3 聖女保護
最古の魔塔が崩壊してから5年が過ぎた。
シェルダン・ビーズリーは26歳となっている。平穏な日々の中、妻カティアとの結婚生活も良好であり、2児の父となった。
「まったく、あのギョロ目め」
それでもシェルダンは悪態をつかずにはいられないのだった。
今いる天幕の中が立派である、ということすら気に入らない。こんなことになったのは、第1ファルマー軍団軽装歩兵連隊全体の総隊長とされてしまったからだ。
魔塔が無くなったから世の中まったく何事もない、などということはあり得ないのだった。国境付近などには他国から流入してきた盗賊もあらわれる上、魔塔の魔物とは別に、猛獣が皇都グルーンの周辺にすら、あらわれることもある。
(仕方ないだろう、駆除してやらないと一般人が困るんだから)
誰にともなくシェルダンは言い訳するのだった。結果、手柄を挙げてしまったところを、アンス侯爵に尽く槍玉に挙げられ、出世してしまったのである。
手柄というのは偽造するのも難しいが、本気でやるとなると隠蔽するのも難しいのだった。どう考えても自分の方が不利である。
「なんだ、またアンス侯爵に褒められたのか?」
天幕の中にいるのは自分一人ではない。親戚にして第7分隊の頃からの部下ラッド・スタックハウスが言う。いつもどおり鉄杖を手にしている。
「だったら隊長、何もしねえで、だんまりしてりゃいいんですよ。真面目だからなぁ」
同じく第7分隊からの部下デレクも言う。重装歩兵の出身だ。小柄だが筋肉質な男であり、全身を顔面まで黒い鎧で覆っている。
2人とも道連れにして、大隊長にまで引き上げてやった。部下を率いる大変さを身に沁みて思い知らせてやっているところだ。
「そんなわけにいくか」
シェルダンは吐き捨てるように答える。仕事で手抜きをすれば返ってくるのは自分自身なのだ。結果、命を縮めることになる。
何事もまず、ちゃんとするのは自分自身のためなのだ。
(今回も同じだ)
シェルダンは頭の中で確認する。
北方の隣国フェルテア大公国の聖女クラリスが糾弾され、更には幽閉された。
フェルテア大公国では聖女が祈りを捧げ各地を回ることで民を安撫し、魔塔や瘴気を生ませず、平和を享受してきたという歴史がある。
(聖女が腐敗しているなら、あの国は崩れる)
だが、聖女クラリスというのは、特に問題のない人物であり、この糾弾は理不尽かつ不当なことだったらしい。正当な経緯で聖女に選出されたのなら、相応の能力はあるはずだ。現に今までフェルテア大公国は平穏そのものだったのだから。
(糾弾したのはフェルテアの公子だが、恋人の女を無理矢理、聖女ということにしたらしいからな)
シェルダンの元にもアンス侯爵経由でかなり詳しい情報が送られてくる。
(どこかで聞いたような話だ。まったく)
水色の髪をした、単細胞で不器用な女聖騎士を思い出し、シェルダンはまたも苦々しくなる。なんとも目出度いことに、とうとうドレシア帝国第2皇子クリフォードとの間に第一子を妊娠したのだという。
「黙って放置もしておけない。今度はフェルテアに魔塔が立ちかねん」
民衆の不平不満、不安が瘴気となって魔塔を作る。
どことなく自分が亡命する前のアスロック王国を思い出されるのであった。
「ま、処断って噂もあったもんな」
肩をすくめてラッドが言う。
さすがにどこかの誰かと同じで、処刑となれば逃げるか、或いは誰かが逃がすかするだろうと踏んだ。
シェルダンは『再度、捕らえ直されてからの処刑を、保護することで阻止するべきだ』とアンス侯爵と皇帝シオンに進言してしまったのである。魔塔の存在など想像もしたくなかったのだった。
(とりあえず聖女クラリスとやらを生かしておければ、民の絶望は抑えられて、魔塔までは立たないかもしれない。魔塔が立ったら立ったで、フェルテアの聖女には使い道がある)
故にシェルダンは自ら部隊を率いて北上してきたのであった。
「当然、そんなとこまで考えて仕事をしてる隊長は褒められて、それが隊長は気に入らないと」
珍しく皮肉な調子でデレクにまで茶化されてしまった。
「やめてくれ、思い出したくもない」
シェルダンは手を振った。
「俺は魔塔が立って、また上がる羽目になったら、カティアに何て言われるかが怖いんだ」
アンス侯爵の顔よりもカティアの顔色を覗う方が遥かに良いのだ。
結婚5年目だが愛おしくなる一方である。怒り顔すら愛おしい。
「惚気話はやめろよ、ほんと」
ラッドがうんざりした顔で言う。
自分がえんえんと惚気話を始める気配を察したのである。
「で、送り出したのがバーンズですか」
楽しそうにデレクが笑って話を本筋に戻した。
西方の都市ルベントの第3ブリッツ軍団第7分隊の分隊長をしていた頃、新兵として配属されてきたのである。デレクなどはいきなり無茶な訓練を強いて恨まれかけたのだった。今となっては懐かしい。
2年前に成長して、第1ファルマー軍団に異動してきたのである。見違えるほど優秀な軽装歩兵となっていた。少人数での難解な任務をシェルダン自らがしょっちゅう命じる程度には、だ。シェルダン自身も助言や指導をした。目をかけている、という自覚もある。
「何でもかんでも自分でやろうとするとあのギョロ目がうるさいからな」
肩をすくめてシェルダンは告げる。
『下の人間の仕事をするな』
この一点にはアンス侯爵も厳しかった。
シェルダンにとって大概のことは自分で出来ることである。分隊長から小隊長、小隊長から中隊長、中隊長から大隊長へと昇進する度、前の階級の仕事をしていないかだけは、異様に厳しく確認されたものだ。
「バーンズなら上手くやるさ。良い腕利きになった」
ラッドが嬉しそうに言う。
自分たち3人にとっては新兵のときから目をかけてきた若者だ。活躍が嬉しいのである。
「身分が上がって、前線に出ねぇで済むなら、死ぬなって家訓のとおりなんじゃねぇんですか?」
デレクがまた知ったような口を利く。
「そこはな、そう単純じゃない。俺自身も模索中なんだ。ここまでしくじって昇進しても尚、どうすれば生き延びられるか、のな」
シェルダンは至極真面目に言うのだった。
分隊長をしていた頃とは違う。立場が変わって当然、自分も変わった。
(以前なら、聖女の保護なんて考えもしなかったはずだ)
ましてや他国の聖女である。仲間の娘だった、聖騎士セニアの時とは違う。
「いいか?俺の子孫が皆、俺と同じような階級に上がれるわけじゃない。不確定な期待なんてせず、基本は低い身分でいかに生き延びるかを考えるべきだ。そのための黄金律をご先祖が作り上げてきた」
シェルダンは言葉を切った。
案の定、この段階でデレクの方は既に置き去りだ。目を白黒させている。
「上がったからって当然、俺も自分の人生を諦めるわけにはいかない。上がったらどうすべきか。なぜ上がってしまったのか、を今後の子孫に役立てるよう俺は考察も記録化もしていかねばならん」
シェルダンは腕組みしたまま2人に告げる。
「相変わらず、本当に真面目だな。真面目にビーズリー家をしてる」
声を上げてラッドが笑った。
「いや、俺に力説されても」
デレクの方は困り顔である。知ったような口を利いた、自業自得なのだった。
「ま、俺は隊長が実力どおりのところにいるから嬉しいですよ」
だが、臆面もなく照れくさいことを言えるのがデレクなのであった。
「お前のようなやつが昇進を支持したせいなのかもしれんな」
シェルダンは渋面を作ってデレクをたしなめるのであった。
「失礼します!」
ふと、天幕の外から元気な声が告げる。伝令の若い兵士だ。
「入ってくれ」
シェルダンは居住まいを正して告げる。
デレクとラッドも大隊長に似つかわしい、真面目な顔を作った。
「報告します。第6分隊のバーンズ分隊長から『対象を捕えた』と報告が来ております」
必要ない配慮かもしれないが、聖女クラリスを保護しても公表しないこととしていた。
伝令にも濁すように指示してある。
ひとまずは良い知らせだ。他国に忍び込んで行う、配慮を要する任務だったが上手く隠し通してもいる。
「分かった。詳細は本人たちから聞く」
シェルダンは立ち上がった。
「気が早いな」
ラッドが指摘してくる。落ち着け、とでも本当は言いたいのだろう。
「そうじゃない。バーンズたちだけじゃ、隠すのにも限界がある」
シェルダンは頭の中でどのように移送するか。かねてから練っていた計画に漏れがないかを頭の中で確認した。
「了解」
昔と変わらず、どこまでも自分についてくるデレクとラッドを引き連れて、シェルダンはバーンズのもとへと急ぐのであった。