55 フェルテアの将軍
心なしか公国の首都フェリスの空気すら淀んできたように思う。
ミュデスは執務室の窓から見える景色にため息をつく。空には太陽があって、雲もないというのに、白い壁の家々がどこかくすんで見えるのだ。
「くそっ、一体、どうなっているのだ」
ミュデスは毒づく。執務室には今、自分以外には誰もいない。
状況は悪くなる一方だ。何度、軍を送り込んでもまるで戦いにならず、逃げ帰ってくる。
ノックの音が遠慮がちに響く。
「ミュデス様、ガズス将軍がお見えです」
従者が声を上げる。名もいちいち覚えてはいない。ただの下働きに過ぎない相手だからだ。
「とっとと通せ、愚図め」
手頃な小箱を扉に投げつけ、ミュデスは返事をした。
「ガズスです、失礼します」
野太い声とともに大柄な軍人が執務室に入ってくる。白い鎧を薄青色の騎士服の上から纏っていた。肩幅が広く、身長は自分よりも頭2つ分は高いだろう。
「どうなっているのだ!貴様ら軍人どもはっ!」
挨拶も抜きに、まるで成果を挙げていない集団の筆頭に、ミュデスは当然の罵声を浴びせた。
対するガズスが硬い表情を浮かべている。まるで動じていない。
憎たらしい男なのである。父の大公が取り立てた軍人ではあるが、腕力だけに長じていて、まるで知恵が回らない。
(こんな木偶の坊は1兵卒で十分だったというのに)
自分が跡を継いだら、真っ先に降格してやろうと思っている人間の一人だ。
「魔塔の第1階層はそこまで酷くありません。鳥のような魔物が主力のようですが、こちらが圧倒して、侵攻していけます」
滔々とガズスが報告した。ちゃんと形になっている。
台本でも覚えてから、ここに来ているのだろうか。いつも追及しようとすると、それらしい報告が出来るのだった。武骨でありながら、報告のときの顔は澄ましているのが憎たらしい。
「しかし、第2階層より上は、空気が毒のようになっていて、まるで戦えません。何か、あの毒気に対抗するための工夫が要ります」
ガズスが他人事のように言う。対策を立てるのはミュデスの仕事だと言わんばかりだ。
首都の空気すらもどこか息苦しくなっていた。ミュデスはチラリと思う。だが、どうせ木偶の坊の戯言なのだ。
どうやら、まだ聞いていない来訪の用件は泣き言と言い訳だったらしい。ミュデスが呼び出したわけではないのである。
「そんなものはな、貴様らの気合が足りんのだ。国を救おうという気がないのであろう」
横を向いてミュデスは断言した。
自らの責務を果たすため、命を捨ててでも戦い抜くのが軍人というものではないのか。
「あれを吸ってみればいい。動けなくなるというのがどういうことか、分かりましょう」
ボソッと一言、ガズスが呟く。
自分が不敬を聞き逃すわけもなかった。
「なんだと貴様っ!私に毒を吸って死ねと申すかっ!なんという不敬なやつ!」
ミュデスは指さして罵る。
「ミュデス様のこととは申しておりません」
横を向いてガズスがうそぶく。
確かにミュデスに吸えとは言っていなかった。歯軋りして怒りを抑える。
そもそも敗走してきたのだ、という認識はないのだろうか。自分としてはとっとと解任して首を打ちたいぐらいなのだ。
(父が止めるから、まだ生かしておいてやっているが)
失敗の度、父の大公が必死で庇うのである。
一応、実権を握っているのは父の大公だ。いかに頼りなくとも、ガズスまで失うわけにはいかないと考えているらしい。
(だが、この国にはもっと、貴族出身で優秀なものが何人もいるというのに)
自分に金品を寄付し、軍費や国費の足しとしてくれる支持者が多くいる。
そういう人間には相応の位を与えてミュデスは報いてきた。そういう人間は来たるべく時まで無茶も無理もしない。自分の治世で実力を遺憾なく発揮してくれれば良いと思っていた。
(私の財力は既に国庫をも超えている)
ミュデスはチラリとガズスを睨む。
「ところで、国境周辺に展開したドレシア帝国軍に、ミュデス様の配下がちょっかいを出している、と良からぬ噂が流れておりますが」
生意気にもガズスが咎めるように言う。あろうことか、自分に意見するために今日は押しかけてきたらしい。
(ふざけおって)
ミュデスは怒りに震えた。
だが、身に覚えがない。そんな指示を出したこともなかった。
(だが、金はあるものの、物資は少ない。誰かが気を回してくれているのだろう)
ミュデスは思い、自らの人望に満足した。
「貴様には関係ない」
よって、素っ気なくミュデスは言う。無能に話す口など無いということだ。
「しかし、軍を無断で動かされては困ります」
しつこくガズスが言い募る。
「くどい。貴様は魔塔のことだけを考えていればいいのだ」
腹を立ててミュデスは睨みつけた。
さすがにガズスも自分を見下ろす形で睨み返してくる。
「では、聖女を、聖女クラリスをお戻しください」
低い声でガズスが進言してきた。
「なんだと?」
思わぬ言葉にミュデスは我が耳を疑った。
「第2階層より上の毒気。あれは邪悪なものです。対処するには、聖なる力が必要と見ました。聖女クラリスの力が必要です」
つまりなんの根拠も無く、自分の感覚に過ぎないとガズスが、語るに落ちている。
「愚か者っ!奴を追放したら、呪って魔塔を生み出したのだ。奴が解決策だなどとはありえぬ」
自分で言っていて、ミュデスは気付いた。
「そうだ。あの女を処刑すれば魔塔は消えるさ。戻すなら戻すで構わん。私の前に連れてこい。嬲りものにしてからこの手で処断してやる」
その時を想像して、ミュデスは破顔した。
「話になりませんな、失礼します」
しかし、露骨に呆れを見せて、ガズスが立ち去ろうとする。
「なんだとっ!貴様っ、私を愚弄するのかっ?」
ミュデスはあまりの屈辱に怒る。
「私を解任したいならどうぞ。しかし、その際には大公閣下とお話ください」
ガズスが背を向けたまま言い、執務室を後にした。
(くそっ!開き直りよって!父が貴様を死にものぐるいで庇うと分かった上で)
ガズスを解任しようとすると、『国が私の代で滅びるから止めてくれ』・『やるなら父を先に殺せ』などとみっともないぐらいに懇願するのだ。
(あぁ、むしゃくしゃする。胸糞悪い!)
ミュデスはしばし思案する。そして思い立って、執務室を自らも後にした。
城の一角に恋人ラミアの研究室を造営している。魔術の研究に、国のため、打ち込んでいるということだった。
(こういうときは、恋人から慰めを得るに限る)
ミュデスは気を取り直して、廊下をいそいそと進む。
ラミアとはまだ男女の仲になれていない。なんだかんだと拒まれてきた。今日は無理にでも、と思う。散々、魔術の研究を、というラミアに資金という形で貢いできたのだから。
「なっ」
だが、ラミアがいるはずの研究棟に至り、ミュデスは絶句した。
研究棟はもぬけの殻であり、ただ大穴の空いた外壁が広がるばかりだったからである。ラミア本人も当然のようにいない。
予想もしなかった光景に、ただミュデスは凍りつくのであった。




