4 フェルテア大公国の聖女
どこか儚げな美少女である。銀色の髪に紫色の瞳という細身の容姿によるものだろうか。肌の色も極めて白い。新聞では弱冠18歳だとのこと。フェルテア大公国での人気も頷けるものだった。
(ローブとか純白だったのが土くれなんかで汚れてるのに)
バーンズは聖女クラリスを見て思う。憔悴していてもなお美しい。
一方、付き添っていた灰色の髪をした剣士は肌が粟立つ程に腕が立つ。今にも斬りかかってきそうな殺気を放っている。
副官のマイルズが言うには、ひどく気を張っていて、声をかけた瞬間も斬られるかと思ったらしい。
「ありがとうございました、その」
天幕の中、ようやく水と兵糧を分け与えたことで生気を取り戻した聖女クラリスが、ぎこちないながらも礼を述べてくれた。
「いえ、我々も任務で」
なんと返したものか分からず、バーンズは言葉を切った。
無表情な灰髪の剣士が睨んでくるので怖い。
(こっちはただの兵士なんだから睨まないでほしい)
切実にバーンズは願う。
天幕の外には部下6名が待機しているのだが、本気でこの剣士が暴れ出したなら抑えきれないかもしれない。
「お疲れ様です!」
外で部下たちの緊張した声が響く。
シェルダンが本営から到着したらしい。まだ26歳ながら、1年おきに特例での昇進を繰り返し、今の地位に至った。一般の兵士からは憧れの眼差しすら送られている。
(本人は昇進する度に飲んで荒れて、の連続だったけど)
バーンズは笑いたくなってしまう。デレクやラッドと一緒に、バーンズも酒に付き合わされたのであった。
「止めてほしい」
顰めっ面のシェルダンが案の定、自分たちにだけ聞こえる小声で、ポツリと呟く。やはり昇進せざるを得なかったことが本人にとっては未だに苦痛でしょうがないらしい。
天幕の中に入ってきたシェルダンを見て、剣士が緊張感を露わにする。戦場でも時折、鎖鎌の腕前を披露してくれるが、シェルダンの腕前はまるで錆びついてはいない。
(キラーマンティスを何匹も、デレクさんと2人で仕留めてたもんな)
バーンズにとってはつい昨日のように思い出せる勇姿だった。
シェルダンが自分を見て、それから聖女クラリス、続いて灰髪の剣士に視線を向ける。
「このような場所で失礼します、聖女クラリス様。私はドレシア帝国第1ファルマー軍団軽装歩兵連隊総隊長シェルダン・ビーズリーと申します」
シェルダンが素早く跪いて名乗る。
「す、すいません。や、やめてください。私は、そんな国を出ざるを得なくて、なんの権力もなくって」
思わぬ丁重なシェルダンに聖女クラリスがたじろぐ。年相応の態度だった。
「いや、こうあるべきでしょう」
乾いた声で剣士が告げる。
「その髪の色、シェルダン殿はアスロック王国の出身ですか?」
少々、意外なほどに丁寧な言葉遣いで、剣士が尋ねる。
灰色の髪という共通点にバーンズはようやく気付く。
「ええ、あなたも?」
シェルダンが剣士の方へと顔を向けて問い返す。
「私はシャットン。アスロック王国の出身です」
頷いて剣士シャットンが名乗る。さらに続けた。
「かつて、聖騎士を、水色の髪の聖女と呼ばれたセニア様を、不敬にも粗雑に扱って、我らの国は滅びたのですから」
苦しげに顔を歪めてシャットンが言う。
アスロック王国出身者同士の会話にバーンズも聖女クラリスも置き去りだ。
「こちらの情報では、大公の息子ミュデス様の糾弾が正当なものではない、とのことですが?」
シェルダンがさりげなく話を進める。
「ええ。ミュデス様はクラリス様をとある宴で密かに手籠めにしようとして拒まれ、その腹いせに偽物であると噂を流したのです。その効果が薄いと見るや今度は自らの恋人を聖女に仕立て上げようとし始めました」
シャットンが険しい顔で言う。まったく非の無いバーンズですら震え上がるほどの殺気が溢れてきた。
「恋人が聖女となれば箔がつくとでも考えましたか」
呆れ顔でシェルダンが言う。
(馬鹿馬鹿しい考えだな)
バーンズも顔も知らぬミュデスという人物を軽蔑してしまう。浅ましい考え方だと自分ですら思うのだった。
「祈るだけなら、誰でも出来ると。私のしてきたことなんて、形ばっかりだって」
聖女クラリスが力なく微笑む。
「私は偽物ですって、皆の前で白状しろって。連日、迫られました。それだけでも辛かったんですが、それだけなら何とか耐えようって。でも、さすがに処刑は」
聖女クラリスが俯く。
何事も生命あっての物種だ。バーンズにもよく分かる。
「でも、どこに逃げる気だったんですか?」
思わずバーンズは口を挟んでいた。
「聖山ランゲルです。あそこなら」
顔を上げて聖女クラリスが答えた。
「追手も手を出せないし、あわよくば大神官様が後ろ盾となってくださるかもしれないと?」
シェルダンが引き継いで説明してくれた。
ミルロ地方に立つ聖山ランゲル。ドレシア帝国含めた周辺国家の信奉する神聖教会の総本山だ。
「ただ遠い上にフェルテア大公国からでは過酷な道のりになる。追っ手も出されていた。正直、目指すのは賭けだった」
シャットンが低い声で告げる。
「そして、我が国がどう出るか分からないと?」
シェルダンがシャットンの考えを言い当てる。聖女クラリスやシャットンの取るであろう選択を尽く予想して、わざわざ皇都グルーンから出陣してきたのだ。
(どれだけ、読み切っていつも行動してるんだろう)
改めてバーンズは舌を巻く。
「正直、今だって分からない」
険しい顔でシャットンが言う。
「シャットン殿も身に沁みていると思うが、本件についてもっとも警戒すべきは魔塔だ。聖女への不敬は民の不安を煽り、さらなる魔塔を呼びかねない。5つもの魔塔を崩してきたドレシア帝国も、その攻略に伴う労力と犠牲をよく分かっている」
シェルダンが滔々と説明する。
つまり、魔塔はもう懲り懲りなのだ。
第1階層だけとはいえ、ミルロ地方の魔塔と最古の魔塔、2つを経験してきたバーンズにも頷ける内容だった。
「そうだな、確かにそうだ」
シャットンも深く頷いて理解を示す。
以前はまた違う人柄だったのかもしれない。なんとなくバーンズは思う。国の滅びを経験するというのが、どれほどの衝撃を与えるのか。自分にはわからないのだ。
「故に我が国としては、フェルテア大公国の愚挙で聖女クラリスを処刑されることは可能な限り避けたい。すぐ隣の国に魔塔が立てば、魔物がわが国に流れ込んでくる恐れがある」
シェルダンがさらにドレシア帝国としての立場を説明した。かつてアスロック王国中から溢れてきた魔物がドレシア帝国にも流入して害をなした過去がある。
「故に国家として、ドレシア帝国には聖女クラリスを丁重に扱う意志がある。これは上官ともかけあって、確約して構わないとされたことだ」
シェルダン淡々と無表情に断言した。
第4ギブラス軍団との表向きの軍事演習といい、あらかじめ詰めるべきは全て詰めておいた上で今に至るのである。
「まずこの地から貴方達を皇都グルーンへ護送する。そこで皇帝陛下に謁見して頂きたい。それで正式な客人という立場が確約される。正式な客人として聖山ランゲルに向かっていただくほうが良い」
シェルダンが今後の計画を伝える。
「とにかく処断は無事防げました。名誉を回復する余地も残せた以上、喫緊で魔塔が生じるおそれはほぼないと言い切れるでしょう」
シェルダンが聖女クラリスとシャットンとを見比べて、さらに加えて告げる。
(若いせいかな。少し心許ない人だけど)
バーンズは聖女クラリスの頼りない表情について、つい思ってしまうも首を横に振った。
(長く、平和な国の聖女だった。戦いも何も知らない娘なんだから。きっとこんなもんさ)
バーンズは思い、さりげなくシェルダンから引き続き聖女クラリスの警護を仰せつかるのであった。