42 上司と父親と1
第1ファルマー軍団指揮官アンス侯爵は旧アスロック王国のラルランドル地方を訪れていた。部下であるシェルダン・ビーズリーの領地が在るからである。
「間もなくビーズリー子爵の屋敷です」
まだ若く素直ではあるものの、まるで世慣れしていない従者が分かり切ったことを報告してくる。まず、アンス侯爵は睨みつけた。何でもかんでも報告すれば良いというものではない。
「分かっておる。何度来たと思っているのだ」
アンス侯爵は反射的に告げていた。
困ったことに従者が縮こまる。少し涙が目元に浮かんでいるのも分かった。
(まったく、どいつもこいつも)
自分に叱られても皮肉られても、涼しい顔をしていられる部下はシェルダン・ビーズリーだけである。
シェルダンとても何度かは叱責してやった。大概のことは何でも出来る男なので、手を出し過ぎるのだ。だが、涼しい顔ですぐに修正するのである。
「しかし、ビーズリー子爵御本人は、北の戦線に」
また従者が口出しをしてくる。
「やかましい、分かっとるわいっ」
アンス自身が部下の動静を知らないとでも思っているのだろうか。シェルダン自身から出撃の報告も受けている上、わざわざ留守を狙って来たのである。
(多少、頭が回ればシェルダンの留守を狙って家族に根回しに来たことぐらい分かりそうなものだ)
アンスは睨みつけて従者を黙らせてやった。何でもかんでも言えばいいというものではない。
(それにしても、奴は本当に動きが鋭い)
皇都の誰も気にしないうちから、いち早く北への出撃を志願していた。
出世したくない割には動きが鋭すぎる。時々、こちらが逆に試されているのではないかと思うほどだ。だからここ5年間はアンス自身もシェルダンの功績を見逃さないように必死だった。
現在、元フェルテア公国の聖女クラリスが命を失うことなく、ドレシア帝国に保護されているのはシェルダンの功績だ。
(そして、奴の功績を見逃さなかったのが儂の功績だ)
肥沃なラルランドル地方に狭いながらも領土を与えたのは、皇帝シオンもおおむね自分と同じ見方をしているからだろう。
(報いないのがおかしいぐらいに、あいつは働いておる)
今も軽装歩兵連隊と第4ギブラス軍団のみで、フェルテア大公国からの魔物に対応している。
やがてビーズリー子爵邸へと到着した。供回りの数人のみでの移動だった。あえて先触れも出さなかったので、気付かれてすらいないかもしれない。
アンス自身は思っていたのだが、屋敷の前には出迎えの一団が整列していた。
「ご無沙汰しております。アンス侯爵閣下」
シェルダンの妻カティアがたおやかに微笑んで優雅に一礼する。皇族の侍女を務めたこともある、細身の美女だ。今日は白いブラウスに髪と同じ紺色のロングスカート姿である。娘と思しき幼女もたどたどしく母の真似をしていた。
(どちらに似ても、強かな娘に育つだろう)
思い、アンスは笑みを噛み殺した。
「急に押しかけてすまぬ、カティア殿」
アンスは馬から降りて挨拶する。先触れを出してしまうと、目当ての人物が逃げ出しかねない。今までも避けられてきた気配がある。
「もう何度目になるでしょうね。また夫のことで悪巧みですか?」
いたずらっぽく笑って、カティアが尋ねてくる。
今までにも何度かシェルダンを昇進させようという度、カティアに説得してもらってきた。
(この夫にして、この妻あり、だからな)
アンスは、たおやかな笑顔の裏では夫以上に強かなカティアに助けられてきた。
結局、シェルダンがカティアに惚れ抜いている。一方でカティアも同様だが、昇進に後ろ向きな夫と違い、昇進する夫を支えることに意義を見出していたのだった。
今となっては、カティアの方が、このビーズリー子爵領の実質的な領主である。
さすがのシェルダンも領地経営と有能すぎる軍務の両立は出来ない。カティアの助け有っての、今のシェルダンなのであった。
「立ち話もなんですから、お入りください」
カティアが告げて、アンスを居間へと案内する。カティアの実父や実母も姿を見せて挨拶してくれた。
「それで、今度は夫に何をさせるおつもりなんですの?」
警戒心もあらわにカティアが早速、尋ねてくる。
侍女らが折り目正しく、茶菓子などをテーブルに並べてくれた。作法にうるさいカティアらしく、使用人も実にしっかり教育されている。
「やってほしいことは幾らでも?皇帝シオンはフェルテアの聖女に技を教え込む役割を、シェルダンに押し付けるつもりでいた。それどころか、フェルテアの魔塔に上らせたいぐらいかもしれんがな」
クックッとついアンスは笑い出したくなるのだった。本当に問題なく、シェルダンならば、どちらの役割もこなしてしまいそうだ。
自分の笑いとは裏腹にカティアが苦い顔だ。
「他人の夫を聖女にあてがおうだなんて、相変わらず悪趣味ですこと」
かなり気を悪くしている。聖女や聖騎士に夫が絡むことに腹が立ってしょうがないようだ。そういう嫉妬深さは、酔った時のシェルダンによると、昔からのことらしい。
「だが問題は、この国で神聖魔術に詳しいのは奴ぐらいということなのだ」
アンス自身も多少の調査はした。シェルダンのような経歴、家系の者など、ドレシア帝国広しといえども他にいない。1000年も軽装歩兵をしてきた一族なのである。
「夫は、魔術師でもなければ神官でもありません。当然、聖騎士でも聖女でもないのですよ」
素っ気なくカティアが横を向いて言う。
アンスとてシェルダンにさせようというつもりもないのに、文句を言われている格好だった。
多少の文句ごときで怯んでいるようでは、シェルダン夫妻と話など出来ない。
「だが出来るのだろう?」
少しいたずら心を働かせてアンスは尋ねるのであった。




