Episode 10
指定の場所は、大した目印はないのだけど、シミュレーションとかいうやつでバッチリ頭に叩き込まれていた。
Kが用意した平らな板の表面上に、アフーラの中で立っているような風景が映し出されていて、コントローラというものをいじくると歩いているかのように、その視点を移動させることができた。
オレがここまで小さくなければ、もっとまともな道具が使えたのに、とKは嘆いていたっけ。
シミュレーションは何回失敗しても、やり直すことができた。Kの指定するルートから一定以上外れるたびに、おれは板に映し出された、ミルの部屋を飛び出していた。
今思い直せば、オレの生活習慣を把握されているということだったのだろう。役立たずの烙印を押された、オレですらコレなのだ。ミルはどうなのかと考えれば、ゾッとする。
だからこそ、失敗ができないかもしれないこの状況が、怖くて仕方がなかった。
Kが見切りをつけて、この世界を壊してしまうんじゃないか。Kの機嫌を損ねることすら、許されないのではないか。
指定の場所まであと少し。
ミルの家を飛び出した直後は、頭が真っ白になって、呼吸が荒々しくなっていたけれど、今は思考の流れが落ち着いてきていた。でも、そのせいで返って、現実の重みを直視する羽目になった。どちらがマシかと言えば、前者だろう。
何十回も見た風景。ここで間違いない。
ただ、ここで何をすればいいのかがわからない。Kは、行けばわかる、と言っていた。
でも、何も見当たらない。遅かったのだろうか。
当てのない探し物をしていると、どうしてか、胸が軽くなるのを感じた。
いや、理由はわかる。もう、何もかもが終わったからだ。
今からミルのそばへ行って、全てを洗いざらい吐いてしまおうか。
いや、Kが見ていたらどうする?もう関係ないか。
ミルは「仕方ないね」と言ってくれるだろうか。怒りに任せて、オレを殺してくれるだろうか。
頑張ったねと、抱きしめてくれるだろうか。それとも、泣き崩れてしまうだろうか。
どれでもいい。いや、良くはないだろうけど、Kの操り人形よりはマシだ。崩壊までを楽しんでしまおうじゃないか。
そう思って、来た道を戻る。
一歩。たった一歩進んだだけだ。オレは何か、気持ちの悪い踏み心地を覚えた。
鼓動が早まる。呼吸の仕方がわからない。
まぶたがまばたきをした。
身体の自由がなくなって、オレは地べたに尻をつけた。すると自然に、踏んづけたものが目に入る。
それは、肉の塊。あの肉の木の枝だった。炎を吐き出していた方ではなく、あの薄灰色のやつだ。
こんなものが、アフーラにあるわけがない。Kだ。
オレは肉の枝を手に取った。手に取るしかなかった。
表面はヌメリとしていて、オレの手首には何か伝うものがあった。
肉の木は、大地の恵みのエネルギーを吸い取ることで、魔法を発動させていた。これはソークたちの死んでしまった身体を突きつけられた後、わざわざ、改めてKが説明してきたことだから、間違いない。
オレは肉の枝に、魔法粒子を流し込んだ。
予想は当たったようだ。Kの言葉の単語が、一つずつ流れ出した。
「1、時間、後。襲撃。誘拐。2。手伝う。」
Kから何度も問題を出されたから、その意味は容易にわかった。まあ、今回はそのままだが。
要するに、1時間後にインクレムが襲来して、そこでアンスローを2体ほど誘拐するから手伝えとのことだ。
誘拐の対象について指定がないから、誰でもいいのだろう。もし条件があるならば、Kなら言うだろう。
ん?ちょっと待て。1時間後って、いつの1時間後だ?
普通に考えれば、集合時間の1時間後か。つまり、13時。
今何時だ?頭が、中身が膨張するような感じで痛み出す。
落ち着け。あのシミュレーションは移動時間が表示されていた。かかる時間は、大体、15フン20ビョウ。
えっと、フンが時間の60分の1で、ビョウは・・・なんだったか。
思い出せない。身体中が熱くなってきた。
しかしそれ以上に、肉の枝の温度が上昇していた。オレはそれを床に叩きつけてから、熱かったんだなと知った。
直後、枝が燃え上がり、あっという間に塵も残さず燃え尽きてしまった。
一方のオレは燃え尽きることもなく、頭を懸命に働かせる。
汗が止まらない。ミルの家を飛び出したときは、そんなに暑くなかったのに。
「・・・ここで何してるんや?」
いつの間にか、背後に誰かが立っていた。
振り返らなくてもわかる。マーチャだ。
「オマエこそ、こんなところに何しにきたんだ?」
ダメだ。声の震えがおさまらない。
「ウチか?ウドーとソークの魔力をこのあたりから感じたから、駆けつけたんや。アンタがフラフラしてたくせに、スヤスヤと寝てたもんだから知らんかもしれへんが、あの二人、ずっと姿が見えないんやわぁ。」
あの枝は、肉の木は、ソークとウドーの魔器官から作られている。これはKから説明されたわけではないが、流石に察せざるを得ない。だから、確かに、魔法を発動させた時に、あの二人の魔力を発していてもおかしくはない。
「いや、見てねぇな。この辺で感じたって言うなら、気のせいじゃねぇか?オレはなんとも感じなかったぜ。」
実際、何も感じなかったのは嘘ではない。気が動転している自覚はあるが、オレの魔法の性質上、魔力の感知能力はずば抜けているはずだ。
こめかみに、鈍い音と共に衝撃が走り、そのまま地面に叩きつけられた。
オレは反射的に起き上がり、マーチャの方を見てしまった。
マーチャは無表情だ。でも、身体中を魔法粒子が激しく流れている。体表の至る所から炎が吹き出していて、それはアンスローの形をした火だった。
暑い。暑くてしょうがない。
地面には燃えるものがないというのに、マーチャから溢れ出した炎がゴウゴウと燃え続け、オレを囲っていた。
舌先から喉の奥まで、水分を搾り取られているようだった。
マーチャが近づいてくる。さらに暑くなる。
呼吸は余計に苦しくなって、身体を蝕んでいく熱を歓迎してしまっている。
マーチャは片手でオレの胸ぐらを掴み、互いの顔を近づける。
その目元は腫れぼったく、ほのかに黒みを帯びていた。
「アンタ、さっきから様子が変やなぁ。何かに怯えているような。なぁ、何、隠してるんや?」
オレが答えずにいると、炎を纏った拳を、オレの頬に勢いよくぶつけてきた。
「ソークとウドーがいなくなったあの日、アンタは魔法粒子の霧から飛び出てきたよなぁ?何してたんかなぁ?」
今度はオレの沈黙を待つことなく、マーチャは拳を撃ちつけてきた。
そして、追加で、1、2、3発。マーチャの低い唸り声と共に衝撃がやってくる。
「ハァ、ハァ・・・。なんか言えや、このウツケがあぁ!あああああああぁ!」
胸ぐらを掴む手が開き、オレは地面に背中を打ちつける。でも、それは開放を意味するわけではなく、マーチャは両手でオレの顔面を殴り出した。
ひたすら殴られ続ける。ものすごく痛い。でも、なんだかホッとした。
マーチャの手が止まってしまった。そして、気温が下がる。
うっすら目を開けてみると、そこにはもう、マーチャはいなかった。
胸騒ぎに従って、街が見えるところまで走った。
インクレムがいる。いつものように、街の外から歩いてきているわけではなかった。
今回のヤツは例を見ない、空を飛べるインクレムだった。だから、いきなり街中が戦場となってしまった。
ソイツらは炎を吐くようで、街中が燃え盛っていた。
遠くの紫のモヤから、次々とインクレムが現れる。
マーチャはもう、街の真ん中あたりで戦っていた。
マーチャは強い。だが、今回ばかりは厳しい気がする。あのインクレムそれぞれが、炎を吐き出すたびにソークの魔力を感じさせるのだ。あのインクレムは、ソーク由来の肉の木から作られたんだ。
というか、見た目にそれを隠そうとする意思が見られない。街に近づくにつれて、インクレムの姿が細部まで見えるようになってきた。
それは、アンスローの皮を余すことなく剥いだような見た目をしていた。ただし、目や爪だとか髪といったものはなく、肉しかない。その背中には腕のような肉の枝が1対、生えていて、それを羽ばたかせている。それで飛べるような構造には見えないが、どうしてか空を飛んでいた。
マーチャの炎が弱々しい。実際にはとんでもない威力ではあるのだろうが、さっきの剣幕から滲み出る熱量とは比べ物にはならなかった。地面から空飛ぶヤツらを攻撃するのだから、余計に火力が足りていない。
他のヤツらの大部分は、空を飛ぶ相手などできるわけがなかった。インクレムから逃げ回りながら、火を消すのに精一杯だった。アフーラの魔法はほとんどが水であるのにも関わらず、炎の方が優勢だった。それなのに、インクレムはまだ増える。
消化活動の指揮をする、王と目があった。王は一瞬動きを止めたが、すぐに仕事の戻った。そりゃそうだ。
ドニスがいた。ドニスの背には立派な羽が生えていて、戦場を飛び回っている。しかし、ドニスは戦っているわけではないようで、アニマを抱えて飛び回っているだけだった。
アニマは見たことのない生き物の器官を次々と作り出しては、インクレムどもを薙ぎ倒していた。どうやら、こんなときだというのに、アニマの魔法の練習をしているらしい。
ノアも戦っていた。アイツは急に空中に現れては、インクレムを消し去って、姿が消えたと思えば、また別のインクレムの背後に姿を見せて、またまたインクレムを消し去って、というのを繰り返していた。
そういえば、ザードがいない。と、思ったら、アイツは街のヤツらに混じって消化活動に専念していた。その隣にはローズがいて、氷の壁でインクレムの炎から民を守っていた。それだけでなく、隙を見つけては氷のツタを伸ばして、インクレムの胸元を貫いていた。
普段戦わないようなヤツらも、消火活動に精を出している。
皆んなが、一丸となって、街を守っている。オレ以外の皆んな。
当てもなく走り回るオレに構うことなく、オレなんてまるでいないみたいに、皆んなは必死だった。
Kに見られている気がして、空を見た。
ノアたちは順調に倒しているように見えていたが、インクレムの数が全然減っていない。それどころか、徐々に増えている。
空をインクレムに支配されていく。街が、影に覆われていく。
街に広がる炎が、綺麗だった。
もう走りたくなくなってしまった。崩れた建物の陰に入り、座り込んだ。
すると、あたりを轟音が包み込んだ。ボロボロになった壁の隙間を覗いてみる。
インクレムどもが一斉に、喚き出したのである。すぐ近くから遠くの空までインクレムが分布するので、鳴き声のうなりが頭に重たかった。
鳴きわめくインクレムは、ウドーの魔力を帯びていた。あのKが、意味もなく、ウドーの音の魔法を組み込むわけはなかった。
それは、オレにしかわからない音の並び。つまり、Kの言葉があたりに響き渡っていたのである。
動け。
そんな意味が、空気を揺らす。でも、もう動けない。
しかし、オレを隠してくれた壁が炎に包まれて、跡形もなく消えてしまった。必死に消火活動をする皆んなを目の前に突きつけられる。
もう、オレは走るしかなかった。
インクレムの鳴き声は次々と変わっていった。
まっすぐ。右。右。左。まっすぐ。まっすぐ。止まれ。家。右。入れ。
やっぱり、Kはオレのことを見ていた。指示通り、オレは右手にある家の中に入った。
「うぅ・・・。誰かいるのか?助けて、くれ・・・。」
今にも消え入りそうな声だった。ソイツは起き上がることもできないようで、オレの方を向きもしなかった。
一方で、オレもソイツをなるべく見ないようにしていた。だって、こんな戦禍の中で、助けてくれなんて言うヤツだ。まともな見た目はしてないだろうよ。
そもそも、オレには何もできない。
「おい、誰かいるんだろ?頼むよ・・・。ホラ、ワタシはあと少し持ちそうだけど、反対側にいるソイツはもう、魔力が消え去りそうなんだ・・・。」
思わず、死にかけの声の反対側を見てしまった。
服はほとんども燃え尽きてしまっていた。露わになった皮膚は、真っ黒だったり、ブツブツと水脹れができていたりと、まさに、もう死にますと言わんばかりの状態だった。胸も肩も、ほとんど動いていなかった。
この家は、オレが入ってきた方と逆の部分は倒壊してしまっているようで、ソイツと外の戦火を繋ぐ、途切れ途切れの赤い道標があった。
潰れてグチャグチャになった水脹れを見つけてしまった。
言葉が出る前に、吐いた。
オレに話しかけてきたヤツも、もう何も言わなかった。
呆然としていると、目の前にインクレムが現れた。
ソイツはさっきとは打って変わって、オレにだけ聞かせるように鳴き出した。
入れろ。
ソイツは自身の後ろを指差しながら、そう言った。目を凝らしてみると、そこには箱があった。Kがオレを捕えるのに使っていた、あの透明な箱だ。
ソイツがまた、入れろと言う。
オレにやれというのか?なんのために?このインクレムは、そんなに非力じゃないだろうよ。
ただ立ち尽くしていると、インクレムが近づいてきた。
家の陰に入ってきて、初めてソイツがホンノリ光っていることに気がついた。おかげで、そこに転がってる二人の顔がよく見えてしまう。
ミル。
インクレムは、オレの耳元でそう言った。
気がつくと、あの二人は透明の箱に入れられていて、インクレムはそれを持って街の外へ飛び去っていった。
透明な箱の側面の一つで、何かをぶつけたかのような、薄い赤の模様が溶け出していた。




