2話
悠葵の提案で私たちは近くの公園へ行くことにした。
突然消えてしまうのではないかと、私は悠葵から目を離せなくて、恥も外聞も捨てて、悠葵の手を握っていた。しかし、そんな私の心配に反し、夏の強い日差しを浴びても悠葵は存在を主張していた。
けれども、事故当時と変わらぬ姿が、彼女の時間が止まっていることを如実に示していて、切なかった。
木陰にベンチを見つけ、私たちは繋いだ手はそのままに、そこに腰を下ろす。暫しの沈黙の後、私は悠葵に尋ねた。
「悠葵の願い事って何?」
「会いたい人がいるの」
ズキリ、と胸が痛んだ。死んで尚、悠葵が会いたいと願ったのは私ではなかったのだという事実がショックだった。
けれど、悠葵の言う会いたい人の名前に、私は更なる驚きとショックを受ける。
「隣のクラスの、小松遥」
小松遥。隣のクラスの生徒で、女子から人気だった。勉強が出来て、運動神経がよくて、少し無口で無愛想で。
その有名さから顔と名前だけは知っていた。けれど、廊下ですれ違う度、感情の読みとれない表情をしていて、私は勝手に苦手意識を抱いていた。
いつも一緒にいたけれど、悠葵が小松くんと面識があるなんて知らなかった。話している姿すら、見たことがなかったのだから。
「悠葵と小松くんが面識あったなんて知らなかった」
「読書仲間だったの。図書室で会うとよく話してたんだ」
無愛想に見えて、付き合い良くてさ、と懐かしそうに小松くんを語る悠葵に相槌を打ちながら、自分の中にもやもやとしたものが渦巻いているのを感じた。
悔しさ。悲しさ。憤り。色々な想いがせめぎ合っている気がする。簡単に言えば、拗ねているのだと思う。
悠葵と小松くんの仲が良かったことではなく、2人の仲が良かったことを、私は知らなかったことに。そして、死して尚、小松くんに会いたいと思うほど、悠葵が彼を想っていることを知らなかったことに。大好きで、特別な親友の悠葵のことは私が一番知っていたかったから。
思わず、悠葵と繋いでいた手に力が入る。それに気付いた悠葵が不思議そうにこちらを見た。首を傾げて私を見る悠葵に弱々しく微笑む。
「小松くんに会うのが、願い?」
「伝えたいことがあるの。夏帆、連絡先知ってる?って、知ってるはずないよね。」
夏帆、苦手だって言っていたもんね。そう言って笑う悠葵に無言のまま携帯のアドレス帳を見せる。すると笑みを浮かべていた悠葵の表情が驚きに変わり、目を瞠った。
携帯の画面には小松遥くんの名前があったから。
私が、初めて小松くんと言葉を交わしたのはあの日。―――悠葵が、事故にあった日。
悠葵が破損したガードレールの隙間から急な山の斜面を転がり落ちたのを目の当たりにした私は、ただ泣き叫び、誰かに助けを求めることしか出来なかった。しかし運悪く、周りに人通りはなかった。
どんなに叫んでも誰も助けに来てくれない。悠葵が死んでしまう。そう思った時、黒い服を着た人が現れた。
「人が山の斜面から滑り落ちて、怪我をしています。場所は○○です。早く来てください。」
携帯で素早く連絡を取り、彼はこちらを振り返った。苦手な人のはずなのに、見覚えのあるその人を見て、私は益々涙を溢れさせた。
小松くんは額に汗を浮かべて、少し青白い顔をしいていた。同じ学校の生徒が血を流して倒れているのだ、無理もない。けれど彼は動揺せず、私の目の前にしゃがみ込むと、私の両頬を包みこんだ。
「しっかりしろ!泣いてたって、この状況は変わらない。俺が様子を見てくるから、救急車が来たら知らせて」
私は溢れそうになる涙を拭って何度も頷いた。ゆっくりと斜面を下りて行く彼の役に少しでもなれば、と携帯のライトで照らす。懐中電灯のように強い明かりではないけど、多少ましなはずだ。
照らしたその先に、悠葵を見つけた。微かな明かりの中、彼女の東部から流れる血だけがやけに鮮明に見えた。
あの時、手を掴めていたなら。悠葵がこんな目に会うことはなかったのに。
携帯を握る手がかたかたと震えだす。
「南。いい。照らさなくていいから」
「だい、じょうぶ。小松くん、悠葵は、生きて、る?」
「出血は酷い。でも、息はしているし、脈もある。まだ生きてる」
生きている。その言葉に、抑えていた涙が溢れだし、頬を伝った。それでも悠葵と小松くんを照らし続けた。
救急車が来るのが、随分遅く感じた。
小松くんはそのまま病院まで付き添ってくれて、悠葵の死の宣告も一緒に聞いてくれた。泣き崩れる私を支え、家まで送ってくれた。
「南。何かあったら、連絡して」
そう言って、彼は私に連絡先を教えてくれた。
「悠葵が事故にあった日、救急車を呼んでくれたの、小松くんだったんだよ」
そう話せば、悠葵はそっか、と口元を綻ばせる。自分の中の彼と、その時の彼を重ね合わせているのか、やっぱり良い奴だ、と言う。
「会いたい?」
「連絡、取ってるの?」
「たまに」
嘘。けっこう頻繁に取っている。あの日からずっと、彼には支えられっぱなしだ。
彼が傍にいてくれると心が安らぐ。けれど同時に悲しくもなる。どうしても、悠葵のことを思い出すから。だから、連絡はとっていても、あまり会わないようにしている。会ったらきっと、電話で話す以上に優しくしてくれる。そうしたら私は、きっと今以上に甘えてしまう。―――優しくされる資格などないのに。
「会いたい?」
再度尋ねれば、一瞬悠葵の表情が戸惑いを浮かべた。しかし、悠葵が閉じた瞳を開くことには、その戸惑いも消えていた。悠葵は迷いのない真っ直ぐな瞳で私を見る。
「会いたい。」
悠葵の答えに、こくり、と頷いた。
未だ、納得のいかない気持ちはある。自分の知らない2人の間に嫉妬しているのだろう。その憤りを悠葵にぶつけてしまいたいと思う。でも、それ以上に、彼女の願いを叶えてあげたいと思う。
私が彼女を死なせてしまったのだから。