Episode 2
人気のない山奥で、オレは身体からナニカを絞り出そうと躍起になっていた。
ソークの炎が消えたあの瞬間は、何度振り返っても何が起こったかがわからなかった。唯一覚えているのは、ものすごくイライラしたことと、喉が痛くなるほどに叫んでいたことだった。
どうにかあれを再現して、自分のものにしたい。
とはいえ、あまりにも手がかりがなさすぎる。そこであのときの状況を再現することにした。
火を起こして、火傷しそうなくらいの距離まで近づく。そして、叫んだ。休むことなく叫び続けた。
声が出しにくくなってきたところで、我に帰る。オレがやっていることは、側から見ればただのキチガイだ。バカらしくなって、すぐに火を消して近くの川に飛び込んだ。
プカプカと水に浮きながら、透き通るような青い空を視界いっぱいに広げた。こうしていると、自分が魔法を使えないことすらもちっぽけに思えてくる。でも、どうせ帰る頃には魔法なしの不甲斐なさで視界が歪むんだろう。
「こんなところで何をしとるのかね。」
起き上がって声のする方を見ると、そこにはレッジがいた。
「・・・あんたこそ、なんでこんなところに来たんだよ。」
「ふぉっふぉっ。もしかしたら、ここはお前さんの秘密基地だったのかな。じゃが、あんな奇声をあげていては、秘密も何もないと思うがのぅ。」
予想以上に大きい声が出ていたらしい。顔が一気に熱くなる。思わず、レッジから顔を背けた。
「まあ、よい。ワシはお前さんを探していたんじゃ。ちょっと話があるから、うちに来なさい。」
「話?だったらここでしてけばいいじゃないか。」
「ワシはこれからこの話をお前さんともう一人にせねばならん。何度も同じ話をするのは面倒だからのぅ。菓子くらいはだすから、今からうちに来ておくれ。あとはお前さんだけじゃ。」
「もう一人?まさかもう一人って、ノアのやつじゃないだろうな。」
「おっ、よくわかったのぅ。長い間、仲良くしてるだけはあるのぉ。ふぉっふぉっふぉっ。」
「冗談じゃない」と言いかけたところで、慌てて口を閉じた。オレとノアが、魔法の使えない無能コンビが一緒に呼び出される用件だ。もしかしたら、レッジはオレたちが魔法を使えない原因を発見したのかもしれない。こいつならあり得ない話ではない。行く価値はある。
レッジ先生がノゾムを探しにいってから随分と時間が経っている。
この部屋は床と天井以外全てが本に覆われている。暇つぶしに面白そうなタイトルのものをパラパラとめくってみたけれども、あまりにも難解だったり、好みじゃなかったりで、退屈を紛らわせることはできそうになかった。
ソファに身体を放って、慌しかったここ数日に想いを馳せる。
ソークの修行で、いよいよ丸焼きにされてしまいそうだったあの日、ノゾムが叫んだあの時、炎が急に消えた。ピンチの時に力に目覚めるだなんて、ノゾムはかっこいい。あれ?でも、練習してたって言ってた気もしてきた。どちらにせよ、これはソークの思惑通りの結果だったのかもしれない。
だって、あの瞬間から身体の中で何かが循環しているのを感じるようになった。昨日の試験を受けている時でさえ、その感覚はどんどん強くなっていった。ボクは今、すごくエネルギーに満ちている感じがする。今ならなんでもできる気さえする。
二人同時に希望が見えてくるなんて、偶然じゃないのなら、きっとソークの修行の成果だ。これまで何度も苦しい想いをしてきたけど、ようやく報われそうな気がしている。今度、ノゾムと一緒にお礼をしよう。
突然、本棚の一つがぎこちなく動き出して、出入り口を作り出した。この本棚の動かし方を教わっていなかったことが、外に遊びに行くことができなかった原因だ。
「随分と待たせてしまってすまないのぉ。今、お茶を用意するから、もう少しばかり待ってておくれ。」
そう言って、レッジ先生はノゾムを出入り口に残して去っていった。
「よぉ、ノア。一体なんの話でオレたちは集められたんだ?」
ノゾムは空いているソファーにドスンと腰を下ろした。
「いや、まだ聞いてないよ。ところで、ノゾムは今までどこにいたの?レッジ先生があまりにも長い間探していたから、待ちくたびれちゃったよ。」
ノゾムがバツが悪そうに、口をモゴモゴさせ始めてしまった。何か言うのを待ってみたものの、答えが得られる前にレッジ先生が戻ってきてしまった。
「やぁやぁ、待たせてしまって申し訳ない。ささ、とりあえず飲んでくれ。」
そう言って、僕たちにお茶を渡してくれた。上品な香りが胸いっぱいに広がってくる。
お言葉に甘えて、遠慮なくお茶を口に含んだ。こう言うお茶は滅多に飲まないからよくわからないのだけれど、とりあえずおいしかった。
「うちにはワシの好みのお茶しか揃えてないもんで、若人の口に合うといいんじゃが。まあ、まずかったらこれで口直ししてくれ。好きなだけ食べていいぞ。」
そう言って、先生はちょうどいい具合に積み重なっていた本の上に、お菓子が窮屈そうにしているお皿を乗せた。
「で、話ってなんだよ。」
ノゾムがお茶を啜りながら聞いた。
返事はすぐに返ってこなかった。その隙にノゾムはお菓子を2、3個口に放り込んだ。ボクも一つお菓子をいただいた。
「お前さんたち、魔法小屋で教師を務めることに興味はないかのぉ?」
レッジ先生がそう言うと、ノゾムはバカにしたような笑いを部屋に響かせた。
「はぁ、どうしてオレたちみたいな魔法なしがそんな重役に選ばれるって言うんだ?まさか、この前の試験でオレたちがトップでした、なんて言い出さないだろうな。もしそうなら、最近の若者は低脳すぎるぜ。」
「ふぉっふぉっふぉっ。察しの通り、お前さんらの成績は高くはない。ギリギリ上から数えた方が早い程度じゃな。ま、そうは言っても、お前さんらの代は不合格者がゼロの優秀な代じゃったがのぅ。」
「じゃあ、どうしてボクたちに声をかけたのですか?」
ここでレッジ先生がお茶を口に運んだ。先生がここまで言葉に詰まっている姿は、普段の講義とはあまりにもかけ離れていて、こちらも困ってしまう。視界の端の方では、ノゾムが口にお菓子を放り投げながら不機嫌そうにしていた。
ようやく重たい口を開いた先生は、すごく申し訳なさそうに言葉を連ねていった。
「お前さんたちは、魔法が使えないじゃろう。そのせいで、路頭に迷ってもおかしくない。それはお前さんら自身が望むわけがないし、ワシだって可愛い教え子たちにそうなってほしくない。万に一つ、プロタンティスの影響があっても魔法が使えなかったら。それが心配で仕方がないんじゃ。」
ボクが教師となる。そんなことは今まで考えたこともなかった。あまりにも唐突な提案だったため、頭の中でまだ処理しきれていなかった。ボクにできるのだろうか。魔法のないボクを、生徒たちは慕ってくれるのだろうか。
しばらく沈黙が続いた。それを破ったのはノゾムだった。
ノゾムは突然、目の前の本の山を思いっきり蹴飛ばした。上に乗っていたお菓子が床に散らばっていく。
「ざけんなっ!オレが魔法を金輪際、使えないみたいな言いがかりつけやがって。誰がテメェのお願いなんて聞くかよ。教師なんて、テメェみたいなヤロウになるなんて、こっちから願い下げだ!」
ノゾムはあっという間に帰ってしまった。
「うぅむ。ノゾムが激昂しないように気をつけたつもりだったんじゃがのぅ。あの子は難しい子じゃ。」
レッジ先生は悲しそうに、ノゾムが床に叩きつけた、カップだったものを見つめていた。
「して、ノアよ。お前さんはどうかね。」
実に悲しそうな表情でこちらをみてくるので、つい快諾しそうになった。
「お気持ちはすごく嬉しいんですけど、ボクなんかが教師を務めることができるのでしょうか。」
「なに、難しい話ではない。ワシの後を継いでくれるのがいるから、そいつの手助けをしてくれれば良い。そして、慣れてきたら生徒の前に立つ。悪くはなかろう?」
「と、とりあえず、少し考えさせてください。そんなに急に決められることじゃあないです。」
「ま、それもそうか」と、先生は案外、素直に引き下がってくれた。
春が来た。どれだけこの時を待ち侘びたことか。空は笑えるくらいに晴れ渡っていた。
もう、いつプロタンティスがオレの元にやってきてもおかしくない。これでようやく、「ソーク」ソったれや「レッジ」ジィどもを見返すことができるんだ。「ノア」ホに遅れをとるわけにもいかない。
残念ながら、ソークの炎を消したあの現象は再現できなかった。しかし、この苦悩とももうおさらばできる。さぁ、早く来い!
窓の外には、もうプロタンティスを受け取ったであろう奴らがはしゃぎ回っているのが見える。今までよりも圧倒的に強い魔法が使えるようになったのだから無理はない。実際に魔法をブチかまして大人に大目玉を食らったってお釣りが来る程度には楽しいはずだ。もっとも、ゼロがイチになるような体験には敵わないだろうがな。
今日来るとは限らないとはいえ、こちらはもう一瞬で感動できるくらいには待たされているんだ。さっさとして欲しいものだ。
目が覚めると、眩い光のかたまりが視界を余すことなく飛び回っていた。
まだ覚醒しきっていない頭でぼんやりと眺めていると、それは急に静止して消えてしまった。これだけでも驚きなのだけれど、次の瞬間に顔の目の前になんの前触れもなく現れたのだから、心臓が止まるかと思った。
「ようやく目が覚めたんか。外じゃみーんな、遊び回ってんで。」
変に親しげなそれは、申し訳ないのだけれども、自分の記憶の限りでは初対面のはずだった。唖然と見つめることしかできなかった。
「ははぁん、まだ寝ぼけてるんかな。しょうがないから、その空っぽの頭でもわかるように自己紹介したるわ。」
これが夢の中であることを疑いながら、ボクは身体を起こす。外からは、確かに楽しそうな声が聞こえてくる。
「ちょ、このミトコン様が美しいからって、そんな見つめんといてや。」
「うーん、なんか美しいっていうより、小さいだけでほとんどボクたちと変わらないんだなぁって。なんだか親近感湧いちゃうなぁ。」
ミトコンと名乗るそれは急に動きをピタリと止め、ボクの顔に突っ込んできた。驚いて瞑ってしまった目を開けて、辺りを見渡しても何もいない。
夢だったのだろうか。二度寝をしようとしたところで、頭の中で声が響いた。
「親近感やってぇぇ?!それはお前のこの足りないおつむのせいじゃろがい!」
どうやら、さっきの存在が頭の中で暴れ回っているようだった。それがなぜ可能なのかはよくわからないのだけど、そうとしか考えられないくらいに、頭の中が物理的にゴタゴタしてくるのを感じる。
「あのなぁ、プロタンティスの姿は、授かった本人の想像力で決まんねん!お前さんがプロタンティスをもっと神々しい姿でイメージしてれば、こんなチンケな姿をお披露目することはなかったんやぞぉ!」
頭の中で、「チックショォォ」という、今にも泣き出しそうな叫び声が響く。暴れ具合は増していく一方で、背中についていた羽がときおり、顔から飛び出してくるのが少し気持ち悪かった。
ミトコンは満足したのか、肩で息をしながら鏡で全身を眺めていた。
「はぁぁ、なんとも貧相な見た目やなぁ。ま、こんな綺麗な羽がついてるだけマシと思うことにするかぁ。チンプーとか畜生の姿とかだったら、お前を殺してたかもしれんで。感謝せぇよ。」
まだ頭がフラフラする。おかげでこれが夢ではないことに確信できたけれども。であるなら、ミトコンは、さっき自称していたように、ボクのプロタンティスだ。思わず頬が緩む。
「なんや、キッショく悪い顔しよって。ミトコン様が来て嬉しいからって、そんな顔はいただけんなぁ。」
「ね、ねぇ、ミトコン!君がボクのプロタンティスだって言うなら、ボクの魔法について教えてよ!ずっと魔法が使えなくて、この日をずぅっと待っていたんだ。」
「ミトコン・さ・ま、な!まあ、えぇわ。それはこっちも知っといた方がいいことやし、今見てやるわ。」
そういうと、ミトコンはボクの胸の内へと入っていった。胸を撫でてみても、穴は見当たらない。
「ちょ、こそばゆいわ!しばらくじっとしてくれん?」
身体中に声が響いた。言われた通りに大人しく待とうとは思ったのだけれど、身体の中で何かがムズムズと動き回って変な感じがする。ボクは声を手で抑えることしかできなかった。
「よぉし、大体わかったわ。って、なしてそんなに息荒げてるん?キモイやっちゃのー。」
軽い痙攣が止まらない。「シャッキとせぇ」と、ミトコンが頬をペチペチと叩く。落ち着くまでのしばらくの間、顔がいろんな液体でぐしゃぐしゃなことに気が付かなかった。
まだ来ない。
周りが楽しそうにしているのが、いつも以上に精神を逆撫でしてくる。
オレは耐えられなくなり、また山奥へ向かった。
あたりで一番細そうな木に苛立ちをぶつける。木は平然と立ったままだ。
魔法が使えるやつらからすれば、この木をボロボロにするのは容易いだろう。炎ならば燃やせばいい。金属なら勢いよくぶつけて折れる。水なら圧縮すれば切ることもできるだろう。大抵のやつは、こんな木で苦戦することはないんだ。
オレは木を蹴り続けた。
「なんでだよ、どうしてオレだけこんな思いをしなくちゃいけないんだ!あのボケどもに、どうしてオレより優れた才能が与えられるんだよ。クソッ、クソッ、クソッ!」
疲れ切って、身体を地面に投げつける。頭やら背中に鈍い痛みが広がったが、もはやどうでも良かった。もう、涙も出ない。
ほんのり白っぽくなってきた空をただ眺めていると、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「おぉーい、ノゾムー!やっぱりここにいた。」
ノアだ。妙に嬉しそうにしながらこちらに近づいてくる。まさか。やめろ。こっちにくるな。頼むから何も言わないでくれ。
「聞いてよ!ボク、プロタンティスを授かれたんだ!」
そう言い切って、ノアはオレのすぐそばに倒れ込んだ。息絶え絶えなところを見るに、ここまで走ってきたらしい。
身体の中で、何かがズレたような感覚に襲われた。軽く吐き気もしてきた。
「ノゾムはどう?もう授かったの?」
「あ、あぁ、まあな。」
「やっぱりノゾムの方が早かったかぁ。敵わないなぁ。」
今、自分はどんな顔をしているだろうか。少なくとも、目の前で輝く屈託のない笑顔とは程遠いのは確かだ。
「ちなみに、ノゾムはどんな魔法が使えるようになったの?」
ノアは今、「ノゾム『は』」と言った。動悸が激しくなってくる。全てを諦めかけた時、オレの口は勝手に喋っていた。
「あぁ、それなんだけどさ。ほら、お互い魔法初心者同士で披露し合っても面白くないだろ?だからさ、しばらく鍛えてから、見せ合いっこしようぜ。」
「わぁ、いいねそれ!ライバルって感じで楽しそう!じゃあ、さっそく、ボクは向こうで特訓してくるよ!」
ノアが思ったよりも早くに消えてくれて胸を撫で下ろしたのも束の間、身体が壊れそうなくらいに震え出した。
目が回る。立ち上がることができない。
静かな場所に来たはずなのに、なぜだかうるさかった。
さらに、追い打ちをかけるように、心臓が激しく痛み出す。
その痛みは毛先からつま先に至るまで、全身を舐めるように這いずりまわった。仰向けだったせいで、自分の吐瀉物が頬を伝う。
「なんだこいつは。何度調べても、魔器官が無いじゃないか。」
ようやく痛みが治ったかと思うと、そんな声が聞こえてきた。なんとか身体を起こして、声のした方を見る。
そこには、真っ白な立方体がふわふわと浮かんでいた。何が起こったか分からずにただ眺めていると、さっきのと同じ声がその無機質な図形から聞こえてきた。
「あぁ、ようやく相方を見つけたと思ったらこんな使い物にならないやつだとは。これはパスだな。」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。パスってどう言うことだよ。お前がオレについたプロタンティスだって言うなら、死ぬまで付きまとうもんじゃないのか?」
「ん?あぁ、普通はそうだ。でも君はじつに奇怪だ。こちらには君につくメリットは皆無だ。」
メリット?一体なんのことだ?プロタンティスは死ぬまで一緒の腐れ縁、そういう話だったはずだ。
「じゃあ、そう言うわけだから、私はもう行かせてもらうよ。」
「待ってくれ!」
オレは気がつくと、頭を地面に擦り付けていた。
「頼む、もうオレにはお前しか希望が残ってないんだ。魔法を使えるようにならなきゃいけないんだ。」
立方体がオレを憐れんだ目で見下しているのが、見ていなくてもわかる。それでも、オレはこのチャンスを逃すわけには行かない。
「残念だが、私がいたところで、お前は何も変わらないぞ?」
「は、?ど、どういうことだよ。」
「ふむ、では君の惨めさに免じて、一つだけ教えてあげよう。君の能力は、魔法粒子を操る。それだけだ。他の者のように、魔法粒子を何かしらに変換することはできない。すなわち、君がどれだけ足掻こうとも、魔法が使えるようにはならない。もっとも、他人の魔法を助けるか、邪魔するくらいはできるだろうがな。」
何を言っているのか、すぐには理解できなかった。理解したくなかった。
・魔法小屋
学校。次の春にプロタンティスを授かる子供達を、それまでの1年間で、魔法の基礎を教えることを目的としている。自分の子供を通わせるかどうかは任意ではあるが、通わせないとプロタンティスを授かったところで、大抵はまともに魔法を使えないポンコツになってしまうので、実質義務である。
上記の1年で魔法小屋に通ってなかった人たちも聴講は可能だが、プロタンティスからそんなことも知らなかったのかと馬鹿にされ続けるのに耐えなくてはならないらしい。