26 その終わり
馬の背にのって駆けてくる青年が止まる。その姿をみて、直ぐに駆けて行きたかったけど、それ以上に溢れてくる感情に…出ていけなかった。
「カルス兄さま帰って来たんだ」
「うん、今着いたみたい」
サリューは椅子に座って目を瞑ったまま微動だにしない。それでもサリューがわかるのは、彼の能力なのだそうだ。
人のココロを視る。感情を読み取る。
能力の発動条件はただサリューがその人物を認識しているという事実があればいいのだという。
とても稀少な能力で今現存しているその能力の使い手は二人。
その反動に、サリューはそれ以外の能力は何も使えないのだという。そしてもう一人の使い手も。
カルスが馬で駆けた時瞬間移動でもできないものか、と本気で考えたがそれはとても高度な技術なのだという。物で試すならまだしも人間でやった場合余程上手なものでなければ転移中にバラバラになってしまう可能性もあるのだという。
簡単なものかと思っていたら以外に難しいらしい。
「シオン、カルス兄さまは…決して忘れてたわけじゃないんだよ」
「わかってる。だってカルスは約束を守ってくれているだけだもの、私に血の一滴も見せないって」
「僕には全部言えないけど、シオンがシオンであってくれれば皆幸せだよ」
「でも私はこの世界に、『巫女姫』という存在で来たのに…何もしてない」
カルス達一向から書簡が届く前。
サリューの元に一つ風が流れ込んできて、戦の終結を知らせてくれたのだ。
サリューが声なき者の声すら聞くことでできるというのは本当に驚いた。
ただ自分は巫女姫として何の役にも立てなかった。
やっと役に立てると思ったのに、この離宮で戦が終わるまでのほほんと過ごしていた。
戦場に出ることもなく。人を傷つけることもなく。
「シオンには、その手に武器を持って人を傷つけることができる?」
「…できない」
「シオンはできることをして、この国を慈しんでくれればいいんだ、無理することなんてないよ?」
人のココロを視るという能力がどんなものかは、詳しくはわからない。でも、そのせいなのかサリューは年齢に似合わずに大人びている部分がある。
普段はその能力を極力使わない様に蓋をしているのだという。
「僕、カルス兄さま所に先にいるね?お母さまにいじめられそうだから」
「うん」
パタンと静かに扉が閉まる
巫女姫として来た自分は、カルスによって『軍神』の冠を与えられた。
与えられた冠の名はその個々に由来するものがある。
なのに、自分はこの離宮で平和に過ごしていた。
傷つくことも、傷つけられることもなく。
でも…それじゃここにも、なくなっちゃうのに。
部屋に閉じこもっていても仕方ないと思って外に出ると名前を呼ばれた。声の聞こえた方を向けば、ちょっと会いたくないかも、と思ってしまっていた相手。
「ひ、ひさしぶり」
軽く右手を挙げてしまった。
いきなりで、緊張してしまって顔の表情筋が上手く動いてくれない。
あちらの世界にいた時、こんな間抜けに挨拶なんてしたことがあっただろうか。
「うん。久しぶり、風邪とか引かなかった?」
「それは…大丈夫」
「良かった、戦は終わったよ。勝てたから、全部シオンのおかげ」
――何もしてないよ?この離宮で、私は普通に過ごしていただけなのに。
「シオンがいなかったら王宮で足止め喰らってどうなってたか…考えると少し怖いな」
――カルス…私はただ、貴方を王宮から出せばそれで役目が終わりだったの?
「ちょっと、汗流してくるから、リアリリス様にはいってあるから、待ってて」
「うん」
駆けていくカルスの背中に小さく手を振る。
見えなくなったところでやっと息を吐き出した、手近にあった壁に寄り掛かる様にしてると庭師がドロドロの格好で邸の中を歩いている。
「ライアン…またジャクリーンに怒られますよ」
庭師のライアンは自由気ままに生き過ぎていて、邸に泥を持ちこむため、掃除を担当しているメイド、ジャクリーンに小言を言われている姿をよく見る。
「ああ、シオンか…。ジャクリーンの小言は嫌だな~。でも今日はもう眠りたいからさ」
今は泥で汚れてしまっているが、泥を落したライアンはとても綺麗な金糸の髪の毛を紅の瞳をしている。年齢は初老に指し掛かっているそうだが、外見だけ見れば精悍な若者。と言っても通る容姿をしている。
「なら、外で落してくればよかったのに」
「部屋にバスついてるから…それでいいやと思って。そうだ、寝るって言っといてね」
「りょうかい」
「あんま無理すんなよ。適度に息抜きだぞ」
そういって止めていた足をまた進める。歩いた場所の証でもつけるかのように泥を落して。
その時、階下の方からジャクリーンの悲鳴が聞こえる、次いで怒声。
「見つかっちゃった」
「みたいだね。おやすみ、ライアン」
「ああ」
**
広間に行くとリアリリスに纏わりついて遊んでいるサリューの姿が飛び込んできた。
「リアリリス様、ライアンが寝るそうです」
「あらら」
困った、というように少し笑うリアリリス。
この離宮はあまり主人と使用人ということに壁がない。遊びに行くと言っても森の中。他の人といえば、この離宮。少し山を下れば集落のような街があることにはあるが、そう滅多に行けるものではない。
その環境が良かったのか、使用人の人とは大概仲良くなれた。
「いっつもしょうがないわね、サリュー」
「ねー」
ライアンの突発的な行動はいつものことなので二人とも慣れたものなのだ。
買い物に出たはずなのに二日も帰ってこない、そんなことはざらにあるそうだ。当初一人で慌てた記憶はすでに遠い彼方のことのよう。
数か月であまりにもその多発するその行動には慣れという言葉が一番近いのではないだろうか。
数時間後、カルスによって王宮に帰る日時を教えられる。
そこで待ちうけているのは、決してこの離宮の様に楽しい日々ではない。




