表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
109/193

指揮者見習い

 キリルがアマリア音楽事務所の見習いとなり、北館に住まうことになった日の夜、私はユリウスの書斎を訪ねた。


 指揮者志望であるフォルカーの娘モニカが、近々フルーテガルトに来ることになっているのだが、まだどこに滞在させるのか聞いていないのだ。


「北館に住まわせることはできないか?」


 二人でソファに並んで座るとユリウスが切り出す。


「うーん……、大切なお嬢さんをお預かりするのに、男性と一緒というわけにはいかないよ」


 フォルカーの顔を思い浮かべる。厳格な父親然としているけれど、40歳近くになって生まれた末娘がかわいくないはずがない。


「だが、それは宿屋でも同じことだろう?」


 確かにそうなのだが、自分のテリトリーで問題が起こるのと宿屋で問題が起こるのとでは訳が違う。北館でなにかあれば北館の住人全体の問題になる可能性が高い。


「女性が北館に住むなら私も北館に住むよ」


 大したことができるわけではないが、目が届く範囲にいるというのは重要だと思う。


「お前は北館ではなく南1号館か南2号館にしろ」


 渋るかと思ったユリウスがそんな風に言うのは、私にとっては意外なことだった。ユリウスは自分の目の届く範囲に私を置きたいのではないかと、無意識のうちにうぬぼれていたことを実感する。


「すぐには難しいだろうが、いずれはミアのように夫に先立たれた者などを雇い入れることも考えておけ。お前は音楽に集中すると周りが見えなくなるだろう?」

「…………うん」


 自分で言い出したことだったけれど、ずっと一緒にいたいと思っているのは自分だけだったのかもしれないと気落ちしてしまった。


 それにしても南2号館はすでに律さんが使っているのだから難しい。使うとすれば南1号館になるだろう。部屋が余っていないわけではないが、そうしなければならない理由がわからず戸惑う。


「どうして北館じゃダメなの?」

「劇場の演奏家たちも北館に寄宿するのだろう?」


 ヘルプをお願いしている劇場の演奏家たちには北館を使ってもらう予定でいるが、次回からは女性演奏家たちも北館にという話が出ていた。


 もともと、女性演奏家たちは宿屋を使う予定だったが、演奏会の時期は宿屋はどこも満室となる。今回は事前に言ってあったこともあり、どうにか確保できたが、次も確保できるかはわからない。


「入れ替わりが多い劇場関係者と同じ北館よりは、南1号館の方がまだ安心だ」


 北館の部屋にはそれぞれに鍵が付いていないが、南1号館や南2号館は鍵付きの部屋がある。事務所として使っているのはそれがあったからでもあった。


「俺としては父上のこともあるから、お前にはヴェッセル商会にいてほしいとは思う。だが城に住めば行き来で狙われることはなくなるからな」


 ユリウスはまだ片が付いていないユニオンの過激派のことを言っているのだろう。確かにレッスンが終わってから練習していると夜遅くなることもあったし、城から降りてくる道には灯りがないので真っ暗になる。襲撃者が潜んでいたとしても気が付かない可能性は高い。


「来週はギルドの会議があるんだよね?」

「ああ。次の会議で穏健派のほとんどがギルドに復帰することになるだろう。そうなれば過激派は王都から撤退するはずだ」


 過激派の影響は小領地のみとなり、ゲロルトが王都に戻ってくるのも難しくなるだろうとユリウスは言う。


「じゃあ、カッサンドラ先生をテンブルグに送っていった後は、クロイツェルの演奏ができる?」

「テンブルグでの滞在は長引くかもしれない」

「えっ、そうなの?」


 テンブルグの往復だけでも半月かかるのだ。滞在日数によっては1か月以上かかるらしい。


「道化師が言っていなかったか? マール貿易のことを」

「ああ、そんな話してたっけ」


 即位式の後の晩餐で、ユリウスはドロフェイからその話を聞かされたようだ。ちなみに彼らがどんな話をしたのか、私はほとんど聞かされていない。


「次のギルドの会議で話が出るだろう。ヴェッセル商会にとってはあまり利はないが、条件を付けた上で参加するつもりだ」


 ユリウスは東への貿易に関しては時期尚早だと反対していたはずだが、テンブルグと手を組むなら引き受けるつもりだという。


「勅許会社はその実、戦が無い植民地化と同じだ。貿易の相手国を経済的に支配することになる。だが今のノイマールグントはまず国内を安定させるべきだと俺は考えている」

「うん。前にもそう言ってたよね」

「どうしても勅許会社を作るというなら、逆手に取ってテンブルグを引き入れる。テンブルグは大領地ではあるが、実質は王よりも大きい力を持つ。味方に付けておけば国をまとめやすくなる」


 説明されてようやくユリウスがやりたいことと結びついた。ノイマールグントは王族はいるが実質は大領地の力が強い。テンブルグが良い例だが、そのテンブルグを味方に引き入れることで他の大領地もまとめたいのだろう。


「それにテンブルグはユニオンを警戒しているからな。過激派はますます王都に居づらくなるはずだ。アマネ、よい機会なのだ。俺に時間をくれ」

「うん。ちゃんと待ってる」


 こうしてユリウスが説明してくれるのは、私に対する誠実さの表れだ。そうとわかっているのに、どうしてだか不安が消えなかった。






 ◆






 結局、フォルカーの娘に関しては北館に寄宿してもらうことになった。


 南1号館の2階にも使っていない部屋はあるのだが、家具を運び込む時間的余裕がなかったのだ。


 そして、同じ理由で私も北館に寄宿することになったのだが、それに伴いラウロとエドは交代で北館とヴェッセル商会に分かれて寝泊まりすることになり、さらについでと称してジゼルも北館に住むことになった。


 まゆりさんや律さんと一緒の生活は楽しかったようなのだが、フォルカーの娘がジゼルの1歳年下なのでお姉さんぶりたいらしい。


 もちろん、それぞれの給金の中から多少の寄宿料はもらうことになっていて、それらは光熱費に充てられる。


「モニカです! よろしくお願いします!」


 新しく仲間に加わった指揮者見習いは、あのフォルカーの娘とは思えないほど天真爛漫で明るく元気な娘さんだった。癖のある赤みの強い髪はサイドだけ三つ編みにして後ろにまとめられ、あどけなさを残す目は好奇心で輝いている。


 モニカはもともと協奏曲の演奏会を聴きにフルーテガルトに来る予定だったのだが、指揮者見習いの話が急遽固まったことで、ゲネプロを見たいと早めに来たそうだ。


「モニカもキリルと同じように、アマリア音楽事務所の見習いとして事務仕事もしてもらうことになりますが、よろしいですか?」

「はい! お任せ下さいっ」


 ほっぺたを真っ赤にして言うモニカは素朴なかわいらしさがあって微笑ましい。指揮者となればリーダーシップが必要になる。幸いモニカは引っ込み思案ということもなく快活であるようだが、女性である以上は困難も多いことだろう。


「クリストフやアロイス、それから、エグモントさんにもお話を聞くとよいですよ。彼らはこの冬で音楽の研究を随分進めましたから。ダヴィデやベルトランも、演奏者の話を聞くことも大切です」


 アマリア音楽事務所には楽団と呼べるほどの演奏家はいないが、できるだけたくさんの楽器について知るには、演奏者の話を聞くのが一番の早道だ。


「それから、ピアノももちろん練習してもらいますからね」

「はい! 楽しみです!」


 指揮者に必要な学習は指揮法だけではない。重要なのは読譜力と聴力で、特に読譜力を鍛えるためにはピアノを学ぶのが有効だ。


 モニカはチェンバロを学んでいたというので楽譜自体は読めるようだが、それぞれの音の意味を考えながら楽譜を読み解く勉強をしていかなければならない。


「キリルとは違う教え方になりますけど、2人とも同じアマリア音楽事務所の仲間として励んでくださいね」


 マリア、テオ、ジゼルも同年代だ。互いに励まし合ってよい関係が築ければいいなと思った。






 ◆






 モニカが来た翌日、王都から劇場の演奏家たちがフルーテガルトに到着した。


「フルーテガルトへようこそ。グレーゴール様も来てくださったのですね」

「ええ、初めての試みですからな。渡り人様、即位式の演奏も評判が良かったですよ」


 演奏家たちが合流するのはわかっていたことだったが、まさか劇場支配人のグレーゴールも来るとは思っていなかった。


「グレーゴール様は宿は決まっていらっしゃいますか?」

「可能であれば私も演奏家たちと一緒に寄宿させてもらいたいですな」


 たくさんの演奏家たちをまとめるのは年若いアマリア音楽事務所の者には難題だ。そのため、威圧感のあるグレーゴールが一緒に宿泊してくれることは、こちらとしては大変ありがたかったりする。


「しかし、おもしろいですな。城がこんな風に使われるとは」


 グレーゴールは興味津々といった様子で道の駅を眺めている。


「街に降りなければ買えませんが、お土産をたくさん買って行ってくださいね。スタンプラリーも楽しんでください」


 演奏家たちもフルーテガルトの街にとっては立派なお客様だ。私は余念なくスタンプラリーの台紙を配っておいた。


「そういえば、女性の演奏家さんたちは一緒ではなかったのでしょうか?」


 今回到着した中には女性はいなかったので聞いてみる。


「今回の演奏には必要が無い楽器の者なのですが、どうしても一緒に来たいという者がおりまして、急遽連れてくることになったのです。夕方には到着するでしょう」

「そうでしたか。では、宿は1人分増やした方がよろしいですね」

「いや、それには及びません。こちらに知人がいると言っておりましたから」


 今回到着した演奏者の中には、演奏に参加しないパートの者もいた。ハープのギードもその1人で、楽器の運び込みや当日の人員整理も手伝ってくれるという。


「初めての演奏会でしょうから、演奏には参加しない慣れた者がいた方がよろしいでしょう」

「非常に助かります」


 チケットの売れ行きを考えると、当日は300人もの来場者があるのだ。会場には入らないお供の者たちも含めたら、千人前後になる可能性もある。


 助成金で増やした警備の者は門兵と共にエルヴェ湖周辺の警戒に当たる。そのため、会場周辺については、演奏者以外のアマリア音楽事務所の数名と、ヴェッセル商会の数名でどうにかしなければならなかったのだが、慣れた者を貸していただけるならこちらとしてもありがたいことだった。


 協奏曲の演奏会まであと1週間。どうにか演奏会を成功させることで頭がいっぱいの私は、思わぬ人物がフルーテガルトに向かっていることを、この時はまだ知らなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ