46 シャットン発つ
何となく、違和感があった。
シャットンは今でも引っかかっている。今も聖女クラリスと2人で、ドレシア帝国の皇城の、あてがわれた客室に滞在していた。
「どうしたらいいのかしら」
主である聖女クラリスが途方に暮れて言う。教えを請う相手どころか相談できる相手すらいないのだ。
傍から見ているシャットンが見ていても辛い状況だと分かる。
シェルダン・ビーズリーにも神聖魔術の指導を拒まれてしまった。
「クラリス様が力をつけるしかない。それは変わりませんが」
シャットンも言葉に詰まる。
街に出て新聞紙などを読むに、ドレシア帝国の軍勢が国境を越えようともしていない。つまりはフェルテア公国の魔塔攻略には極めて慎重な姿勢を取っていると分かる。
(これは、手詰まりだ)
シャットンは弱りきっているクラリスの美しい顔を見て思う。
代わりに戦ってくれる者もいなければ、自身で戦おうにも神聖魔術の訓練も出来ず、祖国にもミュデスがいる限り、戻れない。
だが、それもフェルテア大公国を救おうとしてしまうからだ。
「もう、気にしないようにしては?」
必ずしも、クラリスがフェルテア公国を救おうと思わねばならない理由も無い。魔塔を倒そうと考えるから苦しいのだ。
「えっ?」
クラリスにとっては、思いもかけない言葉だったらしく、無防備に驚き顔を向けてきた。
「あなたを捨てた国です。まして、どう頑張ろうにも。いや、状況は頑張ることすら許してくれません。無理を通そうとせず、誰にも、文句を言われることも無いでしょう?諦めることも立派な選択と思うのです」
シャットンはあえて、淡々と告げる。
クラリスにも冷静に、かつ客観的に状況を俯瞰して欲しかった。この少女はもう、自由に自分の人生を歩んだほうが良いと、シャットンは思う。
「だめです」
しかし、クラリスが即答した。
「どんなに情けなくても苦しくても諦めるのはだめです」
強がりで言っているのではない、と決然とした表情から分かる。
「諦めても、誰かに責められるような立場ではありませんよ」
シャットンは思い、言いつつもクラリスとは噛み合わないだろうと分かっていた。
多分、そういうことではないのだ。
(聖騎士セニア様も、アスロック王国を出てから、誰かとこんなやり取りをしたのだろうか)
なんとなくシャットンは考えてしまう。
「私が諦めることで救えなくなる人がいるかもしれません。それに私、ミュデス公子には散々な酷い目に遭わされましたけど、フェルテア大公国は好きですから。ほとんどの人が祈る私に良くしてくれました」
眩いほどの笑顔でクラリスが言い切るのであった。
確かに聖女や聖騎士というのはいてくれるだけで、他人の光となれる人々なのかもしれない。
(アスロック王国が滅びたのは、当然のことだったのかもしれない)
思ってしまうも、シャットンは首を横に振った。それでもアスロック王国を、聖騎士抜きで本気で守ろうとした人間を、自分は知っている。
(俺がエヴァンズ殿下たちを否定することをしてはならない。だが、クラリス様に言うべきことではない)
あくまで自分の過去への、自分の思いなのだ。
「すいません。惑わせるようなことを、述べてしまいました」
話を打ち切るために、シャットンは侘びて頭を下げた。
「いえ、それだけ客観的に苦しい状況ってことで。シャットンさんは心配してくれただけですから」
クラリスが微笑んで告げる。だが、すぐに顔をまた曇らせた。
「でも、困りました。シェルダンさんは分からないって言ってて。でも、他の人はシェルダンさんならって態度でしたし。フェルテア公国になら何か資料があったのかもしれませんけど」
戻れば、ほぼ確実に処断される。さすがのクラリスも分かっているようだ。
(ミュデス公子は全てをクラリス様のせいにしたがっているからな)
忌々しい男だ。シャットンも唇を噛んだ。
(むしろ、ミュデスがいなければ、この魔塔騒ぎもなかった。今もクラリス様がフェルテアに入れず手詰まりなんだから)
ミュデスを思うにつけて、シャットンはたとえ飼い殺しでもドレシア帝国にいたほうがクラリスにとっては良いのではないかと思うほどだ。
一方で、別の違和感もあった。
「そのことなのですが、本当にシェルダン殿は神聖魔術の指導が出来ないのでしょうか」
シャットンは感じていた疑問を告げる。
本人の態度には怖いぐらいに違和感が無かった。
(しかし、なぜこの時期に戦線を離れて皇都にいたのか)
頭で考えるとやはりおかしいのだ。皇帝シオンが呼び寄せていたのもシェルダンでおそらく間違いないのだろう。
セニアの発言もある。
「え?嘘をついていた、ってことですか?そんな感じには見えませんでしたけど。それに、私、悪いことをするつもりでもないのに、なんで嘘をつかれたんですか?」
クラリスが素直に驚いている。
「そこが分からなくて、私も論破されてしまいました」
シャットンも首を傾げるしかなかった。
おそらくドレシア帝国としては、クラリスに魔塔攻略をさせたいはずなのだ。必要以上に他国へ介入することに慎重だからこそ、新聞紙のとおり国境も越えない。
(だから、もし指導が出来るのなら、シェルダン・ビーズリーも協力に積極的でないとおかしい)
シャットンにとってもシェルダンの態度は矛盾しているのだ。
だが、現実には怒りや呆れをぶつけられ、挙げ句、とっととリオル・トラッドも捨て置いて、一人、北へと帰ってしまったらしい。
第4ギブラス軍団指揮官のリオルが苦笑いしていたほどの素っ気なさであった。
(逆にリオル・トラッドの行動にも呆れさせられるが)
なにかと足繁く通ってきては、クラリスの世話を焼こうとするのである。自軍の指揮はどうなっているのか、とシャットンなどは思ってしまう。
「やっぱり、私の態度や考え方に問題があったから?セニア様の協力を無理強いしたり、大神官様に直訴したりしたから、シェルダン殿の顰蹙を買ったのかしら。でも、そもそも本当に出来ないだけかもしれないし」
可哀想にクラリスが大混乱である。きちんと反省できる人柄であることが裏目に出た。
「落ち着いてください。とりあえず、俺がもう一度、彼と話をしてみようと思います」
シャットンはクラリスを安心させるため、微笑んで告げる。
どういう存念なのか。結局、本人にしかわからないのだ。
「えっ、でも」
あからさまにクラリスが不安そうな顔をする。
言いたいことは分かった。シェルダンの現在地はフェルテア公国との国境だ。話すためにはシャットンも北へ行かなくてはならない。
(だが、今の俺が何の役に立っている?)
シャットンとしては自問したくなるほど、この皇城の守りは完璧だ。
「この皇城にいれば、御身の安全に不安はありません」
はっきりとシャットンは言い切る事ができた。
皇帝シオンの従者ペイドランを始めとし、腕利きが揃っている。
(それに今更、クラリス様の命を、ドレシアが狙うとも思えない)
フェルテアとの外交の手札の1つとして、クラリスを見ていることは間違いがない。
愚挙ばかりのミュデスに曲者の皇帝シオン達が同調するとも考えづらかった。
(だから俺も思い切ったことをしていこう)
シャットンも心に決めたのであった。
「たとえ、空振りに終わるかもしれなくとも。まずは振ってみようと、私は思ったのですよ」
シャットンは微笑んだまま告げる。
そしてクラリスもまた頷いたので話は決まったのであった。




