Episode 7
ただひたすらに、壁に沿って進む。あたりは相変わらず紫の染まっていて、時間すらわかりやない。
入ってから少ししか経っていないかもしれないし、ずっと後を追ってくるソークやウドーがもうすぐ死ぬくらいの時間が経っているかもしれない。
もう、街がどの方向にあるのかなんてわからない。手のひらへ伝わる、壁の冷たい感触だけが、自分の位置を囁いてくれる気がした。
歩く。歩く。歩く。歩く。
もう、誰も喋らなかった。
さらに、歩く。歩く。
まだ、二人はオレを追い続けている。コイツらを突き動かすものは一体何なのだろうか。ずっとわからない。
息が苦しい。殺風景な風景もあってか、オレは考えるのをやめていたらしい。
壁の感触が変わっただけで、オレは叫んでいた。
「こ、今度は何が出てきたって言うんだよ・・・。」
思わず口から出てきた言葉に、期待通りに誰も答えない。
縦にまっすぐ、溝があった。それを上に辿っていくと、溝を跨いで何かがくっついていた。
薄い金属の板のようなものが張り付いている。それは溝に沿って二つに分かれて、これらを繋ぐ丸っこい構造がある。
それは、扉の開閉に必要な、あのパーツを想起させた。
オレたちが生きてきた世界には外側があって、誰かがここを通して出入りをしていると言うのだろうか。
いや、馬鹿げている。街のヤツらは街の中で産まれたヤツばかりのはずだ。過去を見たって、それは空間魔法による移動であって、こんな扉が出てくるような話ではない。
「・・・インクレム。」
思いついたときには、口から出ていた。まさか、この扉からインクレムが侵入してきているのか?今は閉まっているところを見ると、誰かが開閉して、誘き寄せている?
どちらにせよ、さっきチラリと見えた時から、外の世界が気になってはいたんだ。
これが扉であるならば、それは巨大であって、こちらに開く構造になっているはずだ。だから順当に開けるのであれば、オレは手も届かないような高さにある取っ手を掴んで、いくらともわからない重さを引っ張ることになる。
それは不可能だ。だったら、ドアを吹き飛ばせばいい。
幸いにも、オレの能力は何かを壊すのには向いている。壁は少し怪しいが、蝶番を歪ませるくらいなら十分だろう。扉を完全に吹き飛ばせるかも確信はないが、少しばかり隙間を作ることはできるはずだ。
オレは魔法粒子を操作しようとした。しかし、いつものように動かない。
それは当然だった。ここは気が狂いそうになるほどに、魔法粒子が密集している。したがって、魔法粒子同士の斥力は無視できないものとなり、速度を上げるなんてもってのほかだ。
ここで、ソークたちが追いついてきた。オレはボケーッとするあまり、コイツらが遅れていたことに気づかなかったらしい。
ソークは、オレとほとんど同じように、壁の溝、そして蝶番のようなモノを触って確かめ出した。少しムカツく。
直後、轟音。また、ソークが魔法をブッ放したようだ。
紫のモヤの中、またポッカリと穴が空いた。蝶番が落ちる。
遠く、上の方で、また激しい音が響く。そして、また巨大な蝶番が落ちてきた。
呆気に取られていると、扉らしきものがゆっくりと倒れていることに気がついた。ソークの攻撃のおかげだろう。その方向はオレたちとは逆の方向だった。
次第に、速度を増していき、直方体が地面に叩きつけられる。下敷きとなった空気が押し出され、紫雲を押し出した。おかげでそれなりに周囲を見渡せるようになったが、アフーラは影も形も見えなかった。
ミルは今頃、何をしているのだろう。アフーラのありそうな方向を見ながら、そんなことが頭によぎった。
ハッとして、一つ深呼吸を強制。オレはあそこに戻りたいっていうのか?目をぎゅっと瞑って、自分に問いかけた。
次に目を開いた時、紫がすぐ目の前に迫っていた。
さっきまでずっと浸りっぱなしだったはずの霧。急に、背中から胸の内を鷲掴みにされるような感覚を押し付けてきた。
オレは、ソークがこじ開けた真四角の穴へ逃げ込んだ。
壁に寄りかかって、呼吸を整える。そのすぐ横では、ソークとウドーがグッタリと倒れ込んでいた。胸の辺りが激しく波打っていた。
この背中の壁は、アフーラとオレを隔てている。ただの事実が、事実以上に感じた。
帰りたい。急に帰りたくなった。
しかし、すぐそばで、紫雲がちょっとはみ出ては、空気に溶け込んでいく様子を見て、何か別の感情が上塗りされてしまった。
「ふヒャヒャ・・・。ここが、ゴールなんだろ?オレたちが帰るまで、扉を閉じて待とうとしたんだろうが・・・。そうはさせねぇよ。」
ソークは呼吸をヒューヒューと鳴らしながら、その隙間を縫うように、空に向かって言い放った。
口から赤いものが垂れていることに、ソーク自身は気づいているのだろうか。あれだけ無茶な魔法を2回も使ったんだ。もう身体のどこかが魔器官のついでで、ぶっ壊れてもおかしくはない。
なのに、なんだよ、あの清々しい笑顔は。
自分の顔に浮かぶ表情がどういうものかを理解してしまう。オレはソークたちから顔をそらした。
目があった。
それはオレたちと姿形は似ているけれども、デカかった。オレたちを手のひらで覆い隠せるくらいに、デカかった。
巨大な手が迫り来る。
体格差がありすぎた。オレたちは抵抗する暇もなく捕まってしまった。
ソイツは筒を通してオレたちをジロジロと観察し出した。筒の中に張られている透明な板が、巨大な瞳を写し出していた。
「クソッ、新種のインクレムか?!」
オレは必死に抜け出そうともがいた。ソークとウドーは役に立ちそうにない。既にボロボロな上に、この空間には魔法粒子がほとんどないせいで、魔法など使えそうにないからだ。
オレはどうにか見つけた、たった一つの魔法粒子を捕まえる。でも、一つじゃ意味がない。追加でもう一つ流れてくるのを待つしかなかった。
「暴れる、な。オマエたち、は。落ちる。それで、死ぬ。」
驚くことに、ソイツは言葉を喋った。オレたちにそっくりな見た目から、それは自然なことに思いそうになるが、単語一つ一つを思い出す様子が、翻ってそれが不自然であるということを気づかせてくる。
ソイツはオレたちを掴んだまま、何かを探しているようだった。
見渡す限り真っ白で無機質なこの空間の端に、巨大な体にぴったりなテーブルがある。その天板の下に、引き出す形の収納スペースがあって、ソイツは片手でそこに入った紙をペラペラとめくっていた。
その紙は何かの文章やら図が書かれているように見えはしたが、とても読めそうになかった。字が汚いとかいう以前に、そもそもちゃんと言葉を扱えていない。どこを見てもあるのは文字風の記号ばかりだった。おそらくコイツは、オレたちの様子を眺めていて、それをバカなりに真似ているのだろう。
魔法粒子はまだ見つからない。ソークたちは気を失っているようで、役に立ちそうにない。
いや、役に立つかもしれない。二人の体内から、魔法粒子を引っ張り出せばいいじゃないか。
紙をめくる手が止まった。探し物が見つかったらしく、ソイツは一枚の紙を取り出して、視線を紙上で往復させ始めた。
度肝を抜かれた。そこに書かれていたのは、ちゃんとした文章。
「私はオマエたちの言語をまだ完全には習得していない。だから、聞き取りづらいかもしれないが、どうかご了承いただきたい。」
驚くことに、ソイツは紙に書かれたことを、完璧とは言えないものの、さっきよりはずっと流暢に話し出したのだ。よく見ると、その紙には、文章と並行な記号の列が小さく記されていた。これで読み方をメモしているのだろうか。
「聞きたいことは、ただ一つ。お前たちの中で、人格を付与するような魔法の使い手はいないか。お前たちの世界で、数千年以上前に実在した魔法だ。」
そんなこと、知ったことではなかった。そもそも、コイツは「聞きたいことは、ただ一つ」なんて言ったんだ。だったら、少なくとも、答えるまではオレをぞんざいに扱うことはないだろうよ。
それにしても、さっきから探しているのに、ソークにも、ウドーにも、魔法粒子が微塵も残されていなかった。
そうか、この空間は魔法粒子がほとんどない。この役立たず二人が意識を失っている以上、圧縮なんてしているはずもなく、魔法粒子は体外へと発散してしまったんだ。
「クソッ!」
また空っぽな空中で、魔法粒子を探す羽目になってしまった。
「ふむ。お前は『うんこ』と言ったのか。いや、聞き間違い、だろうか?漏れそう、なのか?手の中、は、私も、好きではない。それとも、それは単に、罵る、言葉、か?私の言語でも、同じ。」
一つでいい。魔法粒子が一つでも流れてくれば、すぐ目の前の、気色悪い目玉に穴を開けてやれる。
「おい、頼むよ。答え、ないと、わからない。もしや、私の、発声が、悪い?」
すると、オレたちを拘束する巨大な手は、さっきの紙へと突きつけられた。目を離しているうちに紙はテーブルに置かれていたようで、自由になった手の指先が、その文章の一部をコンコンと叩いた。
オレがそっちを見たのを確認したのか、上から下へと、順番に文章を指していく。内容は、さっき読み上げられた通りだった。
そして、まだ読み上げられていないところへ、指が移動する。
「答えろ。」
そう書いてある。でも、オレに答えるメリットはない。
さらに指が下に移る。文字がデカいから、追うだけで一苦労だ。
「私は、お前たちの住む世界を壊すことだってできる。」
指がそんなことを指し示した。
ハハ、あり得ねえだろ。
ちょっとばかり呆然としていると、上の方で、指を鳴らす音が聞こえた。そこには、ある方向を指し示す手があった。もちろん、この図体のでかいクソヤロウの手だ。
その方向は、ちょうどオレたちがこっちの空間へ出てきた穴があった方だった。改めて見てみると、ゾッとする。オレの視覚が正常であるならば、こんなことがわかる。
つまり、オレたちの街は、この無機質で正確な直方体の、箱庭の中の世界だったんだと。
ところで、ヤツの指し示す方向は、もっと上の方だった。恐るおそる、視線を上げていく。
この空間には、天井があった。そしてそこから、薄い板が吊り下げられている。指が示していたのは、おそらくこの板だ。
その板上は、いくつかの区画に分けられていて、その一つひとつに、アフーラのどこかしらが映っていた。
また、指を叩きつける音。さっきの紙の方だ。
「私は、お前たちの住む世界を壊すことだってできる。」
オレたちと同じ大きさほどの指が、念を押すように、追加でその文章を叩いた。恐ろしい想像が頭をよぎった。
加えて、頭の中で、この文章が何度も再生される。どうしてか、オレの声で。
「答えろ。」
再び、その文章へと指が移った。
「・・・聞いたこともねぇよ。第一、そんな役に立ちそうにもない魔法なんて探してどうすんだよ。」
そう言った直後、オレたちを握る手が震え出した。握る力もちょっと強くなる。
握りつぶされる。そう思った直後、オレたちは、箱の中に押し込められた。
それは、無色透明の薄い板からなる、オレたち三人が入れば窮屈に感じるような直方体だった。
唯一、板がなかった上面は、ここもまた無色透明な板が被せられた。
カチリと、何かがハマるような音に、閉じ込められたということを理解させられる。
「言葉に、気をつけろ。」
上からギョロギョロと、二つの目玉がオレを睨みつけていた。
もちろん、オレはここから出ようとした。ただ、どんなに叩いたところで、この空気のように透き通った壁は、びくともしなかった。
そんな感じで暴れ回っていたというのに、ソークもウドーも起きやしない。役にたたねぇ。
ここに突っ込まれる勢いで、せっかく見つけた魔法粒子も見失ってしまった。
一通り思いつくことをやっても全て無駄だった。座り込んで、焦りを落ち着けようとする。
ちょうど目の前では、あのでかいヤツが紙の束を眺めていた。そして、時折、オレたちと紙を交互に見ては、ため息をついて、次の紙へ目を通していた。
急に、ドッと疲れが湧いてきた。
無理もないか。魔法粒子の霧をずっと歩いてきたんだ。オレがこんなにピンピンしているのが不思議なくらいだ。
ソークとウドーを押し出して、どうにか横になれるスペースを作る。
二人に背を向けて横になると、ちょうど、天井から吊るされている、あの板が目に入った。
ミルがいた。
止まっているのか?いや、よく見れば、微妙に動いている。時間を遅くする魔法でもあるのだろうか。ミルは無事なのだろうか。
あたりが暗くなった。
振り返ると、ヤツがこちらをニヤリと笑いながら、こちらへ影を落としていた。
「ソーク、ウドー・・・。なるほど、こいつらは、使う、できそうだ。」
そう言うと、ソイツは蓋を開き、その二人を取り出して、またすぐに蓋を閉めてしまった。
「オイ、何やってんだよ!」
オレは壁を必死に叩きながら、できる限りの大声を出した。
「・・・うるさい、ノゾム。お前は、使えない。」
そう言い残すと、ソイツはスタスタとオレから離れていってしまった。
そして、今の言葉で胸を突き刺されたような錯覚。
どうやらオレは、二人の身を案じて叫んだわけではなかったようだった。
一体、何がソイツらにあって、オレにはないんだよ・・・。




