5 聖女の護衛
アスロック王国王太子エヴァンズのことはまだ覚えている。忘れるわけもない。騎士団長ハイネルに、黒風の魔術師ワイルダーのことも。
(俺が覚えていないと、あの方々のことは歴史に埋もれ、忘れられて消える)
馬車に揺られながらシャットンは思う。手にしているのはエヴァンズが死の間際、譲ってくれた名剣だ。亡くなったときに、雷撃で黒焦げにされたのは一般兵のものであった。
かつてエヴァンズの従者をしていたシャットンである。目をかけてもらっていた、という自覚もあった。
(皆、素晴らしい人たちだった。エヴァンズ殿下も)
幻術士アイシラの幻術によって、最後、ほとんど正気を失っていた。自分も同様であったのだが。
それでもいざ、王宮にドレシア帝国の兵士が迫ってくる段階になると急に正気を取り戻したのだ。『行けっ、生き延びるのだっ!』と自分の頬を叩いて正気を取り戻させ、今も腰に吊っている名剣を握らせて逃がしてくれたのである。
(あれは殿下の最後の底力だった)
シャットンまでは犠牲にできないと、強力なアイシラの幻術にまで逆らってみせた。
(誰が、何が悪かったんだ?)
何もすることがないと、昔を思い返して同じ問いに至る。
馬車の左右には窓が備わっていた。反対側の窓を少し開けて、聖女クラリスが恐る恐る外を窺っている。あまりに可愛らしい所作であり、ついシャットンは頬を緩めてしまう。
「すごい、ここがドレシア帝国の都なんですね」
無防備に感嘆の声をあげる聖女クラリス。自分の方を笑顔で振り向いてくる。幽閉されていた、あまりに寒い高地の屋敷では暗い顔だった。
(ようやく安全な場所に身を置けたとなれば、このはしゃぎようも無理ないか)
護衛のシャットンだけは気を抜いてはならないのだった。
シェルダンという若い軽装歩兵の総隊長が、聖女クラリス移送のため馬車を用意してくれていたのである。歩かずに済む上、姿も人目に晒さずに済む。有り難い配慮だった。
(油断も隙もない人物には見えたが、同国人なんだよな)
ドレシア帝国の皇都グルーン。形としては自分の祖国を滅ぼした国の都だ。あのままでもアスロック王国が滅んでいたであろうことを思うと、恨めしくもないのだが。
アスロック王国滅亡後、シャットンは落ち延びてドレシア帝国に至り、そのまま滞在することなく通り抜けてフェルテア公国に入ったのだった。そこで剣の腕を磨く。一人で生きるにあたって、どうしても腕っぷしが必要だと思ったのである。
(まさか、ドレシアの皇都に来ることになるとはな)
シャットンも窓の外をぼんやりと眺める。
「建物がいっぱいで人もいっぱいいて」
うらやましげに聖女クラリスが告げる。確かに窓から見るだけでも大勢の人々が見られた。確かに寒冷で人口の少ないフェルテア大公国とはだいぶ雰囲気が違う。
この大勢の人々の中にもしかしたら、エヴァンズ王子を討った者も、ハイネルを討った者もワイルダーを討った者もいるのかもしれない。
(だが、俺は誰も恨まない)
仇を討とうと、3人を覚え尊敬している自分が考えることですら、彼らの気高さを汚す気がする。
討った側も戦争であったから討っただけだ。
(強いて言えば、幻術士アイシラ、あの女だけは)
エヴァンズを欺き、意のままに操作して愚行を重ねさせてきた。
(だがあの女も)
多頭の魔物に殺されていた。その多頭の魔物もアスロック王国を腐らせた存在だが、既に討たれている。
恨みを晴らす相手も、もういない。シャットンには、自分の人生を歩むしか道はなかった。
「ええ、私も初めて参りましたが、賑わっていますね」
微笑んでシャットンは相槌を打った。
「良かった。やっとシャットンさんの顔が少し穏やかになりました」
嬉しそうに聖女クラリスが笑う。
貴族などとは関係なく、一般人からフェルテア大公国の聖教会に見出された少女だった。
人並み外れて美しい容姿だけではなく、飾り気のない人柄が他者を惹きつける。
(聖女や聖騎士は大切にしなくてはならない)
未だ敬愛している3人の唯一冒した失敗が聖騎士セニアの扱いであった。
(そう、セニア様も素晴らしい人だった)
すべてが誤解だった。
幻術で嫉妬を増幅されたエヴァンズにより、破談追放されても屈することなく、再起して全ての魔塔を攻略してくれたのである。
「ここ数日、大変でしたからね」
当たり障りのない返答をシャットンはした。
聖女や聖騎士を粗略に扱うことには、どうしても強い抵抗がある。大公の嫡男ミュデスによる糾弾から今に至るまで気の休まることがなかったのだ。
返答がない。
聖女クラリスがなにか言いたげな顔で自分を見ていた。
「どうしました?」
シャットンは訝しく思い、尋ねる。
「いいえ。なんでもありません。大変だから、そんな思い詰めてたってことにしたいなら、そういうことにしといてあげます」
拗ねたような笑顔を見せて聖女クラリスが告げる。
本当はもっと正確な説明が欲しいのだ。
(だが、アスロック王国のことなど、全てを語るにはまだ)
時間も気持ちの余裕もない。
「この手の馬車にはよく、アスロック王国では毒を仕込んでおいたのです。盗賊などが襲撃し開けると毒煙が噴き出すのです」
なんとなく思い出してシャットンは話題を逸らした。
「怖いですね」
顔をしかめて聖女クラリスが言う。馬車の中を確かめるかのようにキョロキョロと辺りを見回した。
「この馬車は大丈夫ですよ。ドレシアのものですから」
微笑んでシャットンは告げた。
他愛もない会話をするのも久し振りである。4年前に聖女クラリスの護衛とされてから、ともに祈りのため各地の神殿を回ったものだ。
自分が護衛とされたのはハイネル仕込みの剣技を評価されたからだった。
(こうして見ていると、どこにでもいそうな少女なのだが)
ハッと目を引く美少女であるということを除けば、とシャットンは心の内で付け加える。
フェルテア大公国という小さいながら一国を守ってきた少女なのだから、相応の敬意を払うのが当然だとシャットンは思う。
「あまり、シャットンさんはご自分のことを話して下さらないから。アスロック王国のご出身だったんですね」
聖女クラリスが嬉しそうに言う。
話さなかったのは、話すことの難しい過去だからだ。シャットンは言葉を呑み込む。
「どんな国だったんですか?」
それでも聖女クラリスが心の中へと踏み込んでくる。
「良い国でした。少なくとも私には。皆が懸命に生きていて、自然の豊かな国でした」
シャットンの記憶では魔塔の無い時期の無かった国だ。あまり煩わされなかったのは、ごく幼い頃だけだった。
母が最古の魔塔から溢れ出た魔物に殺され、父が憎しみのあまり聖騎士レナートの魔塔討伐に参加して戦死している。王太子エヴァンズに拾われていなかったら自分もどうなっていたか分からない。
「ごめんなさい」
思い返していると聖女クラリスに謝られてしまった。
「えっ、どうしました?」
シャットンもさすがにたじろいで尋ねる。
「辛いことを思い出させてしまったみたいで」
聖女クラリスがしょげている。
「いいんですよ、もう、乗り越えました」
忘れることとは違う。記憶から消えることもない。消化して乗り越えた、というのが一番近い気がする。
(俺は、エヴァンズ殿下やハイネル様、ワイルダー様の人生を無駄にはしない)
自分が記憶して活かしつづける限り無駄になることはないのだ。
やがて馬車が目的地である皇城に到着した。聖女クラリスのため客間を手配してくれたのだという。
(やはり、ドレシアはきちんとすべきをしていて、今に至ったのだ。俺も聖女様を守り抜き聖山ランゲルにお連れしなくては)
シャットンは思い、改めて気を引き締めるのだった。
 




