72 内定
ペイドランは休暇を終えて、皇帝シオンの下へと帰ってきた。愛妻イリスと可愛い息子との充実した日々に大満足の後である。
「急げっ!間に合わないぞっ」
どこからともなく叫び声が聞こえる。皇城の中はいつでも駆けずり回る文官で、騒がしい。広大なドレシア帝国を運営するため、平時は文官の方が、はるかに忙しいのだ。楽を許すシオンでもない。
「シェルダンのやつが帰ってくるそうです。ミュデスとかいう奴を引っ立てて、ですな」
今日、謁見に来ているのは、第1ファルマー軍団指揮官のアンス侯爵だ。初老の男性であり、鎧兜を着ていなければ軍人とも分からない。だが、ギョロ目で、あらゆる人のあらゆる動きを実によく見ている。
(口が悪くて嫌な人)
ペイドランの印象である。自分が怒られたことはないが、皇帝シオンの前でも容赦なく誰かの悪口ばかりを言うのだ。
他にこんな人はシェルダンくらいしかいない。
「そうか。これでフェルテアも多少は正常化するかな?」
シオンも満足げに頷いている。
細い、鋭い、怖いと評されることの多いシオンだがミュデスという人の失墜は良いことのようだ。他人の悪口こそあまり言わないが、情け容赦のないところは、アンス侯爵やシェルダンと同類だ。
「さすがシェルダンだな。フェルテアの情勢のこともそうだが、聖女クラリスも何やら訓練に打ち込み始めた」
さらに加えてシオンが告げる。
(そっか。シャットンさん、うまくやったんだな。じゃないと、俺もちょっと、嫌だったかも)
事前に自分とイリスの邪魔までした上で、シェルダンとの談合に向かったのである。上手くいかなかったなら、邪魔された被害まで無駄になっていた。
領地の巡視ということで休暇を取って、家族3人水入らずの生活を楽しんでいたのだ。
(レルクも日に日に大きくなって、甘えん坊。可愛がるイリスちゃんからして可愛くって、可愛がられるレルクも可愛くって、2人して可愛いから、俺、幸せ)
もっと一緒にいたいのだが、ペイドランも働かなくてはならない。待遇も悪くないので、今も神妙な顔で澄ましている。
「そちらもシェルダンの手回しでしょうな」
アンス侯爵がニヤリと笑う。
唯一、アンス侯爵からあまり悪口を言われないのが、シェルダンだった。ペイドランの知る限り、むしろ褒められてばかりいる。
「一個軍団の第4ギブラス軍団よりも、うちの歩兵たちのほうが働いているとか?いやはや、鼻が高い」
そして誇らしげに言うのだった。それもシェルダンのおかげだと言うのだろう。
「あぁ、北の国境から、居住区に魔物が流れ込んできた、という報せは一切ない。シェルダンのところで全て弾き返されているのだろう」
シオンも笑って頷く。
(第1ファルマー軍団の軽装歩兵、一気に強くなったもんな)
ペイドランは後ろで聞いていて思う。
盗賊狩りから猛獣駆除まで如才なくこなしている印象だ。
「わしが思うに、やつの欠点は馬に乗れないぐらいしか無いのですよ」
少しだけアンス侯爵が話題を変えた。
(あ、たしかに隊長、馬に乗れない)
ペイドランは頷きそうになる。馬に乗っているシェルダンなど見たこともないし、想像も出来ない。いつも歩くか走るか隠れるかだった。
「だが、侯爵だけではない。軍人の大半は、もうシェルダンを後継とみなし始めている。無論、欠点はないでも無いが」
シオンも苦笑いだ。
「ほう、わしの耳には何も欠点など入ってきておりませんが」
とぼけた顔でアンス侯爵が言い、頰を左手の人差し指で掻いた。
「また、捕虜に本人の言うところの、『聞き取り』をやった気配がある」
シオンの言う『聞き取り』という単語に、ペイドランもビクリと反応した。
(変わんないところは変わんないんだ。俺の時はやってなかったけど)
ペイドランは思い返していた。ルベントの軍営にいたときから軍団の中でも有名だったのである。
当時も盗賊を生き埋めにしようとしたり、骨を砕こうとしたりしたものだった。
「ほぅ、では、また周りから恐れられてしまいましたか」
だが、むしろ、満足げにアンス侯爵が頷くのだった。
「あぁ、そのようだ。彼は少々徹底的にやりすぎるきらいがあるからね」
シオンが重々しく頷く。
「部下になると自分もやらされる、と恐れているものがかなり多い」
それは昔から多かった。自分のときには当時の副官カディスが上手く抑えていたのである。
「でも隊長の場合、大体いつも自分でやりますよ、そういうこと」
思わずペイドランは口を挟んでいた。数少ないシェルダンの良いところなのである。
シオンとアンスの顔が同時に自分の方を向く。
「そのとおりだ。他の人間には出来ないからね」
肩をすくめてシオンが微笑んで告げる。
「今回も、それでミュデスという愚か者にトドメを刺したのだろう。アスロックの出身者は大概、苛烈だが特にシェルダンという男は腐敗に厳しい。部下には恐れられるだろう。だが、軍では階級の上昇とともにその方が良いことも多い」
アンス侯爵がなぜだか楽しそうに告げる。
「わしは下のものの仕事を奪うな、といつも奴には注意しているが。『聞き取り』とやらは本人でないと無理だったのだろうな」
何でも出来るシェルダンだから、なんでも自分でしてしまうのだろう。ペイドランにも頷ける話だった。
「わしが今回、陛下に謁見したかったのはまさにそのことで。いよいよフェルテアの魔塔。いかがいたしますか?」
ギラリとアンス侯爵のギョロ目が光を放つ。
ペイドランもはたと気がつく。
(あ、そっか。ミュデスって人がいなくなれば、後は大変なのは魔塔だけだ)
また、ドレシア帝国が倒すのだろうか。かつては他国でも4本の魔塔を倒した実績がある。だが、そうなると自分も参戦させられるのか。ペイドランは嫌な気持ちになる。
「あのときとは違う。フェルテア大公国は国力ではアスロック王国に劣り、ミュデスさえいなければ友好的だ」
シオンがペイドランの気持ちを読んだかのように説明してくれた。つまり、介入しないよ、ということなのだろう。
「そこですな。あの時は魔塔とアスロック王国軍とを、両方、相手取るしかなかった」
アンス侯爵も頷いて言う。当時は主にアスロック王国軍との戦いを担っていたのが第1ファルマー軍団だった。
(今回は、敵は魔塔だけだ)
ペイドランも思い返していた。ひどいときには当時皇太子だったシオンも襲撃されている。
(あのミリアって人は本当に怖かった)
かろうじて、イリスの奮戦もあって、剣士ミリアを倒したのである。自分にとっては、怖い思い出だ。
「敵は魔塔の魔物だが、そもそもはフェルテアの魔塔だ。まず、フェルテアに聖女を送り返してやって、フェルテアに倒させる」
シオンが腕組みして断言した。
「だが、人材が未知数の上、聖女も今からやっと技術の修練に取り組んでいるような有り様である」
アンス侯爵が不安材料を並べた。
「ドレシアからも人材を送り込む必要があるかもしれんと?」
さらにシオンに質問を投じるのだった。
自分にとっては嫌なことだ。かつては何本かの魔塔に自分も上っているのだから。周りからは経験者と見なされているのではないか。
「当然、私の従者として必須の君は送らない。安心したまえ」
自分の思考を読んだのか、微笑んでシオンが言う。
「それこそ、シェルダンも交えて、ちょうど良い人材を、選出しようと思っているよ」
 




