54 再会3
平伏している男一人を領主夫妻で威圧している格好だ。まして、自分の屋敷前である。
(ほんと、とっとと帰ってくれないかしら)
領主の奥様をしているイリスとしては、領民たちの目も気になるのだった。
「イリス嬢に、ではない。ペイドラン殿、あなたに、だ」
頭を下げてペイドランに向かってシャットンが思わぬことを言う。
先程、妻への頼みと思い込んで夫が怒ってくれたのだ。今度はイリスが夫のため、腹を立てる番だった。まるで正当な感情の流れではない。
(よーし、足蹴にしてやる)
イリスは心に決めて走り出そうとする。
もはや戦いにはならない。シャットンにその気がまるで無いからだ。
「まぁ、俺に、なら良いです。イリスちゃんに何か、っていうのは絶対に許さないけど」
しかし、イリスの思いとは裏腹に、嫉妬心も独占欲についても解決されたペイドランが短剣を納めてしまった。
「奥方様には何も無い。いや」
ここでシャットンがようやく顔を上げ、首を傾げた。
「シェルダン・ビーズリーという人について訊きたい。ペイドラン殿は元部下だというから、聞きに来たのだが。もし、奥方様もご存知ならうかがいたい」
シャットンの口から、思わぬ名前が飛び出してきた。
「ええっ、あの人のこと?思い出したくもない」
自分は露骨に嫌な顔をしていることだろう。良い思い出ばかりでは無い相手だ。むしろ痛烈に嫌な思い出がある。
「あまり、関わらない方がいいですよ、その人」
ペイドランも心底嫌そうな顔で、口添えしてくれた。
「セニア様は褒めてらしたし、俺も悪い人間という印象は受けなかったが。ただ、何を考えてるか分からない。底知れない怖さのようなものがあって。知っている人間に話を聞いておこうかと」
本当に驚いた顔でシャットンが言う。
こういうところはエヴァンズの下にいた人間なのだ、とイリスはなんとなく思った。
(でも、こんな感じじゃなかったから。やっぱり本当に変わったのね、こいつも)
ただの実直な同年代にしか見えない。昔のように小馬鹿にした態度など、一つも取っていなかった。
「こいつ、放っておくとシェルダンさんにいかにも利用されそうな奴ね」
イリスはそっとペイドランの耳元で囁く。
「そうだね、話ぐらいならしてあげようか」
ペイドランも苦笑いで頷く。
「私とペッドはひどい目に遭わされてるの。そういうことなら話をしてあげるから、屋敷にあがって」
イリスはシャットンに向き直って告げる。
「仕方ないね。隊長の犠牲者、あんまり増えるとおかしなことになるから」
ペイドランもシャットンの方を向いて告げる。
だが、断固、イリスと距離を縮めさせない、という意思表示なのか。左腕で抱き寄せたままだ。
「いいのですか?」
注意深くシャットンが言う。言葉を間違うと気が変わりかねないと用心しているようだ。
「あと、その話し方、どうにかならない?気持ち悪いのよね。いい加減。忘れた?あんた、昔、散々、私に偉そうだったのよ?」
イリスは我慢できなくなって、ペイドランに身を寄せて告げる。
「それもすまなかった」
素直にシャットンが侘びる。口調をさりげなく崩していた。
イリスは肩をすくめてペイドランとともにシャットンを連れて、屋敷に入る。驚き顔の使用人たちには『アスロックの時の知り合い』とだけ紹介した。
執事のハドルが主人であるペイドランに物言いたげな顔だったが。おとなしく応接間に案内してくれた。
「あんた、今、フェルテアの聖女様の護衛してるんでしょ?そういえばさ。いいの?離れてて」
ペイドランと並んでソファに腰掛けるとイリスは話の水を向ける。隠すことでもないから、女中にも聞こえるような声だ。不審者ではない、とこれで分かって貰えただろう。
「離れざるを得なくなった。クラリス様には法力と魔力の両方が備わっているらしい。稀有な才能だが、その使用法を指導する人間がいない、という状況だ。シェルダン殿なら、と言う話だったのだが」
困りきった顔でシャットンが言う。
「シェルダン隊長にお願いするまでの段取り、この人たちが台無しにしたんだ。アンス侯爵閣下とか、奥さんのカティアさんとかも巻き込まないとって。俺たちは相談してたのにさ」
ペイドランがイリスの耳元でヒソヒソと耳打ちしてくる。
(あー、たしかに其の辺の人じゃないと言うこと聞かせられないでしょうね)
イリスとしては納得の人選なのであった。
「あぁ、私もクラリス様も断られると思ってもいなかった。甘かった」
素直に反省してシャットンが唇を噛んだ。
「断るでしょ、そりゃ、あの人は。真正面から言って、素直に聞いてくれる相手じゃないわよ」
膝に乗せたレルクをあやしつつイリスは告げる。
本当は遊んであげる時間なのだ。そして遊び疲れたらお昼寝である。
「ドレシアもクラリス様を戦わせて、今、ある魔塔を攻略させるつもりかと。そのための技術習得には協力を惜しまないと思い込んでいた」
シャットンが肩を落とす。
「国としては、ね。シェルダン・ビーズリーは別よ。変わり者よ、あの人」
既に出世させられたというのに、未だに手柄を挙げることには慎重らしい。
もはやイリスとしては呆れてしまうほどだった。
「隊長のこと、前もって知らなかったんなら、しょうがないよ。口が滑ったセニア様もいけないんだし。俺等も散々な目に遭わされたし」
ペイドランが取りなすように言う。
「主にペッドが、ね。魔塔を結局、3本も上らされたもんね」
イリスは愛おしさを込めて夫の左腕を撫でる。シャットンなどにも親切なところが不意に愛おしくなったのだった。
「イリスちゃんだって。病み上がりの病室で、面倒臭い話されたじゃん」
ペイドランもペイドランで嫌なことを思い出させるのだった。だが、自分にとっては直後に求婚されているので、半分以上は良い思い出だ。
「2人は魔塔に上がったことが?」
シャットンが驚き顔だ。
「ペッドは、ドレシアのとゲルングルン地方のと、最古の魔塔。私はゲルングルン地方のだけ」
あのシェルダンよりも上がっているのではないか、とイリスは言っていて思った。
「イリスちゃん、ミルロ地方のやつ、忘れてるよ。あれも最上階に突っ込んでったじゃん」
ペイドランが指摘するので、合計4本だ。
「凄い、人材だったんだな、お二人共」
素直に賞賛できるようになったらしい。シャットンが嘆息した。
「ま、苦労はしたわよ、それなりに」
その上で幸せに成れたから、いま、手放しで笑っていられるのだ。
「でも、シェルダン隊長がいなかったら、どうなってたんだろ。結局はあの人が目論んで、人を利用して、そのとおりに倒しただけなのかも」
ペイドランの言う通りだった。まだドレシアにもアスロックにも魔塔がのこったままだったのかもしれない。
「それほどの人なら、尚の事、助けて欲しいのだが」
苦い顔でシャットンが言う。
「やな人よ、凄いけど。不気味だし、無愛想だし。癖、強いし。油断してると利用してくるし」
イリスはシェルダンの悪いところを列挙してやった。
「俺は同国人のよしみで助けてもらおうかと」
この期に及んで、シャットンが生ぬるいことを言うのだった。
「そんな理由じゃ、絶対に力を貸してはくれないわよ。逆に踊らされちゃうかも」
心底真面目にイリスは断言した。
「では、どうすれば」
困り切った顔でシャットンが顔を曇らせる。
「うーん」
イリスも唸って首をひねった。膝の上でレルクも真似をする。
文句や批評はいくらでも出てくるのだが、具体的な対策は何もでてこない。どう転んでもシャットンがシェルダンから無愛想に文句を言われた挙げ句に、陣営から蹴り出される未来しか見えなかった。
「1つずつ、順を追って話をするのがいいです、多分」
ペイドランがちょっと遠い目で口を開いた。
「隊長はとにかく、自分に火の粉が飛んでくるのが嫌で。だから、どうしてほしいのかちゃんと言って、火の粉がどれぐらいか分かるようにしないと。で、出来るだけ迷惑かけません、って素直に頭を下げるとちょっとの火の粉なら我慢してくれます」
ペイドランが言葉を並べる。ペイドラン自身がもし、シェルダンと何か交渉する羽目になったら、しようと思っていたことなのかもしれない。
(要するに自分のことが最優先ってことじゃないの)
イリスは苦笑いだ。よく、シェルダン・ビーズリーという人のことを見ている言葉だった。
「そうすれば、シェルダン隊長は黙って考えて、貸せるだけの手は貸してくれますよ、多分」
ペイドランがレルクの小さなお手々を可愛がりながら言う。
「そうですか。まったく、手を貸してもらえないよりは、良いか」
腕組みしてシャットンが言う。変に理屈をこねず、素直に聞くだけ、やはり良くなったのかもしれない。
「確かにそんな感じよね、あの人」
イリスも頷くことが出来た。何より、シェルダンという人はセニアのように素直に悄気げて頭を下げる人間のほうが苦手なのだ。
「ありがとう、とても参考になる」
シャットンが少しだけ明るい顔をして、ペイドランに言う。立ち上がった。すぐに行こうというつもりらしい。
「一泊ぐらいなら、してもいいです。イリスちゃんがもう、昔のこと、怒ってないならですけど」
思わぬことをペイドランが申し出る。
「いいわよ、別に」
イリスは夫の気が分からぬまま首肯した。意外なのである。
「で、アスロック王国時代のイリスちゃんの可愛い話をたくさん、洗いざらいしてください」
大真面目な顔で、ペイドランが言う。
「ちょっと」
さすがに恥ずかしいから止めてほしい。イリスはやはり一泊を禁止してやろうと思った。
「だが、イリス嬢は当時、目立たない使い走りの少女に過ぎなかった。今もあまり」
シャットンがまじまじと自分を見つめ、首を傾げる。
失言に対し、イリスは立ち上がってから飛び膝蹴りを放ち、ペイドランが鉛筆を額に命中させる。という夫婦の芸当により、シャットンを懲らしめるのであった。




