68 変わる場所
次に目を覚ますと、身体の不調は感じられなかった。
「どこ」
部屋の中は、部屋の中。
今までの様な豪華な寝台。でも、どの調度品も壁の色も今までとは違う場所。
寝台から降りて壁に触れると、ひやりとした感覚。窓には鉄格子が嵌められて、その先に花々が咲き乱れている。
「これは…牢屋?」
コンっと一つ扉を叩く音がして振り返れば、小さな小窓から食事が入ってくる。
お盆にのった物はパンとスープ。声をかけようとすれば、パタンとその小さな扉は小さくちいさく音を立てて閉まる。
駆け寄って手に取ってみると、一枚の紙が添えられているがその文字が読めない。
「言語はカバーしても文字はカバーしてないの?」
でも、この前までは読んでた気がしなくもないのに…。というか、見て理解していただけ。か。
きっと熱が出たせいで、頭がまだ上手くまわってないんだろう。
手に取ったパンは今までのように温かくはなく。スープも冷え切ってしまっていた。
「金の切れ目が縁の切れ目じゃなくて…。部屋の切れ目が縁の切れ目ってことかしら。」
でも、食事が貰えるだけ良い。飢え死にさせられるわけじゃないんだから。
そんな日が幾日も続き、食器とお盆が溜まっていくので、試しに小窓の前に置いてみると、持ち帰ってくれた。
お礼の一つも言いたいが…。それだけで緊張していつも何も言わない。
一応、シャワーは付いているので、ハエがたかってくるような目に合うことはないけれど、徐々に髪の毛も絡まって酷いことになってきている。
毎日梳かしてもらっていた時は指通りがよくて気持ちよかったのに。
最近では、寝台の上でボーっとしていると太陽が昇って月が出る。
窓の外には花が咲いている。ずっと外を見ているのに誰も通らない。ここに来てから、わたし以外の誰とも…何も話していない。
日の計算をするのもすっかり忘れてしまっている。机の上に置いてあった紙とペンに正の字を書いて何日経ったか計算していたけれど、十個の正の字ができて、十一個目に入ったところで止めてしまった。
誰も知らない所で…いつの間に朽ちていくことをやはり望まれているんだろうか。
コンっと今日も一つ扉が叩かれて盆にパンとスープが載っている。でも、もう歩くことも辛い。流されているだけの自分。ここに残っているのは…何かを待っているからなのか。
パンの横に入った白い紙。ソレは、たまにぽつんとあるものだけれど、字がわからないわたしには無意味な物。
トングの様なもので、さきに置いてあった食事が外に出される。せっかく持ってきてもらっているのに、一口も口を付けていなくて…。申し訳ない。
今日も一日外を眺めてみたものは、花と太陽と月。
王宮なのかもわからないここで咲いている花。これだけの期間見ていても誰も来ないということは、きっと野草。
嵐の様な、雨や風をその身に受けても次の晴れた日には雨粒を葉に乗せキラキラと輝いている花。わたしは、そんな人になってみたかった。
太陽は少しずつ日照時間が減り、闇の刻が多くなる。それまでは気にしていなかったけれど、あちらと同じように、こちらも月の満ち欠けがあるということを知った。ここには静寂だけがある。
「あ…」
何か音を、詞を紡ごうとしたのに頭が働かない。
「シオンっ!!!」
外から誰かの声が聞こえる。
「シオン!!」
ガチャガチャとなにか音がする。
「シオン」
人だ。
「ああ、」
「シオン、大丈夫?」
ああ…。
名前が出てこない。
「おうさま」
そうだ、この人は…ずっとずっと会いたかった。
私が初めて、好きになった人。
「どうして…こんなことに」
おうさまの手が優しくわたしの頬に触れる。
「シオン?」
ああ、よく顔が見えない。
「私だ、カルスだよ?」
カルス。
でも、その名前はわたしが呼んでいいものじゃない。
だから、私は忘れたかったんだ。
その名前を呼ばない様に。




