【第一話】魔力出力『0・01』の美少女?王立学園からの洗礼
薄暗い工房のベッドで、祖父シュタールは静かに微笑んだ。
節くれだった手から差し出されたのは、幅1・5センチほどの何の装飾もないシンプルな指輪。
「これをお前に。……誰かに寄り添う仕立ての技と共に」
それが、時代から忘れ去られた祖父の遺した、最後の言葉だった。
かつては名クラフターとして王都でも名をはせた祖父。
だが、アルノと祖父の間でのみ、クラフター以外の特別な呼び名があった。
それは、ルーン・テイラー(魔刻縫製師)だ。
工房内には、古い油と長年削り出されてきた魔石の微かな匂いが染み付いている。
壁には使い込まれた彫刻刀や、ハンマーが静かに掛けられていた。
晩年体を壊し、客足が途絶えて久しいこの場所の静寂が、今はただ痛いほどに胸を締め付ける。
アルノ・ガレオスは、自身の指には少し大きいその指輪を右手の親指にはめ、冷たくなった祖父の手を両手でぎゅっと握りしめた。
グレーの瞳の奥で、静かな決意が燃え上がる。
(おじいちゃんの技術をもう一度、ボクが王都で広めるんだ!)
この世界は「高魔力量・高魔力出力」こそが絶対の正義。
だが、アルノは知っていた。
祖父の伝えてくれた技こそが、至高の技術であることを。
――
数週間後。
澄み切った青空の下、アルノは王都グラン・フォリアへと続く街道の前に立っていた。
「アルノ、眼鏡忘れてるわよ!」
バタバタと慌ただしく駆け出してくる母、マーレ。
「あと絶対無理しちゃダメよ。つらくなったら、いつでも帰ってきなさいね」
心配そうに眉を下げるマーレに、アルノは愛嬌たっぷりに笑いかける。
「大丈夫だよ、母さん。ボク器用だから、それなりに王都でも上手くやれると思うよ」
不安の欠片も見せずに、大きめの丸眼鏡をかけ微笑むアルノ。
毛先にかけて、紺からブルーへグラデーションがかったショートボブウルフが、爽やかな風に揺れる。
小柄な体とぱっちりとした大きな目のせいで、道行く人からは完全に「可憐な美少女の旅立ち」に見えていたが、アルノはれっきとした男の子である。
ジャラリと乾いた音を響かせながら、全身にアクセサリーをまとったアルノは、王都へ向かって静かに一歩を踏み出した。
――
「シュッシュッ」というリズミカルな音と、魔力による僅かな駆動音が響く。
アルノを乗せた魔導列車は、淡いエーテル(魔力の元)の粒子を散らしながら、王都グラン・フォリアの巨大な駅へと滑り込んだ。
この世界では、魔石を動力源とする機械化が進んでいる。
駅のホームには魔力光で時刻を知らせる掲示板が輝き、重い荷物を運ぶ自動カートがせわしなく行き交う。
カートに刻まれたルーン(魔法陣)は、ほのかな白い光を放っていた。
改札を抜けると、むせ返るような都会の活気と、濃密な魔力排気の匂いが鼻を突く。
石畳のメインストリートでは、ゼンマイと魔石を組み合わせた二輪車が、けたたましい音を立てて走り抜け、立ち並ぶ商店の看板は色とりどりのルーン光で明滅している。
田舎では見たこともない、マギアが日常に溶け込んだ街の光景。
その中に立ち、アルノの胸は期待に大きく高鳴った。
「ふぅ、やっと着いたー。けどちょっとお腹がすいちゃったな。あ、屋台がある。……『大串焼き』だって、おいしそう! おじさん、一串くださいな」
「まいど! と、言いたいところだけど、今ちょっとコンロの調子が悪くてね、火が点かないんだよ。魔石を換えても点かないとなると、こいつのルーンもそろそろ寿命かね……」
串焼き屋のおやじは、コンロマギアの点火用のつまみを何度もひねりながら、途方に暮れていた。
「おじさん、ボクはクラフターなんだ。ちょっと見せてもらってもいいかな? もしかしたら直せるかもしれない」
アルノは田舎には無かった大型のコンロマギアを前にして、眼鏡の奥の瞳をキラキラさせる。
「ほう、その制服、学園の生徒さんだね。それじゃあ、ちょっとお手並み拝見といこうか」
おやじに手招きされ、アルノは店の内側へと入り、コンロのカバーを開けた。
「うん、サイズは大きいけど、機構は一般的なものと変わらないね。……あー、種火の出力を上げるルーンが経年劣化でかすれてるね。じゃあ、ここをちょっとこうして……」
アルノは問題のルーンを見つけると、右手の指先を軽く踊らせた。
キュインッ……
ルーンを刻む微かな音は、表の雑踏にかき消されアルノにしか聞こえなかった。
「はい、おじさん。修理完了だよ」
「え、もう終わったって? 中を覗いただけで、何も作業はしてなかったように見えたけど……」
串焼き屋のおやじは、不思議そうにアルノの顔を見つめた。
「大丈夫だから、とりあえずコンロを点けてみてよ」
アルノにうながされ、店のおやじは先ほどと同じように、点火用のつまみをひねった。
ボワァァァァッ!!
先ほどまで沈黙していたコンロから、凄まじい火柱が上がりテントの一部を少し焦がした。
「ひゃあっ!? ご、ごめんなさい! やりすぎちゃった! これ、修理代とお詫びです!」
慌てた様子でカウンターに銀貨をポンと置き、ジャラジャラとアクセサリーを鳴らして脱兎のごとく逃げ出すアルノ。
直後、もうもうと立ち込めた煙が風に流されると、そこには、黒焦げになるどころか、表面はカリッと黄金色に焼け、内側からジュワッと極上の肉汁を溢れさせる完璧な『大串焼き』が仕上がっていた。
香ばしく、強烈に食欲をそそる脂の匂いがメインストリートに一気に広がる。
「おいおい、なんだこの美味そうな匂いは……!」
「おやじさん! その極上の串、俺に三本くれ!」
「あ、私も! いい匂いにつられちゃった」
あっという間に、屋台の前には匂いに引き寄せられた客の群れが押し寄せてきた。
「おーい、待ちなっ! お嬢ちゃん……!」
すでにアルノの背中は小さくなっており、店のおやじは押し寄せる客の波と、置かれた銀貨、そして見違えるように火を保つコンロを交互に見つめた。
「……行っちまったよ。こんな特級の職人技に、極上の焼き加減。修理代を払うのはこっちの方なのにな……」
――
人混みを抜け、王都のメインストリートに出たアルノは、遥か彼方にそびえ立つ巨大な建造物を見上げて息を呑んだ。
「ふぅ、もう少し手加減も覚えないとな……。それにしてもすごいなー……。ほんとにあんなに大きなルーンが刻まれてるんだ」
それは王都を魔獣から守るため、ダンジョンの入口に建造された巨大なゲート、魔獣の檻『タルタロス』。
遥か遠くにあるにもかかわらず、その途方もなく巨大なゲートの表面に、複雑なルーンが刻まれているのが、アルノにははっきりと見えた。
「おや、お嬢ちゃん。あんな遠くのゲートのルーンがみえるのかい?」
隣を歩いていた恰幅の良い商人が、目を丸くして尋ねてきた。
アルノは少し得意げに、眼鏡のブリッジを指先でクイッと押し上げる。
その時、眼鏡のフレームが微かに光を帯びた。
「おじさん、ボク男だよ。それに眼鏡が無くても、視力はかなり良いほうなんです」
アルノは、遠くそびえ立つタルタロスを静かに見つめた。
そしてその姿を胸に刻み、学園へと続く道へ足を進めた。
――
王立グラン・フォリア魔導学園。
その敷地には、新入生を祝うかの様に薄紅色の小さな花びらが舞っている。
その正門に到着したアルノは、門柱に刻まれている精巧なルーンにすっかり目を奪われていた。
「ほう……なるほど、ここは魔力の流れを反転させて……」
「この交差部分の処理は絶妙だな。あえて太さを均一にしないことで、過剰なエーテルを逃がすバイパスの役割を持たせているのか。いや、それだけじゃない、この微小なカーブは結界の強度を上げるための……」
精密に刻み込まれた滑らかなルーンを指先でそっとなぞる。
しかしそこに段差はなく、一切の厚みが感じられない。
ぶつぶつと呟きながら顔を近づけていると、後ろからドンと肩をぶつけられた。
「おい邪魔だぞ! 田舎者はさっさとどけ!」
苛立った様子の他の生徒から邪魔者扱いされ、よろめいたアルノ。
姿勢を立て直そうとした時、スッと差し出された手があった。
「災難だったね、みんな測定前で気が立ってるんだ」
見上げると、そこには透き通るような金髪と碧眼を持つ青年が立っていた。
「ありがとう。ボクはアルノ。キミは?」
「私はルイス。……お互い、悔いのない結果が出せるといいね」
ルイスは優雅に微笑むと、取り巻きの生徒たちと共に歩き去っていった。
周囲の流れに続くように、アルノも入学式が行われる大広間へと足を踏み入れた。
――
程なく、厳かな雰囲気の中で入学式が始まる。
「入学おめでとう。この王立グラン・フォリア魔導学園の門戸は広い。だが、君たちの本当の試練はこれからだ。今年は新しい先生も来てくださった。ギルベルト先生。一言お願いできますか」
学園長に促され、壇上に一人の男が歩み出た。
仕立ての良い漆黒のスーツを纏い、冷徹なまでの知性を感じさせる眼差し。
彼こそが、Aクラスの担任を任されたギルベルト・オズワルドだった。
「……効率と成果。それだけがこの学園で生き残る唯一の術だ。無能に割く時間はない」
短く、突き放すようなその一言に、新入生たちの間に緊張が走る。
「この後は東の大講堂へ移動し、測定を行ってもらう」
学園長の厳かな声が大広間に響き、ついにこの学園での絶対的な階級が決まる時が訪れた。
――
東の大講堂の中央には、巨大な水晶型の魔力測定器が鎮座していた。
「次。ルイス・アルベルト・フリードリヒ・ヴァレリウス・マクシミリアン・ド・グラン・フォリア・八世」
長いフルネームが呼ばれると、講堂内がどよめく。
第一王子であるルイスが優雅に水晶へ手をかざす。
カッ!!
眩い光が弾けた。
水晶から放たれた圧倒的な光の奔流は、大講堂全体を真昼のように照らし出した。
同時に巻き起こった強烈な魔力の風圧に、周囲の新入生たちは思わず腕で顔をかばい、後ずさる。
それはまさに、王族としての格の違いを見せつける暴力的なまでの煌めきだった。
『……ま、魔力量8・05! 出力8・0!』
試験官の震える声が響く。
「すごいっ! 8・05だって! 8・0を超える人間なんて、おとぎ話の世界にしかいないと思ってたよ!」
人類の限界値と言われる「8・0」を超えた規格外の測定結果に、新入生たちから割れんばかりの歓声が上がり、結果を見た教員たちも慌ただしく駆け出していった。
「次、アルノ・ガレオス」
アルノが前に出ると、席に戻ったルイスが目を細めた。
(門の前にいた、あの女の子か)
アルノが軽い足取りで水晶に触れる。
淡い光がぽつりと、かろうじて点灯した。
『魔力量6・5。……出力、0・01』
先ほどのルイスが放った太陽のような輝きとは対極の、マッチの火よりも儚く小さな光だった。
息を吹きかければ消えてしまいそうなその心もとない点灯を見つめ、一瞬の静寂の後、講堂は爆笑と哀れみに包まれた。
「おいおい、針の穴ほどの出力じゃないか!」
「これじゃあせっかくの魔力量も活かせない。なんて可哀想なんだ……」
魔力量と魔力出力は生まれ持ったものであり、その数値は一生涯変わることはない。
この事実を受け、試験官も困ったようにため息をつく。
「……他の項目は測るだけ時間の無駄だな。君はもういい。次!」
途中で測定を打ち切られ、盛大な笑い者にされるアルノ。
だが、本人は全く気にする素振りもなく、涼しい顔で席に戻りながら、右手親指にはめた指輪を愛おしそうにそっと撫でた。
(やっぱりみんなは知らないんだ……。この世界で『最低』とされる極小の出力こそが、おじいちゃんの残した最高の技術『ルーン・ステッチ』を完璧に再現できる、ただ一つの条件だってことを……)
その様子を、ルイスは鋭い眼差しで見つめていた。
(この学園の授業の厳しさは周知の事実。それなのにあの余裕、少し気になるね…。)
ルイスの胸の内で、アルノという存在への興味が静かに膨らんでいった。




