Episode 1
暑い。暑くてしょうがない。
炎がオレの周りを囲っている。しかし地面はただの石畳で、燃えるようなものはない。
それでも炎がメラメラと燃え続けているのは、ソークのクソッタレが魔法で維持しているからだ。
「ふヒャヒャヒャ!魔法の使えない能無しどもめ。このソーク様が直々に修行をつけてやっているんだ。感謝するんだなぁ!」
能無し「ども」とソークが言った通り、炎に囲われているのはオレ一人でない。隣で頭を抱えて震えているばかりのチキン野郎の名前はノアだ。
徐々に炎がオレたちを追い詰めていく。ノアとべったりくっつくことになるのはあまり快くないが、残念ながらそんな贅沢を言っている場合ではないようだ。
いつもならこのあたりで、ソークの腰巾着のウドーが、誰かが近づいてくるのを察知して、オレたちは解放される。しかしながら、今日は実に運がいいらしい。炎が肩を撫で出したのは新記録だった。
痛い。痛い。苦しい。
はらわたが煮えくり返って、もう少しで蒸発するような気がした。そして気がつけばオレは叫んでいた。
炎が消えた。
突然の出来事に何が起こったのかわからず、思わずソークの方を見た。どうやら、ソーク自身も何が起こったかわかっていないようで、何度も何度も炎を出そうと必死になっていた。
ソークの腰巾着その2、マーチャが止めに入ったのか。いや、自らソークに弟子入りを迫るようなアンポンタンだ。この行為が嫌がらせであることすら理解できていない。止めてくれるわけがない。
ウドーだろうか。ありえない。ウドーはソークが大好きな、感性のおかしいヤツだ。止める理由がない。ならば消去法で行くと・・・
と、ノアの方をチラリと見た。ノアが素早く動き出した。
次の瞬間、頬に激しい痛みが襲う。動いていたのはオレだったようだ。魔法を出すのを諦めたソークは、オレたちを暴力で「鍛える」ことにしたらしい。
「テメーら!能無しのくせに、一丁前にソーク様の魔法を邪魔しやがって。何をしたか知らねぇが、身の程を教えてやる!」
こうして、ソークは一人で器用にオレとノアをどちらもボコボコにし終えたところで、ウドーが止めに入ってきた。
捨て台詞を吐くこともなく、3人はあっという間に立ち去っていった。入れ違いで、誰かの足音が聞こえてくる。
顔を上げる気力もないので、誰がきたのかはわからない。その足音はオレたちの近くまで来たかと思うと、すぐさまに遠くに消えていった。当たり前だ。
オレたちは魔法も使えない能無しなのだから。
「ノゾム!ねぇ、ノゾム!」
どうやら、かなりの時間、意識を失っていたらしい。あたりは真っ暗だった。ノアの顔はよく見えないが、声音から興奮しているのがわかる。
「あぁ、やっと起きた。ねぇ、ノゾム。君はすごいよ。さっき炎を消したのって、ノゾムの力なんでしょう?」
オレはてっきり、それはノアの力だと思っていた。しかし振り返ってみると、あの時の叫び声と一緒に、何かを「した」ような感覚があったような気がする。何かを出したわけでもないし、何かに触ったわけでもない。これまでの経験のどれにも当てはまらない感覚だ。もしかすると、これが魔法を使う感覚なのだろうか。オレもようやく、魔法が使えるようになれるのだろうか。
「ま、まぁな!まだ練習中でうまく行くとは思っていなかったけどな。お前も早く、魔法が使えるように頑張るんだな!」
魔法が使えるのが当たり前であるこの世界で、オレとノアは、前例など全くない、魔法が全く使えない存在だ。だから、オレが威張れるのは、弱虫で泣いてばっかのノアしかいない。ノアに誇れるものだったら、嘘をつくことも苦しくない。嘘で誤魔化さないと苦しい。
「うーん、ボクにはできる気がしないけど、親友の言うことだもんね。頑張ってみるよ!」
ノアはオレをたまに親友と呼ぶ。同じ能無し同士で親近感を覚えているのだろう。だが、能無し同士で傷を舐め合ったところで何も進歩はない。あれが本当にオレの力であるのなら、早くこれを習得して、オレは上を目指す。それであの「ソーク」ソの野郎をギャフンと言わせてやる。
「まあ、せいぜいオレに遅れを取らないように気をつけるんだな。でないと、魔法を使えないのがお前一人になっちうもんなぁ。」
「わわ、怖いこと言わないでよ。とりあえず、どうすればいいか見当もつかないけれども、頑張るよ!ありがとね。」
そう言って、ノアは帰路を駆け抜けていった。
あいつは今、「ありがとう」と言った。昔からそうだ。純粋で、どんなに見下されてもそれに気がついてないかのように、誰にも優しく接する。ソークにさえ優しく接する。あぁ言うやつはきっと、意地汚いやつに搾取されて、のたれ死んでしまうんだろうな。
「うぐっ、イタタタ・・・。」
後頭部の痛みを手で慰めながら周囲を見渡した。どうやら、ボクは授業中に眠ってしまったらしい。斜め前に座っているノゾムに目をやると、何かを自慢しているかのような誇らしげな顔を向けてきたのだけれど、残念ながら何を誇っているのかはボクにはわからなかった。
ほとんど覚醒したところで、教卓の方からわざとらしい咳払いが聞こえてくる。
「ウオッホン!繰り返しになるが、明日は君たちの1年間の集大成となる。君たちは明日、試験に合格せねばならない!合格できる知能がない輩には、プロタンティスを授かる資格など、ないと思えぃ!」
レッジ先生が興奮気味に熱弁してくる。そんな中、生徒の中から一つの手が真っ直ぐに上がった。ソークが挙手をしたようで、意気揚々と、先生の指名を待たずに勝手に喋り出した。
「でもセンセー?合格なんてしなくても、別にプロタンティスは授かれるじゃないですか。何をそんなに張り切ってるんですか?」
「バ、ババ、馬鹿者!プロタンティスが我々にもたらしてくれるものは、あくまで我々の行動の補助、強化に過ぎない。魔法技術の発展、応用はもちろん、その補助や強化の実現は、魔法原理の理解していないチンプーには到底できん。そして、その理解を確認するのが明日の試験だと、これまで再三再四言ってきただろうに!」
ソークは、レッジ先生が熱量を高めていく様が面白くてしかながないようで、その様子はここ、魔法小屋ではいつからか日常茶飯事になってしまっていた。ソークはさらに、魔器官に魔法粒子をつっこむようなことを言う。
「いやいやぁ。そもそもですよ。センセーの頃には魔法小屋なんてなかったでしょう?つまり、わざわざこんなとこでチマチマ勉強しなくたって、みぃんなプロタンティスとうまくやっていけるてことじゃないですか?」
レッジ先生が口を開くよりひと足先に、ソークはさらに口喧嘩に魔法粒子を入れる。
「あ、そ・れ・と・もぉ、センセーは自分のプロタンティスをまともに使えこなせないチンプーだってことですかぁ?」
ここでレッジ先生、深呼吸を1回、2回と挟んでから、ソークの頭上に金属の塊を作り出した。
「うぐっ、キュゥゥン・・・。」
ソークは授業中なのに居眠りを始めてしまったようだ。
「ウオッホン!とにかく!各自で試験に全力を尽くすように。それは明日だけのためではない。明日から始まり、光に包まれるそのときまでの君たちの日々のためじゃ!」
そうしてレッジ先生は、「それでは今日は終了とする。」とポツリと言い残してから、魔法小屋を後にした。
先生が去るのと同時に、ボクは急いでノゾムに声をかけた。そうしないと、あっという間に帰ってしまうからだ。
「ねぇ、ノゾム。このあと、いつもの場所で勉強会でもしようよ。」
ゆっくりと振り返ったノゾムは、露骨に嫌そうな表情だった。
「は?なんでお前となんか勉強しなくちゃならないんだよ。」
「別にいいでしょぉ?そもそも、誰も僕たちと一緒に勉強なんてしてくれないんだから、協力した方がいいじゃん。」
そう、早く僕たちはみんなに認めてもらえるくらいに魔法が使えるようになるんだ。そうすれば、きっとみんなで楽しく過ごすことができるはずだから。
「なぁにが協力だよ。そもそも、一緒に勉強するなんて言っても、勉強が得意なヤツと苦手なヤツがいたら、得意な方は何も得られるものなんてないだろう?どう考えても、一人でやるのが最適だ。」
「ノゾムは相変わらず、つまらないことを言うなぁ。楽しく勉強できるってだけで十分じゃないか。それに、教えることで見えることもあるってレッジ先生だっていってたよ?」
「あんな年寄りの精神論なんてカビでも生えてそうで、聞くだけで耳が腐りそうだぜ。いいから、オレは一人でやる。ついてくるなよ。」
そう言って、ノゾムは走り去ってしまった。
「で、なんでお前はここにいるんだ?」
オレはノアにできる限りの小さい声で問い詰めた。
「まあまあ、いいじゃん。そんなことよりもさ。こんなことしてるんだったら、仲間に入れてもらおうよ。」
そう言ってノアはソークたちを指差した。彼らは明日の試験に備えて勉強に勤しんでいるところだった。オレたちはそれを盗み聞きをしている。
「お前、それ本気で言ってるのか?」と言いそうになったが、能天気な「ノア」ホが理解できるはずがないと、声に出すことはなかった。
「あぁ!めんどくせぇ!なんでこんなに真面目にやんなくっちゃならないんだよぉ!」
いい感じに話が聞けていたのに、ソークが急に叫び出してしまった。
「ハァ、『試験で満点取って、レッジの野郎をギャフンと言わせてやりたい!』なんて息巻いていたのはどこの誰か、忘れたんですか?」
ウドーが疲れた様子でそう言った。その目ぼ輝きはとっくに失われている。無理もないだろう。ソークはそのままでも合格できる程度には頭がいいものの、優等生というほどではない。その中途半端なせいか妙に変なところに引っかかることがしばしばある。その問いは、あのレッジでも答えられるのか怪しいものとなることもある。ウドーはオレたちの年代で最も授業の理解度が高いが、それが妙なプライドを作り上げてしまったのだろう。そのヤバイ質問にどうにか答えようと、ここまでの質問の大嵐の中でずっと頭を抱え続けているのだ。
「だってよぉ、意味わかんなくね?」
「落ち着いてください。まずは疑問を整理しましょう。申し訳ないんですけど、もう一回、わからないところを説明してもらえますか?」
「まったく、ウドーはしょうがないヤツだなぁ。いいか?まず、15歳になったオレたちは、次の春にプロタンティスってやつがついてくるようになるってレッジは言ってた。周りの大人たちに確認しても、おんなじ感じのことを言う。」
「えぇ、そうですね。続けてください。」
「でも、オレは周りの大人にくっついてるプロタンティスなるものを、見たことがねぇ!お前たちだって見たことないんだろう?」
マーチャがすごい勢いで首肯した。マーチャはオレたちよりも1つか2つ年下だから、まだ魔法学校には通っていない。それにもかかわらず、プロタンティスあたりの知識を持つのは、ソークにいつも付き纏っているからだろう。
「それについては、先生も言っていたじゃないですか。プロタンティスは、授かった本人しか見えないし、声を聞くことができない、と。」
本日、ウドーがこの説明したのは4回目だ。いや、5回目だったかもしれない。それでもソークは納得がいかないようだ。
「だ・か・ら!それが意味わかんないっつぅの!プロタンティスが存在してるっていうなら、見えなきゃおかしいだろう?授かった本人が見えてるって言うなら、魔法粒子みたいに小さ過ぎて見えないってわけでもないんだから。」
「うーん、ウチもなんか怪しく思えてくるわぁ。ホントはプロタンティスなんて、いないんじゃないのかねぇ。それこそ、レッジとか言うジィさんが食い扶持のために、嘘ついてるんじゃないん?魔法を使うほどに魔法を使うためのパワーを補給してくれるって、怪し過ぎやんなぁ。」
マーチャがソークに加勢してしまった。ウドーは疲れておかしくなったのか、頭を拳で軽くこづきながら、うめき声を発していた。
ソークとマーチャが「そうだよなぁ」、「そうよなぁ」と何度か共鳴してから、ウドーはようやく口を開いた。
「それだったら、周りの大人たちの誰もがプロタンティスの存在を肯定することがおかしいでしょう。」
声だけで疲れ切っているのがわかる。それにお構いなしに再びソークが何か言おうとしたが、その前にウドーはまた喋り出した。
「とにかく!とにかく、明日の試験で満点を取りたいんでしょう?だったらその疑問は今じゃなくてもいいと思いませんか?まずは、試験の内容を全部覚えてから、それから考えましょう。ね?」
そこからは、あたりが暗くなるまでソークは真面目にウドーの講義を聞いていた。なぜかマーチャも真面目に聞いていて、質問することさえあった。ウドーは、また理不尽な質問が来るのを予感したのか、「はいはぁい!質問、質問。」と言う声を聞くたびにビクビクしていた。
「いやぁ、結構勉強になったねぇ。今度、ウドーに何かしらのお礼をしなくっちゃ。」
ソークたちの勉強会の覗きが終わった帰り道、ノゾムにそんなことを言ったところ、ものすごく呆れた顔をされてしまった。
「お前なぁ、オレたちがやってたことをなんだと思ってるんだよ。あいつらにバレたら、また『修行』とやらを受けちまうぞ。」
「まぁまぁ、ボクらだってプロタンティスを授かることができれば、魔法が使えるようになって、ソークたちも僕らの扱いを考え直してくれるよ。だから、そのときにって話!」
ノゾムは大きなため息をついた。
「お前は本当に、世界一『ノア』ホだな。そんな都合よく行くわけないだろ。その通りになったら、あそこで何万回でも針刺しを受けてやってもいい。」
そう言って、ノゾムはちょうど視界の横を通り過ぎる病院を指差した。針刺しは大人でも泣き叫ぶことがあるらしい。実際にどんなことをしているのかは知らないけれど、大人たちがボクらを叱るたびに「針刺しやってもらうぞ」と言ってくるものだから、この単語を聞いただけで身体が少し震えてくる。
「お前の能天気さはいつものこととはいえ、試験前日に聞いてると頭が悪くなりそうだ。今日はもう一人で帰る!」
急に走り出したノゾムを、ボクは呆然と見ることしかできなかった。
・チンプー
猿のような見た目をしていて、およそ半数程度の個体がこの世界の人々と同じ原理で魔法を使うことができる。しかし、その精度はカスである。
何かしらに対して未熟で猿真似に過ぎないことしかできない人に対する侮蔑的な表現としてこの単語が使われることがある。