Episode 9
決着はあっという間だった。
あのドニスの巨体すら飲み込んでしまいそうな水の塊が縦横無尽に駆けずり回り、上ではどんよりとした真っ黒い雲が氷の塊や雷を降らせ、その隙間を氷のイバラが暴れ回っていた。これら全て、ローズの魔法だったんだと思う。
そんな中でもボクとヒナが無傷でやり過ごせたのは、ローズが配慮してくれたからではなく、ドニスが空間的な遮断を作ってくれたからだった。ドニスはあんなにもメチャクチャな環境でも、まだまだ余力があったらしい。
実際のところ、戦いが終わった今、ドニスには傷一つ見当たらない。ローズの魔法の猛攻が空間の壁に何度もぶつかってきたから、どのようにしてやり過ごしていたかは見えず、少し残念だった。
唯一はっきりと見えたのは、決着の瞬間。逆立ちをしているような形で、ドニスがローズのアゴを蹴り上げた。しかし、ローズはまだ諦めていなかったようで、のけぞり切るまでのわずかな時間で、氷の壁を作って追撃に備えていた。
一方でドニスはその間に、右の拳から肘にかけて、小さな鱗をびっしりと敷き詰めさせる。それで氷の壁を突き破り、ローズの腹部にすごく痛そうな一撃を浴びせた。
ローズは空間の端まで吹き飛ばされ、壁に激突して失神。ドニスのガードが解除されてから、ヒナがすぐに駆け寄ってケガを治していたけど、まだ目を覚さないので少し心配になってくる。白目をむいているので尚更だ。
「ガハハハ!久々に面白い戦いができた!」
戦いの後、空気が落ち着いた頃、ドニスが豪快に笑い出した。
「しっかし、攻めてばっかで守りが疎かだったのお。それに味方もろとも殺す勢いで目の前のことに熱中してしまうとは・・・。あのキッツイ性格がよく現れてるわい。」
ドニスは、いまだに目覚めないローズの顔で、変顔を作りながらボヤいた。その手を止めることなく、「なあ、そう思うじゃろう?」とニヤケ顔でボクたちに賛同を求めてくる。ボクたちが苦笑いを返事とすると、またドニスは笑った。
「・・・殺せ。」
それはローズの声。いつの間にか目を覚ましていたらしい。ドニスに顔をもみくちゃにされていながらも、その発言は明確に聞き取れた。
「そんなことをしてどうする。」
ドニスが鼻で笑いながら答える。その手は未だにイタズラに勤しんでいる。
「ワタシは強さくらいしか誇れるものがない。それなのにここまでの差を見せつけられたんだ。ワタシがいようがいまいが、もはやタンナの命運は変わらないだろう。無駄に長生きしたせいか、疲れてしまった。」
ローズの声に抑揚はなく、エネルギーが抜けきってしまっているようだった。
「グヘヘへ。負けたお前が、どうして選ばせてもらえると思ってるのかのぉ?ん?」
ドニスはローズの口を両手で横に引っ張りながら、ものすっごいワルイ顔で言った。それはあの優しいヒナでも引いてしまうくらいに、完璧にワッルイ顔だった。
「そもそも、オマエがこよなく愛していたものは、タンナという国そのものというより、オマエが若かりし頃の思い出じゃないのか。時間の流れに逆らうのは、案外苦しいものだぞ?」
ドニスは顔をいじるのに飽きたのか、ローズの脇腹をつつきだした。
「黙れ!オマエにワタシの何が・・・」
解放された顔で怒りを隠さずにローズが叫ぶも、途中で途切れてしまった。その表情は一転して後悔に染まっている。
ここでドニスが唐突に、ローズの両脇腹を鷲掴みにして、その手にグッと力を込めた。ローズがグエッ、となる様を2、3回眺めてから、そそくさと立ち上がり、少し離れてから背中を向けたままドカッと座り込んでしまった。
その背中は静かではあったけど、尻尾はベシンベシンと床を叩いていた。それに気づいたのか、ドニスは慌てて尻尾を掴み、身体の前に持ってきて隠した。それでも、付け根の部分で落ち着きがないのがわかる。
ローズはただ泣きじゃくっていた。ボクとヒナがすぐそばに座っているのに、隠すことなく涙を流していた。しかしよく見ると身体をわずかに捩っているので、戦いの疲労で顔を隠す余裕も残っていないのかもしれない。
「さ、茶番も済んだことだし、宴に戻ろうぞ!」
ローズがようやく立ち上がれるようになった頃、ドニスがそんなことを言い出した。戦いのせいですっかりグチャグチャになってしまった食事を見ながら、「また用意せにゃならんな」と一人呟きながら、また空間のつながりを無視して食料を集めようとしている。
「ちょ、ちょっと待ってよ!ボクたち、本当にそろそろ動かなきゃ。」
宴が始まってはきっと抜け出す機会を逃す。ボクは慌ててドニスに言った。
「あ?戦争を止めるとかいう話か?そんなに急ぐ必要はなかろうて。」
ドニスはひょうひょうとした態度で受け流すだけで、さっきよりもずっと小さな手であるのに着々と食料を集めていて、その量は、ついさっきの宴の量の半分を超えているのは明らかだった。
「まぁ、ボクもいつまでにやらなきゃいけないかは把握してないけど、早いほうがいいでしょう?」
ドニスが大きなため息をつく。
「いいか、ノア。タンナを囲う国々は3つ。リタスはそこの王族のガキンチョがタンナ側にいるから簡単に手を出せない。ドニスの戦力は実質ワシそのものだ。そのワシがタンナを滅ぼす気なんてさらさらない。よって残りはたったのひとつ。魔力に優れたタンナの民が、数だけの・・・あの・・・サミアだったか?まあ、ローズが居なくとも、負けることはあるまい。そんな負け戦を仕掛けるほどのアホが一体どこにいるというのじゃ。」
「しかし、ヤツらは熱狂的なサニア教の信者。サニアの民は、合理性以上に、何か大きい原動力を持っている。何をしてきても不思議ではない。」
そう言ったのはローズだった。
「ふうむ。オマエもまだ戦争を止めようとするのはちょっと予想外じゃったな。ローズよ。」
ドニスは目を合わせることなく言った。手元の食材を見るに、手頃なコヌーを探しているのかもしれない。
「今のタンナそのものに思いがなくとも、ワタシの生まれ故郷だ。そこが傷つけられるのを黙って見てしまっては、大昔の友人に示しがつかん。これから会えるかもしれないのだから、余計にな。」
ローズはボクをチラリと見た。出会ったばかりの頃の刺々しさというか、荒々しさはすっかりと薄れていた。
ドニスがまた大きなため息をつく。
「仕方あるまい。オマエはそこそこ満足のいく戦いをしてくれた。だから礼に、ワシが手を貸してやろう。さっさと片付けるぞ。」
そう言うと、ドニスはさっき見せた変態の逆の順序で巨大な生き物の姿に戻り、片手でボクたちをまとめて掴んで飛び去ってしまった。ボクたちが何か喋る隙もなく、空間の壁を突き破り、グングンとサニアのある方へ飛翔していった。
ドニスの反対の手にはちゃっかりと集めた食料が握られているのが見えた。それは少しずつポロポロと手からこぼれ落ちては、あっという間に小さくなって見えなくなっていった。
こうして気がつけばサニアの中の一番大きい建物の最上階の部屋のすぐそばについてしまった。正確に言えば、空間の壁を乗り越えればその部屋に入れる場所にボクたちはいる。
「あそこにいるのはサニアの王ではないか・・・。オマエの魔法を極めた行き先というのは実に無法だな。」
ローズがボクを見ながら顔を引きつらせた。
サニアの王はすっかり暗くなった空を目の前に、手を胸の前で重ねて静かに目を瞑っていた。そういえば、あんなふうにして祈りを捧げる風習があると、レッジ先生の家の本に書いてあった気がする。
「あれ?どうしてローズに向こう側の様子がわかるの?」
そういうと、ローズは「意味がわからない」と、わざわざ言わなくても伝わるくらいに怪訝な表情を見せてきた。よく見るとヒナもキョトンとした顔をしている。
じゃあ、原因はドニスしかいない。ドニスはいつの間にか、また変態を済ませていたようで、親指で自分を指差しながら、せっかくの整った顔たちを、誇らしさで歪ませながらこちらに見せつけてきた。
よく周りを見渡してみれば、どうしてかみんなの姿が見える。魔力の感知ではなく、目で見て捉えている。しかも、こちら側の空間は、息苦しいくらいの魔法粒子が密集しているはずなのに、今、ボクたちの周りにはそれがない。ドニスの力は、ボクの魔法とは根本的に違うのかもしれない。
「じゃあ、ローズ。さっさと行ってこい。」
唐突に、ドニスはそんなことを言い出した。
「え、みんなで行くんじゃないの?」
ボクの言葉に、ヒナも頭を目一杯に振って肯定してくれている。
「ん?ワシは話し合いとやらをすると思っていたんじゃが・・・。」
ドニスは持ってきた木の実をかじった。
「そのつもりだよ。みんなで行ったほうがいいんじゃないかな。」
ドニスは少し難しそうな顔をしてから、ローズに目線を送った。ローズは少し考え込んでから、同じく難しい顔になってしまった。
「いや、オマエたちガキンチョ二人がついていったところで、足手纏いじゃろうて。暴力による制圧でもないから、ワシだって行く意味がない。というか、めんどくさい。」
そんなことない、と言う前に、ローズがドニスを援護する。
「残念だが、ドニスの言うとおりかもしれない。これまでの2カ国と違い、サニアは例え王を殺したとしても、同じ思想に染まった誰かがその後を継ぐだけで、オマエがやってきたことはまず通用しない。」
でも、と言おうとしたけど、今度はドニスに遮られる。
「つまり、皆殺しにしないのであれば、王の思考をこちら側に捻じ曲げて、民を指導してもらうしかないんじゃないか?具体的に言えば、この国の宗教に衝突しないような解釈をどうにか提案して、タンナが穢れているという考えを払拭するといったところか?それがオマエたちにできるとは思えん。この中で一番マトモにできそうなヤツに行ってもらうのが、一番早いじゃろうて。」
何も言い返せなかった。ヒナもしょんぼりとしている。
「ま、ここまで平和に事が進んだのは、二人のおかげだ。あとは任せてくれ。」
そう言って、ローズはボクたちの頭を撫でて、サニアの王の元へ向かわんと、大きな背をボクたちに向けた。
ボクは初めて、ローズを頼れる大人だと思ったかもしれない。
が、ローズは空間の壁に顔面を強打した。気持ちいいくらいに、ガンッと音を響かせて。
振り向いたのは、鼻血を垂らして涙目になるローズ。芽生えかけた尊敬は幻だったみたいだ。
それを見て、ドニスは大爆笑で転げ回っている。
「ガハハハ、さすがのローズも空間の壁は見えないか!越えられないか!」
笑いで息絶え絶えになりながら、床をバシバシと叩き出した。ローズはドニスを氷のツタで引っ叩こうとするも、全て尻尾で弾かれてしまう。
ローズは悔しそうにしながら、渋々、ドニスに外に出してもらうよう、頼み込む羽目になってしまった。
ドニスのいたずら心で、ローズは誠心誠意のお願いを何度かさせられることは予想がついたけれども、まさか5回もすることになるとは思わなかった。




