Episode 16
ミルが来ることを期待しなくなっていた。窓枠の中をミルが駆け抜けるのを見ても、何も思わなくなっていた。
でも、今、ミルが目の前に来てみると、何か胸を満たすものがあった。それは柔らかな温もりを持っていながら、オレを背中から突き抜こうとする視線のような鋭さも兼ね揃えていた。
一つ確かなのは、ミルに触れたいこと。死にたさが部屋の隅で埃をかぶっていると言うのに、あるいはそのせいか、ミルがオレに近づくたびに、その思いが身体を突き破りそうなほどに募っていく。
ミルが鉄格子の反対側の、ちょっと手を伸ばせば届きそうなところに立った。部屋の扉からそこまでは数歩。ただ、そのわずかな時間だけで、幾つもの考えが巡った。
例えば、これは夢なんではないか。オレはついに頭か眼がおかしくなったのか。いまさら来てくれたって嬉しくない。寂しかった。どうして今まで来てくれなかったのか。会いにこないでくれ。こんなオレを見ないでくれ。などなど。
それらは全て、ミルの微笑みに吹き飛ばされた。
オレは目を見開いていた。それなのに、目は潤んでいる。
「久しぶり。しばらく来れなくてごめんね。」
オレは声が出なかった。何か返したいと言うのに。うまく喋れない。なんて言えばいいのかわからない。
「ノゾムと話したいことが、たくさんあるの。今日は特別に、入っていいって先生が。」
ミルはオレに鍵を見せつけてきた。そして、「ちゃんと向こう側の壁で大人しくしててよね」と言って、オレに向かって手を払ってきた。
鉄格子が開くのは、オレがここにブチ込まれたとき以来だろうか。でも、すぐに閉じて、施錠される。
ミルは鉄格子の隙間から手を伸ばし、外の扉へ向かって鍵を投げた。
鍵が扉を叩いた。すると、扉はガチャリと音を立ててから、ゆっくりと開いた。そこから現れたのは、医者の先生だった。
「君があんまりにも言うから、こうしているんだ。それは、街での活躍を鑑みた結果でもある。改めて言うけれど、信頼に背く行為はしないでよ。」
医者はそれだけ言い残すと、鍵を拾って、どこかへ行ってしまった。
その声は、明らかに低く、重たかった。そこから連想されるのは、不信。
鉄格子の開閉で生じた空気の流れは、埃を払うには十分だったらしい。
「もう。せっかく来たっていうのに、アタイよりも部屋の隅の方が見てて楽しいのかしら?」
ミルは真正面から抱きついてきた。そしてそのまま、ベッドの方へ誘導される。
「それにしても、何もないわよね。来るたびにビックリしちゃう。」
ミルの言うとおり、鉄格子の中にあるものといえば、ベッドとテーブルで終わりだ。立って話すのも変だから、オレたちはベッドに並んで座る。
至近距離のミルには、うっすらと疲れが見えた。考えれば当たり前だ。インクレムの襲来がつい数日前まで続いていたんだ。回復魔法なんて、街中に需要がある。
オレに会いにきてくれなかったのは、本当に忙しかったからだ。そうに違いない。そう思いたい。別に、オレに会うのが嫌で気疲れしているわけじゃないはずだ。たぶん。
「ちょっと、聞いてるの?」
ミルが肩をぶつけてきた。さらにもう一度ぶつけてくる。オレはようやく部屋の隅から目を離すことができた。
目が合う。
満足そうな、でも少しわざとらしさを感じる表情。
そこからミルは、かつてのいつものように、色々なことを話してくれた。インクレムのせいか今年は雪が少なくて、作物が心配なこと。とあるインクレムの肉が美味しかったので、オレにも食べさせたかったこと。ドニスの崇拝者たちはその陶酔ぶりのあまり、ドニスが街を歩くたびに人混みができること。その人混みに揉まれるアニマを見るのは、ちょっと面白かったこと。
ローズはザードの家で寝泊まりするようになったこと。ヒナは街中を駆け回るような生活になって、ミルの家に帰ってくることはなくなったこと。
目を覚ますと、寒くてしょうがないこと。
「アタイがノゾムの苦しいところを、癒してあげられればいいんだけどねー。」
ミルは頭をオレの膝に預け、オレの胸元を指でなぞった。
「ミルは十分やってくれてるよ。オレみたいなのに、こうして時間を割いてくれてんだ。忙しいだろうによ。」
オレはミルを肯定したかっただけだ。それなのに、ミルは泣き出してしまった。
「全然、足りないよ。ノゾムはまだ、こんな寂しい場所から出してもらえないじゃない。」
ミルはオレの腰に手を回して、オレの顔を見つめている。
潤んだ目が綺麗だと思った。ボロボロな姿が美しく思えた。オレは最低だ。
ミルは口をキュッと結んで、腕の力を少し強めて、ただ目元を、頬を、オレの膝下を濡らすだけだった。
こんな状態にもなって、オレは言葉を出せなかった。こんな時に限って、涙が出なかった。
「あ、そうそう!今日はちょっとした、いい知らせがあるの。忘れてたわ。何だと思う?」
唐突に、ミルはそんなことを言い出した。顔中を袖でゴシゴシとこすりながら、起き上がって、オレの顔の真正面に笑顔をつくった。
オレにそんなことがわかるわけがないだろう。まだうまく喋れないので、目線で訴えてみる。
「ホラ、頭の中までこんなところに閉じ込めてちゃ、しょうがないでしょ。外してもいいんだから、予想してみてよ。」
ミルは額を、オレの額にぶつけた。オレが答えないでいると、今度は鼻先を合わせてきた。
「ノゾム。たまにはさ、アタイのそばにいて欲しいの。心だけでも。だからさ、何か答えて欲しいな。」
オレは口を動かした。でも、喉を空気が抜けるばかり。その音はミルの耳に届いても、言いたいことは届かない。
いや、言いたいことなんてなかった。本当に何も思いつかないんだ。
オレは泣いていた。ようやく泣けた。オレがあんまりにも惨めだったのか、オレが胸元に顔を埋めてしまっても、ミルは受け入れてくれた。
「・・・ごめんね。今のはちょっとイジワルだったかも。アタイのわがままだね。」
そんなことはない。ただ、オレはそんなことすら口に出さなかった。
「実はね、もうこの街に、インクレムが来なくなったんだって。」
ミルは手のひらを、オレの頭にそっと乗せた。
オレはその手を振り払った。そして部屋の隅へ駆け寄って、うずくまらずにはいられなかった。
だって、おかしいじゃないか。インクレムはKが送りつけてきたものだ。その理由は、アフーラの文化水準の向上であって、それは明らかに達成されていない。それなら、なぜ送らなくなると言うのか。
用無し。そんな単語が頭をよぎる。
「の、ノゾム?どうしたの?」
ミルが後ろから、オレの肩に手を乗せた。
身体の中がうるさくなる。この箱庭が、俺たちの街はもう終わったんだ。ミルも殺されてしまう。
「インクレムが怖かったの?よしよし。大丈夫だから。もう、来なくなったの。安心して。」
ミルはオレの丸くなった背中に覆い被さる。暖かい。でも・・・。
「大丈夫、大丈夫だよ、ノゾム。ノアが教えてくれたの。」
ノア?ノアだって?ノア、ノア、ノア、ノア!またアイツだ。
「ノアが魔法粒子の霧の向こう側を調べてきたんだって。そしたら、アタイたちの街は箱の中の世界で、それはケーが作ったものなんだって。」
あぁ、よく知ってるよ。そんなこと、絶対に言えないが。
「それでね、そのケーってやつがインクレムを送りつけていたみたい。でも、ケーは外の世界で悪いことをしてたみたいで、捕まっちゃって、今はもうケーはこの世界に手出しできないんだって。」
・・・Kが捕まった?
もし、オレが箱庭の外に出ることがなかったら、Kは勝手に捕まっていたのではないか?
部屋の隅、オレの足元で、死にたさが手を差し伸べてきた。背後からは、柔らかな声が聞こえる。
「でも、ケーっていうのは、本当にヒドいヤツね!ソークとウドー、それにあと二人も殺したっていうのよ。捕まって、本当に良かったわ。」
もし、オレが箱庭の外に出ることがなかったら、ソークやウドーが死ぬことはなかったんじゃないか。あの二人、いや、四人を殺したのは、オレじゃないか!
オレがいなければ。誰も死なずに、Kは自滅していたかもしれない。
そういえば、オレがいなければ、レッジは今も生きていたかもしれない。
バカらしい。Kですら、オレの存在を疎ましく思っていたじゃないか。
なら、どうしてミルは、オレに優しいんだ?おかしいじゃないか。
「の、ノゾム?どうしちゃったの?」
ミルは床に座り込む形で、オレを見上げていた。まん丸な目だ。オレが突き飛ばしてしまったんだ。
手の中で、喉元が弾ける感覚が蘇ってくる。オレは慌てて、ベッドの中にくるまった。
「帰れよ!もう、帰ってくれ!頼むから、オレなんてもう放っておいてくれ!」
布団を挟んで、オレを何かが覆う。
ミルの匂い。そちらへ顔を埋めたくなる衝動を抑えて、ベッドに顔を押し付けた。
「ねぇ、ノゾム。ノゾムは、アタイが嫌いなのかな?」
オレは答えるわけにはいかなかった。だって、何かを口にすれば、必死に抑えている何かが暴れ出しそうな気がしたから。
「アタイは、ノゾムのこと、好きなんだよ?ノゾムがして欲しいこと、何でもしてあげたいくらいに。ねぇ、教えて。ノゾムは、何がしたい?」
「・・・死にたい。」
口に出してから、自分の言ったことを理解した。苦しい。ミルにこんな部分を見せてしまった。今更とは思うけれども、どうしてか隠していた部分。
オレに被さっていたものが一つ減った。
そりゃ、そうだ。ただ、あまりにも静かすぎる。物音すらしない。
布団の隙間から、視線だけ出してみた。
ちょうど、ミルと目が合った。合ってしまった。
「そっか。まあ、でも、気持ちはわかるかな。ヘヘ。」
ミルは屈託のない、晴れやかな様子だった。
「アタイも、昔から、周りに人がいるのに、一人で。何だか、空っぽでしょうがなかったの。でも、そんなときに、ノゾムが来てくれた。ノゾムがそばにいてくれるなら、きっと幸せになれる、そんな気がしてたの。」
ミルの顔が急接近。こんなときにも、オレは何も喋れない。クズだ。
「でもね、それはアタイのワガママだもん。ノゾムが苦しいって言うのら、それは嫌。だからさ・・・。」
ミルが顔を布団の中に入れて、オレとの距離がゼロになる。そして、離れた直後、こう言った。
「一緒に死んじゃおっか?」
オレは、ミルに泣きついた。布団から飛び出して、ミルの足元に抱きついていた。
「よしよし。気づいてあげられなくてごめんね。ノゾムの魔法なら、アタイの身体の中の魔法粒子で、一緒に死ねるんじゃないかな?いつでもいいよ。今日じゃなくてもいい。」
ミルはまだ、オレの頭を撫でてくれている。不思議と、このときは、生きてていいと思えてしまった。
そのとき、鉄格子の向こうで、扉が乱暴に開かれた。
医者が現れた。
「ちょっと、先生?!しばらくは二人にしてくれるって言ったじゃない!」
ミルが叫ぶ。すると、医者はため息をついた。
「あぁ、そのつもりだったよ。とは言え、医者としての責任というものがある。だから、念のために聞き耳だけ立てておいて、忘れるつもりだったさ。何も問題がなければね。」
「アンタに何がわかるっていうのよ?医者だっていうのに、ずっとノゾムは苦しそうにしてる!何を偉そうに、盗み聞きなんて!」
ミルは性格が変わってしまったようだった。目の前で取り乱したことはあれど、なんかこう、おかしい。
「まあ、そう言いたくなるかもね。ただ、ミル君。今やノゾム君だけでなく、君にも何かしらの治療が必要なようだ。」
ミルは鉄格子を、両手でブン殴った。
「変なこと言わないで!アタイはもう、ヒナにちゃんと治してもらったわよ!」
「身体は、だろう?」
先生がそう言うと、ミルはハッと、オレの方を見てきた。
「ち、違うの、ノゾム。アタイは別に、アンタがツラい思いしているのが、嘘だって言ってるわけじゃないのよ?えっと、その・・・」
「とにかく、君はしばらく、ノゾム君との接触を禁じさせてもらおう。このままでは、君が壊れてしまう。」
医者が扉の方を向くと、そこからアニマとヒナ、ローズ、そしてザードが現れた。
医者が扉を開き、残りの四人がミルを鉄格子から引っ張り出した。
「いや、嫌!ノゾム!ノゾム!」
ミルがオレへ手を伸ばす。必死にもがきながら。
ミルが扉の向こうへ行ってしまってから、しばらくはその叫び声が聞こえてきた。
その間、オレは動けなかった。動いてはいけない気がした。
だって、先生はあんなことを言っていたのだから。
ミルは壊れてしまった。オレに出会ったせいで。
意識が身体に戻ったとき、鉄格子はもう閉まっていた。扉も閉まっている。
医者は去り際に、「君は気にしなくていい。治療に専念してよ。」なんて言っていた気がする。
・・・何のために?
・・・・・・・・・・・。
書ききれました。
投稿するたびにPVをつけてくださった皆様のおかげです。ありがとうございました。
この後にエピローグが入って完結となります。つまり、エピローグ読まない派の方々には、これが最終話です。
感想、評価を貰えると嬉しいです。新しい物語の構想を練っているので、それが早くなるかもしれません。
では、ご縁があれば、また会いましょう。




