71 ミュデス失墜を受けて
またリオル・トラッドが訪れてきた。こちらに近寄ってくる。手までにこやかに振りながら。
もういつものことなので、主のクラリスは慣れてしまっている様子だ。
「本当にしつこい」
こそりと毒づくシャットンも最初ほど剣呑な気持ちでもない。慣れたのだ。
皇都グルーン、皇帝シオンも住む皇城にある庭園に3人で陣取ることとなった。
「ミュデスが捕縛されました。我が国に身柄を移送し、その罪を問うとのことです」
第4ギブラス軍団という、ドレシア帝国軍の一軍団の総指揮官でもあるリオルが近づいてくるなり切り出した。
(思っていたほど、この人物は悪くない)
いつもならクラリスの容姿を褒めて挨拶をしてくるのだが。クラリスにとって、今回のミュデス関係が重大なことだと理解してくれているのだ。
「そうですか」
クラリスが俯く。いつもなら、容姿を褒められて困惑し、シャットンの方を見るのだが。
「これで、フェルテアも愚物に煩わされることなく、魔塔攻略に向けて進むことができます」
リオルが力づけるように微笑んで告げる。
既にクラリスも聖女として神聖魔術の習得に、起きている時間のほとんどを割いていた。クラリスも魔塔攻略へ進み始めていたところ、情勢もそちらに向けて進んだということだ。
(だから、俺は本来、このリオルという人物を排除すべきなんだが。訓練の邪魔だからな)
シャットンは黙って2人をただ眺める。
(なまじ、身分が高いから、たちが悪い)
シャットンは庭園の入口を見つめつつ、2人のことも横目で見ている。
あまり人の来る場所ではない。シオン皇帝の居城でもあり、文官たちは日々、忙しく駆けずり回っている印象だ。誰も永遠に来る余裕などないのである。
(だから、修練には良い場所なのだが)
時折、木々の隙間から黄土色の軍服が見える。護衛の兵士も庭園入口までは数名来ているのだ。
隣には練兵場もあるのだが、近衛軍とも言うべき第1ファルマー軍団が訓練をしているぐらいで庭園には来ることもない。
「ミュデスがいないなら、私、フェルテアに戻らなくちゃですね」
クラリスが自分とリオルとを見比べて言う。
(そう簡単なことかな?)
シャットンは首を傾げる。
ドレシア帝国にとっては、そもそもクラリスの保護は魔塔出現を阻止するための措置だった。魔塔が立った今も保護されているのは、今度は魔塔討滅に利用価値があるからだろう。
(だが、そもそもの戦闘技術のないクラリス様だ。せめて神聖魔術だけでも、もっと修練を深めないと)
シャットンはクラリスについて思うのだった。
「やはり気が早い」
珍しくリオルもクラリスをたしなめる。まるでシャットンの思考を読んたかのようだ。
「あなたの身分についてはあくまで客分、ミュデス排除までの一時預かり的なものです。情勢が改善された以上、やがてフェルテアの大公閣下、あるいはメラン次期大公から帰還、引き渡しの要請があることでしょう。それを待って、戻ればいいのです。今はまだ要請出来る状況ではないのでしょうがね」
遠回しに、クラリス自らが戻るとフェルテア大公国が持て余すと言っているのだ。
シャットンも頷ける話だった。
(無論、戻ってからは魔塔との戦いになるが、それまでは)
クラリスもこれまでのようにただ祈るだけではなくなる。
「まだ、戦えるほどには神聖魔術を、クラリス殿は習得出来ていないのでしょう?」
さらに微笑んでリオルが指摘する。
(ほう)
シャットンは聞いていて感心してしまう。
戦いに関してはリオルというのも軍人だけあって、甘やかしも妥協もないのだった。
「その、シェルダンからの分厚い冊子はまだ、序盤も序盤なのではありませんか?」
リオルが追い討ちをかけるように、片側が分厚いままの冊子を指差して告げる。
「だって、そもそもの情報量が」
クラリスが弱音をつぶやく。
夜も遅くまで頑張っている様子であることは、シャットンも把握している。
(どうもクラリス様は覚えが悪いようだ)
何度も読み返しては、実践しようとしてみて、出来なかったり出来たりを繰り返してからやっと1つ出来るようになるのである。
「でも、オーラは出来るようになりました」
そしてクラリスが胸を張る。
シャットンも頷いてみせた。確かにオーラという瘴気を遮断する技術を身に着けたばかりである。魔塔内ではオーラなしでは満足に歩くことも出来ない。必須技術である。
「なるほど、他には?」
リオルが優しく微笑んで問う。
「あとは閃光矢も」
胸を張ったままクラリスが報告する。少しはリオルに馴染んできたらしい。砕けた話しぶりであった。
「なるほど、魔核を砕く術だそうですね。他にはどのような術を?」
感心したように頷き、しかし、リオルの質問が続く。
「それは」
早くもクラリスがしょげる。
数日かけてやっとオーラと閃光矢を覚えた。この2つは法力のみで扱うものであり、神聖魔術というよりも神聖術なのだという。
(本来の法力と魔力、双方を操る神聖魔術の真髄にはまだ遠いということだ)
クラリスには甘い、という自覚のあるシャットンですら、まだ無理にフェルテア大公国へ戻ることはない、と思っていた。
(それこそ、数ヶ月、大神官レンフィル様の下で修行をしてからでも遅くないのではないか)
付け焼き刃で挑める環境ではないだろう。厳しい環境だとはシャットンも聞いている。
「本当に最序盤ではないですか」
口調は優しいが、言っていることはなかなか手厳しいリオルなのであった。
「はい」
しょんぼりとクラリスが項垂れる。
「私も魔塔に上がろうと考えております。背中を預けることとなるだろうから、言うべきは言います」
思わぬことをリオルが告げる。
「ええっ」
びっくりしてクラリスが顔を上げた。
「お互いに死ぬことのないよう、十分に手を尽くしましょう」
どこか力付けるかのように、リオルが言うのであった。




