Episode 1
ノアのやつがいなくなってから、どれくらい時間が経ったろうか。
行方不明と聞いてからの日を数えてはいたが、5を数えたあたりでどうでもよくなってやめてしまった。
青々と風になびいていた畑は、いつの間にか黄金色に染まっていた。
「ちょっと、ノゾム!またボサっとして!そんなんじゃ今日中に収穫終わらないよ!」
少し離れたところで声を上げるミル。オレは大きく手を振ってから、仕事に戻る。
ミルが隅で見ているだけになったのは、いつ頃からだったろうか。
慣れたと思った頃には別の作業が始まる。植物が生き物であると実感するこの仕事の中で、ここのところはオレが一番、作業が遅かった。ミルよりは手を動かせているけれど、ここで比べるのは惨めがすぎる。
ザードは既に、オレの2、3倍の成果を出していた。最初は息を切らせながら目を回していたくせに、いつの間にかミルが手放しに褒めるくらいに上達してしまったらしい。陰気にヘラヘラしていたはずなのに、今ではその表情に、健康的なものが垣間見えるようになってきた。
「また暗い顔しちゃって。どうしたの?」
時間は昼時。畑の横で弁当を囲んでいると、ミルが声をかけてきた。
「何でもねぇよ。毎日、毎日、同じようなこと聞かないでくれ。」
「それなら、毎日、毎日、そんな泣きそうな顔しなければいいじゃない?」
ミルが微笑む。やめてくれ。そんな目でオレをみないでくれ。
「それにしても、ノゾムはこのところ、すっかりと痩せましたね。ちゃんと食べてますか?」
ザードがパンを片手に言った。ちょっと前はマズイマズイといっていた野菜を、今では普通に食べている。
「うるせぇな。オマエがよく食うようになっただけだろ?前はヒョロヒョロだったくせに、最近じゃちょっと筋肉質になったんじゃないか?」
「でも、ザードの言う通りかも。ホラ、腕だってこんなに細くなかったわ。」
ミルがオレの腕を両手でつかんだ。その手に巻かれた包帯の感触が、胸の奥に伝播した気がした。
「頬だって少しヘコんじゃってる気もするのよね。」
ミルの手がオレの頬へ移る。一から十までオレが壊してしまった手だ。腕の時より鮮明だ。
「ハハ・・・。昨日もおとといも、そんなこと言ってるじゃねぇか。たまにはもっと面白いことでも言ってくれよ。」
本当にオレが言うべきことは、それではない。わかっているはずだ。それなのにミルは、「ハイハイそうね」と、オレを抱き寄せてくれる。また、この体温。また、頭を撫でられる。
オレがしっかりしなきゃいけない。それなのに、どうして。
ミルの身体の向こうで、ザードがイタズラっぽく、ジェスチャーで何かを伝えようとしている。たぶん、「抱き返せ」と言いたいのだろう。でも、地面に置きっぱなしの両手はまた重たかった。
さらにミルが体重を預けてくる。ミルの鼓動が早くなる。なんとなく、体温もほんのり高くなっている気がする。
呼吸も乱れている。
オレは慌ててミルを引き剥がした。たぶん、また手が痛み出したんだ。オレはそっとミルの身体を横にして、ミルの両手をそっと握った。
いつものように、蓄積し切った魔法粒子の流す。
いつも以上に、ミルの手が熱いように思えた。昨日ですら火傷を想起したというのに、今日はさらに熱い。燃えているようだ。
いや、よく見ると燃えている。オレは反射的にミルの手を投げ捨ててしまった。
ミルが燃える。ザードも引火する。畑も、家も、何もかもが燃えだした。
「ホラ、ノゾム!手を止めている暇なんてないよ!」
ミルの声で正気に戻る。
オレは慌てて周囲を見渡した。雑草がまだちらほらと残る青い畑。
すぐ隣で作業をしていたミルが、手を止めてこちらをじっと見つめている。
ミルの姿がぼやける。オレは気がつけば、ミルを抱きしめていた。
「ちょ、ちょっと。急にどうしたっていうの?」
熱くない。心地よさを覚えるくらいの暖かさ。
数日前、ミルは完全に魔器官が壊れてしまった。でも、ある意味これ以上壊れようのない状態になったとも言える。医者から呆れられながらそう伝えられると、ミルはどこか、チョットばかりホッとしたように見えた。
あんな醜態を晒したというのに、ミルはオレに居場所をくれた。
「・・・いい加減にしないと、夜になっちゃうよ?」
ミルは少し困りながら、オレを引き剥がす。
「あ、あぁ、そうだな。へへ・・・。」
オレは作業に戻る。少し遠くでは、ザードが不器用なりに黙々と手を動かしている。
負けてられないな。そう思い、気合を入れたところで、後ろで何かが倒れる音がした。
ミルが顔を真っ赤にしながら、うめいている。
「い、痛い・・・。ノゾム、助けて・・・。手が、手が・・・。」
「ミ、ミル!」
「ハハハ、相変わらず寝覚めが悪いですね。またあの日のことを夢に見たんですか。」
荒ぶる息を整えながら、オレは周囲を見渡す。今度は、ザードの薄暗い部屋の中だった。いつの間にか、というか、いつものように眠ってしまっていたらしい。
ザードはウットリとした目つきで、手拭いを渡してくれた。
少し落ち着いてきて、身体が冷えていくのを鮮明に感じた。春ももう終わるというのに、まだまだカゼをひきかねない。
すっかりお馴染みになった悪夢が脳裏に焼き付いている。しかも今日のは、ついさっき、今朝の出来事のおまけ付きだ。
手の痛みを取り除くたび、ミルは感謝してくれる。畑仕事で口酸っぱく文句を言うことはあっても、この件でオレを恨むようなそぶりは一切見せない。
「死にてぇよ・・・。」
ここのところオレは、ザードと二人になってはこんなことばかりボヤいている気がする。
「ハハ、それは何度も聞きましたよ。そしてボクも何度も言いますけども、ミルに頼んでみてはどうでしょう。」
ザードがにこやかに言う。その表情はきっと、好奇心だろう。
「言えねぇよ、そんなこと・・・。」
「ミル本人は覚えているか知りませんが、酒の勢いであなたとの出会いを、よくベラベラと喋っているでしょう?今はすっかりと落ち着いていますが、当時は何度かあなたを殺しそうになったとか・・・。」
「あんなに楽しそうに、殺しの宣言をするかよ。言葉通りに受け取りすぎだ。」
ザードが肩に手を回し、オレの耳元へ口を近づける。
「案外、ミルも死にたがってるかもしれませんよ?ですから、もし一緒に・・・。」
オレはザードの口を慌てて塞いだ。
ミルがこちらに向かってきている。
ザードがオレの手をどけると、少し寂しそうな顔が現れた。そのまま真っ直ぐ、窓を開けに行った。
眩しい。
「いつも思うんですが、ちょっと警戒し過ぎじゃないですか?まだあんなに遠くにいますよ?よく察知できますね。」
それは、我ながら痛感している。でも、近づいているとわかってしまうのだから、仕方がないじゃないか。
「ま、気持ちは理解できなくはないですがね。」
ザードが二ヘラといった感じの顔でこちらへ振り返る。ザードにはオレの弱いところを、ベラベラと喋ってしまっている。思い返すたびに後悔が頭によぎるけれども、ザードは記憶力が良い方のようだ。
オレがここまで魔力に敏感になったのも、ミルのあの、すっかりグチャグチャになった組織をなるべく刺激しないよう、魔法粒子の繊細なコントロールを毎日やっているからだ、というのも知っている。
「その敏感さが、ミル以外にも働いてくれれば便利なんですけどね。」
ザードがイタズラっぽく笑いながら、再びオレの横に腰を下ろした。
薄暗い部屋に差し込む一筋の光。しばらくボンヤリとそれを眺めていると、ミルが顔を覗かせてきた。
「やっぱりここにいたのね!今日のご飯当番!そろそろ準備したほうがいいんじゃないの?」
眩しい。
「もう、またボサっとして!手伝ってあげるから、さっさと出てきなさい。」
オレは雑に返事をしながら、ザードの部屋を後にする。ふと振り返ると、ザードは穏やかな表情で手を振って見送ってきた。
外はあまりにも眩しい。玄関で待っていたミルが手を引いていなければ、今日こそオレは外に出られなくなっていたように思える。それくらいに、最近、眩しくて仕様がない。
自然と視線が地面をなぞる。ここは標高が高いおかげで、街の外がよく見えた。視界の隅で、インクレムとの戦いが繰り広げられている。
普通なら広場の方に避難しなければならないが、今はちょうど収穫の忙しい時期。オレは街のヤツらの、あの視線に晒されずに済んだというわけだ。
「ホラ、前を見ないと危ないよ。」
インクレムどもの姿が、ミルの身体に隠された。
「・・・そんなにくっつくなよ。暑苦しい。」
オレはもう喋らないほうがいいかもしれない。目を見るのが怖い。
「そうね、すっかり気温も上がってきているものね。」
優しいミルの声。腕を絡め、オレを引っ張るミル。
やっぱり、死にたいなんて言えるはずがなかった。当たり前じゃないか。
「きゃっ。何あれ?!」
ミルが悲鳴をあげる。顔を上げると、そこにはインクレムがいた。
オレは一瞬、反射的に街の外の方を見た。
前線は街の外郭からは十分に遠い。ここはミルの家のすぐ近く。街の中心の方ならまだしも、ここにいるのはありえない。
しかもよく見れば、目の前にいるのは、オレの初陣で対峙したモノと同じ種類のヤツだ。背筋を冷たいモノがたどる。
「あら?変ね。ピクリとも動かない。もしかして、死んでる?」
ミルが少し後退りながら、息を殺して言った。
溢れそうな呼吸を抑えながら、インクレムへ視線を合わせてみる。
たしか、死んだばかりのヤツらはビクビクと足先を震わせていた。でも、目の前ではそれがない。
よく見ると、ところどころに、削り取られたというか、ちぎられたような跡が見られる。あの皮膚はブヨブヨとしていて、とてもそんなことができるとは思えない。でも、なっている。では、誰が?そもそも、なぜここに?
「し、死んだふりとかできるのかしら、インクレムって。ね、ねぇ?」
ミルの腕の力が強くなる。
オレはインクレムの頭のあたりに、魔法粒子をギチギチに詰め込んでみた。ノーモーションでこれができてしまう自分が嫌になる。
結果は無反応。魔法粒子が体内で停留することが苦痛になることは、よく知っている。
「死んでそうだぜ。街の連中がオレに嫌がらせするために、セッセコセッセコ運んできたんじゃねぇの?」
「まったく・・・。相変わらず、ノゾムは嫌なヤツね!」
ミルはすっかり安心したようだ。死骸を少し怖がりながらも、またオレを引っ張り始めた。
そのとき、あたりがほんの一瞬、影に覆われた。
影は後ろの方へ通り過ぎる。そして、その方向からドスリと、何か重たいモノが落ちたような音が聞こえた。
振り返ると、インクレムがいる。ただし、さっきのとは違う種。しかも、あのブヨブヨのインクレムを咥えているのをみるに、きっとより強いヤツだ。
さっきの死骸が2階建てのミルの家といい勝負だった大きさなのに対して、今度のはそれを軽々と咥えられるくらいに大きい。
地面についた四つ足それぞれに、前向きに3本、後向きに1本の指が生えていて、各々の指が金属光沢を思わせる鉤爪を備えている。視線を上へ動かすと、乾燥した植物のようなゴツゴツとした、ただし太くて硬そうな脚を通り、羽毛に覆われた胴体が現れる。
羽毛といえばフンワリとしたイメージだったけれども、コイツのそれはオレのイメージに従ってくれない。なぜならば、ソイツが俺たちの方へ迫るたびに、金属が触れ合うに、カチリカチャリと音を立てているからだ。
羽毛のインクレムは、咥えた獲物を、オレたちが最初に見たヤツの方へ放り投げた。
すると、羽毛に包まれた顔があらわになる。薄灰色の羽を押し抜けるように、目がギョロギョロと辺りを探っている。非対称に動く目玉がオレたちを捉えるたびに、身体がこわばる。
重かったなぁ、と言わんばかりに、ソイツは首をカクカクとぎこちなく動かしながら、赤く縁取られたクチバシをガチガチとならしている。キョエッキョエッとなく様は、オレを嘲笑っているようだ。
「と、とりあえず逃げるよ!アタイたちにはどうしようもないから。」
ミルが手を引く。でも、オレの脚は動いてくれない。
羽毛のインクレムが近づいてくる。視界に収まっていたと思ったのに、今では見上げないとその顔が見えない。
インクレムの胸部から腹部の辺りが大きく膨らむ。何かを吐き出す予感。その矛先はオレだ。それでも、身体が動かない。
全てを諦めたところで、目の前スレスレのところで、紫色の液体の塊が落ちた。
外した?わざと目の前に落とした?
違う。オレの手を、壊れるかと思うくらいに握るモノがあった。ミルの手だ。確認するまでもない。
握られた方の手から、濁った赤が肘まで伝ってきた。
ミルが残った手で、オレの頬を思いっきり引っ叩く。
「・・・行くよ。お願い。」
ミルはそれだけ残し、走り出した。
オレも後を追う。
横目で羽毛のインクレムを見ると、自分が出した液体が爪の先にかかってしまったようで、それを嫌そうに振り払おうとしていた。
ミルの両手は真っ赤で、赤黒く滴るモノがある。その光景に胸を潰されそうになるも、頬に残る痛みが脚を動かしてくれる。
でも、羽毛のインクレムを背にしているということは、すぐにあのブヨブヨを目の当たりにするということだった。
再び、ミルの両手に視線を奪われる。オレはもう、立っていられなかった。
視界が影に覆われる。視界いっぱいの羽毛の中心で、クチバシがゆっくりと開いた。
ビッシリと並ぶ歯はチラホラと、あのブヨブヨの皮膚片を貫通していた。
ミルと出会ってからの日々が何度も頭をよぎる。その速度は次第に増していき、いつしか脳裏には真っ白しか浮かばなくなった。
ミルの叫びが聞こえる。何を言っているかはわからない。でも、この聞こえ具合。何より、この魔力の感じなら、多分それなりに離れている。普段からあんなハードワークをしているのだから、それだけの身体能力があることは十分に頷ける。
オレを切り刻まんとする穴が急速に迫ってきた。
そっと目を瞑り、きたる衝撃に備える。
何も起こらない。気づくまでもなく死ねたのだろうか。
ふと、オレとインクレムの間に、何か魔法粒子の塊があることに気づく。
徐々に縮小するそれは、懐かしく、しかしここにいるはずのない魔力だった。
ゆっくりと目を開く。
そこにはノアがいた。
さらにその奥では、羽毛のインクレムが、脚より上が完全に消え去った状態で立ちすくんでいた。
最終章、最終章、わーい。




