69 自分でも望んだこと
静寂の中、誰もいないから何も考えなくて良かった。
どうしてなんだろうって考えなくて良かったから、私は…考えることを放棄した。
真正面から立って、聞くのが怖かったから忘れたふりをしていた。
全てが嫌になって飛び出して、わたしは――。
頬に冷たい雫が落ちる。
瞳を開けて目に入ってくるのは、夢ではない今の私の現実。
カルスがあの場所に入ってきて直ぐに侍女が出入りするようになった。侍女の顔すら見ようとしなかった私に一人だけやたらと声をかけてくれる優しい人がいたのに、私は全てを拒絶した。
ゆっくりと思い返してみれば…あれはシーラの声だった。
ずっと寝台の上から動こうとしないわたしに…何の反応も返さない私に根気よく何かをしようとしてくれていた。
それから幾らかたって、ボロボロと欠けていく自分の記憶。自分が今何をしようとしていたのかさえ思い出せなくなった時、私は自分にも恐怖した。
侍女の一人が王が来るって言った時チャンスだと私は思った。
すべてから逃げ出して、このまま忘れてしまおうと思った。そうすれば、楽になれると思ったから。
王が部屋に入ってくる時がチャンスだった。
扉の近くにいる人達が扉を開ける、その時にわたしは逃げ出した。王が何事かを言っているのも聞こえていたけれど。
必死に頭の中から情報を取り出して、塀のまわりを走り回って見つけた穴。男の人では通れないだろうけど、女だったら通れる路。
そして、私は彼とあったんだ。
忘却の一途をたどっていた脳を急に動かしたための負荷かのように、この世界での全てをわたしは忘れたんだ。
「何をしたかったんだろう」
きっと…あれが全て。
カルスに恋焦がれていた自分。でも、何もすることはなくてずっと待っていただけだった。
今は――。
「なにか出来てるのかな」
昨晩シルバのいた場所に触れる。そこに彼の温もりは残っていなかったけど、ペンダントはちゃんとある。
「私はあの時と何か変われてるの?」
だんだんと私が、この世界のことを忘れていったのはルークや王が何かをして人為的なものだったんだろうけど、私は全く気付いていなかった。
ただ、消えていくカルスとの記憶に恐怖して、最後は忘れてしまおうと…このまま何もかも忘れてしまえば良いと願ったのは、自分自身。
寝台から起き上がって、窓に近づく。陽は完全に姿を現していない、今日見た記憶の中の様な景色。
窓を開けて入ってくる風は心地よくて、頬を撫でる風に目を瞑る。
「アクロディーテさん…まだいる?」
一人ごとのように呟けばペンダントが明滅する。
今までもこうやって私の問いに彼女は答えてくれていたんだろうか。
「昨日のシルバは夢じゃないんだよね」
シルバも謎が多い人だけどちゃんと話してくれるって言ったから。
「信じる」
気持ちに一区切りつけたところでふと、昨日体調が悪かったんだと思い出す。
結構苦しかったのに、起きた時から今まで思いださなければ忘れてしまいそうなほどに体調が良い。
今日か明日には全て終わると言ったシルバ。
今日は昼の内に会えるかも知れないと思ってついいつもより軽装な格好を選んでしまった。
記憶はきっともう戻ってる。後は、シルバと旅に出るだけ…大手を振ってこの王宮から出ていく。
あんなにカルスのこと好きだと思ってたのに、いざ全部記憶が戻っても何とも思はない自分って結構白状だろうか。
鏡台の前に座って自分を見つめる。
最後にカルスと会った時も…まだ好きだったと思うのに。今は――。
「シオン様おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」
「おはようシーラ」
ノックの後に扉を開けて入って来たシーラの姿が鏡に映る。
「寝台で休まれていなくて大丈夫なのですか?」
昨日熱があったからきっと心配しているんだろう。それに、常ならば自分からは絶対に鏡台に向ない自分がその場所にいることにも内心驚いているに違いない。
「うん。あの先生の薬よく聞くんだね。すっごい身体が軽いんだよ」
「そうですか、良かった」
「うん」
シルバと一緒にこの王宮を出たらきっとシーラとも会えなくなるんだろう。




