番外編② 妹は絶好調
ルーツィエの二つ下の妹、エルフリーデ・ラヘル・ツー・レルヒェンフェルトはとある書類を見てニンマリと満足そうな表情をしていた。
ルーツィエと同じ強い癖のある黒褐色の髪は艶やかで、アンバーの目はキラキラと輝いていた。
「リーデ、嬉しそうだね。何かあったのかい?」
エルフリーデを愛称のリーデと呼び、穏やかに微笑んでいるのは彼女の婚約者、フォルクハルト・ザームエル・ツー・ルックだ。ルック侯爵家の次男である。
ブロンドの髪にジェードのような緑の目。中々の美形である。
エルフリーデは現在十六歳、そしてフォルクハルトは姉のルーツィエと同い年で現在十八歳である。
「フォルクハルト様、実はレルヒェンフェルト商会で私が提案した事業が上手くいきましたの。商会の売り上げも三倍に増えましたわ」
エルフリーデは自信満々な様子で書類をフォルクハルトに見せる。アンバーの目は力強い。
「おお、流石はリーデ。やっぱり商売や経営の才能があるんだね。レルヒェンフェルト伯爵家を継がせてもらう私も共に頑張らないと」
フォルクハルトは感心していた。
レルヒェンフェルト伯爵家は商会を営んでいる。
リヒネットシュタイン公国はまだ女性が家を継ぐことは出来ない。よって最初はルーツィエがヤーコブを婿として迎えて彼にレルヒェンフェルト伯爵家を継がせる予定だった。しかしルーツィエがヤーコブとの結婚を嫌がり、当時第三公子だったクラウスと共に騒ぎを起こして以降、ルーツィエはレルヒェンフェルト伯爵家を出て行った。ルーツィエはリヒネットシュタイン公国君主であるライナルトに許可をもらい、リヒネットシュタイン公家から廃嫡されてティルピッツ伯爵となったクラウスについて行きティルピッツ伯爵夫人になったのだ。
よって、レルヒェンフェルト伯爵家は妹のエルフリーデがどこかの家から婿を迎えなければならなくなった。
レルヒェンフェルト伯爵家当主であり、ルーツィエとエルフリーデの父でもあるジーモンはエルフリーデの婚約者を自分で探そうとした。しかし、エルフリーデは何と「自分の婚約者は自分で探しますわ」と拒否したのである。
エルフリーデに言わせるとこうである。
「だってお父様は嫌がるルーツィエお姉様を無視してヤーコブと結婚させようとしたのですもの。それに、ヤーコブは商売能力や経営能力がボンクラですわ。そんな人を見る目がないお父様に任せたら、とんでもない方が私の婚約者になりそうですので。文句があるなら私の倍以上の売り上げを出したらいかがです?」
エルフリーデが言ったことは事実である。
ヤーコブに商売や経営の才能はない上、エルフリーデがレルヒェンフェルト伯爵家に残ることが決まってから彼女は商会の経営などに携わり売り上げを伸ばし始めているのだ。今ではエルフリーデのお陰でレルヒェンフェルト商会の売り上げは十倍に増えたのである。
更にエルフリーデは「お父様、もしどうしても私の結婚相手をご自身で決めたいのならば、私はレルヒェンフェルト伯爵家を出て行きます」と強気で追い討ちをかけた。
よって、父ジーモンは何も言えなくなってしまった。
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ある日、レルヒェンフェルト伯爵家の屋敷にて。
「お父様、数ある企画書の中からこれを選択するなんて、見る目がなさすぎますわ」
エルフリーデは呆れて肩をすくめた。
「だがエルフリーデ、この案は」
「穴だらけです。レルヒェンフェルト伯爵家当主で商会長なのに、こんなことも分からないなんて」
エルフリーデは盛大にため息をつき、どこが問題なのかを説明し始める。
ジーモンは、エルフリーデの隣にいるフォルクハルトに助けを求める。
「閣下、私もリーデと同じ意見ですよ。正直に言いますと、閣下はもっと新しい価値観に触れた方が良いかと。今の閣下の考えややり方は今後通用しなくなりますからね」
フォルクハルトは困ったように微笑み、やんわりとした口調でジーモンを宥めた。
「そうですわ、お父様。必要とあらば私も色々と教えますわよ。私はレルヒェンフェルト伯爵家に残るのですから、家や商会が潰れるのは困りますし」
エルフリーデはジーモンに対して厳しい態度だが、決して見捨てるわけではなかった。
「本当に、お父様は見る目がなさ過ぎて困りますわ」
エルフリーデは呆れたようにため息をつく。
「リーデは商売や経営に関しては天才的だからね。……私は君の隣に相応しいのか、少し自信をなくしてしまうよ」
やや弱気な笑みのフォルクハルトだ。
エルフリーデはすかさずフォローする。
「フォルクハルト様、私、人を見る目には自信がありますの。そんな私が貴方を未来の夫として選んだのですから、自信をお持ちください」
エルフリーデは力強く微笑む。アンバーの目は、真っ直ぐフォルクハルトのジェードの目を見つめている。
「私はゼロから一を生み出すこと、一を百に、百を千に増やすことが得意ですわ。でもそれだけでは成り立ちませんの。フォルクハルト様はマイナスをゼロに戻すこと、百や千をキープし続けることが得意ですわよね。私にはない力ですわ」
「……ありがとう、リーデ」
フォルクハルトの表情は穏やかになった。エルフリーデの真っ直ぐな言葉が、フォルクハルトに届いたようだ。
「それにしても、リーデの人を見る目や先を予測する力には脱帽ものだよ。廃嫡されてティルピッツ伯爵となられたクラウス元殿下が永代貴族として認められるまでの年月予想も当てたのだから」
フォルクハルトはフッと笑う。
夜会でルーツィエを守る為にヤーコブ断罪騒ぎを起こしたクラウス。彼は廃嫡されてせめてもの情けとして一代限りの伯爵位を与えられた。君主ライナルトはクラウスの今後の活躍次第では永代貴族として認めると宣言した。そこでエルフリーデは半年程でクラウスは永代貴族になるだろうと予想していたのだ。そしてそれは見事に当たる。
クラウスは現在の貿易網の隙間を見事に活用し、新たな貿易ルートを開き貿易業を始めたのだ。その功績がライナルトから認められて、ティルピッツ伯爵家は永代貴族となった。
「ティルピッツ伯爵閣下は公家にいた頃から新たな貿易ルートを探しておられましたわ。少し聞いただけですが、その探し方も秀逸でした。そのようなお方なら、半年程度で結果を残せると思いましたのよ」
エルフリーデはクスッと笑う。
「ティルピッツ伯爵閣下と結婚なさったお姉様に関しては、商売や経営の才能はあまりないですわ。でも、お姉様はお洒落が好きでセンスが良い。上手くやれば流行を作り出すことが出来ると感じておりました」
「実際その通りになったね。今では君の姉君……ティルピッツ伯爵夫人の髪型を真似する婦人や令嬢が多い。公妃殿下や公世子妃殿下も彼女が次にどんな髪型をするのか楽しみにしているそうだ」
「お姉様は周囲の人に恵まれましたわ」
エルフリーデは安心したような表情だった。
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数日後、エルフリーデはレルヒェンフェルト伯爵邸に姉のルーツィエを招いて談笑していた。
「そういえばお姉様はヤーコブとかいう失敗作達からの謝罪は受けませんの。あれらはお姉様からまだ許されていないからと、社交界を締め出されておりますわよ」
紅茶を一口飲み、楽しそうにクスッと笑うエルフリーデ。
するとルーツィエは困ったように微笑む。
「リーデ、分かるでしょう? 時間は有限で、とても貴重なの。加害者が楽になりたいが為の謝罪なんて受ける意味がないわ。それに、価値のない人達の、価値のない謝罪を聞く為の時間、わざわざ作る必要ないじゃない。私は私を大切にしてくれる方々の為に時間を使いたいわ。私を粗末に扱う価値のない人達の為に時間を使いたくないのよ」
「まあ、お姉様ったら。辛辣ですこと」
ふふっと笑うエルフリーデ。
「そうかしら? あの方々は私がやめてと言ってもやめてくれなかった。嫌だ、やめてと言えばやめてくれることが普通よ。でも、あの方々は普通のことが出来ない。きっと頭に病気があるのだわ。その病気を完治させたのならば、謝罪を受けてあげなくもないけれど。クラウス様は私が嫌がることは絶対にしないわ」
最後、ルーツィエはクラウスを思い浮かべたようで、うっとりとした表情になった。
「愛されていて羨ましいですわ」
「あら、リーデだって、フォルクハルト卿から愛されているでしょう?」
「確かにそうですわね」
エルフリーデは自信ありげに微笑んだ。
「それでお姉様、本題ですけれど、貿易業を営むティルピッツ伯爵家にレルヒェンフェルト商会の商品を取り扱っていただくことは可能ですの?」
エルフリーデは一気にビジネスモードになる。
「恐らく可能よ。実はレルヒェンフェルト商会、特にリーデが携わった商品を欲しがっている国は結構あるの。クラウス様に話を通しておきましょう」
「ありがとうございます、お姉様」
エルフリーデは満面の笑みである。新たな利益を生み出せそうで、ワクワクしていた。
ルーツィエの代わりにレルヒェンフェルト伯爵家に残ることになったエルフリーデは絶好調なのである。