47 挿話〜ペイドランとイリス
夫のペイドランが自分の巡視に付き合ってくれることとなった。
イリスとしては素直にとても嬉しい。今は領地へ向かう馬車の中だ。乗っているのは自分とペイドラン、それに息子のレルクである。
「大丈夫?辛くない?無理しちゃ駄目だよ。あ、レルクは?大丈夫?乳母の人、近くにいるかな?」
イリスのことだけではなく、お腹の赤ちゃんから長子のレルクのことまで心配しだしてペイドランがうるさい。
過保護で心配性なのである。
「大丈夫よ、ペッド。二人でよく確認したじゃないの」
イリスは笑って答える。
「乳母のリディアさんはすぐ後ろの馬車に乗ってるわよ」
自分もペイドランも21歳となった。2人とも小柄で細身のままだ。
(特に私、赤ちゃんまで産んで。また、二人目も授かったのに)
あまり、腹以外の体型が変わらないのであった。産後、身体もすぐに痩せてしまったせいなのか、お乳の出が悪かったのである。
(体質っちゃ、体質なんだろうけど)
それで、乳母のリディアを雇うしかなかったのである。幸いだったのはリディアも素敵な女性であること。既に30歳近い。母親の先輩であり、長男レルクのことではリディアの世話になってばかりだ。
「パパ、嬉しい」
長男のレルクが嬉しそうに言う。
歩くようにもなり始めた1歳半なのだが、今は珍しく、長く一緒にいられる父親のペイドランに大喜びで抱っこされていた。
「ママ」
レルクが青みがかった瞳をきらきらさせて言う。
髪色は自分の金髪を、瞳の色はペイドランの青みがかった黒色を引いたらしい。
「いいよ、おいで」
イリスは微笑んで両腕を伸ばし、甘えん坊の長男をペイドランから引き受ける。今度は自分に縋り付いてご満悦だ。
誰に似たのか甘えん坊なのである。
「お母さんは今、お腹に赤ちゃんいるから、レルクも気をつけて。無理させちゃだめだよ」
大真面目な顔でペイドランが言う。
子供が生まれた後もなお、自分のことを気にかけてくれる。結婚前からも出産前からも変わらない。
だが、まだ1歳半のレルクには難しかったらしい。
困った顔で父を見つめ返し、続けて自分を見上げる。まだ甘えたい盛りなのだ。
「大丈夫よ、ペッド。気持ちは嬉しいけど、まだ全然平気」
イリスは幼児特有のレルクの体臭を楽しみつつ言う。なぜ、我が子からはこうも可愛らしい臭いがするのだろうか。
「でも屋敷のことだって、レルクのことも、お腹の赤ちゃんのことも。領地のことも、全部イリスちゃんにしてもらってて」
言っていて情けなくなったのか、ペイドランが悲しげな顔をする。
「俺、イリスちゃんの役にまったく、立ってない」
肩を落としてしまったペイドランである。
「いつも格好いいし、強いし。今日だって休暇取ってまで時間を作って一緒に来てくれる。いろいろ快適なのもペッドが働いてるからよ」
働いているから何もしないというのでは困るが、ペイドランの場合、いつも頑張ろうとはしてくれる。それに結婚前と変わらぬ好意を一貫して示してくれることも嬉しい。
イリスとしては、それで十分だった。
「パパ、元気に」
レルクも父親を慰めていた。自分に抱っこされたままである。
「イリスちゃんだって、いつも可愛くて、優しくて、最高の奥さんで」
ボソッとペイドランが俯いたまま口走る。
「パパ、ママ、好き」
とても満足げにレルクが言うのだった。文脈的にペイドランが自分を好き過ぎることを言いたいのだろう。
「でも、お仕事は本当に大丈夫なの?聖女様が来て、物騒なんじゃ?」
イリスは気になって尋ねる。
「後で、陛下から、実は困ってたって言われるの、私よ?」
妊娠して動いてはいけないくせに、かつての主、聖騎士セニアも気にかけていた。
「大丈夫。イリスちゃんとのこと、駄目にしたら俺が怒るの。陛下はよく知ってるから」
ペイドランが言い、またレルクをヒョイと抱き上げる。時折、馬車が揺れもするのだが、器用なものだった。
(ま、そうなんだろうけど)
イリスとしては、少し落ちつかない情勢の時こそ、領地を見ておきたいのが本音ではある。自分のことを好き過ぎるペイドランがついてこようとしないわけがないとも、イリスには分かっていたものの、確認せずにはいられない。
(むしろ、領主様はペッドのほうなんだから、来てくれて助かるっていうのも、本音なんだけど)
イリスは領民のことを思うと、むしろペイドランの同行は嬉しいのである。
(領地のことでも、何かあればペッドもペッドなりに考えてくれるし)
また、唯一ペイドランが仕事を休めるのもこういう機会だけである。家族で過ごす、いい機会にもなるのだった。
「そういえば、イリスちゃん、シャットンって人、知ってる?」
レルクをあやしてくれていたペイドランがふっと尋ねてくる。
「シャットン?あぁ、あのシャットン?」
イリスは即座に嫌な気持ちになって訊き返す。
多分、露骨に顔にも出たことだろう。
「やなやつ?」
無心にペイドランが尋ねてくる。すると真似してレルクも『ヤナヤツ?』と尋ねてくるのだった。
2人の可愛らしさにイリスは苦笑いだ。
「アスロックにいたわよ。エヴァンズの従者だった。生きてたの?」
自分が従者をしていたセニアの元婚約者がエヴァンズという王子だった。シャットンというのは、その従者だった。だから、面識がある。
「なんか下級貴族の息子だとかでさ。使用人の娘だってんで、私のことを馬鹿にしてたのよ。少なくとも当時は、いけすかない、嫌な奴だった」
イリスは当時を思い返して告げる。
「良かった。初恋の相手とかなら、ヤキモチ妬くところだった」
ペイドランが大真面目な顔で面白いことを言うのだった。
「そんなわけないじゃないのよ。ほんと、やな奴だったのよ。エヴァンズとかハイネルなんかの前でだけ真面目ぶっててさ」
もう5年以上も昔のことだ。
「何よ、あいつ、生きてて、ペッドと会ったの?私の昔のことで、何か悪口でも言ってた?」
だとしたら、蹴るか細剣で突くかしてやるのだ。
妊娠中だが自分はまだ元気よく動ける。
「ううん、あの聖女の人の護衛をしてて。そういえばアスロック出身らしいから、イリスちゃんとも知り合いなのかなって」
ペイドランが思わぬことを言う。『あの聖女の人』というのは聖女クラリスのことだ。
「へえ、フェルテアに行ってたのね、あいつ。でも、よくおめおめとドレシアに来られたわね。一緒になって、セニアを追い出したくせにさ」
イリスにとってはエヴァンズを思い出させる嫌な男なのだ。それこそクリフォード辺りなどは妻セニアのために燃やしにかかるのではないか。
「そのこと、謝ってたよ。直接、セニア様に。あの人、全く気にしてなかったみたいだけどね」
ペイドランがまたもや思わぬことを言う。
(そんな殊勝なやつだったかしら?)
もしかしたら更生したのかもしれない。5年経っただけだが、激動の5年間だった。
レルクが難しい話を聞いていられなくてウトウトし始める。
「そういえば、聖女の人、魔塔をどうするの?セニアみたいなことを言って、倒すつもりなんじゃ?」
ふと、イリスは話していて心配になってきた。
「また、ペッドに偵察しろ、なんて話になってないわよね」
イリスは牽制のつもりで言う。ペイドランを牽制しても本当は仕方ないのだが。
「多分、あの人たち、魔塔攻略に斥候がいると便利ってことすら知らないと思うよ」
ペイドランが言うのでイリスは少し安心した。
「そのまま、ペッド、だんまりよ。すごいって知られちゃだめよ」
イリスは心底、切実に言うのだった。
有能過ぎて、ペイドランにはシェルダンに見出された過去がある。そのまま3度も魔塔に上がっている、稀有な人材なのだ。
レルクも『ダメヨ』と目を開けて念押ししてくれた。
「また、魔塔の上層攻略なんて、危ないことしちゃだめよ」
忙しくも子供を授かって幸せなのだ。自分もペイドランもただ幸せを享受して何が悪いのか。
「俺だって、やだもん。絶対行かないよ」
思うイリスに、ペイドランも優しく頷いてくれる。
これでようやくイリスもまた安心するのであった。




