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10 最強のボディガード、記者はみおくるだけしかできなかった。

 テレビ局のスタジオ入口に、数人の人影が集まっている。

 スーツ姿。カメラは持っていないが、立ち方が記者だ。

 野々原は立ち止まらず、スマホを取り出した。

 連絡先は一人ではない。

 光石、ショーコ、ミサキ。

 送信してすぐ、画面が震えた。

 ショーコ

 《非常口にも記者らしき人がいます》

 ほぼ同時に、もう一件。

 

 ミサキ

 《こちらも確認しました》

 野々原は足を緩め、短く打ち返す。


  野々原

 《どうする》

 返信は即座だった。


 ショーコ

 《丸川さん、神崎さんと雪はスタジオから》

 《光石さんは吹雪と私、ミサキで》

 簡潔で、迷いがない。

 野々原が内容を確認した、その直後――


 ミサキ

 《迎えの車を向かわせます》

 《野々原さんも離れてください》

 野々原は一瞬だけ画面を見つめ、静かに返した。

 野々原

 《了解》

 スマホをしまい、入口の様子をもう一度だけ確認する。

 記者たちはまだ、こちらに気づいていない。

 野々原は何事もなかったかのように歩き出した。

 事態は静かだ。

 だが、完全に包囲される一歩手前だった。


 記者の酒井は最初、非常口にいた、だが、思い立ってスタジオ入口に移動した。

 中に入りたかった、だが、それは叶わなかった。

 「関係者以外はご遠慮ください」

 その一言で中には入れなかった。

 食い下がろうとした。

 だが返ってきたのは、想定外に丁寧で、冷たい説明だった。

 家庭犬です。

 安全には万全を期していますが、万が一のことがあっては、こちらでは責任が取れません。

 酒井は内心で舌打ちした。

 それは局側の都合だと、そう思った。

 そのときだった。

 背後から、低い声が漏れた。

 「非常口に記者がいたぞ」

 「……ここじゃないのか」

 「カメラ、やめとけ、万が一ってことがある」

 「そうだな」

 酒井は振り返らなかった。

 視線だけをわずかに動かし、耳を澄ます。

 どういう意味だ。

 非常口、カメラが危ない?。

 どうして、そんな言葉が出てくる、意味がわからない。

 酒井はゆっくりと身体の向きを変え、近くにいた記者に声をかけた。

 「聞いてもいいか」

 酒井は声をかけた。

 目の前では、記者らしき二人組が、手早くカメラをバッグにしまっている。

 写真を撮るために来たはずだ。

 それなのに、カメラを迷いなく片づけている。

 「ハルクインだ、デリケートっていうしな」

 一人が、周囲を気にするように声を落とした。

 「しかも雌だ、正直、行動が読めない」

 「あんた、でかいから動きが遅いとか思ってないか」

 真顔で言われて酒井はすぐには返事ができはなかった。

 「違うのか」

 酒井がそう返すと、相手は短く息を吐いた。

 「日本じゃ多くない犬種だ」

 「躾も簡単じゃない。プロでも手こずる」

 その一言が、酒井の胸に引っかかった。

 息が詰まるような感覚にとらわれた。

 だが、目の前の記者は言った。

 「相手が危害を加える相手だと判断したら、襲ってくる可能性もある。自分の判断で、な」

 驚きのあまり、酒井は胸の奥がじわりと締めつけられるような感覚に襲われた。

 「中には、威嚇もしない、吠えもしないで向かってくるやつもいる」

 淡々としたその言葉に、背筋が硬直する。

 犬という存在は、危険を知らせてくれるもの――

 そんな先入観が、自分の中に根強くあった。

 だが、その常識がいま静かに否定された。

 「行動にも個体差があるんだよ」

 もう一人の記者が続ける声は、迷いがなかった。

 「家庭犬って公式に出てただろ」

 その言葉でまた少し安心しかけたが、すぐに次の一言がその感覚をかき消す。

 「家庭犬なら尚更だ。出てきたとき隣にいたのが飼い主で、俺たちが声をかけて、飼い主が嫌そうな顔をしたら」

 酒井の脳内で、ぼんやりとした映像が浮かんだ。

 巨大な犬。

 平静を保っていた飼い主。

 そして、自分たち記者が声をかける。

 飼い主の眉がわずかに動く。

 その瞬間、何が起こる。

 そんな酒井を見て、記者の一人が静かに言った。

 「飼い主の態度を察して、守ろうとして向かってきたら、あんた、止められるか」

 その問いのあとに続く沈黙は、答えを示していた。

 記者たちの視線が、無理だろと語っていた。

 酒井は息を吸うことすら忘れかけ、胸が苦しくなる。

 撮影対象として見ていた犬が、急に巨大な“意思ある存在”として迫ってくる。

 人間より速く、

 人間より力が強く、

 誰の制止も効かない瞬間がある――

 そんな現実が、自分の足元で静かに口を開けて待っているようだった。

 汗が額を伝い落ちるのを感じながら、酒井は思った。

 知らなかったでは済まない世界に、自分は入り込んでいたのかもしれないと。


 「そろそろ、行くか」

 丸川が椅子から立ち上がると、

 神崎の足元で伏せていた犬が、まるで合図を受け取ったかのように静かに立ち上がった。

 迷いのない動きで丸川の隣へ寄り添うように並ぶ。

 その姿を見た神崎が、呆れ声でぽつりと言った。

 「おい、ヤクザみたいだぞ、その立ち方」

 笑わせようとした言葉ではなかったが、確かに“迫力”という点では間違っていない。

 一瞬、場の空気がゆるむ。

 ゲスト席の三人は違うものを感じ取っていた。

 茨道は、冗談に乗る余裕もなく口を半開きにしたまま。

 相馬は目線を外せず、固まったように犬の体格を見つめながら、野口は笑おうとしたが、そのまま息を呑んだ。

 三国も無言で目を細める。

 葛城は唇を軽く噛み、視線を逸らせなかった。

 そのとき、光石が声をかけた。

 「頼んだよ」

 犬の尻尾が、わずかに揺れた。

 ただの反応ではない。

 「了解」と言っているように見える動きだった。

  二人の役者と犬がスタジオを去っていく。


 役者と犬がスタジオを後にしたあと、

 三国と葛城の視線は、別の入口へと自然に向いていた。

 そこには、女性と大きな犬、吹雪が立っていた。

 雪を育てた母犬だというが大きいと思った。

 「落ち着いてますね」

 葛城が息をひそめて言う。

 三国は頷くしかなかった。

 警戒も興奮も、一切の揺れがない。

 女性が屈み、吹雪の耳元に短く囁く。

 わずかに耳が動いただけで、吠えも緊張もない。

 そして、女性がその場を離れた瞬間、吹雪は迷わず歩き出した。

 一直線に光石のもとへ、足元へ到達すると自然に身体を寄せるように横についた。

 光石が微笑みかける。

 「頼んだよ、吹雪」

 その瞬間、吹雪は頭を上げ、光石の顔をまっすぐ見つめ返した。

 光石の言葉を理解したかのような様子に三国は息を呑んだ。 


 スタジオ入口で待機していた酒井は緊張を抱えたまま周囲を伺っていた。

 カメラを構えるべきかどうか、いつもの判断ができない。

 撮ってはいけないという、説明のつかない感覚だけが全身にまとわりつく。

 その時だった。

 低く重いエンジン音が場の空気を割り、黒い外車が滑るように敷地内へ進入した。

 国産車とは違う、硬質で威圧感のあるフォルム。

 はっきり言って場違いだ。

 そして、記者全員がその違和感を即座に共有した。

 「有名人、今日、出てたか?」

 「海外ゲストか?」

 「いや、そんな話、聞いてないぞ」

 声は次々に漏れるが、誰も前に出ようとはしなかった。

 むしろ後ずさる者さえいる。

 車のドアが開いた。


 車から降りてきたのはスーツに身を包んだ外国人だ。

 サングラス越しに表情は読めない。

 だが、その動きは明らかに一般客や芸能関係者のものではなかった。

 周囲を一瞥する視線は鋭く、無駄な動きが一つもない。

 沈黙とざわめきの狭間で、酒井の背中に冷たいものが走った。

 番組外の人物。

 事前情報なし。

 外車での乗り入れ。

 そして、訓練された動きの外国人。

 “何かが起きている”、その感覚だけが確信に変わっていく。

 酒井は手の中のカメラを握り直したが、レンズを向けることはできなかった。

 シャッターを切れば越えてはいけない線に触れる。

 自分の中、岸谷としての長年の感が告げていた。

 周囲の記者も、誰もカメラを構えていない。

 「おい……」

 「なんだ」

 「来た、えっっ?」

 その瞬間、酒井は胸の奥が掴まれたような感覚に陥った。

 来たとは何がだ。

 だが、次に続いた声が空気を一変させた。

 「リードつけてない」

 「どういうことだよ……」

 ざわめきというより、低い恐怖の混じった声。

 普段なら煽り立てるように前へ出る記者たちが誰も動かない。

 酒井の鼓動が一気に早まった。

 何が起こっている?

 どうした、犬が来ただけでこんな反応になる?

 理解が追いつかず、思わず建物の中を覗き込もうとしたその瞬間。

 「危ないぞ!」

 鋭い声が酒井を止めた。肩が跳ねる。

 呼び止められただけで、心臓が喉まで浮き上がってくるほど緊張していた。

 そして視線を戻した時、酒井の目に飛び込んできたのは建物からゆっくり姿を現す、大きな犬だ。

 白地に黒のまだら模様の犬。

 スタジオの出口から現れた、その巨大な犬は、一切のためらいを見せなかった。


 周囲を気にする様子も見せない。

 犬はそのまま車内へ乗り込む、迷いがない。

 その姿を見送ることしかできない自分に、酒井は気づいていた。

 直後、スタジオの影から二人の男が姿を見せた。

 日本人だ。

 スーツ姿、だがスタッフではない、かといって、一般人とも違う存在感。

 役者かと酒井は思った。

 だが、声をかける前に二人は車へ乗り込む。

 酒井は、ただ見ているだけだ。

 何が起こっているのか聞くべき場なのに、口が開かない。

 取材の基本さえ思い出せない。

 動こうとしても、身体が命令を受け付けなかった。

 男たちはそのまま車に乗り込み、扉が閉まる。

 外車の重いエンジン音が低く響く。

 動き出す車を前にしても、酒井はただ立ち尽くしていた。

 自分がいつもの報道の現場とは違う場所に立たされていることだけを実感した。


  映画番組の放送後、視聴者たちの間で広がった驚きは、ただの「動物出演」にとどまらなかった。

 「神崎と丸川、いつの間に主役の器になったんだ?」

 「二人とも今まで主役とかなかったのに」

 「出てきた瞬間、驚いた、迫力ありすぎだろ」

 丸川と神崎、どちらかといえば、脇役、バイプレイヤーとして認識されていた。

 しかし今回、犬と共に登場した彼らの姿には明確に物語を引っ張る人物としての風格が備わっていた。


 ファンたちは興奮ではなく、説明のつかない違和感とざらついた驚きを抱え続けていた。

 驚きは犬の雪だけではない。

 共演した役者たちが身につけていた“細部”――そこにも、明らかな異常があった。

 「ロゴがないのに、どう見ても国産じゃない」

 「神崎さんのスカーフとか腕時計、日本物には見えない」

 画面に映る衣装は、どれも上品で派手さはなく、むしろ地味に見える。

 知識がなくても格が違うと理解できるレベルだ。

 「丸川さんヤクザにしか見えない」

 日本のドラマのテンプレではない。

 静かで、もっと深いところを抉る威圧、スーツのシルエットと佇まいに宿っただ立っているだけなのに。

 裏の顔がある男”しか見えない。

 「光石さん、あれは、演技じゃなくて素?」

 「光石さん、雪と一緒に出てきたとき、落ち着いてて飼い主?と思った」

 光石の静けさは、役作りとも演出とも違った。

 隣に立つ巨大な犬の雪を出演動物ではなく共に動く存在”として扱う自然さがあった。

 視線の置き方、歩幅、呼吸の深さ。

 ファンはその異様な調和に震えた。

 「日本の番組なのに、なんで、海外映画のプロモみたいな空気になるんだ?」

 スタジオという現実の場で撮られた映像なのに、

 画面の奥に“もう一つの世界”があるような圧があった。

 それだけではない、雪の首輪に対する関心も注目を集めていた。

 多くの視聴者はあれを美術や衣装部が用意したイミテーション、つまり「演出の一環」だと信じて疑わなかった。 

 だが、番組後に公開された宝石店オーナーの公式メッセージが、その空気を一変させた。

 「あれ、本物だったのか?」

 きっかけはあるファンの投稿だ。

 「公式を見てください、宝石店のオーナーからのメッセージが出てます。一点物、寄贈させて頂きましたって」

 この言葉が火種となり、瞬く間に拡散された。

 「本店はマドモアゼルのことを、ご存知です」

 海外店舗からの文面にファンは驚いた。

 「マドモアゼル? これって雪のことだよな?」

 「犬にマドモアゼルって、もうペット扱いじゃない」

 フランス語で「お嬢様」を意味する。

 まるで人格のような尊厳を込めた呼称、それを海外の一流宝石店が自然に使っているという事実。

 ファンの間に衝撃が走ったのは当然だった。

 それに気づいたファンたちは口々に言った。

 「この犬、本当に現実に存在してるのか?」

 「なんか、見てはいけないものを見てる気がした」

 そして――誰もが、もう一度番組を見返していた。


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