創世の泉
翌日、ヴェッセル商会の支部に行くとユリウスが待ち構えていた。
「今日は休みだと言っていただろう?」
「もしかして予定を空けてくれてたの?」
「ああ。出かけようと思ってな」
めちゃくちゃ嬉しかったけれど、私はフライ・ハイムに行くつもりだったので困ってしまう。
「フィンなら不在だ。今はヤンクールに行っているはずだ」
「ヤンクール? なんでまたヤンクールに?」
ユリウスによれば、フィンはフライ・ハイムの出張所を他国にも作るべく、雪が融けてからは精力的に動き回っているらしい。すでにヴァノーネには出張所が開設され、今回はヤンクール、そして、5月にはノイマールグントの北東にある大国ルシャに行くそうだ。
フライ・ハイムに協奏曲の演奏会チラシを置いてもらおうと思っていたのだが、不在ならば仕方がないと諦める。
「ケヴィンから伝言がある。白い竜の伝承についてだそうだ」
「ああ、ヘレナのお友だちに聞いたんだよ。たぶんケヴィンが詳しいんじゃないかって」
ヘレナとその友人たちに『側にいることは』をレッスンした時に聞いた話だ。南の方にある湖に住む白い竜が願い事をかなえてくれるという話だった。
「ケヴィンはルブロイスの近くにある湖ではないかと」
「えっ、じゃあラウロが知ってるかもしれないね」
ラウロはルブロイスの出身だ。ルブロイスはノイマールグントの南東にあって温泉があるところだ。フルーテガルトに戻ったらラウロに聞いてみようと思うが、随分と先なので忘れそうだ。
「指揮棒は準備させておく。今日は出かけるぞ」
「どこに出かけるの?」
「離宮だ」
紛失してしまった指揮棒の購入を頼むと、帰りまで準備しておくとユリウスが請け負ってくれたのだが、一緒に外出するなんて珍しい。
意外な提案に首を傾げていると、着替えてこいと服を手渡された。
「ドレス……?」
女性の格好をして離宮に行って何をするのかわからないけれど、ユリウスが特に何も言わないということは、たぶん行けばわかるということだろうと解釈し、ミアに手伝ってもらってそそくさと着替える。
「わ、素敵!」
渡された服は、デイドレスと呼ばれる胸元があまり大きく開いていないタイプのドレスだった。淡いベージュの地に小花柄がプリントされている。
「ふふっ、このドレス、かわいいね」
とても気に入ったのでニコニコしてそう言えば、ユリウスはものすごーく嫌そうな顔で「そうか」とだけ言った。
「この生地ってプリント生地だよね?」
「アールダムと取引ができるようになったからな。アールダムにはローラーで生地に印刷する大掛かりな機械がある」
ヴェッセル商会は楽器をメインに扱う商会だが、他の物を扱わないわけではない。衣類は演奏会用のドレスや靴なども請け負うことが多いらしい。
それにしてもアールダムは産業が発展していると聞いていたが、この生地を見る限りは、マルコの金管楽器にも期待できるかもしれない。
「変じゃない? ちゃんと女の人に見えるかな?」
ドレスがかわいすぎて逆に似合っているか不安になる。ウィッグは王宮に置きっぱなしだけれど、髪がだいぶ伸びていたおかげでミアが両サイドを編み込みにしてくれた。ちょっとだけお化粧もしてくれたのだが、ちゃんと女性に見えるだろうか?
ユリウスが嫌そうな顔をする時は、照れている時や嬉しい時だとわかっているのだけど、出来れば褒めてほしいと思って見上げる。
「ああ……よく似合っている」
ユリウスは仏頂面のままだったけど、頬にキスを落としてそう言った。なんだか催促したみたいになったけれど気にしないことにする。
私が着替えている間に目的地について打ち合わせたらしく、御者はエドのまま私とユリウスは馬車に乗り込む。
「ギルドの会合はうまくいった?」
「まあまあだ。今回で終わらせたかったが、他にも復帰したい穏健派がいるらしくてな」
ユリウスによるとカルステンさんのお知り合いの宿屋など、冬前にギルド復帰の意思表示をした商会は今回の会合で復帰が認められたようだ。そういった動きの中、さらに復帰したいという意思を表明する穏健派が増えているらしい。
「過激派は大丈夫なの?」
「冬も多少は妨害があったが、大掛かりなものはなかった。ゲロルトがいないせいだろうな」
「そっか……。でも、気を付けてね」
ユリウスは明日から今度はテンブルグに行くのだ。往復で半月もかかるので、戻ってくるのは即位式の直前になる予定だった。
「あのね、ドロフェイが言っていたんだけど……」
ゲロルトの加護を目覚めさせたのがドロフェイではないことをユリウスに告げる。
「ふむ……他にも道化師のような存在がいるかもしれぬということか……」
ユリウスは難しい表情をして指でひじ掛けを叩いた。
「考えてもわからんな……ところで、お前、道化師に会ったということだな?」
しばらく考え込んでいたユリウスが視線だけを私に寄越した。
「うん。エルヴィン陛下と一緒に……そうだった。ドレスをもらったんだよ」
報告をすっかり忘れていた私はこれ幸いとユリウスに相談を持ち掛ける。私の話を聞いたユリウスは眉間の皺を深くした。
「さすがに本気ではないと思うが……様子見というところか」
「現実逃避だろうってドロフェイは言ってたんだけど、返すのはまずいのかな?」
「そうだな。だが着るのもまずいぞ。お前の反応を見て今後を決めるつもりだろう」
やっぱりそうなのか。ドロフェイは次に先触れがあったら着ればいいと言っていたけれど、そんな期待をさせるような真似はしないほうが良いのではないかと思ったのだ。ドロフェイは言動の根源に「おもしろそうだから」があるから鵜呑みにしないように気を付けなければならない。
「それに道化師にとっては、お前がフルーテガルトにいない方が好都合だ」
「そうだったね」
湖底探検に連れて行ってもらったりしたので、あまりそんな感じがしなかったが、ドロフェイは不都合だと言っていたのだ。私が王都にいる方が彼にとっては良いのだろう。
「俺も道化師と話をした方が良さそうだが、しばらく時間が取れそうにない」
意外なユリウスの発言に私は目をしばたいた。
「ユリウスが? ドロフェイと? 嫌っているんじゃないの?」
「得体が知れないとは思う。だがお前にヒントらしきものを与えているだろう? 真意を知りたいしゲロルトのことも聞かねばならぬ」
たぶん私がドロフェイに心を開いてしまっていることにユリウスは気付いている。私も別に隠しているわけでもない。それに私があれこれ聞くよりもユリウスがドロフェイに聞いた方が、ゲロルトのことも含む色んなことが早く解決するような気がする。
今度ドロフェイに会ったら、ユリウスが会いたがっていることを伝えようと頭の片隅にメモした。
そうこうするうちに目的地に到着する。
「ふわあ、大きなお屋敷!」
「ここは昔の皇后たちが住んでいた離宮だ。今は市民に開放されている」
丘陵地に建てられているらしく、傾斜を利用した段差のある広い前庭の真ん中は、小川が階段状に流れており、一番下には大きな噴水がある。
「裾を踏むなよ」
「う、わかってるけど……」
庭の入り口で馬車が停まる。先に降りたユリウスが伸ばしてくれた手を支えに、慎重にステップに足を乗せる。少しだけヒールがある靴は不安定ではないけれど、スカートの裾が邪魔をして足元が見えず、恐る恐る足を踏み出す。
「裾を少しだけ持ち上げろ。……それでは上げすぎだ。足の先が少し見えるように手前に抑えつけるように持つのだ」
「こ、こうかな?」
物慣れない様子の私を見てユリウスは心配気に世話を焼くけれど、視界の端にいるエドが密やかに笑っているのが目に入って私は剥れた。
「エド、笑うなんて酷いです!」
「すまん……っ、く……っ」
「もうっ、まだ笑ってるじゃないですか!」
「淑女はそのように大声で話すものではない」
エドに文句を言っていたらユリウスに怒られてしまった。
周りは子どもを連れた家族や、高齢のご夫婦、若い恋人たちなど、様々な人たちが散策を楽しんでいる。
「建物内はサロン演奏会などで時々使われている。冬に入る直前にピアノを納めたのだ」
「こんな素敵なお庭を見ながら演奏会なんて素敵だね」
真ん中の噴水以外にもあちこちに滝や璧泉があり、元の世界のギリシャ風の彫刻も多い。
ユリウスに手を引かれて石畳の通路を歩く。ユリウスは時々立ち止まって、庭園の説明をしてくれた。
「ノイマールグントで見かける庭園はヤンクール式のものが多いだろう?」
「アーレルスマイアー侯爵家はヤンクール式?」
アーレルスマイアー侯爵家の庭は平面で植木が幾何学模様に刈られており、大きなトピアリーがたくさんあった。
「そうだな。この離宮に最初に入った皇后はヴァノーネの出身だったから、庭もヴァノーネ式だ。その後、アールダム出身の皇后も入られたから、裏にはアールダム式の庭園があるぞ」
そちらの方がたぶん私好みだろうと言って、ユリウスは私の手を取った。そうやって手を繋いでいるとたぶん兄妹みたいに見えるのだろうなと思う。周囲の視線がなんだか微笑ましいものを見るような感じなのだ。身長差30センチが恨めしい。
だが、いつもは私の腕を引いて前を歩くユリウスが歩幅を合わせて並んで歩いていることが、私からしてみれば嬉しくてたまらない。つい頬が緩んでしまうのも仕方がないのだ。
「ふわあぁぁ、すてき…………」
裏の庭園を目にすると思わずため息が出た。先ほどまでいた庭園も美しかったが人工的な感じだった。対して裏の庭園は自然な美しさがある。
花壇というよりは最初からそこにあったみたいな不揃いな草花たちの向こうには、樹木がばらばらにある。散策のための道も曲がりくねっていて、風景画を切り取ったみたいだ。
「5月の終わり頃からはバラが咲いて、その頃は見物客も増える」
時期が少し早いせいなのか裏の庭園は人の気配がなかったが、それはそれで風情があって充分美しいと思う。
「王都にいるって忘れちゃいそうだね。ここだけ世界が違うみたい」
「奥にもっと別世界がある」
背を軽く押されて樹木の間を進んでいくと、ちょっとした岩山が見えてきた。山の上には立派な大樹。下が岩なのに根はどうなっているんだろう? と不思議に思って近づいてみれば、ごつごつした岩の隙間が入り口になっていて中に入れるようになっていた。
「中に入るの?」
「ああ。勾配がきついから気を付けろ」
岩に隙間があるせいか中は薄暗いものの真っ暗という訳ではない。きつい下り坂をソロソロと降りていくとしばらくして開けた場所に出た。
「地底湖?」
「人工だがな」
岩山の上にあった物なのか木の根が天井の岩から突き抜けて湖に浸かっている。幻想的な景色に圧倒されながら、私は小声でユリウスに問う。
「底が光ってるよ?」
「蛍石だ。アールダムで産出されるのだ」
湖の底には青くて頼りない光がゆらゆらと揺れていた。
「『創世の泉』と言われている」
「ひょっとして、あの根がウェルトバウムを模しているの?」
「そうだ。そこにある湖は生き物の国の湖ということになるな」
神話を模した部屋。語られる機会は少なくなったとしても、こういう形で残るのかと妙に感心する。
「こういう場所は城に必ず1箇所は作られているものなのだ」
「へえ。じゃあ王宮にもあるの?」
「だろうな。だがエルヴェシュタイン城には無いだろう? だから、どこかに入り口があるのではないかと思ってな」
ユリウスがスラウゼンから戻ってすぐの頃、エドやラウロと共にエルヴェシュタイン城の地下を探索したことがあったが、ユリウスが探していたのは『創世の泉』だったらしい。
「エルヴェシュタイン城には一般的に必要とされている物がないってギルベルト様が言っていたけど、無いのはやっぱりおかしいものなの?」
「そうだな。それにエルヴェシュタイン城が建設される以前の領館にはあったようだ。壊すのはそれなりに手間がかかるから残っていると思ったのだが」
エルヴェシュタイン城は小高い丘に作られているから、地下にそういったものがあっても不思議ではないと思う。
「でも、創世の泉を見つけてどうするの?」
「ドロフェイが言っていたというウルリーケという娘について調べたのだが、300年ほど前の領主の娘に、そういう名の者がいたと古い文献で見つけてな。もしかすると、その娘は創世の泉に音楽を捧げたのではないかと思ったのだ。領主の娘ならばエルヴェ湖のほとりで奉納するより創世の泉を使うと思わないか?」
領主ってたぶん貴族みたいなものだろう。貴族のご令嬢がエルヴェ湖の畔で音楽を捧げる姿を想像してみる。出来ないことは無いだろうが、もしそうだったとしたら何かしらの伝承が残っていてもおかしくないなとは思う。
ユリウスはどうやら今のようにエルヴェ湖の畔で音楽を捧げるよりも、創世の泉に捧げる方が効率が良いのではないかと考えているらしい。
ドロフェイとの賭けに関しては、はっきり言って亀の歩みだ。ほぼ毎日、音楽を奉納していたと言うのに、多少傷が小さくなったかなという程度なのだ。
それにずっとフルーテガルトにいるわけではない。今回のように王都にいる間は奉納ができないのだ。早道や裏技があるなら私もぜひ知りたい。
でも、もし創世の泉があったとして、水の加護はやはり必要なのだろうか?
ジーグルーンに恋をする者はみな悲しい思いをする運命だ、とドロフェイの声が聞こえたような気がした。




