8 介抱
部屋の中では聖女クラリスがあまりのことに卒倒してしまったらしい。
(まさかまた魔塔が立つだなんて)
他所の国のこととはいえ、バーンズも陰鬱な気持ちになってしまう。当事者であれば尚の事、衝撃も大きいことは理解出来る。
皇帝シオンが黒髪の従者ペイドランをどこかへ使いに走らせていた。そして紫髪の美しい女性を連れて来る。騎士団長ゴドヴァンの妻ということで有名な、治療院のルフィナ院長だった。
「通してもらえるかしら?」
たおやかに微笑むルフィナに言われて、バーンズは自身が入口を塞いでいたことに気付く。
「失礼しました」
バーンズは言われたとおりに脇にどく。
結果、もう1人、栗色の髪をした小柄な治癒術士もおり、その行く手を今度は塞いでしまったことに気づいた。自分より2、3歳下だろうか。可愛らしい顔をした女性だ。白地に金縁のローブが清楚な印象を与える。
「失礼」
今度は慌ててバーンズも頭を下げる。
「いえ、こちらこそ」
相手もぎこちなく頭を下げてくれた。
顔を上げた女性としばし見つめ合う。
「エレイン?何してるの?」
ルフィナが訝しげに問う。先に数歩分、室内に入っていたのだった。振り向いている。
「すいません、ルフィナ様、すぐ」
自分にニコリと笑顔を見せてエレインが部屋の中へ入っていく。
「まさか凶報1つで気を失うとは、まったく」
入れ違いに部屋から出てきたシェルダンが、ドアを閉めながらこっそりと毒を吐く。
「平和ボケした国の聖女だな。所詮は」
更にボソリと付け加える。
バーンズもよく悪口にはつきあわされているのだが。
「隊長、いくら何でも」
シャットンの地獄耳を恐れて、バーンズはたしなめる。
「俺は、相応の責任や立場にある人間の甘えを許さないこととしている」
にべもなくシェルダンが言い放つ。
聖騎士セニアとも共闘したことがあるのだ、とデレクやラッドからは聞かされている。
(聖騎士セニア様にもこの調子だったのかな)
聖騎士セニア本人には慇懃な態度を取り、いなくなるや陰口を叩く姿が容易に目に浮かぶのであった。
どうやら今も、とても不機嫌なのだ。
「それに、フェルテア大公国の民も民だ。いくら追放宣言がろくでもないとしたって、普通、魔塔が立つほど絶望するか?聖女クラリス本人は生きているんだぞ?一応、それも公表してやったって言うのに」
留まることなくシェルダンが文句を言う。
この上司の傾向として、自分の仕事や苦労を無駄にされると怒る傾向にある。
(それに、多分、また戦わされるかもしれないから、嫌なんだろうな)
自分には何度か、いかに魔塔上層がろくでもないかを力説してきたのであった。
(俺以外にはあんまりそういう話はしないらしいけど)
もともとの部下ということで気を許してくれているのかもしれない。
だが、バーンズとしては言われても反応に困ることばかりである。
「シェルダンらしい愚痴ね。変わらないのねぇ」
部屋の中から出てきたルフィナが告げる。だが一人きりだ。連れてきたエレイン嬢を中に残してきたらしい。
「治療はよろしいので?」
治療院院長にして騎士団長夫人にもシェルダンがそっけない。
「ええ、なんでも私が、ってわけにはいかないわよ。びっくりして気絶した聖女の1人や2人はね。それぐらいはエレインにやらせないと。経験を積ませなきゃ」
ルフィナの紫色の瞳が自分に向けられた。
「あなたと一緒よ」
そしてシェルダンに向き直ってルフィナが告げるのだった。
「アンス侯爵にまんまとやられて出世して、それで部下を育ててるんでしょ?」
笑ってルフィナから言われた、シェルダンが不機嫌そうにため息をつく。
「気つけしますっ!」
エレインの宣言とともに、中からバチンッと乾いた音が何度か響く。
「聖女様に何をっ」
シャットンの驚く声も聞こえてきた。
どうやら思い切ったことをエレインがしているらしい。
「気絶してるんだから叩き起こすんですっ」
鈴の鳴るような声が答えていた。
「大丈夫ですか?」
胡乱な眼差しをシェルダンがルフィナに向ける。
「ええ、適切よ。あなたも言ってたじゃないの。根性無しが魔塔1本で気絶しただけだもの。そんなものはね、叩き起こすのよ」
胸を張ってルフィナが答える。
「まったく」
誰にともなくシェルダンがため息をつくのだった。
バーンズは二人のやり取りについていけずにいる。まるで姉弟か何かのようだ。
「カティアさんはお元気?もう、子供が2人だったかしら?」
聖女クラリスの話は終わったとばかりに、ルフィナが話題を変えてきた。身内の話も出来るような仲らしい。
(あ、でも、それは振ってはいけない話題)
バーンズは制止を間に合わせられなかった。
酒の場ではもっとだめであり、素面のときも駄目なのだ。延々と惚気話を聞かされることとなる。結婚5年目にして、シェルダンが未だ妻のカティアに首ったけの骨抜きなのだ。
「ええ、今は領地で子供たちや父母と暮らしております。私などよりも本当に出来た女性であり、実質的な領主は彼女です。領民からの評判も上々です。不本意にも私はしくじって出世してしまいましたが、カティアのおかげで何とか他所様にも迷惑をかけることなく生きております。軍務に専念できるのも彼女のおかげです。本当に私にはもったいないぐらいで、結婚前と変わらず若々しく美しい素敵な女性です」
シェルダンが一気にまくし立てていた。
第1ファルマー軍団の軽装歩兵連隊総隊長、つまりは軽装歩兵の総責任者ということで、子爵位と領地を押し付けられたのだという。
「そ、そう」
さすがのルフィナも圧倒されて、苦笑いを浮かべていた。
シェルダンにとって、これまで完全に無縁だった領地経営も、妻カティアのおかげで何とかなっているのだそうだ。
(もともと、貴族のお嬢様だったって、シェルダン隊長の奥さん、仰ってたもんな)
バーンズも古い部下ということで会ったことがある。
確かに綺麗な女性だが、なんとなく怖かった。シェルダンとはまた異質の厳しさがありそうなのだ。
「私などが賜っても無意味なものを、カティアが上手く経営してくれています」
シェルダンが更に重ねて告げた。
「でも、あなた、どうするのよ?軽装歩兵の家系のほうは。ずっとご先祖がそれでやってきたのでしょ?あなたの代から貴族でいいの?」
ルフィナの指摘にもシェルダンには動揺が見られない。
「当然、息子に継がせます。領地やら何やらは長女の夫にでも、そのままルンカーク家を名乗らせればちょうど良いではないですか。妻の実家を復興させたということでね」
なかなかとんでもないことを言う上官である。
バーンズですら呆れてしまう。
「じゃあ、長女とそのお婿さんは貴族で、実の長男が平の軽装歩兵ってこと?」
ルフィナが呆れて指摘する。
どう考えても不公平だ。
「そのとおりですが?」
キョトンとしてシェルダンが首を傾げる。
きっと将来十数年後には、ビーズリー家で骨肉の争いが起こるに違いない、とバーンズは思った。
勢いよく中からまた扉が開けられる。
「聖女様、目を覚ましました!」
エレインがひょいっと顔を出す。
「そ、よくやったわ、エレイン」
微笑んでルフィナが部下を労う。
「倒れた拍子に怪我していたところも、ついでに治しておきました」
エレインが胸を張って報告する。
「警護も大変ですよね、お疲れ様です」
バーンズにもエレインが話しかけてきた。
「幸い、立ってるだけですから」
自分のところに悪漢が辿り着くことはないだろう。この皇城を不逞の輩が攻めるには、いくつもの難関を突破しなくてはならない。
バーンズは微笑んで返した。
「また、魔塔だそうですよ」
ボソッとシェルダンがルフィナに零すのが聞こえた。
「あら、でも、もうわたしたちも貴方も手を出す理由がないわね」
思わぬことをルフィナが言う。
そしてシェルダンが陰鬱で文句ばかりだったのは、また上がらされるかもしれないという気持ちからだったらしい。
「私たちは魔塔なら何でも倒すわけじゃない。違う?」
ともすれば薄情なことをルフィナが言う。
「ええ、そうですね」
同じく自分の上司もまた淡々と頷くのであった。