89 フェルテアへの帰途にて
聖女クラリスは国境を越えて、フェルテア大公国の国土へと入った。地面を踏みしめる。
(やっと、戻ってこれた)
クラリスは並び立つ山々を目に、感慨深く思う。
魔物の危険性もドレシア帝国との国境付近では、そこまで酷くない。
リオル・トラッド率いる第4ギブラス軍団が徹底して魔物を討滅していたからだ。リオル自身が皇都から戻るなり、動きが良くなったのだ、と付き添いのバーンズが言っていた。
(本当は、同道したいって、さんざんごねていたのだけど)
軍団長自らの単なる付き添いなど許可できない、と皇帝シオンから直々に却下されたらしい。
『では、せめてあなたの帰途が安全であるようにします』と宣言し、その言葉通りにしてくれているのだった。
「フェルテア大公国側もミュデスを追いやってからは、魔塔外の魔物掃討にかなり力を入れているようですが」
シャットンが呟く。
フェルテア大公国側も動きが活発化していて、自前で守るという気概の元、ドレシア帝国軍を国土内にまで引き入れることはしていない。
今、クラリスのそばにいるのは護衛のシャットンに加え、ドレシア帝国軍第1ファルマー軍団軽装歩兵連隊の第6分隊の7名である。が、もう一人いた。
「あの、御二人は」
ピトリとバーンズにくっついている治癒術士エレインにクラリスは尋ねる。かつて情けなく気絶した自分に気付けをしてくれた女性だ。
小柄で栗色の髪に緑がかった瞳の可愛らしい容姿だが、キビキビした人、という印象をクラリスは持っている。
「交際してるんです、私たち。だから、こんなふうにくっついているのは仕事中でも、危険な旅路でも当然です」
エレインが高らかに宣言する。
「さすがに仕事中は普通、くっついているのは当然、いけないと思いますよ」
優しくバーンズがたしなめている。
『動きづらいので』と、そっと引き離そうとするが、抵抗されてうまくいっていない。その瞳も愛おしげではあるので、交際している、恋人同士だ、というのは本当なのだろう。
エレインが少し考える顔をしてから、きっかり1歩分、距離を取る。
「別に、見ている者もいないのだから、くっついていてもいいのではないですか?」
珍しくシャットンが悪ふざけのような事を言う。
(えっ)
聞いているクラリスのほうが驚かされてしまう。もともとこの旅を始めたときからシャットンが、バーンズら第6分隊には気を許している様子ではあった。
「いや、部下の目が」
バーンズがエレインと部下6名とを見比べる。
「ほぅ、私とクラリス様は良いのですか?」
シャットンが笑って言う。エレインが面白がって、またバーンズに身を寄せる。
「いや、そんなわけでは」
バーンズがたじたじである。
「その、部下の人たちも、もう慣れてしまっているようですが?」
シャットンがさらに追い討ちをかける。
遠慮なく話すシャットンというのも珍しい。クラリスは静観することとした。
(でも、聖山ランゲルから戻って、シャットンさんも少し変わった)
自分を放置するようになった。護衛として傍には常にいるものの。神聖魔術の修得に当たり、自分で学ぶしかないのだ、と分からせるような、そんな態度でもあった。
「ええ、もう慣れました。それでも任務はきっちりこなしている」
ボソッと副官のマイルズが呟く。頬に派手な傷跡があり、一見して厳しい。
「うちの隊長もまだ若い。仕事はともかくこの面ではまだまだなようで面白い」
クックッと年嵩のビルモラクが加えた。この人物には魔力がある。神聖魔術を習得しようとし始めて、クラリスは相手の魔力の有無や量が分かるようになった。
後の面々は気まずげである。
「エレイン殿、部下の中には家族や恋人と任務のため、断腸の思いで離れているものもいます。隊長の自分が露骨に貴女とべったりなどとは」
改めて生真面目なバーンズがたしなめている。
「少なくとも、兄はそういうのはないから大丈夫です」
ぷいとエレインが不機嫌そうに横を向いて返す。
「だから、マイルズ殿みたいな家族持ちに、実家住まいの奴なんかの話だよ」
兄だというマキニスが呆れた顔で言う。
「お兄ちゃんに言われてなくても分かってる」
エレインが憮然とした顔で言い、また少しだけ離れる。
シャットンが顔を近づけてきた。
「実のところ、エレイン殿も治癒術士で、ドレシア帝国が助っ人として送ってくれた人材です。だが、戦う力を持たないので、戦える腕利きに張り付きで守って貰うしかない。恋人だというなら、むしろちょうど良い」
自分に本当の意図をシャットンなりに説明してくれようとしたらしい。
「確かにバーンズさんは腕利きですものね」
クラリスは理解して頷く。
魔物が全く出ないわけでもない。ここまででも何度かレッドネックという怪鳥やチラノバードという魔物に襲われていた。
バーンズ始め第6分隊の面々がたやすく撃退してしまうのだが。
(街道沿いにまで、魔物が出るだなんて)
クラリスは胸を痛めていた。
追われていた頃には森や山の中、道なき道を逃げていたことを思えば、堂々と街道を歩けるのは有り難いのだが。
「しかし、フェルテアは聖女様が正規に戻るってのに迎えも無し、ですか」
ヘイウッドと名乗っていた長身の兵士が言う。
「俺等が応援で派遣されるに際し、護衛も兼ねているからちょうどよい。無駄を省くということだ」
うんざりした顔でバーンズが説明している。無駄口がヘイウッドには多いのだった。
「あまり、迂闊なこと言うと、シャットン殿に叩き斬られるぞ」
髪を逆立てたジェニングスという兵士が口を挟む。
確かにクラリスですら無遠慮な発言と思う。遠回しに軽んじられているのではないかと言われたのだから。
久しぶりにシャットンのこめかみに青筋が浮かんでいた。
ヘイウッドも自身の軽率さに気付いて慌てる。頭を下げてきた。
「次は斬る」
小声でシャットンが呟く。
ふと、クラリスは立ち止まる。他の面々も同様だ。
山の合間、光をも吸い込みそうな黒色の、巨大な塔が覗く。
(あれが、魔塔)
クラリスは悍ましいまでの黒色に寒気すら覚える。
「クラリス様、そろそろ」
シャットンが近付いて来て告げる。
我に返ると自分は随分、立ち尽くしていたらしい。
「次は、あれを倒しに来ます」
意外なほどの魔塔への嫌悪感に自ら驚きつつ、クラリスは硬く宣言するのであった。




