7 ゲストたちの不安、役者たちの対策
「吾川さん、ゲストが決まりました」
制作スタッフの声に、吾川は目線を上げた。
お笑い芸人、茨道サイトウ。
中堅で、体を張る芸が売り。ここ最近になって名前が出始めた男。
相馬 恒一朗。
若手で、顔がいい。女性ファンが多いことで知られている。
発言は一見無難だが、言葉の端に、いつもわずかな棘が混じる。
野口 エマ。
元アイドル。最近はドラマ出演が増え、女優路線に舵を切っている。
ブランド志向が強く、海外ラグジュアリーブランドに敏感だという。
「五人か。……まあ、妥当だな」
吾川は小さく呟いた。
番組としては、無難だ。
視聴率も、スポンサー受けも、計算できる顔ぶれ。
だが、胸の奥に引っかかるものが消えなかった。
一線を越えるな。
数日前、三国が言った言葉が、妙に生々しく蘇る。
(……念のため、か)
吾川は受話器を取り、三国の番号を押した。
数回のコールの後、落ち着いた声が返ってくる。
「三国です」
「吾川です。ゲストの件ですが、一応、共有しておこうと思いまして」
一瞬の沈黙。
「ありがとうございます」
三国の声は、いつもより低かった。
「吾川さん。本番前に、少しお話ししたいことがあります」
「どうしたんです?」
問い返した瞬間、吾川は自分の声がわずかに強張っているのを自覚した。
「大事なことです」
短い言葉、説明はない。
吾川は、無意識に背筋を伸ばしていた。
「ゲストの方にも、ですか?」
「ええ。全員にです」
通話越しに、重たい空気が落ちる。
番組進行の話でも、演出の相談でもない。
そう確信できる静けさだった。
「大事な話がある」と告げられ、茨道サイトウ、相馬 恒一朗、野口 エマの三人は、スタジオ内の一角に集められていた。
吾川と葛城も同席している。
照明は落とされ、リハーサル用のモニターだけが淡く光っていた。
本番前の、独特の静けさ。
「お忙しい中、すみません」
口を開いたのは三国だった。
いつもの柔らかさはない。
「皆さん。番組が始まる前に、どうしても話しておきたいことがあります」
誰も相槌を打たない。
その沈黙を気にする様子もなく、三国は続けた。
「最近、ネットで少し気になる記事を見つけましてね」
それが何の記事なのかは、言わない。
だが、その前置きだけで、場の空気が変わった。
三国の視線が、茨道に向く。
「茨道さん。あなたは芸人だ。それも、体を張った芸をする」
「は、はい」
反射的な返事だった。
「犬に声をかけて芸をさせる。いえ、あなたの発想ではない。上の方から、そうしてほしいと言われていませんか」
一瞬の沈黙。
「マネージャーからは、それとなく」
茨道は小さく頷いた。
「できればではなく、やってほしいという意味でしたか」
三国の声は低く、淡々としている。
「絶対に、ってわけじゃ」
茨道は言い切れず、言葉を濁した。
「ダメなんですか?」
問い返す声に、焦りが滲む。
三国はすぐには答えない。
沈黙が、茨道を追い詰める。
「大型犬でしょう」
三国が口を開く。
「吠える。飛びかかる。そういう“画”を、誰かが期待している可能性は考えましたか」
茨道の喉が、小さく鳴った。
少し言い過ぎたかと、三国は一瞬そう思った。
茨道の表情に浮かんだのは理解できない者の顔だ。
三国は、声の調子を落とす。
「あなたの言葉が、通じないとしたらどうします」
茨道は、意味がわからないという顔をした。
「あ、あの、それって、どういう意味ですか」
三国は、はっきりと言い直す。
「お手、お座り、そう言っても、犬が反応しないという意味です」
茨道の表情が固まる。
冗談として受け取れないことだけは、伝わった。
三国は続けた。
「私は数日前、ネットで、ある書き込みを見ました」
全員の視線が、自然と三国に集まる。
「オープンカフェで、グレートデンのハルクインを見かけた、という内容です」
三国は淡々と語る。
「書いたのは男性でした。文面からして、犬が好きな人でしょう」
一拍、置く。
「写真を撮りたいと思ったそうです。ですが、近づく前に、やめた、家庭犬だと、一目で分かったからです」
「家庭犬だと一目で分かったって、どうしてですか」
相馬 恒一朗が、不思議そうに首を傾げた。
純粋な疑問のようでいて、その声音には距離があった。
三国は、即答した。
「断耳と断尾をされていなかったからです」
言葉だけが、静かに落ちる。
三人のゲストは揃って、きょとんとした表情を浮かべた。
その反応を見越していたかのように、三国は続ける。
「グレートデンは、ショーや展覧会に出す場合、子犬のうちに耳や尻尾を手術で切り、形を整えます」
淡々とした説明だった。
「ですが、その犬は、されていなかった」
知識として初めて聞く者にとっては、
それが何を意味するのか、まだ繋がらない。
葛城が、慎重に口を開いた。
「それで、家庭犬だと分かるんですね。それは理解できます。でも」
一瞬、言葉を選ぶ。
「お手やお座りが分からない、というのは、それは、少しおかしくないですか」
問いは理性的、だが、どこか挑発的にも聞こえた。
三国は、否定しないまま、頷いた。
「ええ。普通に考えれば、そう思います」
そして、一拍置いてから言った。
「一緒にいたのが、黒人の女性だったんです」
その瞬間、空気が変わった。
「男性は、カフェで、その黒人女性の声を聞いています」
三国は視線を落としたまま、続けた。
「女性のそばには、日本人の女性もいたそうです。ただ、その黒人女性は、昼間にもかかわらず、大きな声で『こんばんは』と挨拶をしたと書かれています」
「えっ、昼間なのに」
茨道が、反射的に声を漏らした。
笑いかけた空気が、一瞬だけ生まれかける。
だが、誰もそれに乗らなかった。
「その後の記述です」
三国の声が、わずかに低くなる。
「日本語は、挨拶程度しか分からないようだった、と」
沈黙が落ちた。
それは説明のつかない違和感によるものだった。
三国はわずかに間を置き、言葉を慎重に選ぶように口を開いた。
「この犬が、映画に出た個体ではない可能性もあります」
その一言に、場の空気が揺れた。
「でも、グレートデンのハルクインなんて、そんなに何頭もいるとは」
葛城が小さく声を漏らす。自分に言い聞かせるような口調だったが、視線はまっすぐ三国に向けられていた。
「確証がないんです」
低く、はっきりとした声で、三国は言った。
葛城がわずかに眉を寄せた。
相馬も口を閉ざし、野口は不安げに視線を泳がせていた。
三国は静かに息を吐いた。
(だからこそ、実物をこの目で見るのが楽しみだ)
心の内でそう呟いたが、その想いは誰にも見せなかった。
役者達はTV出演に関して、話し合っていた。
「事前に……丸川さんと神崎さんが、吾川という司会者に余計な質問は避けてほしいと通達しています」
佐川の声は、あくまで冷静だった。
しかしその裏に、慎重な計算が透けて見えた。
「ゲストが、五名、犬の専門家、それと愛護団体の代表が一人。それから若手の俳優と、元アイドルの女優。そして」
「芸人、でしょ?」
水川が割って入るように呟いた。
野々原が顔を上げ、静かに問う。
「どんな芸人なの?」
「中堅クラス。最近ブレイクしてきたそうです。体を張るタイプで、スタジオでも無茶なリアクションをすることで有名らしい」
水川の口ぶりは淡々としていた。
「触りたいとか、お手、お座り、なんて言い出さないでしょうね?」
野々原が皮肉めいた笑みを浮かべた。
だが、その笑みには軽さがなかった。
「恐らく、面白い犬と戯れる番組くらいの認識でしょう」
佐川が答えると、光石が鼻で笑った。
「だからこそ、こっちは“見せ方を仕込んでおく必要があるんです」
水川は、ゆっくりと立ち上がった。
「最初は、丸川さんと神崎さんの二人だけで行こうと思っていたんですが」
水川が言い淀みながら、向かいに座る男を見た。
「光石さん、お願いできますか」
予想外の指名に、光石はほんの一瞬だけ眉を動かした。
「俺が? 何の役で?」
「通訳として、登場してほしいんです」
佐川が言った。短く、だが明確に。
「通訳、ね。」
光石は言葉を繰り返しながら、視線を落とした。
何かを計算するように、数秒の沈黙が流れた。
「フランス語で。もちろん、イタリア語でもドイツ語でも構いません」
佐川が軽く笑った。
「お得意でしょう?」
通訳という建前の裏にある意図は、全員が理解していた。
「つまり、吾川って司会者の口を塞ぐ、ってことだな」
光石の声には冗談の響きはなかった。
冴えた目で、水川と佐川を順に見た。
「実は、気になっている人がいるんですよ。三国という専門家です」
水川の声は低かった。
役者たちを一人ずつ見回すように、慎重に間を置く。
その表情には、警戒と疲労が滲んでいた。
光石が、手を組んだまま静かに訊ねる。
「ベテランかい?」
軽い調子。しかし、目だけは鋭く研ぎ澄まされている。
水川は、その視線から逃げるように小さく頷いた。
「経験は豊富です。犬を見る目も厳しい。適当な説明では通りません」
光石はその答えに、ふっと口元を緩めた。
笑み、というには冷たすぎる表情だった。
「普通なら、よく躾けられてるとか、訓練が行き届いてる落ち着いた犬だ、その程度の評価で終わるだろうね」
「三国さんは違います」
水川の言葉は、明確な不安を含んでいた。
「環境を知りたがると思うんです。どんな育てられ方をしたのか、どこで暮らしてきたのか、そういう部分に踏み込んでくる可能生があります」
光石は目を細め、深く頷いた。
「ある意味、司会者より厄介だ」
光石の笑みは、先ほどよりさらに薄く、乾いていた。
「私は外を見るわ」
野々原の唐突な言葉に、その場の視線が一斉に彼女へ向いた。
困惑が、全員の顔に浮かんでいる。
「雑誌記者、いたでしょう?」
野々原はスマホを軽く掲げた。
「確か公式では断られたはずよね」
「また連絡してきたのか」
丸川が肩を落とすように言った。
驚きより呆れの色が濃い。
「しつこいみたい」
野々原は小さく笑う。
「多分、番組が終わったあと、スタジオの入口で待ってると思うの」
神崎が顔をしかめた。
「突撃インタビューか。今どき、まだいるんだな」
「いるわよ。ネタのためなら寝袋持って張り込む記者も」
野々原の口調は軽いが、その声には警戒のアンテナが確かに立っていた。
「外も問題か」
丸川がため息をつくと、神崎も渋い顔で頷いた。
番組はまだ始まってもいないというのに、
スタジオの中にも外にも、思わぬ火種が転がっていた。




