病弱な従姉ばかり優先する婚約者に最後に贈る扇子言語はこれ!
この世界には扇子言語という、扇子の開き方、角度、添える指などで本音を伝える文化がある。扇子言語で伝える本音は全てが許される、人に優しい言語である。
◆
「エルザが熱を出してしまったんだ。今日のお茶会はキャンセルする」
婚約者であるマーロンが、私の屋敷に遅れて来たうえに、当たり前のようにキャンセルを口にする。エルザとは、マーロンの病弱な年上の従姉殿である。
この急なキャンセルは、何回目だろう?
いや、無事にできたお茶会を数える方が早いか?
「まあ、それは大変ですね。どうぞ、早く行って差し上げてくださいませ」
私は真摯に彼を見つめ、心配そうな表情を作った。
シラ〜ッとした空気が流れる中、私は左手でバッサバッサと下から上に扇子をあおいだ。
〝不快〜、不快〜、超不快〜〟
マーロンはそれを見て不愉快そうに顔を歪めたが、何も言わずに帰って行った。
パタンとドアが閉まった。
もちろん、私は見送りなんてしない。
「レイラ様、もしやまたですか?」
専属侍女のリリーがあきれたように尋ねた。
「そう、またキャンセル。リリー、そろそろあの扇子を用意しておいて」
「はい。早急に」
◆
私、レイラ・バルバラは、伯爵家の一人娘なので婿取りをしなければならなかった。
きついウェーブの艶やかな赤い髪に、猫のように吊り目がちのエメラルドの瞳の私は、勝気そうな美人だ。
ただ、好みは分かれるだろう。
そんな私は、1年ほど前、デナイル侯爵家から次男であるマーロンの婿入りを申し込まれた。
身分が上の侯爵家で、しかも、隣の領地でもあったので断れないお話だった。
しかし、初めて会ったマーロンは、プラチナブロンドに、蒼い瞳の、整った美しい顔立ちで、私のテンションは一気に上がった。
どうせ断れない話なら、この美形な彼と仲良くやろうと思ったのだった。
だがしかし、それは遠い昔のこと。
この男の好感度は会うたびに爆下がり、今ではマイナスを天元突破していた。
マーロンにはエルザという五つ年上の従姉がいた。
白銀の輝くような艶やかな髪に、憂いを帯びた蒼い瞳の儚げな庇護欲をくすぐる女性だった。
はっきり言って私とは正反対。そして、残念ながらマーロンの好みはこちらだったようだ。
なぜ知っているの?って、マーロンが初めてのデートから、常に彼女を連れて来ているからである――。
◆
あの初めてのデートの日、少し早く着いてしまったレストランで、私はドキドキとマーロンを待っていた。
ここは、私の家が出資しているレストランだ。
味も美味しいし、今貴族の間でも話題になっているレストランなので、初めてのデートにどうかとお父様から勧められたのだった。
男の方と二人で出かけるなんて初めてだ。
私はドキドキと期待に胸を膨らませていた。
しかし、ここから奈落に落とされることとなる。
マーロンは、月の光を集めたような蒼みがかった艶やかな白銀の髪に、甘やかな蒼い大きな瞳、透き通るように白い肌の、華奢で美しい女の人を腕にくっつけて来たのである。
「今日はエルザの体調がいいから連れて来たんだ」
私は困惑に目をパチクリさせた。
初デートに普通連れて来るだろうか?
唖然とする私の前で、マーロンとエルザは気安げに微笑み合った。
その当たり前のような様子に、疑問を感じる自分が間違っているのかとさえ思った。
3人で同じ方向を向くはずが、自分以外の2人が間違った方向を向いたら、自分が正しい方向を向いていても、あれ?間違った?と思う、あの感じである。
「初めまして。マーロンの従姉のエルザです」
「バルバラ伯爵が娘、レイラです?」
未だ混乱の中、とりあえず私は挨拶した。
文末が疑問形なのはしょうがない。
「マーロンは口下手だから、心配でついて来ちゃったの」
「エルザ!」
「もう、本当のことでしょ?」
エルザがクスクスと笑ってマーロンの頬をつつく。マーロンは赤くなりながらも、その顔は嬉しそうだ。
私は何を見せられているのだろう?
「この子、お見合いの時もあまりしゃべらなかったでしょう?ごめんなさいね」
エルザが、余裕の微笑みをゆったりと浮かべた。
なぜ、この人に謝られているのだろう?
どうしよう?頭の中がハテナだらけだ。
よくわからない状況ではあるが、すらっと背の高い黒髪の若い従業員がやって来て、予約していた個室の席に案内された。
そして、黒髪の従業員がチラチラと私達を見て、目で人数を数えていた。
そうだよね……。予約は二人だものね。なぜに三人?って思うよね!
私は予約した個室に入ると、椅子の横で待った。
普通は婚約者の男性が椅子を引いてくれて座るものである。
しかし、マーロンがやってくれそうなそぶりはなかった。
いそいそとエルザの椅子を後ろに引き、恭しく彼女を座らせると、マーロンはその隣に座ってしまった。
私はどうしろと?え?まさか自分で椅子を引いて座れと?
私が困っていると、黒髪の従業員の方が椅子を引いてくれたので、感謝の目配せをしてマーロンの前に座った。
すると、エルザが悲しげにマーロンを上目遣いに見つめた。ウルウルと目が潤み、キラキラと無駄に光る。
あ、なるほど。この角度で見上げると、照明の光が綺麗に入るようだ。
「レイラ様は私がお嫌いだから、私の前に座ってくださらないのかしら?」
「そんなことはないさ。気の利かない従業員に勧められた席に座っただけさ。こんなに優しくて綺麗なエルザを嫌いになる人間はいないだろ?」
マーロンが、エルザの頭を優しく撫でた。
途端にエルザが花が綻ぶように微笑むと、マーロンは顔を赤くして口元を覆って照れた。
私はそのピンクの空気を直視しないように、死魚目で遠くを見つめた。
「レイラ、席を隣に移ってくれるよね?」
マーロンがそんな戯言を堂々と言うので、私は柔らかく微笑み、そっと扇子を取り出した。
あまりに頭の中がハテナだらけで、うっかり淑女の味方、扇子の存在を忘れていた。
私は微笑みを浮かべたまま、思いを込めて右手で扇子をバッと開いて、ピシッと左斜め45度に傾けて、ピッと中指を伸ばした。
〝てめえ、何言ってんだ!?〟
エルザがキョトンと小首を傾げた。
え?この人、扇子言語が通じない?
私は慌ててマーロンを見ると、こちらはちゃんと通じたようで、不快そうに顔を顰めていた。
「ねえ、マーロン?何て?」
エルザは辛うじて扇子言語の存在は知っていたようだ。
「あ、えっと。レイラはこの席がお気に入りなんだって」
マーロンがしどろもどろに全く違うことを伝えた。
私は再度、同じく扇子ポーズをした。
〝てめえ、何言ってんだ!?〟
すると、エルザがクスリと笑った
「フフフ……、わかったわ。その席がレイラ様のお気に入りなのね。可愛い。じゃあ、私がマーロンの席と交換して前に座ってあげますね」
「エルザは優しいね」
そう言って、私の前にエルザがニコニコと座り、その隣にマーロンが座った。
私はマーロンのせいで、この席がとってもお気に入り扱いになってしまった。
ところで、婚約者のマーロンが私の斜め前なの?
あれ?
こういう場合の普通ってなんだっけ?
私の普通が迷子になっていた。
その時、支配人が私達の個室にやって来た。
多分、黒髪の従業員の方が知らせてくれたのだろう。
支配人は、私達の席順を見ると、目を瞬き、おかしくね?という顔をした。
そうだよね!?おかしいよね!?
とりあえず、私はすっきりした。
「申し訳ございません。ご予約はお二人様でしたので、お料理はお二人分しか準備できておりません」
支配人が困ったような表情で、申し訳なさそうに言った。
そうだよね……。急に一人増えたら困るよね〜。
しかしマーロンは、悪びれもせずチッと舌打ちした。
私は、反射で扇子を右手で開いて下に向け、薬指をピッと伸ばした。
〝どん引き〜〟
まだ10分も経っていないのに、やばいほどマーロンの好感度が爆下がりし続けていく。
「マーロン、仕方ないわ。そんなに怒ったら、メッ!だよ?」
しかし、そんな私をアウトオブ眼中で、エルザがマーロンの頬を撫でながらメッと言う。
私は、扇子を振るのも面倒臭くて放置した。
「大丈夫です。私は気にしませんわ」
そうして、エルザが慈愛のこもった眼差しで支配人に宣った。
いやいや、あなたは気にしなくちゃダメだからね!?あなたが勝手に来たせいで足りないんだけど!?
「エルザ……。天使のようだ」
マーロンがうっとりと呟いた。
さすがの支配人も、呆気に取られた顔をして二人を見ていた。
「そうだ、レイラ。ここは君の家が出資している店なんだから、いつでも来られるだろ?料理は私とエルザで食べるよ」
「まあ、そうなんですね!だったらいいですよね?」
二人が、さもいいアイデア風にキャッキャッする。
はあ!?
私はとうとう我慢の限界を突破した。
こめかみに浮いた血管がピクピクするのを感じながら、ゆったり微笑んだ。
「まあ、マーロン様ったら冗談ばかり。クスクス」
私は右手で扇子をバッと開くと、下に向けてテイッと突き出した。
〝断固拒否〟
確かにいつでも食べられるが、なんでこいつらの思い通りにしなきゃなんないんだ!?
絶対イヤだ!
マーロンは、私の怒りと支配人の〝てめえ、何言ってんだ!?〟という冷んやりとした視線に顔を引き攣らせた。
もし支配人が女性で扇子を持っていたら、きっとバシッとした扇子ポーズを決めていたことだろう。
「ハ、ハハハ、も、もちろん、冗談さ」
「あら、マーロン。冗談だったの?イヤだわ、私ったら本気にしちゃった」
エルザがテヘペロした。
大丈夫。マーロン、本気で言ってたから。
結局、マーロンの分をエルザにあげることで落ち着いた。
そうして、濃い時間を過ごしてやっとこ料理まで漕ぎつけたのだが、私はなんだか疲れたよ……。
しかし、さすが今話題のレストランだ。
料理を口にした私は、速やかに復活した。
コトコトと煮込まれたビーフシチューは、お肉がほろほろと柔らかく、濃厚なデミグラスは芳醇な赤ワインが仄かに香り、私が貴族令嬢でなかったら、うっまー!!と叫んでいたことだろう。
白パンはフワッフワで、淡白な味わいがビーフシチューとベストマッチだ。
裏の畑で作っている採れたて野菜のサラダは、野菜の新鮮さと色鮮やかさにキラキラ輝いているようで、ドレッシングの爽やかな柑橘系の香りが口の中をさっぱりさせる。
海の幸のパスタは、貝やエビやカニやイカがこれでもかと入っていた。
多分、味付けは塩胡椒のみだと思う。
それでいいのだという説得力のある、力強い魚介の旨みがこれでもかと出ていた。
私もエルザも無言で食べた。
美味しい!美味しすぎる。
その時、キュルルルと切ない音が小さく鳴った。
マーロンだ。マーロンのお腹が切なげに鳴いたのだ。
可哀想に。エルザを連れて来なければ、全部マーロンの物だったのに。
プ〜クスクス。今、どんな気持ち?と聞いてみたい。
エルザもチラリとマーロンを見た。
見たけど、見ただけ。また無言で食べ始めた。
あれだけ、イチャイチャしていたのにあげないのかぁ。
マーロンのお腹からずっとキュルルルと切なげな音が鳴り続けた。
それからしばらくすると、エルザはお腹がいっぱいになったようだ。
元々マーロン用に用意された料理なので、女性には量が多かった。
「マーロン。これ、良かったら食べて。はい、ア〜ン」
エルザが、残っていたビーフシチューをスプーンですくうとマーロンの口元に運んだ。
「エルザ!」
感激したように、マーロンはパクンと食べた。
目を瞑り、味を堪能する。
あ、でもほろほろのお肉は全部エルザが食べたようで見当たらない。
「サラダも美味しいよ?」
今度は、フォークでサラダをマーロンの口元に運んだ。
これまた、マーロンは感動したように咀嚼しているが、それはエルザが避けていたピーマンだ。
いや、まあ、もちろん美味しいけど……。
白パンはすでにない。
「マーロン。パスタも食べてみて」
エルザはクルクルとフォークにパスタオンリーを巻き付けて、マーロンの口元に運んだ。
「すごい。魚介の風味が美味しいよ」
そうだね。エルザが貝もエビもカニもイカも食べちゃったから、本当、風味だけだよね……。
どうしよう。なんかちょっと切ない気持ちになってきたよ?
「レイラ。君もエルザの優しさを見習った方がいいよ」
「ソウデスネ……」
最後に、フルーツタルト、チーズケーキ、イチゴのショートケーキ、ガトーショコラ、アップルパイの五種類のミニケーキが私とエルザの前に運ばれて来た。
私もエルザも、そしてマーロンも目を輝かせた。
別腹がスタンバイオッケーだ。
多分、エルザを見るに彼女もスタンバイオッケーな様子だ。
「エルザ。私はガトーショコラが好きだな」
マーロンがまたア〜ンしてもらえると思って、エルザに言った。
「フフフ。私もガトーショコラが好きよ。一緒ね」
エルザが嬉しそうに微笑んで、食べた。全部。
「あ、そう、そうだ。イチゴのショートケーキも好きなんだ」
「まあ、私もイチゴのショートケーキ大好きよ。また一緒ね」
エルザは可愛らしく笑って、食べた。もちろん全部。
同じようなやり取りをして、エルザは全部食べていった。
うん。そうだと思ったよ。別腹だね!
「レイラ。次は三人分の予約をしてくれ」
「気に入ってくださって嬉しいです」
決して、予約するとは言わない。
こうして、記念すべき初デートは終了したのであった。
◆
後からわかったのだが、エルザは、マーロンの父親の妹、アマリリスが庭師と駆け落ちしてできた子供だった。
盛り上がった気持ちのまま駆け落ちに飛び出したアマリリスは、一週間ほどで戻って来たらしい。
お嬢様育ちのアマリリスが平民の暮らしなんて無理であったし、その庭師もいつまでもお嬢様気分のアマリリスに早々に愛想を尽かしたようだ。
しかし、すでにそのお腹には赤ちゃんがいた。
デナイル侯爵は大激怒し、戻ってきたアマリリスを追い出し、彼女の婚約者であったロルダン侯爵令息に謝罪として多額の慰謝料を払い、責任を取って嫡男に当主の座を譲り隠居した。
しかし、当主の座についた現デナイル侯爵はとことん妹のアマリリスに甘かった。こっそりアマリリスを匿い、屋敷に住まわせ世話を焼いた。
そうして生まれたのが、エルザだった。
身分はすでに平民に落とされたアマリリスであったが、その待遇は貴族令嬢であった頃と変わらなかった。
そんなアマリリスの娘のエルザは、アマリリスがそのまんま小さくなったようにそっくりだった。
エルザは、その身分こそ平民であったが、現当主デナイル侯爵に可愛がられ、マーロンとは姉弟より親密に、貴族令嬢と変わらぬ生活を送ってきたようだ。
◆
まあ、お茶会は平気ですっぽかす、デートはエルザ付き、贈り物もエルザのついでのように渡される、夜会のエスコートは嫌々おざなり、なんてマーロンを婿に迎える馬鹿はいない。
しかも、マーロンと結婚したら、エルザ付きで婿入りしてきそうだ。
抗議を入れても、父親のデナイル侯爵も身内と仲良くして何が悪いとばかりになあなあに流されたし。
そうして、一年間の猶予をもって改善の兆しがないため、お父様は証拠とともに婚約破棄を申し込んだ。
いくら身分が上でも、ここまで婚約者としてダメダメでは裁判に訴えれば婚約破棄も認められるレベルだ。
それに対して、マーロンはやはりすんなり納得しなかった。
私とマーロンが二人で話し合うことを要求し、それでも婚約破棄を私が望むなら受け入れると言ってきた。
なんと言うか、マーロンの美貌を前に、私が婚約破棄を撤回するだろうという自信が透けて見えて嫌だ。
しかし、その要求を呑まなければマーロンと婚約破棄もできない。
こちらは護衛をそばにつけることを条件に、私はマーロンと話し合うことを決めた。
◆
「レイラ。エルザは姉のような者だと言っただろう?でも、そんなに君が気にするなら、もうエルザを連れて来ない。ちゃんと二人でデートをするようにする。それでいいだろう?だから、ちゃんと君からお父上に、婚約を継続したいと伝えてくれ」
初めてのデートで行ったレストランの個室で、マーロンが胡散臭い笑顔で言った。
「マーロン様……」
私は困ったように淡く微笑んだ。
取り出した扇子は空を切る。
右手で扇子を開いて、バッと下に向けてテイッと突き出した。
〝断固拒否!〟
マーロンの顔が引き攣り、怒鳴ろうと口を開いたようだが、さすがにまずいと口を閉じた。
「レイラ。一回でいいから扇子言語はなしで、ちゃんと話し合おう。それでも駄目なら、婚約破棄に同意するから」
これが最後の我慢だ。
私は渋々頷いた。
それに満足そうな笑顔を浮かべたマーロンが熱っぽく私を見つめた。
私は直視しないよう俯いた。
「愛しいレイラ。私は君を一番愛している」
私が照れていると勘違いしたマーロンは、愛という字を2回ぶっこんできた。
私は、は?と思いつつ顔を上げ、真顔で扇子を振ろうとした。
しかし、扇子言語なしでということだったと思い出す。
〝てめえ、何言ってんだ?〟
「え〜と、てめ、んんっ、あなたは何をおっしゃっているの?」
言葉で言うとこんな感じ……?
くぅっ、キレがない。
しかし、さすがに貴族令嬢がそのまんまの言葉は口にできない。
「エルザは、体も弱く可哀想な存在なんだ。わかるだろう?私だって平民の従姉なんて恥ずかしいけど、優しくしてあげていただけなんだ」
だから、自分は悪くないと?
あれだけ大切そうにしていたエルザすら貶めるマーロンに、私はうっそりと笑みを深めた。
〝クソが〟
これはなんと変換すべきか……。
「この排泄物が?」
合っているような合ってないような?
しかし、それなりのダメージは与えることができたようで、マーロンの顔が引き攣った。
「レイラ。これからは、君だけを見つめるよ。エルザは、そうだ!修道院にでも入れてしまおう。だから、婚約破棄なんて悲しいことを言わないでくれ」
マーロンが保身に全力疾走し始めた。
私は引き攣りそうになる笑顔を表情筋でねじ伏せる。
〝このカス〟
「あなたは人として最低の言動を取るので、人間とも言い難い存在です」
長い。
そして、マーロンが意味不明だとばかりに首を傾げた。
申し訳ない。私も言っていて意味不明だった。
たった二文字なのに表現が難しい。
「レイラ。僕と結婚しよう」
甘やかに微笑むマーロンに、全身にざあっと鳥肌が立った。
〝マジ無理!〟〝勘弁!〟
「本当に無理です。申し訳ありませんが、婚約破棄をお願いします」
やっとまともに通じる言葉が言えたが、お前マジ最低だからな?マジふざけるな?という思いがマイルドな言葉になってしまっている。
「レイラ。もう意地をはらないで」
案の定、本音がダイレクトに伝わっていないようで、マーロンは私のそばに跪いて手を握ろうとした。
その瞬間、バーンとドアが開いた。
「マーロン。もう待ちくたびれてしまったわ」
お馴染みエルザがおっとりとした微笑みで立っていた。
マーロンは跪き私の手を握ろうとしたところで固まった。
しかし、その様子を見たエルザは嬉しそうに手を叩いた。
「まあ、レイラ様。仲直りできたようで良かったです。これから、マーロン様と私とお腹の赤ちゃんと4人で仲良くやっていきましょうね!」
……は?
私は3度瞬きしてマーロンを見た。
マーロンの顔から尋常ではない汗が流れていた。
なるほど。マーロンは妊娠しているエルザもセットで婿入りするつもりだと。
私は、何か言いかけては口を閉じる、海よりも鮮やかなブルーの顔色のマーロンににっこり微笑んだ。
「マーロン様。一度会って、扇子言語抜きで話し合ったら、婚約破棄に同意するというお話でしたよね?」
「い、いや、それは……」
私は、しまっていた扇子を取り出した。
つくづく準備しておいて良かった。
「どうぞ、エルザ様と末長くお幸せに」
私は心から寿ぐと、勢いよく特注の扇子を真ん中から折った。
バキッという音が小気味良く響く。
この扇子は、真ん中の素材が脆くできていて、しかもいい音が出るように作られている仕様だ。
その名も『婚約破棄御用達扇子』。もちろん、その他の案件にもオッケーだが、だいたいこれ系に使われることが多いらしい。
私は、折った扇子をガッと床に投げつけた。
さすがそれ用!ベシッといい音が響く。
しかも、使い捨てなので金額はお安いときている。
〝地獄に堕ちろ〟
「では、ご機嫌よう」
私はすっきり爽やかな顔で店を出た。
あとには、馬鹿面下げたマーロンと、キョトンとしたエルザ……そしてポツリと床に落ちた折れた扇子だけ。
◆
その後、隠居している前デナイル侯爵に、なぜかとある筋からこの婚約破棄の全容がいき、あっさりマーロンの有責で婚約破棄となった。
前侯爵は真面目で筋を通す人だから、孫のマーロンと息子のデナイル侯爵に大激怒した。
しかも、勘当したアマリリス親子まで屋敷にいて、火に油を注いで暴風まで吹き荒れた様子だったらしい。
デナイル侯爵の当主の座は、有無を言わさず長男に渡されたそうだ。
みっともなくごねるデナイル侯爵とマーロンは、速やかに屋敷から追い出され、その身分も貴族籍から抜かれたらしい。
元々エルザ親子のせいで夫婦仲は極寒まで冷え切っていたデナイル夫人は、あっさり離縁して再婚したと風の噂で聞いた。
追い出されたマーロンは、私の家にも何度か押しかけて来たようだが、もちろん会うことはない。
その都度、門番が肉体言語で丁重にお帰りいただくうちにその姿を見ることはなくなった。
その後、エルザ親子はさっさと金持ちの商人の妾になり、マーロン親子はどこぞに売られていったらしいが、興味もないので詳しいところは知らない。
◆
一方、私はというと――。
私はマーロンとの初デートから通っている、あの美味しいレストランに来ていた。
予約した個室に入り、椅子の脇に立つとすらりと背の高い黒髪の彼がスマートに椅子を引いてくれた。
柔らかな瞳が愛しげに私を見つめる。
私はニコリと微笑んで、椅子に座った。
彼の名前はカイル・ロルダン。
エルザ母が婚約していたロルダン侯爵の次男だった。
カイルとの運命の出会いは、まさに初デートのあの日。
私の椅子を引いてくれた黒髪の彼がカイル・ロルダンだった。
彼はロルダン侯爵家の方針として、職業体験をしている真っ最中であった。
もちろん、その時の私はまだマーロンの婚約者だったから、素敵な人だなぁと心に思うだけだった。
しかし、美味しい料理と、チラッとでも彼が見られるかなとレストランに通ううちに、よく目が合うようになっていった。
そして、私がマーロンに婚約破棄を申し込んだのを知ると、後押しするべく、隠居していた前デナイル侯爵にその婚約破棄の全容を知らせてくれたのだ。
アマリリスの婚約破棄で大迷惑をかけたロルダン侯爵家からのたれこみだ。
それはそれは大激怒した前デナイル侯爵が、出張ってきたというわけだ。
おかげで、私は晴れて自由の身だ。
ずっと伝えたかった気持ちを彼に伝えることができる。
私は心を込めて扇子を振る。
両手でゆっくり扇子を開げ、胸に抱くと真っ直ぐカイルを見つめた。
〝あなたを愛しています〟
お読みくださり、ありがとうございます。
面白かった〜!と思っていただけましたら、是非評価のお星さまをよろしくお願いします ♪