第5章 天才
朝目覚めると自分の部屋じゃない。ユイトが知らない世界の話。
朝、目が覚めると自分の家ではなかった。
この天井見覚えがある。実家だ。
「やっぱりこうなったか」ため息をついた
スマホを開くと知らない名前の人から通知が入っていた。
「松村:本日OA頑張りましょう!」
日付を見ると2023年9月24日(日)となっている。
松村さんとの会話を見る限り、どうやら手伝いをしてくれている人みたいだ。
「松村:機材車は15時くらいに着くので、それまでに会場入りしてくださいね!」
まだなんの話をしているのかもわからない、記憶ではそんなライブをしていないからだ。
見たことないスケジュールアプリを開くと、
今日の予定に<某有名バンド>ワンマンOAと書かれていた。
まじか!と声を発した。
このバンドは知っている。2025年には全国のフェスに名を連ね、
インディーズ史上最速で武道館ワンマンを開催完売させたバンドだ。
確か、俺よりも年齢が5つくらい下だったと思う。
あとでわかったのだが、どうやら同じ事務所に俺たちが所属しているらしい。
事務所側のコネでOA枠を作ったのだそうだ。
バンドの現状を把握しきれないまま、会場へ向かった。
会場に到着するともうすでにリハーサルが始まっていた。
ドアを開けて耳に入ってきたのは、男性なのに美しく透き通った声、
強く芯のあるのびやかな歌、しなやかに動く指先から奏でられた繊細なピアノだった。
思わず息を呑んだ。
もはやギター、ベース、ドラムは入ってこない。
完璧なまでにボーカル1強バンド。
1人で全てを飲み込んでいくような存在感。
本物の天才を目の当たりにして、立つのもやっとの思いだった。
こんなバンドのOAをやるのか。
怖くてたまらなかった。
後ろからジュンがのぞいている。ずっと黙ってみているので何を考えているかはわからない。
羨ましいと思っているのだろうか。
「おー!おまたせおまたせ!」と少しふくよかで、
いかにも下北沢好きそうだなという格好のおじさんが会場に入ってきた。
どうやらあれが松村さんだとジュンの反応をみて察した。
その後ろからリンとユキも入ってくる。
「でっけ〜」と声を上げている。
当時の俺たちからしたらこのキャパシティはでかい。ざっと2.300というところだろうか。
それがソールドアウトするのは、先ほどのリハーサルを見ていたら納得だった。
しかし、どうやらうちのバンドも調子が良いらしく、
4月のワンマンライブ以降軒並み動員が増えているみたいだ。
SNSのフォロワー数もインスタグラム、Twitterどちらももうすぐ8,000人になろうとしているらしい。
自分の記憶では、1000人ほどだったので、5ヶ月で7000人も増えている。
小さな行動の変化と1つの成功でここまで変わるのかと驚いた。
その勢いにつられて俺を除くメンバーも今日のライブへの気合いは凄かった。
絶対に成功するという確信がその目にはあった。
「今日も頼むよ」普段かけられない言葉に戸惑ってしまう。
いつもだったら4人で頑張ろうという感じなのに、背中を預けるという信頼が感じられた。
年下バンドのOAとは情けないという気持ちもありつつ、
ここまで勢いのあるバンドのお客さんに見てもらえるのは光栄なことだと本気でやった。
出来も良かったと思う。この前のワンマンライブと同じ感じの感触。
だが、蓋をあければ、俺のことなんて誰も見ていなかった。
天才の感想でSNSは溢れ、逆に楽器人が目立って見えたのか、
俺たちの感想は楽器のことばかり。
天才の前では、凡人は成長しても叶わないのか。
そう思ったが、元の世界では成長を実感していなかったくらい
ずっと周りより下だとみんなが思っていたではないか。
結局同じ心境になって、これからみんなにも申し訳なさを感じるようになって、
水の中で苦しくもがく生活になるだけ。
誰も幸せにできない未来。
どうして自惚れていたのだろう。いけると思ったのだろう。
今は27歳。バンドマンとしては決して若くない年齢。
もっともっと過去にいかなければ結局同じ結果になるだけじゃないか。
しかも楽曲のラインナップが変わっていない。
それはそうだ。成功したらその方向性で曲作りは進んでいく。
俺は、元の世界でやっていた楽曲が好きだ。
この先で出会えるとは限らない。
だめだ。もっと前からやり直さないといけない。
思った通りに進むかはわからないが、できるだけ過去へ。
東京へ帰る機材車の中で、
終わってからの反応がイマイチだったからか、みんなのテンションが低い。
それは俺も同じだ。だが、少し意味は違う。
帰宅後すぐに眠りについた。
もう一度強く願う、できるだけ過去へ。
最後に見た世界は灰色に染まっていた。
読んでいただきありがとうございました♪




