Episode 3
オレは夜が好きになった。小さい頃はそうでもなかったのに、いつの間にかそうなっていた。
窓の外はただただ真っ暗で、どこか安心を覚える。そんな、呼吸がラクになる時間。
感覚器官に届くのは、この時間に似つかない灯り、木のジョッキが頻繁にぶつかる音、ムダに大きな笑い声、そして、他人が大騒ぎした時に漏れ出る熱気と湿度。オレは今すぐ、酒場から抜け出したかった。
もっとも、ミルの回復祝いに付き合えと言われて断れるわけがないし、途中で抜け出すなんてもっての外だ。最悪なのは、ノアの帰還と戦果を喜ぶ宴と被ってしまったことだ。
街のヤツらはあの日から、つまり、オレが自爆上等でインクレムに突っ込んだ日から、オレが存在しないように振る舞うようになったような気がする。それ以前は、ヒソヒソと陰口で楽しそうにしているのを小耳にはさむことはあったが、それすら無くなった。だから、オレが座っているこの隅っこの席は、アイツらの世界には存在しないのかもしれない。
そうであれば、ノアのヤツも世界から消えているだろう。最初の方はノアのやつをチヤホヤしていたものの、今では誰もが好き勝手に飲み食いするだけだ。当人は一人で、楽しそうに肉を頬張っているが。
入り口からまっすぐ進んで奥の方にあるカウンター。その裏方から、次々に焼いた肉が運ばれてくる。肺の奥にこべりつくような臭みを抱える脂っこい臭いが、ヤツらに言わせれば酒に相性抜群の最高の匂いが、酒場中に充満していた。ここまで不快な臭いはそうそうない。おそらく、羽毛のインクレムの死骸で無事だったモノを使っているのだろう。臭いの感じが、レッジの家で見た記録とも一致する。
「ノゾム!」
現実に引き戻される。オレは隣に座る、ミルの方へ視線を移した。
「何、ボサッとしてるのよ!今日はとことん飲むって言ったわよね?」
ミルはオレの背中をバシバシと叩きながら、不安定な体幹をどうにか制御しながら、オレの耳元へと口を運ぶ。そして、「ソッチは見なくて大丈夫だから。」と耳元で囁いた。
ほんの少し離れて、ミルの顔が視野におさまる。その慈しみとも言えそうな表情が胸の中をかき乱してくる。オレはそっと、テーブルの陰でミルと手を重ねた。
「フフ、ミル様は素晴らしいお方ですね。」
ミルの正面に座る、ノアが連れてきた一人が上品ぶった笑いを見せた。名前は確か、ヒナ。
「ふぇ?なんの話?」
ミルの横顔がキョトンとしだす。テーブルの下では、ミルの手がオレの手をニギニギといじりだしている。
「そちらの、ノゾム様、でしたよね?こちらに来てからずっと、何かに怯えていたようでしたのに、ミル様がちょっと声をかけただけで、平静を取り戻してしまいました。ワタクシにはとてもできない芸当です。」
ヒナはのほほんと言った感じで、酒に口をつける。オレはミルの手を握り返した。
そこからは、ヒナとミルのほめ合いが続いた。オレは外の喧騒を酒と手の温もりで誤魔化しながら、その様子を眺めていた。
そしてもう一人、オレの目の前に座っているヤツも黙って二人のやりとりを眺めている。コイツの名前は、ローズだったはずだ。飲み始めはヒナに泣きつくばかりで、意味がわからなかったのだけれど、酒を6杯かっこんだくらいで、ヒナを穏やかに見つめ始めた。ヒナが特に気にしないところを見ると、きっといつものことなのだろう。でも、その瞳が時折、オレの方に向くのはやめてほしかった。
「ところで、ノゾム。アンタ、結構、レッジに可愛がられてららしいなあ。話聞かせてくれへんか?」
ローズの話し方は、マーチャを想起させる。オレは何かに怯えながら、そっと前を見た。
ローズは頭を机に突っ伏したまま、すっかり空になったジョッキをいじくりながら、オレの答えを待っていた。
「フッ。ヤツは問題ばかり起こすクソガキやったからな。オマエに不都合な意味で可愛がられていたというところやろうか。」
オレが答えを探しているのに、ほとんど待つことなく、ローズは一人で話し続ける。
「そんなことねぇよ・・。レッジは、オレに、すごく良くしてくれた。オレは、レッジがいなきゃ、きっと今よりクズだったろうよ。」
言葉にしてからハッとした。どうしてミルの酒癖の悪さを見ておきながら、オレは酔っ払っているというのに何も構えずしゃべってしまったのだろうか。
ミルが寄りかかってきた。「そんなことないってぇ」とケラケラ笑いながら、オレにぶつかってきた。それを見てヒナが、「謙遜しすぎですよ」と返す。そのまま話し続ける二人。どうやらミルは、オレたちの話を聞いていたわけではないらしい。
「ふむ。大して交流もないアンタのことなんて、知るわけがないわな。・・・せや!表でて、ちょっと戦おうや。」
「いや・・・、なんていうか・・・。オレは戦いなんてできない。」
まだしゃべっている途中だったのだけれど、気がつけばローズに連行されていた。ローズから生えた氷のツタに縛られて、身動きが取れない。
「まあ、そう謙遜するもんじゃないわぁ。ウチの方がそりゃ、経験豊富ではあるけどなぁ。ま、魔力をぶつけた方が、見えるものもあるやろて。」
ローズはとても楽しそうだ。その背中に、レッジの姿が重なる。「次はあの本を読んでいるのがいいと思うんじゃが」なんて、本棚を漁るレッジだ。
「なんと言ったって、あのノアがライバルと呼ぶんやからな。どんな戦いをするか楽しみや!」
レッジが消えた。
氷のツタから解放されたのは、酒場から少し離れた場所。レッジを見届けたあの広場だった。
「たしか、アフーラではここで死人を送るんやろ?やったら、レッジも見やすいやろうて。」
ローズが広場の中心にある台座を撫でながら言った。
「さ、見せてもらおか!」
ローズの全身から、魔力が溢れ出した。レッジをガキと呼ぶのだから、見た目に反して、かなりの年月を生きていたのだろう。さっきからひしひしと感じてはいたが、魔法粒子の圧縮の質がかけ離れている。魔法粒子同士の融合、爆破が起こらないのが不思議なくらいだ。
ローズの両手がオレの方に向けられる。魔力の急激な上昇。まともに攻撃を受ければ多分死ぬ。
少しだけ、それでもいい気もした。でも、ミルの笑顔が脳裏に浮かんでしまう。
オレは魔力の感知に集中する。ローズの体内で、二箇所。魔法粒子が集中している場所がある。一つは胸を中心としていて、そこから全身へと細い管が隅々へと張り巡る構造。もう一つは、瞳に集中している。
魔器官は一つ。つまり、片方は嘘だ。迷っている暇はない。オレは一つ目の魔法粒子の動きを止めた。
結果、ローズから発せられたのは冷気。それはあまりにも冷たく、不意に吸って仕舞えば身体が動かなくなっていたかもしれない。
「なるほどなぁ。魔法が止められてもうたわぁ。さて、困ったなぁ。」
しかし、ローズの表情は困惑というよりは、愉悦と言うべきものだった。オレに向ける視線がギラギラとしている。
ここで、違和感を覚える。オレは冷気を吹き付けられた。季節を考えれば、夜中とは言え、こんなに寒い風が吹くわけがないからだ。つまり、これはローズの魔法と考えるべきだ。
しかし、魔法は、魔法粒子から得たエネルギーの変換結果。冷たいなんて、すなわち、エネルギーが減るなんて、あり得ない状況だ。
全くの未知。ローズがじわりじわりと距離を詰めてくる。酒のせいで足元がふらついているけれど、楽観的には考えられない魔力量。
「どうした?攻撃して来んのか?ウチを殺す気で戦った方がいいと思うで?ノアはいつもそうしてた。」
ノアの名が出るたびに、どうしてか神経が逆撫でされるのを感じてきた。これで何度目だろうか。
今すぐコイツを消してしまいたい。
オレは近くにある魔法粒子を二つばかり、公転させた。互いに反対周りではあるが、回転面のズレで衝突することはない。
回転の半径は極小。オレでなければ、動いているか認識できないだろう動き。それは、ミルの手の応急処置で身につけた技術でもある。
力の限りぶん回した魔法粒子を、ローズの元へ投げつけた。
たった二つの魔法粒子。それは空中の魔法粒子濃度に対して誤差の範疇の量だ。それなのに、ローズはその軌道を目で追っていた。
オレは動揺のせいか、高速回転する魔法粒子を衝突させてしまった。
その瞬間心を満たしたのは、後悔。「魔法粒子で壁を作ればいい」。レッジにそう教えてもらったというのに、オレはやらなかった。
爆発に備えて、腕で顔を覆い、姿勢を低くする。無意味な抵抗ではあるけれど、自然とそうしていた。
「・・・えっと、何してるんや?」
ローズの声。全くダメージを受けていない、ケロッとした声。そして、オレの様を見てやや蔑んだような声。
魔法粒子は止められていた。輪郭がぼやけていく。
なぜ、こうなることを想像できなかったのだろう。温度が下がるということは、運動量が下がるということ。オレが魔法粒子の操作を続けていたならまだしも、ぶつかりそうに設定して放置したのだから、あれだけの冷気が出せるのであれば、止められることは想像できたはずだ。
もちろん、あの速度を一瞬で止められるなんて、普通ならありえない。オレは、情けない姿勢から、動くことができなかった。
少し間を空けて、腹部に衝撃が走る。ローズに蹴り上げられたようだった。
うつ伏せになってすぐ、ローズはオレに馬乗りになり、オレの襟を持ち上げて互いの顔を近づけた。
「レッジはクソガキやったが、根はまっすぐで、熱意があって、この国ことをよくよく考えている、聡いヤツやった。」
そんなことは、オレだって知っているさ。でも、ローズの剣幕で、声が出なかった。
「そんなヤツが、最期に面倒見たのが、オマエみたいなヤツだって言うのか?なぁ、ノゾム。レッジはそんなに教えるのがヘタやったんか?!レッジをべた褒めするサルトイも、揃ってウツケだって言うのか?なぁ、なあ!」
頭を揺さぶられる。グラグラとする視界の中、ローズの悲しみだけは鮮明だった。
上半身が解放されて、頭を地面に打ち付ける。それと同時に、ローズの鉄拳が幾重にもオレの顔にぶつかり始めた。
「ハァ、ハァ・・・。なんとか言ったらどうや!」
「ローズ様!もういいのではないですか?やりすぎです!」
ヒナがローズの背中に抱きついて、引き剥がそうとしてくれた。ヒナにはローズを引っぺがす力はないようだった。でも、ローズは手を止めた。
ローズはおもむろに立ち上がり、翻ってヒナに泣きついた。それと入れ替わりに、視界にミルが現れた。
「イテテテ・・・。ハハ、お前もヒナも、わざわざ来てたんだな。」
ミルは何も答えることなく、オレの顔をフワリと撫でた。痛みが引いた。
「まぁた、無謀な戦いに突っ込んじゃって。ノゾムちゃんは大人しくしてられないんでちゅかー?」
ミルがオレの頬をつねる。強く。さらに強く。
「オレが戦おうって言ったわけじゃねぇよ。」
「ハイハイ、そうねー。」
起き上がる背中に、ミルのグーがコツンと当たった。
「面白そうなことをしてるなぁ。ワシを放っておくとは、いい度胸じゃないか。」
ソイツは突然、オレとローズの間に現れた。顔は見えないけれど、腰のあたりで服の隙間から伸びる尻尾を見るに、ドニスとかいうヤツで間違い無いだろう。
「残念だけど、アンタが期待するほど面白くもないと思うで。ノゾムって聞いた名前やろ?ノアがベタ褒めしていたヤツや。アンタの後ろにいるのがソレやけど、なんか、その・・・、ガッカリや。」
ローズが目元をガシガシと擦りながら、声を絞り出す。
「というか、アンタのことや。見てたんやないんか。」
「もちろん、見ていたとも。だが、オマエはちょっと視野が狭いように見える。例えば、ホレ、コイツを見てみぃ。」
ドニスの尻尾の先がローズの方へ突きつけられる。下を向いてばかりでさっきは気が付かなかったが、アニマがグルグル巻きにされていた。
「・・・魔力は並。身体も鍛えられていない。拘束されていながら、もがこうともせん。ソイツがなんだって言うんや。」
「ガハハハ!本当にオマエと言うヤツは・・・。」
ドニスはそう呟きながら、ローズの目の前にアニマを置いた。
「ホレ、アニマ。教えてやったヤツの、どれでもいいからやってみぃ。」
「だ、だども・・・。」
ドニスは足を大きく開いて立ち、自信満々といった感じだ。その間に見える、モジモジと対照的な足はアニマだろう。
「安心せい。今のオマエの魔力じゃ、目の前のヤツを殺す心配をするなど、ちと傲慢とすぎるて。さ、遠慮せずぶっ放せ。」




