽譜を確認させていただければと考えております」

「承知しました。決定はいつごろになるでしょうか」

「早ければ三日後には」


 慈善演奏会は明日だ。その翌日には私たちはフルーテガルトへ発つ予定だ。日程調整をするのかどうかはユリウスと相談しなければならないが、今日ある程度の話ができたので、フルーテガルトで結論を待つのも時間の効率を考えればよいかもしれない。


侍従長との話を終え、部屋を出た私はユリウスに腕を取られた。


「急ぐぞ」

「え、どうしたの?」

「話は後だ」


 ユリウスに抱えられるようにして馬車に押し込められる。


 どうにか腰を落ち着けると、まだ昼前だというのに、ひどく体が重く感じられた。


 たくさんの人に会ったせいだろうか。ユリウスに聞きたいこともたくさんあったし、葬儀のことも考えなければならなかったのに、瞼が重くて持ち上がらない。そういえば昨日の夜はなかなか寝付けなかった。きっとアルプのせいだ。


 翌日の慈善演奏会のために、帰ったら練習しないといけないなと思ったところで意識が途切れた。











 ゆらゆらと定まらない頭をユリウスは自分の肩に押し付けた。


 乱れた髪を撫でつけて整えながら、見慣れた寝顔を覗き込むと、何の夢を見ているのか口がにへらとおかしな笑みに変わった。


「はあ…………まったく、暢気なものだ」


 間抜けな寝顔に安堵の息を吐き、ユリウスは王宮での出来事を思い返した。


 侍従長との会談が終わって部屋の外へ出ると、白と黒の格子柄が視界の隅に映ったのだ。


 咄嗟にアマネを抱えて馬車へと急いだせいか、アマネに気付かれることはなかったが、おそらくあれは宮廷道化師だろう。


 何が目的なのかさっぱりわからないが、あんな怪しげな人物に付きまとわれるのは御免被りたい。


 アマネは道化師のことをひどく怖がっていた。しかし、確かにあの道化師は不気味ではあったが、そこまで恐れるようなことがあっただろうかと訝しむ。


 後ろから腕を捕まれた時に驚いたのは確かだろう。だが、その時のアマネの様子はまだそれほどおかしなものではなかったと思う。


 ユリウスがアマネの怖がる素振りに気付いたのは、道化師がアマネの手を取って差し出してきた時だ。何かされたのかとアマネの様子を見ているうちにどんどん顔が蒼褪め、唇の色を失っていったのだ。


 あの時、道化師は何と言っていたか……。


 気になったのはそれだけではない。「耳がいい」と道化師は言っていた。確かにアマネは耳がいいが、あの短い時間で道化師がそれを察する機会があったようには思えない。あれはいったい何だったのだろうか。


 無意識のうちに指が肘掛けを叩く。


 宮廷道化師の存在については、元々知ってはいた。侍従は王族のペットだと言っていたが、ヴィーラント陛下と共にいたという記憶はほとんどない。というか、ヴィーラント陛下は道化師をあまり好いておらず、側に置きたがらなかったとギルベルト様から聞いたことがあった。


 ただ、弟君のエルヴィン王子は道化師をいたく気に入っていて、姿が見えない時は総出で探させることもあると聞いている。


 道化師は渡り人であるアマネに興味を持ったのか。それとも耳がいいアマネに興味を持ったのか。言葉通りに考えれば後者ということになるが、それを信じていいものかどうか……。


「ううっ、[帰りたいよ]……」


 思考に囚われていると、隣から小さな呻き声。


 相変わらず何を言っているのか意味はわからないが、今までにも何度か聞いたことがある言葉だった。


 アマネが夜に泣くのは未だ続いていた。おそらく、先々のことが定まらないことも原因の一つだろうとユリウスは考えている。


「泣くぐらいなら、もっと頼れば良いものを」


 ため息を堪えながら、肩の重みに手を伸ばすユリウスだった。

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