演奏会の準備
即位式の翌日、私たちはフルーテガルトに戻るべく、馬車に乗り込んだ。
ユリウスは翌週は再び王都でギルドの会合があるが、一旦フルーテガルトに戻る。御者台にはヴィムとエドが座っている。
来週には劇場の演奏家たちがフルーテガルト入りする予定で、その次の週には協奏曲の演奏会だ。練習ももちろんだが警備の配置なども確認しなければならない。
「警備については門兵には話を通してあるが、街の者も雇い入れる」
「でも、お給金を払う余裕がないかも」
「助成金を申請してある」
いつの間にそんなことをしていたのか、私はサッパリ知らなかったのだが、まゆりさんとテオが書類を整えてユリウスが申請書を提出してあるらしい。
通常、助成金は公共性の高い事業が対象となるが、今回は王族依頼の演奏会ということもあって申請が認められたようだ。
「10人の1年分の給与が支給されるはずだ」
「えっ、そんなに?」
私は驚いてしまったのだが、演奏会は1度ではないのだから、1年で計上すべきだということだった。
1回の演奏会の助成金申請で1年分計上して良いものなのかと思ったが、ユリウスの説明では安定雇用は公的には大歓迎であるらしく、1年以上の雇用が助成金の対象となるそうだ。
さらに門兵についてはその街の規模や前年の訪問者数に応じて国から支給されるらしいのだが、昨年はヴィーラント陛下の事件の影響で訪問者が少なかったため、今年1年は助成金で賄うという面もあるようだ。
「門兵にはエルヴェ湖周辺の警戒をするように言ってある」
エルヴェ湖に限らず湖は落ちても浮かびにくいため、閉鎖されている南門から街道に抜ける湖畔沿いの小道は、門兵が見回りをしてくれることになったという。
「新しい警備の者たちは北館に住むことになるのかな?」
クリストフがユリウスに問う。
「いや、来年は門兵として組み込まれるだろうから、勤務体制なども含めて門兵に任せればいい」
なるほど。今回はアマリア音楽事務所で雇い入れるけれど、来年からは国費が支給されて門兵が増やせるから、最初からそちらに任せてしまえということのようだ。
「それから馬車を1台購入するように。見舞金が出ただろう?」
ヴェッセル商会の馬車は2台あるが、ユリウスがスラウゼンに行っている間、ケヴィンも王都に行っていたため、冬の間は馬車が無かった。雪が降っていたので出番は無かったが、今後は無いと困るだろう。
そして王宮からはギュンターの件で私に見舞金が出ていた。私が示談を望んだため裁判沙汰にはならなかったが、お金で解決することになったのだ。
本来はギュンターから支払われるべきなのだが、王宮から出たということは資金的に苦しいとかそんな感じなのだろう。詳しくは聞いていないが、テンブルグやギュンターを支援していた者から回収するのではないかと思う。
この件に関して、ユリウスはドロフェイからも侍従長からも聞いたそうだ。私は一人でウロウロするなと大目玉を食らったわけだが、自分でも迂闊だったと思っているので文句は言えなかった。
ちなみに指揮棒を始めとする無くなった私物は、王宮のゴミ捨て場から見つかった。誰が捨てたのかはわからないが、侍従長はギュンターを怪しんでいた。
「じゃあ増資しようかな。馬車はアマリア音楽事務所の資産にしたいよね」
「救貧院の音楽教室に行く時にも使うだろうからね」
見舞金に関しては仕事と無関係な個人的な収入になるので、アマリア音楽事務所の資本金を増やす形で馬車の購入費に充てることにする。
「会場の準備は戻ってからすると言っていたが、人手は大丈夫か?」
「うん。一部を除いて立見にするから、椅子はそれほどに多くないし」
ホールの3辺をぐるっと囲む観覧スペースには帰ってから椅子を運び込むことになっていた。それ以外は立見にすることにしたのだ。
「貴族から文句が出るのではないか?」
「そうだろうね。でも椅子が重いんだもの」
この世界の家具は重いのだ。パイプ椅子が欲しいとつくづく思ったものだが、無いものねだりをしてもしょうがない。
それに立見席があると一般市民が入りやすいのではないかと思ったのだ。この世界の音楽は今は貴族や王族のためのものだ。だがいずれは一般市民にも音楽を楽しんでほしいと思っている。そのためにも安価な席を用意したかった。
「平台や箱足は頼んであったよね?」
「ええ。街の建具工房に頼んでありますよ」
平台は演奏者たちが乗るための台で高さは10センチほどだ。高さを付ける時は開き足や箱足の上に平台乗せてひな壇を作る。
「警備の人のための腕章は追加しないといけないですね」
「入場の際にチケットを確認する者が足りなくないかい? まゆり嬢とテオとジゼルくらいだろう?」
「もぎりは律さんの工房の子たちも手伝ってくれるって言ってました」
「クロークルームはどうするのだ?」
「あ……考えてなかった……4階に使っていない部屋はあるけど、人が足りない……」
「ならばヴェッセル商会から出そう。デニスが張り切っているから手伝わせろ」
演奏会に必要な物や役割分担は王都に発つ前に打ち合わせてあったのだが、完ぺきという訳にはいかなかったようだ。当日もきっと混乱があるだろうから、デニスがいてくれるのはありがたい。
そんなこんなで馬車で演奏会の確認を終え、昼過ぎにフルーテガルトに到着すると、マリアが出迎えてくれた。
「マリア! 元気だった? テンブルグからいらした先生はどう?」
「厳しい、けど、わかりやすいよ」
「ふふっ、じゃあ練習の成果を聞かせてもらわなきゃね」
ユリウスがテンブルグから連れて来た先生はカッサンドラという40代後半の女性だ。午前中にマリアのレッスンを終え、今は宿屋で休んでいらっしゃるということで、私たちは一旦事務所に向かった。
「うわっ、なんか人が多いですね」
「ふふ、生徒さんの家族から口コミで広がってるみたいよ」
「商人も多か!」
どうやら3月にレッスンを受けた者たちから話を聞いた貴族たちや商人などが、即位式の行き帰りで立ち寄っているらしい。盛況なようで安心した。
「レッスンはどうですか?」
「演奏会の1週間前からお休みになるでしょう? そのせいか5月までは予約が埋まってるわよ」
劇場の演奏家たちが来ると講師を担当している者たちも合奏練習に参加するため、レッスンはお休みする予定になっているのだ。
「新しく入った門番の子たちには会った?」
「ええ。先ほど会いましたよ。15歳と16歳って聞いてましたけどずいぶん大きい子たちですね」
私が王都に行っている間に、レイモンが紹介してくれた2人が門番としてアマリア音楽事務所の仲間に加わっていた。
「ホールの椅子、あの子たちが頑張って運んでくれたのよ」
帰ってから運び込む予定だった椅子は、すでにホールに設置済みだった。協奏曲の練習もしなければならなかったから大助かりだ。
「僕ばかり小さくて肩身がせまか……」
身長が伸びないのが悩みだというテオがしょんぼり肩を落とす。
「テオ、心配することはないよ。一番小さいのはマイスターだから」
クリストフに揶揄われてしまったけれど、マリアに抜かれてしまった私が事務所で一番小さいのは本当のことだった。
「ふーんだ。どうせ私は小さいですよー」
「今更だろう?」
「ラウロ!」
私が剥れていると、ラウロが事務所に入って来た。フルーテガルトではずっと一緒だったせいか、久しぶりに会うことがなんだか不思議な感じがする。
「エドは?」
「ユリウスと倉庫を見に行ってますよ」
ホールに椅子が運び込まれたことで多少空きが出来ただろうからと、ユリウスは倉庫を探索しに行った。たぶん創世の泉を探すのだと思う。
「湖には行ったのか?」
「いえ、アロイスのレッスンが終わったら、ユリウスと合流して行こうと思っています」
「なら俺は庭の整備を続ける」
ラウロはまゆりさんと律さんに言われて、南1号館と南2号館の間にある庭を整備していた。
「ふふ、どんなお庭になるのか楽しみです」
「王都の離宮の裏庭を真似ると言っていたぞ」
王都に住んでいた律さんやまゆりさんは、私がユリウスに連れて行ってもらった離宮に行ったことがあるらしく、裏庭のアールダム式の庭園を真似るようだ。あの庭園は私も大好きなので楽しみすぎて頬が緩む。
「アマネちゃん、そろそろレッスンが終わるから2階で待っていてくれる?」
「ご挨拶しなくてよいですか?」
「ちょっと面倒そうな人だったから、止めておいた方がいいわ」
まゆりさんによれば、今、アロイスのレッスンを受けている生徒は、私が縁談のお断りの返事を書いた一人であるらしい。
面倒事は困るので私は大人しく2階で待機することにして、タブレットを取り出す。王女の婚約祝いの譜起こしがまだ終わっていないのだ。『王子とオデットのグラン・アダージョ』を再生させながら楽譜を起こしていく。
「はあ…………このヴァイオリンソロ、アロイスが演奏してくれないかなあ」
「お呼びですか?」
「え……? アロイス! いつからここに?」
楽譜起こしに集中していた私は気が付いていなかったが、アロイスは少し前にレッスンを終えてこの部屋に来ていたらしい。
「おかえりなさいませ。クリストフがご迷惑をかけませんでしたか?」
「クリストフはとても活躍してくれましたよ」
王宮に行く前から何度もクリストフに釘を刺していたアロイスは、やはり心配だったらしい。だがクリストフは予想外に活躍してくれた。いてくれて助かったと思ったことは数えきれない。
「おや、それは…………妬ましいですね」
「レッスンはどうでしたか? 順調ですか?」
なんだか雲行きが怪しい感じがして、私は話を逸らす。
「ええ、まあ。後で貴女に会っていただきたい者がおりますが、その話は追々いたします。湖に行かれるのですよね? ユリウス殿はどちらに?」
「倉庫を見に行ってますよ。そろそろ戻ってくると思うのですが……」
ユリウスたちが倉庫へ向かってからそろそろ1時間になる。戻って来てもよさそうな時間だった。
「では戻ってくる前に」
そう言ってアロイスは座ったままの私にハグをした。
「アロイス……?」
「お会いできなくて寂しかったのです。少しだけ……」
頬を摺り寄せて甘えるように囁かれてしまえば、振りほどくのは難しくて困ってしまう。
アロイスはドロフェイの被害者だ。本人は望んでもいないのに水の加護を引き出され、最終的には悲しい想いをするのだ。それがわかっているのに湖で手を握ってもらう私もたいがいだと思う。
「アマネさん……会いたかった…………」
アロイスの唇が頬に触れる。児戯のようなそれに胸が詰まった。
「すみません。久しぶりにお会いできて気持ちが高ぶってしまいました」
「いえ……じゃなくて……ええと、」
アロイスを心から受け入れることが出来なくて、罪悪感を感じてしまう。
「お気になさらないでください」
「そうは言っても…………あの、私はユリウスが好きなんです」
わかっているだろうとは思ったけれど、曖昧なままにしておくのはよくないと思ってそう言えば、アロイスは小さく笑った。
「ええ。存じております。よろしいのですよ、それで」
「……でも、」
「愛する誰かが他の誰かを愛している。そんなことは良くあることです。貴女が気にされる必要はない」
気にしないなんて無理だと思う。それに、もしユリウスが他の誰かを好きだとして、それを側でずっと見ているなんて、きっと私にはできない。
「二度と会えなくなるくらいならば、たとえ振り向いてもらえなくても、それはあまり大した問題ではありません。少なくとも私はそうです」
アロイスは奥さんを失くしている。そんな経験をすれば、そういう境地に至るのだろうか。私にはちょっと理解できなくて戸惑ってしまうけれど。
「そうは言っても私も人ですから、先ほどのように気持ちが揺れることはあります。ですが、私のせいで貴女が悲しい思いをするのは本意ではありませんから」
穏やかに微笑むアロイスを見ていると、なんだか自分がダメな人間になっていくような気がする。
「…………アロイスと話していると、すごく甘やかされているような気分になります」
「ええ、甘やかしておりますから。ユリウス殿の次くらいには、あなたに好かれたいのですよ」
片目を閉じて茶化すように言うアロイスに、なんだか煙に巻かれた気分になった。
「私は貴女の楽器になりたいのです」
「楽器ですか?」
「ええ。貴女の音楽を体現する、そんな存在でありたいですね」
先ほどまで慈愛を湛えていたアロイスの表情が、急に真剣なものに変わる。
「それはユリウス殿にも譲るつもりはありません」
エルヴェ湖みたいに深い青色は、揺らぐことなくまっすぐに私を見ていた。