Episode 9
「・・ム、ノゾム。起きてください。」
ザードの声で目が覚めた。
ここはおそらく、ミルの家だ。ふやけた頭から昨日の記憶を探る。
「ほら、ミルも。もう朝ですよ。」
大きなあくびと共に、ミルは身体を伸ばした。
枯れた枝のようにゴツゴツとした手が目に入る。
途端に、昨日の出来事がオレの全身を駆け巡った。
「ふぁぁ。おはよ。・・・ってなに、朝からシケた顔してんのよ。」
ミルがオレをこづいてきた。その感触は、とても手だとは思えない硬さだった。
「イタッ」と、ミルが小さく言うのを、オレは聞き逃さなかった。
心が押しつぶされそうだ。その圧力で心が口から出てきそうに思えてくる。実際、喉の辺りで何かが引っ掛かるような感触もある。
オレは慌てて、外を流れる川の方へと走っていった。
残念ながら、心は身体に留まり続けた。
「もう、どうしたのよ。ケガはちゃんと治してあげたでしょう?」
後からミルがやってきて、オレの背中をさすってくれた。
硬い。
心臓がうるさい。身体は空気さえも吐き出さんと、えずきを止めてくれなかった。
頭が痛い。身体中を空気が乱暴にまわる。
「オレは・・・。オレは・・・!」
ミルの方を向いて、必死に言葉を探した。
顔を覆う手を、ミルが剃って剥がして、優しく包み込んでくれた。
「大丈夫だから。これはアタイが勝手にやったことだから。」
「・・・でもよ!オレのせいで・・・。」
すると、ミルの目からポロポロと涙が溢れてきた。
「アタイがみんなを治して大活躍!それでいいじゃない。お願いだから、そんな苦しそうな顔しないでよ・・・。悲しそうな目でアタイを見ないでよ・・・。お願いだから、こうまでして治して良かったって、思わせて。そうじゃないと、アタイ・・・。」
ミルはむせびながら額をオレの手に乗せて続ける。
「もう、オカシくなりそうなの。」
ミルの嗚咽が全身に響く。
「ノゾム。怖いよ。あれからみんなは、もっと変に優しくなった・・・。誰もアタイの側にちゃんといてくれない。寂しいよ。」
徐々にミルがオレの胸の中へと潜り込んでくる。
「ねぇ、ノゾム。ノゾム・・・。昨日までみたいに笑ってよ。今すぐじゃなくてもいいから。」
それからしばらくして、ザードがオレたちを呼びにきた。朝食を用意してくれたらしい。
テーブルの上にはパンが山盛り。それ以外のものはお茶くらいだった。
「用意してくれたのはありがたいけど、これじゃあ、あんたたちが途中で倒れないか心配だわ。卵やら野菜やら残ってなかったかしら。」
ミルが苦笑いしながら席に着く。
「野菜や卵なんて食べなくても大丈夫ですよ。美味しくないですし。」
ザードはにこやかに答える。
「・・・昼はアタイが用意した方がよさそうね。」
そう言って、ミルはカップを持ち上げた。
しかし、カップはその手から滑り落ちる。
床でカップの破片が散った。
「あ、えっと。ごめんね。すぐ片付ける・・・。」
ミルは動揺を隠せていない。
「いや、ミルは座っててくれ。今降りれば、破片を踏んづけるかもしれない。」
オレの声は、心の奥底の揺らぎを隠せているだろうか。
床に広がるお茶に、水滴が何度か落ちた。
朝食が済んでから、オレたちは畑の手入れに向かった。
「今日やるのは草むしりね。根っこが残らないように、こうやってしっかりと掴んで引っ張ってね。」
しかし、説明とは裏腹に、草は途中でちぎれてしまった。
「ア、アハハ。ちょっと畑仕事から離れてたから、感が鈍ってるのかな。」
ミルのうつむいた笑顔の向こうに、はっきりと憂いが現れる。
何回繰り返そうとも、ミルの手の中で雑草はちぎれていった。
オレとザードは、そこまで苦労することはなかった。できてしまった。
「あ、あんたたち・・・。なかなかセンスあるじゃない。ハハ・・・。」
その後も何度も挑戦するも、ミルは手を震わせるばかりだった。
昼過ぎ、ミルは食事を摂ることなく部屋にこもってしまった。
「ちょっと、一人にさせて。ごめん。」とのことだった。
オレは気まずさから、ミルの家から離れた。いや、逃げた。
向かった先は、ザードの家。他に行く宛なんて、街の外くらいしかなかった。
到着して初めて目的地を知ったにも関わらず、ザードは嫌な顔ひとつせずに玄関を開けてくれた。
中には誰もおらず、胸を撫で下ろした。
オレは迷うことなく、ザードの部屋へと向かった。
「・・・ここは静かでいいな。」
「外がうるさすぎるだけですよ。」
うずくまるオレに、ザードは後ろから腕を絡めてきた。
耳元でザードの微かな呼吸がしっかりと聞こえてくる。
「オレは、ミルの魔法を台無しにしちまった・・・。それなのに、どうして・・・。どうしてあんなに優しいんだよ。」
「ノゾムのせいですか?ミルがケガを顧みずに無理していたように見えましたが。」
「そのケガを作ったのがオレだ。そして、トドメを刺したのもオレだ。」
ザードがオレの頬を撫でる。
「でも、魔法を使うミルは、とても幸せそうでしたよ?」
「・・・何が言いたいんだ?」
「ノゾムがそんなに苦しむことはないということです。」
「で、でもよ・・・。いや、そんなこと言われたって・・・。」
ザードはさらにオレに密着してきた。
「もっとも、今の苦しむノゾムを見ているのは、嫌いじゃありません。ずっと眺めていたいくらいに。ですが、そんな上の空な状態のままでは、ボクの話し相手にはなってくれそうにないですから。もちろん、ミルにもです。」
「でも、ミルは・・・。ミルは・・・。」
横からザードの顔が見える。うっとりとした、甘い表情だった。
「ミルもそれを望んでると言ったじゃないですか。」
「そうだけどよ。いったいオレはどうすればいいんだよ・・・!どんな顔してあいつと話せばいいんだよ。」
「さぁ、ボクには見当もつきません。ですが、一緒にここで考えることはできます。」
それを聞いて、涙が溢れてきた。オレには仲間がいる。その意味が分かりかけた気がした。
オレが喋れずにいると、ザードが口を開いた。
「まぁ、最悪は。みんなで心中すればいいだけですから。そんなに頭を悩ませることないですよ。」
そのとき脳裏に浮んだ景色で、オレはミルの首を締めていた。
一瞬、ミルはこれを受け入れてくれるように思えてしまった。
「フフ。どうして震えているんですか?未来を悲観する者。未来が潰えた者。生きることに罪を覚える者。そう、おかしい話ではないでしょう?まあ、選択肢の一つに過ぎませんけどね。」
なんとなく、これ以上ここにいてはいけない気がした。
だけど、あまりにも居心地が良過ぎた。
ミルが部屋の窓を叩くまで、オレたちは何も言わず、ただ絡まっていた。
「なかなか見つからないと思ったら、ここにいたのね!さ、午後もがんばりましょう。」
こうして、またミルに連れられて草むしりに勤しむことになった。
ミルの手の震えはますます激しくなり、時折、痛みに耐えるように顔を歪めているのが見えてしまった。
「ま、今日はこんなもんにしておきましょうか。」
空の色がオレンジに染まりだす頃、ミルがそう宣言した。
「しかし、随分と広いですね・・・。終わる気がしませんよ。」
ザードが畑を遠目で眺めながら言った。
「その点は心配ないわ!本来は討伐隊の仕事で、アタイはいないはずだったんだもの。アタイたちの担当部分は、素人がいることも加味して、狭めにしてもらったわ。」
手がそんなになってしまったから気を遣ってくれたのだろう、と言いかけて、咄嗟に口を閉じた。
オレは生きてていいのだろうか。
「ちょっと、ノゾム。なぁに、暗い顔してんのよ。さ、夕食の準備をしましょう?アタイ、もうお腹ペコペコよ。」
そういって、ミルはオレとザードの手を掴んだ。
しかし、その手は力無く、すり抜けてしまう。
オレは慌ててミルの手を掴んだ。
「そ、そうだな。早く帰ろうぜ。」
「う、うん!」
笑顔を保っていたミルは、家に近づくにつれて、ポタポタと涙をこぼした。
次第に、オレの腕に絡みついて泣き出した。ワンワンと泣いていた。
ザードは特に表情を崩すことなく、反対側のオレの腕にまとわりついている。
苦しい。
結局オレは、ミルに何ひとつ、気の利いたことを言えなかった。
二人分の寝息を聞きながら、次の日を迎えた。
また、一日が始まってしまう。
ここで、ノゾム側の物語は一旦終わりです。
次話からはChapter 1のEpisode 6で、暗闇へと消えてしまったノア側の物語へと一度移ります。
投稿時間がこれからしばらくは正午になりますが、次話はこの話の12時間後に投稿されるので、ここまでリアルタイムで読んでくださった方も、これまで通りのペースで読むことができるはずです。
物語もついに半分が終わりました。最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




