69 使者〜失墜3
シェルダンが手をパンッと叩く。
いつ控えていたのか、ミュデスも入ってきた両開きの扉から全身に甲冑を纏った兵士と鉄の棒を背負った兵士とが2人の男を引っ立てて入ってきた。
2人の引っ立てられてきた男達は徹底的に全身を縄できつく縛り上げられており、顔だけが布袋で隠されている。
(臭い、におうな)
ミュデスは鼻をつくすえたような臭いに顔を顰める。父の大公もガズスも同様だ。
表情を変えないのはシェルダンとその部下だけだ。鎧の男については、兜のせいで顔も全く見えないので分からない。
「愚かな貴方はこの連中の顔も忘れているかもしれませんね。果たしてご覧になって思い出してくださるかどうか」
シェルダンがこの期に及んでもなお、馬鹿にしたようなことを言う。
「安心しろ、私は人の顔を覚えるのは得意だ」
特に美しい女性であれば尚更だが、さすがにそこまでは言わずにおいた。
「では、見てみればよろしい」
シェルダンが告げ、ツカツカと2人に歩み寄るや布袋を外す。
(これは、何日も身体を清めておらず、まして顔も垢だらけだが)
ミュデスは鼻を押さえつつ、まじまじと2人を眺める。顔を覚えるのが得意だと言った手前、見ないわけにはいかないと思えた。
「これは、ゲルフ伯爵の令息ではないかっ!貴様らっ、彼になんてことをしてくれたのだっ!」
ミュデスは指差して絶叫する。2人のうち1人には気付くことが出来た。
「おや、やはりお知り合いでしたか。この者はドレシア帝国の皇城に忍び込もうとした、不届き者です」
シェルダンが何食わぬ顔で告げる。
「なんとっ、我が国の者がそのようなことを」
父の大公が青褪める。
「我が国の皇城、皇帝陛下のお住まいで何をしようとしたのか。暗殺なのか、はたまた誘拐か。いずれにせよ捨て置くわけにはいきませんでした」
シェルダンがさらにとぼけて言う。分かっているはずだ。ドレシア帝国皇帝に手を出しようもない。狙いは聖女クラリスだったのだ。
だが、さすがに言えることではない。
「そして、生け捕りにして軽く聞き取りをしたところ、黒幕がいるというのですよ」
薄く笑ってシェルダンが言う。いかにも酷薄な表情に、ミュデスはただ震える。
(だが、ゲルフ伯爵の令息が私を裏切るはずは、口を割るはずがない)
ミュデスは祈るようによだれを垂れ流すゲルフ伯爵令息の顔を見つめる。
「おいっ!誰の指示で貴様はドレシア帝国皇帝陛下の皇城に侵入しようとしたのか」
背中を蹴り飛ばしてシェルダンが問う。あまりの迫力にミュデスは震えた。
「ミュデス様です」
蹴られたというのに悲鳴もあげず、焦点の定まらぬうつろな視線を彷徨わせて、ゲルフ伯爵令息が自分の名前を挙げた。
「違うっ、私は!」
自分が聖女クラリス拉致のため送り込んだ刺客だ。かつては武芸に長じた秀才だったというのに、今では見る影もない。
「ミュデス様です。私はミュデス様のためにしました」
ゲルフ伯爵令息がうわ言のように繰り返す。どう見ても正気ではない。人格ごと心まで破壊され尽くしたかのようだ。
自分の罪が告発されていることよりも、ゲルフ伯爵令息の姿にミュデスは圧倒されていた。父もガズスも同様である。
ただ一人、シェルダンだけが涼しい顔をしている。
「貴様っ!ミュデスッ!同盟国になんてことを!国際問題だぞ!」
父の大公が我に返って自分を取ってつけたように怒鳴りつける。
「それだけではありません。我が軍に略奪をなした人物を捕らえております。これも捕らえて聞き取りをしました」
シェルダンが告げて、もう一人の頭からも布袋を外した。
今度はベイラー伯爵の次男ログロスだ。
ミュデスの背中を嫌な汗が流れる。
「おい、貴様、兵糧庫と武器庫から盗みをしたな?誰の指示だ?」
シェルダンがログロス・ベイラーの膝を踏みつけて尋ねる。
「ミュデス様です。ミュデス様の指示です」
同じくログロス・ベイラーも自分の名を挙げた。なお、ゲルフ伯爵令息もシェルダンの声に反応して『ミュデス様です』と繰り返している。
「嘘だっ!私は知らないっ!私では」
ミュデスは恐怖を感じて後退る。自分も同じ言葉しか繰り返せなくなるのではないか。
シェルダンの無機質な視線が自分を捉えていた。まるで物を見るような目だ。
「見苦しいぞっ!ミュデスッ!貴様を跡取りとしては国が滅びるっ!貴様を廃嫡し、メランを我が跡取りと据える!」
フェルテア大公が絶叫した。
ドレシア帝国皇城の刺客はともかく、武器庫や兵糧庫など知らない。
「父上っ!誤解です!ご再考を!」
ミュデスはずかりつかんばかりに告げた。このまま廃嫡されてはシェルダンによってどうされるか分からない。
「くどいっ、国を滅ぼす愚か者めっ」
父が自分を振り払って告げる。
「では、この男の身柄は私がいただいても?」
恐れていた、ゾッとするようなことをシェルダンが言う。
「当然です。貴国に害をなした、この愚か者を連行してください」
フェルテア大公が深々と頷いて言う。
自分も心を破壊される。
「冗談ではないっ!」
あまりのことにミュデスは走り出した。とにかくシェルダンの前から逃れなくてはならない。
「まったく」
呆れるような声とともに、風を切る音がした。
直後、ドゴッという鈍い音ともに左の膝を激痛が襲う。
「ぐああっ」
ミュデスは苦悶の叫びをあげる。
さらにもう一度、今度は右の膝を打ち抜かれた。
「ギャァァァッ」
絶叫とともにミュデスは床を転がるしかなかった。
見たこともない武器を手に、シェルダンが立っているのが視界に入る。
「シェ、シェルダン殿、いくらなんでも」
父の大公がさすがに青褪めた顔で言う。
「もう、この男は私がいただきましたし、もう次期大公でもないのでしょう?両手両足を砕いたうえで連行させていただきます」
シェルダンの恐ろしすぎる言葉とともに、ミュデスは意識を失うのであった。




