86 出征を前に2
「シェルダン隊長に呼び出されたというのに、まさかエレイン殿があらわれてくださるとは。思いもしませんでしたよ」
なんとなく可笑しく感じられてバーンズは告げる。
「本当は私、予約なしの不意討ちで会うつもりだったんです」
まったく悪びれることなく、とんでもない愚かをエレインが打ち明けた。
「それでは、自分は今日、本来は休暇なので会えなかったかもしれませんね」
顰め面を作ってバーンズは言う。
いつもの休日なら軍営にはおらず、どこかをふらふらとほっつき歩いていたはずだ。守衛も外出した者までは探し回りはしない。
「別に、いざとなったら兄に会いに来たって言えば、ここまで通してもらえます。あとは兄と時間潰してもいいし、ただ待っててもいいし、ですよ?」
無邪気なエレインを前に、バーンズは密かに部下の方のマキニスに同情する。自分のために、ダシにされてばかりなのだ。
「それはそうかもしれませんが、私が泊まりがけで出かけていたら、どうするつもりだったのてす?」
半ば呆れてバーンズは指摘する。
内心はすぐ隣に座るエレインが愛おしくてしょうがない。なんとなく理由もなしに、栗色の艷やかな髪へ、手を伸ばしてしまいそうになる。
(だから、隣はいけない)
気持ちや体を抑えるのに一苦労なのだ。
「うーん、待っているのがいいです?それとも出直すのがいいですか?」
あっけらかんとエレインが逆に質問を返してくる。丸一日、待っているとでもいうのだろうか。
「あっ、でも、ここに来る前に、シェルダン隊長さんと『下話?』をしてきたんです。会うようにとも言われてたから、いないなんてことは思ってもなかったんです」
エレインが不穏な事を言う。たしかに、言う通りならバーンズの不在など想像もしないというのは、理にかなっていた。
だが気になるのは最早、自分が不在ならどうするかなどという話ではない。
「シェルダン隊長と?2人でですか?一体、何を?」
愛妻家のシェルダンがエレインに不埒を働くなどありえない。分かってはいても、バーンズは尋ねずにはいられなかった。
「私もフェルテアの魔塔攻略へ派遣されることになったんです。まずはルフィナ様から聞かされて。バーンズさんも一緒だっていうから来たんです」
さらりとエレインが言う。自分の胸にずっとつかえていたことではあった。
そしてエレインの琥珀色の瞳がじっと自分を見つめてくる。
「あぁ、えぇと、そうですか」
反応に困ってバーンズは言葉を濁す。もともとから知っていた、とも言いづらい。
「バーンズさん、前から知ってたんでしょう?」
じとりとした視線ともにエレインが尋ねてくる。
「実は、私が派遣されるという下話をシェルダン隊長から。その際におそらくエレイン殿も、とほのめかされてはいましたが。しかし、今日、聞くまでは確証がなくて」
口外できることでもなかった。いたずらにエレインを不安にしたくなかったということもある。
「ふーん」
しかし、エレインが浮かべる表情は明らかに納得していない人間のものだ。
「でも、確実じゃなかったとしても、そんな話があったんなら、私、バーンズさんから、直接聞きたかったです」
そして、恨み言をぶつけられてしまうのであった。さらには、右の上腕をつんつんと指先でつつかれてしまう。
「私、シェルダン隊長さんから、バーンズさんを頼むみたいなこと、言われました。でも、本当はバーンズさんはいろいろ優秀な人で、もっと自信持って、しっかりしてください」
シェルダンの言葉はバーンズにとって意外なものだった。
(隊長はしかし、エレイン殿に俺のことを頼むのか)
なんとなく苦笑いが出てきてしまう。
自信がないというのとも違うのだが、エレインの言わんとしていることも分かる。
仕事とは別に、エレインのことでは翻弄されてばかりなのだ。気持ちを持て余していて、時には粗相もしてしまう。
「そうですね。こんなことでは、もし、結婚したとしても苦労をかけて」
バーンズは言いかけ、エレインの顔が一瞬で赤面したことに気づく。見える左横顔が耳まで真っ赤だ。
「どうされました?」
訝しく思い、バーンズは尋ねる。
「結婚後のことって、バーンズさんも失言が積極的すぎて」
両手で両頬を挟み、珍しく恥じらうエレイン。
バーンズは自身の失言に気付く。
「あぁ、いや、その、なんと言いますか」
肯定したいものの出来ず、かと言って打ち消しはもっと出来ない。エレインに失礼だ。
(だが、俺は段階を今、いくつすっ飛ばしたんだ?)
バーンズは大混乱である。
「私も嬉しいし。いえ、嬉しいんですけど、いろいろ超えなきゃならないところが。あとプロポーズはできれば教会とかで、すんごく素敵なのを期待してるので」
エレインが更に言葉を並べる。さりげなくとてつもない注文を追加された気もするが、バーンズとしてもそれどころではない。
「えーと、エレイン殿、すいません。少し落ち着きましょう。そうだ、少し歩きながら。散歩でもしませんか?一緒に」
あまりうつむかれると、うなじの辺りがあらわになって、なおのこと華奢な肩を抱き寄せたくなる。
(って、俺は何を考えているんだ)
魔塔へ行くという話をしていたのに、結局、自身は21歳であることを意識させられつつ、バーンズは思うのであった。




