59 水面下にて
フェルテア大公国軍の筆頭将軍ガズスは浮かない顔で軍営の廊下を歩いていた。練兵場脇を抜ける、通常なら練兵を横目に出来る道なのだが。
(どうにもならんな)
ガズスは陰鬱な気分に襲われていた。
くすんだ瘴気による空のせいでも、2度に渡る敗戦のせいでもない。
(むしろ、すぐに退却出来たから、犠牲を抑えることは出来た。そういう見方も出来る)
ガズスは沈んだ気持ちを無理に奮い起こそうとした。
第2階層より上では戦いにならないと、1度目の出征で把握している。なんの準備もない、2度目の攻撃など馬鹿げていた。だからガズスはすぐに兵を退く判断が出来たのである。
「もちろん、良い側面ばかりではない」
敗走なのだ。民に与える暗い印象は消せない。士気も下がり、魔塔に力を与えることとなってしまった。
「ハハハッ、戦なんぞは下級の雑兵どもにやらせときゃいい」
練兵場でも訓練をしている光景などいつしか見られなくなった。
きれいな身なりの若い将校が大声で言う。貴族の出身なのか。陽光を弾き返す、汚れ1つ無い白い鎧を恥とも思わないようだ。
「成り上がりどもには、良い働き場所だ。厄介払いにゃちょうどいい」
同じく似たような格好の若い将校が相槌を打つ。
何を言ってもしょうがない。殴り飛ばしたいのをガズスはこらえる。
魔塔以上にどうにもならないのは自軍の腐敗の方だった。
(有力貴族の、家柄だけの無駄飯喰らいども)
ミュデスに賄賂を使って、いきなり将校の座を得て何も仕事をしない。訓練にも出ない。無理矢理させようと練兵場に引っ張り出すと、ミュデスや貴族から自分が叱責される。
(なまじ、金だけは持っているから始末に負えない)
ガズスは苦いものを噛み締める。
軍にも軍費が必要だ。賄賂で得た莫大な金銭を独占しているのがミュデスだ。大したことも言えないし、考えもないのに発言権だけは強い。無駄に口を挟んでくる。
「ハッハッハッ、成り上がりの木偶の坊が逃げ帰ってきた、恥知らずめ」
先の将校たちが自分に気づいて、露骨に謗る。
槍も持ち上げられない、軟弱者の発言だ。ガズスは無視する。
「魔塔を倒すまで帰ってくるなってんだ。俺等は手を貸してやらねぇからな」
出来もしないことを話している。
あまりに馬鹿馬鹿しくていちいち構っていられない。
(何も出来ない、しようともしない愚図どもが)
今は問題だらけなのだ。そのほとんどがミュデスの愚かしさに起因している。
巨体でガズスはノッシノッシと進んでいく。
(不幸中の幸いに、魔塔もまだ1本だけだ)
軍も国もまともに機能していれば、壊せずとも、外に出てきた魔物を駆除するだけで良い。民の平穏を十分に守ることが出来る。
(そこをやっきになって、ミュデスが崩そうとするから悪循環なのだ)
ガズスは背中に担いだ大斧に手をやる。自分も本来は何も考えずに大暴れしたい人間なのだ。
「将軍、ちょっといいか」
練兵場を離れ、人通りの少ない区画に至ると、物陰から声をかけられた。
白髪の小柄な青年だ。
ミュデスの異母弟メランである。妾腹であり、正当性ではミュデスに劣るものの、はるかに常識人で良心的と見られていた。
(そして、あらゆる能力で、むしろ勝るぐらいだろう。ただ目立ちたがらない)
ガズスは現在の大公についても大人しすぎるのが玉に瑕だと思っていた。自分を取り立ててくれた恩人である。メランについては、その息子だと思うことが出来た。
「メラン様、どうされましたか?」
密やかな話だろうとは分かるから、ガズスは尋ねつつ自身の執務室に誘う。
無言のメランがついてくる。薄暗い、営舎の隅にガズスの執務室はあった。
「国境付近に展開しているドレシア帝国軍だが」
執務室に至り、人目のないことを確認してから、メランが口を開く。
「兄が手の者に兵糧を奪わせ、武器も強奪したと聞く。そんなことをして、この時期にドレシアを刺激して大丈夫なのか?」
当然の疑問、懸念だった。どう考えても外交問題に発展する。
ガズスは無言で首を横に振った。
「ドレシアが我が国を本気で攻めてくれば、ひとたまりもありません。極めて危険な行為です」
心の底からガズスは告げる。国力に差がありすぎるのだ。
質の面でも勝てない。聖女クラリスまで握られている。
(聖女様抜きで魔塔を崩すことなど出来ないのではないか)
第2階層を見たうえで、ガズスはそう懸念している。
「むしろ、丁重に頭を下げ、正式に協力、援助を請うべきだと私は思うのだが。まったく、あの人は民のことをまるで考えていない」
メランが肩を落として言う。陰で言っても意味のないことぐらいメラン自身が一番分かっている。諫言などミュデスが聞くわけがないことも。
「何も考えてはいないのでしょう、困ったものです」
ガズスは吐き捨てる。
自身の愚かさなど棚上げで、他人の失敗を詰るだけの、未来の大公なのだ。
「なんとしても、私はこの苦境を乗り切りたい。このままでは、国の滅びだ」
メランが決意を口にする。
大袈裟ではない。近年も魔塔をきっかけにして、アスロック王国が滅亡したばかりなのだ。
フェルテア大公国も同じ末路を辿る恐れは十分にある。
「魔塔を滅してもミュデス様が健在では、この国には暗い未来しか無いかもしれませんな」
ガズスはしかし、魔塔ばかりが問題ではないと思っていた。
「悪政が魔塔を生むのなら、ミュデス様はまさに魔塔を増やす存在だ。現に一本、大公となる前だというのに立ててしまいましたからな」
更には軍部に無茶を強いては瘴気を増やしてもいる。
「だが、国のあらゆる部門に金を出しているのもあの人だ。そこは軽くない」
困り切った顔でメランが言う。父の大公もまた金でミュデスに押さえ付けられている。
「それにしても。愚かなのはあの人でも。ドレシア帝国にとっては全てフェルテアのしたことと見えるだろう」
ミュデスが国を道連れにすることとなる。
「そしたら、ミュデスのやつだけ切り捨てて、ドレシアに突き出せばいいでしょ」
新しい、甲高くも澄んだ声が会話に割り込んできた。
濃い青色のローブを身に纏った若い女性である。色白で少し吊り目がちの勝ち気そうな美女だ。髪の色も目の色も青い。
「あなたはっ、なぜここにっ」
動揺もあらわにメランが問う。
ガズスも知っている女性だ。
「ラミア殿、どういうことです?」
ガズスもしかし、警戒心をあらわにする。ミュデスの恋人のはずだ。盗み聞きして密告でもするつもりなのか。
「きな臭い話してるのに、不用心過ぎるってのよ。防音対策ぐらいしたら?」
ラミア・ミグレスが呆れ顔で自分とメランとを見比べる。
口を少し動かしたかと思うと、水の膜が内側から部屋を覆っている。水が音を遮断する、そういう魔術を使ったのだろう。
(速い)
ガズスは卓越したラミアの魔術に目を見張る。
「あいつ、事あるごとに私の体を求めてきてさ。気持ち悪いから、ずっとなんとか、拒んできたんだけど、もう限界。研究施設も金も出してくれるけど、大した設備を取り寄せられないし。うんざりしたから逃げてやったのよ」
本当にうんざりした顔でラミアが言う。
評判、噂とはずいぶん違う人柄のようだ。
そもそもミュデスの愛人であるという噂が出るまで社交界にも出ていなかった。
「良いじゃん、やつが馬鹿で自滅するならさ。まして他国相手なら、突き出して失脚させちゃいなさいよ。そうすりゃ、うちの国、だいぶまともになるんじゃないの?」
ラミアの言うこともあながち間違いではない。
言葉に力があって、ガズスは頷かされそうになってしまう。
「確かに一理ある。しかし、ラミア嬢、逃げてこられたと仰いましたな、なぜ、こちらに?」
ガズスは慎重に尋ねる。直接話したことなど無い間柄なのだ。
「鈍いわね」
しかし、ラミアから向けられたのは侮蔑の眼差しである。
「逃げてきたし、見つかりたくないから、あんたらに匿ってくれって言ってんの。見返りに私の魔術を貸してあげるから、さ」
胸を張って、ラミアが言い放つのであった。




