9
「僕は、那流のことが好きだよ」
青葉は寂しそうに言って笑った。
「青葉っ!」
青葉が前のめりに倒れた。地面に倒れる既のところでギリギリ体を支える。
「ナルコレプシー、か」
青葉は苦悶の表情を浮かべ、寝息を立てている。とにかく、一刻も早く青葉の家まで送らなければならない。背中にリュックを背負っているので、仕方なく腕で抱きかかえる。俗に言うお姫様抱っこという形になってしまったが、仕方ない。
「軽いな…」
青葉の体は思ったよりとても軽かった。ちゃんと食っているのか心配になるほどだ。
『僕は、那流のことが好きだよ』
道すがら、青葉に言われた事を思い出す。青葉は何を考えてあの言葉を発したのだろうか。話の流れから考えて、好きな人の話なのだろうが、どうも話が噛み合っていない気がする。俺はloveの意味で好きな女の子の話をしていたつもりだったが、青葉が話していたのはlikeの意味での好きな人のことだったのだろう。少し日本語を忘れてしまったか。アメリカにいた頃はずっと英語で喋っていた。日本語を使うのはこっちに引っ越してきてからだから、実質6年振りに日本語を使うことになる。一応小学校の頃には学ばなかった慣用句や難しい言い回しなどは勉強しておいたが、日常会話で使う言葉は今だうまく使いこなせない。青葉との会話が食い違っていたのは、俺が勉強不足だったからだろう。
「な、る…」
青葉が呻く。また、幻覚を見ているのだろうか。
「青葉…」
苦悶の表情を浮かべる青葉を見ていると、不安な気持ちになる。もうこのまま一生目を覚まさないのではないかと考えてしまう。俺がその苦しみを代わってやることができたらいいのに。そう思うけれど、青葉は同情なんてされたくないだろう。結局、俺は青葉の傍に居てやることしかできないのだ。そんな自分が嫌になる。青葉のために何もしてやれない自分が。
俺は今まで人のために何かしたことはあっただろうか。じっと考えてみる。
「あー、くそっ…」
考えるまでもない。俺はそういう人間なんだ。人のために何かできる人間なんかじゃない。いつまで経ってもガキなんだ、俺は。せめて死ぬときくらいは、人に迷惑をかけずに死にたい。
妙な浮遊感に目を覚ました。ひさしぶりに発作を起こしてしまった。最近はあまり発作を起こしていなかったから油断していた。紫苑の言ったとおり、那流の元へ行って良かった。…那流?那流はどこ?
「青葉、目覚ましたか」
声が降ってきた。低いようで高い、吐息の混ざった色気のある声。聞き慣れた、那流の声。
「な、那流?」
「大丈夫か?どっか、変なとことかないか?」
「うん、大丈夫。…って、え?」
ゆっくりと覚醒して、今の自分の体制に気付く。なんでお姫様抱っこされてるんだろう?
「那流、お、降ろしてっ」
「まだ駄目だ。目覚めた直後に金縛りに遭うかもしれないんだろ?危ないだろ」
「大丈夫だって!歩けるよっ」
「そうか?…じゃ、降ろすぞ」
那流は僕をそっと地面に降ろした。また那流に迷惑掛けてしまった。もう那流に迷惑掛けないようにしようと意気込んでも、結局は失敗する。
「ごめんね、重かったでしょ?」
「いや、全然。ちゃんと飯食ってるか?」
「うん、食べてるから。心配しないで」
そう言って那流を見上げようとしたとき、右脚が左脚に引っ掛かり、縺れて転びそうになった。
「うわっ」
「青葉!」
幸い那流が抱きかかえてくれたお陰で、転ばずに済んだ。
「あ、ありがと…」
「本当に大丈夫か?」
「うん…」
せっかく那流と二人っきりなんだから、甘えてもいいのかな。そんな思いが胸を過る。これからもずっと那流と一緒に居れるなんていう保証はどこにもないのだ。甘えられる内に精一杯甘えておいたほうがいいのかもしれない。
「あのさ、那流…。また転ぶかもしれないからさ…」
何故か少し緊張する。一呼吸置いて那流を見上げ、勇気を出して言った。
「手、繋いでてもいいかな」
那流は少し驚いた顔をしたけど、すぐに笑って、
「ん、ほら」
手を出した。優しいな、那流。だから僕もつい甘えちゃうんだよ。
「ありがと、那流。…大好き」
「じゃーな、青葉」
「うん、ありがと。またね」
姿が見えなくなるまで手を振り続けた。そしてその後ろ姿が完全に見えなくなると、小さく溜め息を吐いて、ドアを開けた。
「はぁ…。ただいま」
家の中はしんと静まり返っていて、その静けさが妙に怖かった。
「母さん、いないの?」
居間を覗くと、机の上に置き手紙があった。
『買い物に行ってきます』
制服を脱ぎ捨て、自分の部屋に向かった。ベットにうつ伏せに倒れこむ。
「那流鈍感すぎだよー‼︎」
布団に顔を押し付けて叫んだ。
(せっかく告白したのに!あの時発作起こした僕も悪いとは思うけど…。普通訊くでしょ!絶対那流は友達として好きだって言ったんだと思ってるよ!)
再び溜め息を吐く。
「紫苑のことも気づくわけないか…」
あることに気付いて、ガバッと身を起こした。
(まだ時間はあるってことか!…紫苑は奥手だからね。まだチャンスはある)
そしてもう一つ気付いたことがある。
(那流に告白して、僕はどうなりたいんだろう?別に那流と付き合いたいわけじゃない。僕は那流とどうなりたいの?)
脳裏に那流の笑顔が浮かび上がる。屈託のない爽やかな笑顔。僕の大好きな那流の笑顔。
「僕は本当に那流が好きなの?」