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聖女が力を失った

聖女が力を失った。


リトブール伯爵家の娘オリシアは、その日も礼拝堂で祈りを捧げていた。


「嘘」


ぽつりと零した言葉を聞き取ったのは、次の日の礼拝の準備をしていた司祭だった。


「そんなはず」


聖女の居場所は、まばらに信徒の座る会衆席の横、側廊の端に設けられていた。朝から夕まで祈りを捧げるオリシアの周囲にはいつも、星の瞬きに似た光が舞い踊っていた。


「いや。…かえして!」


その光が揺らめいて消え、目を開けていられないほど強い輝きが生じ、おさまってみるとそこにはオリシアが倒れていたのだという。


そして国は、聖女の加護を失った。


*


国境には魔物が出る。


「警備隊とは連絡が取れないのか」

「砦に詰めている部隊から返事がありました。最前線に出ていた精鋭部隊が失踪したと。聖女の加護がなくなったのと同時です。おそらくもう」

「聖女の力とは、こうして失われるものなのか」

「まさか。先代がそうだったように、聖女の命が尽きる前、次代へと受け継がれるものです。安全な礼拝堂の中でどうして命を脅かされることがありましょう」


倒れて後、意識の回復しないオリシアは、リトブール伯爵家のタウンハウスに運び込まれ看護されている。事情を聞くため意識が戻り次第出頭せよとの命令に、リトブール伯爵から強い抗議が申し入れられた。


「まるで奪われるかのような言い様だったと」


司祭と信徒から聞き取った調書を宰相が撫でる。


「聖女の力を奪うことが?」

「それこそまさか。神より与えられるものです」

「弱くなるようなことは」

「身体を壊した聖女はいます」


倒れたから失ったのではない。祈りの途中で慟哭し、その後倒れたのだ。


「あとは、聖女の力は貸し与えることができます」


神学者が言う。


「次代へ受け継ぐのと同じく、聖女がその人と決めた相手に力の一部を貸し与えることができます。それならば、貸し与えた側、聖女の意思で止めることができます。本当に受け継ぐのとは違い、資質を問われることもありません」


偽物であれば力を奪われることがあるということだ。


「あの娘には義姉がいたな」


先代の聖女から力を受け継いだとされてよりこれまで、他に聖女がいたのなら、名乗り出ずオリシアが聖女であるかのように装って協力していたことになる。リトブール伯爵家の外から迎えられた義理の娘というのは、家の都合で利用される可能性のある弱い立場に見えた。


*


嫁ぎ先に使者をやると、オリシア・リトブールの義姉マイエ・イオニスはその場で聴取に応じた。


「血の繋がりはありません。母の再婚相手があの子の父親で。リトブール家には感謝しています。いい嫁ぎ先を用意してもらいました。ええ。母は元々子爵家の出身で、最初の嫁ぎ先、私の生家は商家でした。ただの平民です」


イオニス伯爵夫人である彼女は、リトブール伯爵家から嫁いで後、夫との間に二人の子供を設けている。


「母が嫁いだのは私が成人するかしないかという頃です。すぐに、いえ二年ほどで家を出ました。だからあまり関わりは。充分によくしてもらっているのに、あの娘のが多く持っているというだけで嫉みたくはないではないですか。隠させるのも気を使いますし。私から奪った?ありえません。だってあの娘、神殿に言われて聖女の後継に呼ばれたのですよ。リトブール家は以前にも聖女を輩出しているのでしょう。どうでしょう。ああ、上の子のお産で私、生死を彷徨ったんです。昏睡して。ありがとうございます。もうまったく。けれどそれでは貸すも何もないでしょう。あの娘が聖女を継いですぐのことでした」


使者が調書を持ち帰ったのは聴取の更に次の日のことだ。宰相は読み終わったそれを押しやった。


「オリシア嬢以外の候補は」

「おりましたが、皆貴族で、リトブール伯爵家が一方的に何かを強制できるような相手は」

「いつ大きな波が来るかわかりません。一刻も早く聖女の力を取り戻さなくては」


騎士隊長はそう述べる。国境で失われた精鋭部隊の行方は未だ知れなかった。


宰相、大臣、学者が揃い頭を抱える場に、書類を持って駆け込む者がいた。


「申し上げます。オリシア・リトブール伯爵令嬢の意識が戻りました」


*


リトブール伯爵は娘をタウンハウスに留め置き、出頭の要請を拒んだ。


「意識が戻って加護も戻るならば、力を使わなかっただけ、ということもあったが」


いまだに聖女の加護は戻らない。


聖女が祈ると国に加護が満ちる。その力は魔物を退け、国民を護る。加護なくしてはすぐに魔物の群れが国境を踏み越えてやって来るだろう。


司祭は言う。


「まさかそんな。きっと何かの間違いです」

「オリシア嬢が聖女の力を持っていたことは確かですか」

「先代より引き継がれるのを私はこの目で見ています」

「聖女の引き継ぎとはどういう」

「儀礼的には、神殿にて、祭事を執り行うのです。往々にして、元の聖女の健康に不安があってするものですから、他の祭事と比べると簡単に。言葉を述べて祈るだけです」

「それで確実に」

「当人には誰が引き継いだかわかると」

「オリシア嬢が誰かに力を譲ったということは」

「あの日、最後にオリシア嬢が聖女の力を振るったとき。あの光は見間違えるはずがありません。先代も振るったことのないような強い力でした」


先代聖女の頃から神殿に仕える聖職者は、疑うべきもないとそう述べた。


*


聴取のため、リトブール伯爵は騙し討ちのようにして娘と引き離されることとなった。打ち合わせと称して登城を促し、その間にオリシア嬢を神殿へ招聘する。


外で待つように言われた世話役の娘は言った。


「お嬢様は、苛烈なお方です。きっと聖女を騙ったと断じられ処罰されることも恐れないでしょう。その道行きが少しでも安らかでありますようにと、そう祈るのみです」


神の前にて裁定を得るため、会衆席の前、祭壇の前で聴取は行われる。


「私の力ではありません」


オリシア・リトブールはそう述べた。


「貴女は聖女ではなかったのか」

「聖女と名乗ったことはありません。私は、国のために祈ったことなどありません」


視線を上げ、伯爵令嬢は祭壇を見やる。


「ライナ様が聖女を退かれるとき、新しい聖女の最も有力な候補は私でした。しかし、私よりもずっと、その力に相応しい方がいたのです」


ライナ・カミルナは先代聖女の名だ。


「聖女の力はその方へ引き継がれました」

「そんなことが」

「ではその人物はどこに」


聖女の力なくしては、魔物を国から追い出すことができない。国境とはすなわち、聖女の加護の及ぶ範囲だ。


「存じ上げません」

「何だと」


オリシア・リトブールの着る服は、聖職者の規定に沿ってリトブール伯爵家が用意したものだ。装飾の少ないそれは、神殿の静謐な空気に溶け込んでいる。


「聖女の役目とは、神殿で祈りを捧げること。しかしそれでは、国境に沿って、魔物の侵入を抑えるだけの効果しかありません。私には光魔法の素養がありました。次代の聖女として呼ばれ、ライナ様の祈る姿を見ることもできました。そこに座って祈る振りができたのはそうした仕組みです」


側廊の端、聖女の居場所が指し示される。


「本当に聖女の力を必要とするのは誰でしょうか。魔物を実際に退け、戦ってくれるのは。私は居場所を存じ上げません。大群の魔物と遭遇し、その後行方がわからないと聞かされました。聖女の加護は、国を覆うだけでなく、魔物と直接対峙するときにこそ、実際に戦うためにこそ使われるべき力」


聖女は主に貴族の血を引く者から選ばれる。魔力が強く、素養のある者が多いからだ。選ばれた聖女は神殿に籠もり祈りを捧げる職務を担う。過去には男性が聖女であったこともあったが、その人物らも神殿に籠もり祈りを捧げる生活を送ったという。


「国境へ向かうあの方にこそ、聖女の力があるべきだった。それなのに。あの日、私に、聖女の力が渡された。見つからないんです。だから私には祈り方がわかりません」


当代の聖女はそう述べて沈黙した。


聖女の加護がなくなったのと同時に、最前線に出ていた精鋭部隊が失踪したと報告が上がっている。


祭壇の前に集まった聴取人たちも何か述べることはしなかった。オリシア・リトブールは聖女である。しかし、聖女の加護は失われたままだ。


会衆席にて聴取を見守っていた司祭は、そのとき起こったことを神の思し召しだと述べた。


「オリシア」


祭壇へと真っ直ぐに伸びた回廊の端、神殿の扉が開いていて、そこに若者が一人いた。聖女ライナの孫であり、国境を警備する精鋭部隊の隊長で、オリシアの護衛騎士だったことのある人物だ。


行方が知れないと言われていたその人物は旅装のまま歩き、オリシアに近づいた。


「貴女のおかげだ。もう間に合わないと、渡すことだけできればいいと思ったのに、祈ってくれたから帰ってこれた」


砦から使者を出すよりも、自身が行く方が早いと駆けてきたのだという。


若者にすがりついたオリシアは泣き、目を開けていられないほど強い輝きと共に国には聖女の加護が満ちた。次の聖女に力を引き継ぐまで加護は続き、平和な時代を築いたという。

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