4話
最終話です。
悠葵は先ほどのベンチに未だ座っていた。遠くを見つめている彼女は儚げで、今すぐにでも消えてしまいそうだった。その存在を引き止めるように、私は力一杯彼女の名前を呼ぶ。
「悠葵!!」
びくり、と悠葵の肩が跳ねあがり、私を見て目を瞠る。
「夏帆……」
私は駆け寄ると、その勢いのまま悠葵を抱きしめた。まだ抱きしめられる。悠葵の温もりがある。―――まだ彼女は、存在している。
「ごめんね」
悠葵を抱きしめる腕に力を込めながら、彼女の肩に顔を埋め掠れた声で言う。
「ごめんなさい」
肩に沁み込むものに私が泣いていることに気付いただろう悠葵が私の背をぽんぽんと叩く。それに悠葵をもらって私は顔を上げ、悠葵と少し距離を取る。身長差のない私たちの視線は自然と絡まった。
「あの日、手を掴めなくて、ごめんなさい」
「いいんだよ。大体、普通掴めないよ」
悠葵は苦笑いを浮かべてそう言う。でも、私は違う、と首を横に振った。そうじゃないのだと。
「あの時、私は一瞬、手を差し出すことを戸惑った」
あの時、破損したガードレールの隙間から落ちそうな彼女に手を伸ばそうとして、私は一瞬躊躇した。もし、ここで悠葵の手を掴んだら、私も一緒に落ちるんじゃないか、と。
あの時、迷わず悠葵の手を取っていれば、悠葵は死ななかったのかもしれない。一緒に成長して、時を刻んで、今も私の隣で、笑っていてくれたかもしれない。
「私は、悠葵を見殺しにした……!!」
ごめんなさい。そう何度も謝る私の頭を悠葵が優しく撫でる。私を見つめる悠葵の微笑みは慈愛に満ちていた。
「夏帆のせいじゃないよ。あの時、私は夏帆の手を取らないことを選んだんだよ」
私の髪を梳くように撫で続けながら、悠葵は言った。
「夏帆が一緒に落ちるのは嫌だった。怪我して欲しくなかったから」
だから、あんたが生きていてよかった。そう言って笑ってくれる。その優しさが切なくて、私の瞳から涙が流れた。
「大好きだよ、夏帆。……愛してる」
細められた瞳に涙が溜まり、一滴、流れ落ちる。私は驚きに目を瞠った。
「夏帆。私、あんたを愛してしまったの」
両頬を包みこみ、悠葵は震える声でそう言った。
彼女はきっと、これを言う為に私の前に現れたのだと思った。生前ならば決して伝えられなかっただろう想いを伝えるために。それが、彼女の願い。
「私にとって、夏帆は親友じゃなくて、愛しい人なの」
私の頬を包む手が震えている。きっと私の拒絶を恐れているのだ。今だって怖いのだ。きっと、あの頃はもっと怖かったんじゃないだろうか。自分の気持ちを知られて拒絶されることが。
親友ではないと言った本当の理由。それは私が思うよりもずっと、悠葵にとって私が特別だったということ。そのことを素直に嬉しいと思う。
頬を包む悠葵の手に自分の手を重ねた。そして指を絡めるように握り、互いの胸元に下ろし、額をぶつける。びくり、と悠葵が震えた。
「同じ好きではないけれど、でも、大好き。悠葵が大好き」
触れていた額の感触がなくなり、顔を上げると、泣きそうに顔を歪めている悠葵がいた。その顔を見たら私もまた泣きそうで、悠葵を抱きしめた。
「愛してくれて、ありがとう……!」
私の背に回った悠葵の腕が私を強く抱きしめる。だから私も強く抱きしめた。互いの肩に顔を埋め、互いに強く抱きしめ合った。
ふいに、悠葵を抱きしめる感覚が薄まるのを感じた。顔を上げると、悠葵の身体が透け、彼女を淡い光りが包み込んでいた。
「ゆう、き……」
名前を呼ばれ、悠葵が顔を上げる。私の顔を見て悟ったらしい彼女は私から少し離れ、目の前に自身の手を翳した。そして、淡い笑みを浮かべて私を見る。
「残念。お別れみたい」
「そ、んな……。待ってよ。まだ、まだ一緒にいたいよ!」
「うん。私も出来るならずっと夏帆と一緒にいたい」
でも、それは出来ないから。そう言って微笑み、悠葵は私の両手を自身の両手で包むように握る。
「夏帆、私の最後のお願い。」
「な、に?」
「幸せになって。月並みだけど、それが心からの願い。どうか、自分を偽らず、幸せに」
私に遠慮したりしたら許さないからね。笑う悠葵の瞳から涙が溢れ、流れる。
「約束よ?」
「うん。約束する」
涙を流しながらも、互いに笑顔のままで。私たちは小指を絡め、契りを交わす。
悠葵の身体は今にも消えてしまいそうで、触れているはずなのに、その感触は殆どない。微かなぬくもりを感じるだけだ。
「夏帆」
「ん?」
「あんたに会えて、幸せだった」
悠葵がそう言った瞬間、光りが、飛散した。そして、そこにはもう、悠葵はいなかった。
「悠葵。大好き、悠葵。だい、す……っ」
喉が震え、もう上手く声が出せなかった。崩れるようにその場に座り込み、先ほどまで彼女がいた場所を抱きしめるように腕を伸ばした。
特別だった。悠葵と含まれる想いが違っても、誰よりも特別で、大切な人だった。
「じゃあ、遥くんは知っていたんだ。悠葵の気持ち」
隣を歩く遥くんはこくり、と頷いた。
雲ひとつない冬の晴れた空の下、私と遥くんは並んで霊園を歩いていた。私の手にはお線香とお供え物。遥くんの手には水の入った手桶と仏花がある。
今日は、悠葵の命日だ。
「いつから知っていたの?」
「2年に上がった頃。見てればわかるよ。お前を見る水嶋はすごく優しい瞳をしていたから」
遥くんは悠葵の墓に水を掛けながらそう言った。その瞳はずっと遠くを見ていた。まるで、その頃の悠葵を想い浮かべるように。
遥くん、私の順にお線香をあげる。両手を合わせ、悠葵を想う。
悠葵は二度、私の前で死んだ。けれど、二度目は、笑顔だったから。目を閉じて、私が思い描くのは笑顔の悠葵だ。
「あの日、悠葵と何を話していたか聞いてもいい?」
立ち上がり、後ろを振り返り尋ねる。遥くんは驚いたように目を瞬かせ、やがて困ったように眉根を寄せた。
「あ、秘密の方がいい?」
「そうじゃない」
では、どうしたのだろうか。珍しく口籠る遥くんに私は首を傾げる。
「どうして、水嶋がお前を好きだとわかったと思う?」
「友達だったから?」
「俺と水嶋が同じ気持ちだったからだよ」
えっ、と私は声にならない声を上げる。遥くんと悠葵が同じ気持ち。それってつまり……。
頭の中で遥くんの言葉を噛み砕き、理解するとともに、私の頬に熱が集まる。心なしか、遥くんの頬も赤い。
「なつを頼むって言われたんだ」
「私を?」
こくり、と遥くんが頷く。
「夏帆をお願いね」
走り去ってしまった夏帆を追い掛けようとした遥の腕を掴んで引き止め、悠葵は真剣な表情で言う。
「あの子は、きっと私を助けられなかったことを後悔していて、自分の幸せを無意識に遠ざけていると思う」
あの子は優しいから。そう言って笑う悠葵は今にも泣き出しそうだ。高校時代と同じ姿のままの悠葵に遥はやるせない気持ちになる。
死して尚、悠葵は夏帆を想い続ける。
「俺に任せていいのか?」
「本当は嫌だよ。夏帆の幸せを守るのは私でありたい。でも、それは出来ないから。だから、願いを託すの。一番信用できるあんたに」
男に自分に託すということがどれほど悔しいだろう、思った。それでも、悠葵は笑うのだ。笑って、誰よりも大切な夏帆を遥に託すのだ。
「かっこいいなぁ、悠葵。」
遥くんの話を聞き、私は目尻に涙を溜めながら笑った。
ここまで想ってくれる悠葵に私は何かを返せただろうか。きっと、全然返せていないだろう。それが悔しい。
「なつ」
私との距離を詰めた遥くんが私の手を握った。
「好きだ」
真っ直ぐに瞳を見て、はっきりとした声で告げられた言葉に心が震える。でも、言葉を返すのが怖くて、震える唇はなかなか言葉を紡げずにいる。
“自分を偽らずに、幸せになって。私に遠慮したりしたら許さない”
そう言って背中を押された気がした。目頭が熱くなる。
溢れそうになる涙を堪え、私は遥くんの手を握り返して、笑顔を浮かべる。
「私も、好き」
答えると同時に手を引かれ、そのまま遥くんに抱きしめられた。頬に熱が集まる。
「水嶋」
遥くんが悠葵の名を呼ぶ。彼の視線の先を追うように、私もそちらに顔を向ける。彼は、墓石に向かって真剣な表情で言った。
「ずっと、夏帆と一緒にいる。約束するから」
そう宣言し、行こう、と遥くんが私の手を引く。こくり、と頷き、私は歩き出そうとして、墓石を振り返った。
悠葵が笑ってくれた気がした。だから自然と私の頬も緩み、笑みが浮かぶ。
ねぇ、悠葵。私も、あなたに会えて幸せだったよ。ありがとう。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
思いついたままに勢いで書いた作品なだけに色々至らなさはあったと思います。それでも本人は結構満足していたりします。
これからはまた連載途中のものを書き上げていきたいな、と思ってます。