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「青葉、電話よー」
階下から母さんの声が聞こえた。お見舞いに行ってから3日後、まだ那流から連絡は来ない。
「誰から?」
問いながら階段をドタドタと駆け降りる。リビングに行くと、据え置き電話の受話器を持った母さんが僕を振り返ってにこりと笑った。電話を受け取って、耳を当てる。電話口の向こうから、聞き慣れた声がした。
『…ひさしぶり、青葉。元気してたか?』
低いようで高い、吐息の混ざった色気のある声。僕がずっと待ち侘びていた声。
「那流?那流なの?本当に?今までどこ行ってたの?心配したんだよ?今どこにいるの?今すぐ会える?」
嬉しさのあまり僕は那流を質問責めにした。一刻も早く、那流に会いたかった。
『落ち着け、青葉。すまないが、会うことはできない』
「…どうして?今どこにいるの?」
『…お前だけには言っておこうと思ってな』
電話越しに聞こえる那流の声はとても怖かった。低く掠れているようだ。それに、少し震えている。
「どうかした?」
『…ごめんな、青葉』
「どうして?」
『…最期にお前の声が聞きたかっただけだ。何もしてやれなくてごめんな』
「那流、どういうこと?…何、最後って…意味わかんない」
那流が何を言っているのか、僕には全く理解できなかった。那流はなんの話をしているのだろう。
『……これから、ずっと遠いところへ行くんだ。ずっと、ずーっと遠いところ。もう青葉とも紫苑とも会えなくなる。だから、最期に別れの言葉だけでも、言っておこうと思って、お前に…電話した』
那流の声が途切れ途切れに聞こえる。息が荒くなっている。
「遠いところって、どこ…?」
『それは………』
那流は言い淀んだ。しばらく沈黙が続いた。ややあって、口を開いた。
『…死ぬんだよ』
「………………は?」
頭を鈍器でおもいっきり殴られたような、そんな嫌な感じがした。
「…どういうこと?」
『………そのままの意味だ』
「何で?意味、わかんない……」
背中に嫌な汗が伝わるのがわかった。死ぬ…?那流が……?
『…俺は今まで人のためになにか為せたことが一度もない。だから、死ぬ時くらいは人のために死にたいと思ったんだ』
「どうして…?今じゃなきゃ駄目なの?」
『…紫苑のためには今しかないんだ』
「…どういうこと?」
『紫苑の目を治すためには移植が必要なんだろう?』
「…そうだけど…」
僕はハッとした。那流が何をしようとしているのか分かった。那流は何を考えて、それをしようとしているんだ。
「移植するのは、那流の目じゃなくてもいいんだよ!駄目だよ那流、そんな…」
『移植希望者は世界中にたくさんいるんだ。それに比べて、提供者は少ない。俺は俺の目を紫苑に移植してほしいために死ぬんじゃない。少しでも提供者を増やすために死ぬんだよ』
「…でも、それでも、駄目だよ…死ぬなんて、間違ってるよ」
『ごめんな、青葉。…俺には高校生のときある友人がいたんだ。けど、俺はそいつを助けてやることができなかったんだ。俺が無力だったせいで、何もできずにただそいつの死を呆然と見ていることしかできなかった。俺はもうそんな失敗は犯さない。誰かのために死ねるなら、それは本望だ』
「那流は、誰かのためになるような事がしたいの…?」
僕は嗚咽する声を押し殺しながら問うた。
『…そうだな』
「那流は僕のためにいっぱいいろんなことをしてくれた。それで十分じゃないか!那流の言う誰かに、僕はカウントされてないの?」
『……馬鹿だな、俺』
「那流、僕は君がいないと駄目なんだ。…僕のために生きてよ‼︎」
そう言い切ると、電話の向こうが静かになった。しばらくして、くぐもった声が聞こえた。…泣いている?
『…今更、もう遅いよ。ごめんな青葉』
ホールド音がした。
「…那流?那流‼︎」
僕は那流を止めることができなかったのか?受話器を放り投げ、僕は那流のアパートへ走った。一縷の望みを賭けて。




