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俺たちの花  作者: ルート
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「…叔父さん、こんにちは」

しんとした病院の廊下に俺の声が響いた。俺の声以外に聞こえるのは叔母さんの啜り泣く声と、叔父さんの衣擦れの音のみ。空気はツンと冷たく、肌寒く感じる。

「…義兄さんとこの、確か、那流君といったか。いつも娘をありがとう」

「いえ、そんなこと。…それより、紫苑は」

3日前紫苑の身に起こった出来事は大体青葉から聞いている。俺が知りたいのは、紫苑の目が無事かということだ。

「…自力で目を開けるのも辛いらしい」

「…そうですか…」

「詳しいことは私もよく理解できない。君の方が頭がいいのだから、医師から直接聞いた方がいいかもしれない。もうすぐ桐也も来る。二人で行って来たらどうだ」

その時コツコツと足音を立てて桐也さんが角を曲がって来た。真夏なのに黒いスーツを着込んで、淡い紫色のネクタイをきっちり締めている。汗が伝う額を拭いながら駆け足でやって来る。

「父さん、母さん!」

「桐也、早かったな」

「紫苑は!?大丈夫なのか?」

桐也さんは心底心配そうに急き込んで尋ねた。叔父さんは渋い顔で答えた。

「俺の口から聞くより、医師から直接聞いてくれ。那流君と二人で行って来てくれ」

その時初めて俺に気づいたようだった。桐也さんは驚いて振り返った。

「那流…ひさしぶりだな」

「…こんにちは」

「…じゃあ、行ってくるよ父さん。行くか、那流」

桐也さんは俺を従えて踵を返した。俺よりも数センチ高い肩がゆらゆらと揺れている。ハッとして見上げると桐也さんは額に大量の汗を掻いていて、足元がフラフラしている。とても具合が悪そうだった。

「桐也さん大丈夫ですか?ついでに診てもらったらどうです」

「大丈夫だ、気にするな。俺より紫苑の方を心配してやってくれ」

「紫苑も心配ですけど、桐也さんのことも心配ですよ。二人とも俺の大事な従兄弟です」

「…ありがとな」

桐也さんはそれきり黙ってしまった。二人分の足音が真っ白な廊下に響き渡る。時折横をすれ違う看護師に敬意を払いながら、俺たちは診察室を目指した。

3番と大きく描かれた扉の前で立ち止まる。いつでも来て良いということだったので、軽くノックして引き戸を開けた。

暗い診察室の奥にうっすらと人影が見える。彼は俺たちの姿に気付くと、部屋の明かりを点けた。紫苑の担当医は黒い革張りの椅子に座り、カルテを書いていた。彼はカルテをドイツ語で書くようだ。アメリカで少しドイツ語を学んだから、少しだけわかる。彼は初老の男性で、黒髪に少し混じった白髪や、痩けた頬が目立っている。

「…こちらへお掛けください」

促されて、黒い回転椅子に桐也さんが掛けた。

「そちらは?」

彼は俺が来ることを知らなかったようだ。怪訝そうに俺を睨む。

「彼は私の親戚です。彼にも説明をお願いします」

「…そうですか。わかりました」

担当医は宮島と名乗った。宮島医師は淡々と紫苑の目の症状について我々に説明してくれた。

紫苑の目は、強い酸やアルカリを被ってしまった所為で角膜が爛れてしまう角膜化学腐蝕という病気にかかってしまったらしい。角膜化学腐蝕は症状に差があり、軽い場合は目が強い充血や痛みを伴い、自力で目を開けることすらままならない状況になる。一方、重症であると角膜の強い混濁が残り、瞼と眼球がくっついてしまう。紫苑は後者で、症状はとても酷いらしい。治療するためには手術する他ない。手術後は炎症を抑制するために点眼などをしなければならない。それらの薬物治療を行って初期症状がある程度落ち着いても、強い濁りや腫れが残った場合は角膜移植が必要になるという。

それらを全て説明し終えて、宮島医師は息を吐いた。青ざめている桐也さんの様子を一瞥して、俺を向いて言った。

「しかし、角膜移植の成功は必ずしも良いものではありません。私も手を尽くすつもりではありますが、覚悟をしておいてください」

俺は呆然としている桐也さんの腕を取り、無理矢理立たせた。

「ありがとうございました、先生。紫苑をよろしくお願いします」

桐也さんの腕を引き、診察室を後にした。足元がおぼつかない桐也さんをベンチに座らせ、俺は考えに耽った。俺は何をすべきか。

「……なぜ、なぜ紫苑が、こんな目に…」

桐也さんがぽつぽつと呟いた。桐也さんは表には出さないが、妹を大変溺愛している。彼がそう思うのも無理はない。

「…お前は…っ!」

突然胸倉を掴まれた。桐也さんは激昂しながら俺に向かって叫ぶ。

「お前に任せると言ったじゃないか!紫苑を頼むと…!それなのに、どうして紫苑はっ!」

宮島医師の話を聞いて、彼は大変混乱しているようだ。俺は彼を落ち着かせるように、静かな声で言った。

「落ち着いてください、桐也さん」

「落ち着いてなどいられるか!」

「今あなたが落ち着かなくてどうするんです!あなただけは冷静さを欠かないでください。あなたは頭が良いのですから、ちゃんと考えて今すべきことをしてください」

桐也さんは我に返った様子で、慌てて手を離した。皺になったシャツの襟を伸ばしながら、謝った。

「…す、すまない。少々混乱していたようだ。そうだな、君の言う通りだ。ありがとう」

「…とりあえず、叔父さんの元へ戻ってください。家族で話すことがあるでしょう。俺はこのまま帰ります。何かあったら携帯に連絡してください」

俺は返事を聞かずに身を翻した。これから忙しくなる。今日のうちにできることはやっておかなければならない。早々にその場を立ち去る。

「今まで、紫苑をありがとう」

背後で桐也さんがそう言っているのが聞こえた。

「これからも、紫苑をよろしく頼む」

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