26 ビーズリー家にて
北のフェルテア公国との国境へ出征してしまったシェルダンからの便りを、領地の屋敷にて妻カティア・ビーズリーは受け取った。シェルダンも子爵の位を賜ったことから領土と皇都両方に屋敷を持ってはいる。
「本当にすごい人ね」
カティアは手紙を一読するなりポツリと夫についてこぼす。どこまで自分が支えてシェルダンを出世させられるのか。思ったこともあったが、既に想像したよりも上の階級にいる。
(変わらないのね、出会ったときから)
夫の示す情愛を手紙越しに抱きしめてカティアは思う。
手紙の内容自体は当たり障りのないものだ。フェルテア大公国の魔塔から魔物が溢れてきたので、対処に時を要するのだという。
(つまり、帰りが遅くなると)
まるで残業でも仰せつかったかのような気軽さで書いて寄越したのだった。大事でも小事かのような調子で寄越してくることに、シェルダンの凄みが滲みだす。
(軽装歩兵では国の最高位にいるのではなくて?)
皇都の精鋭第1ファルマー軍団の軽装歩兵連隊総隊長にまで昇進してしまった。
(アンス侯爵からはまだ、打診があるのだけど)
更にはもっと上、第1ファルマー軍団の将軍位を引き継がせられないか、と内々でアンス侯爵から打診が来ていた。もう高齢であり、引退したいのだという。
普通に言っても絶対にシェルダンが就かないので、妻の自分に言ってくるのだった。
(私としてはとても名誉なことだけれど)
既にかなりの無理を、一般の軽装歩兵でいたかったはずのシェルダンには聞いてもらっている。
「お母様っ!」
5歳になる長女のケイティが飛びついてきた。
「どうしたの?」
まだ礼儀を叩き込むにはあまりに幼い長女に、カティアは優しく問いかける。手のかからない、良い子なのだった。
「また、お祖父様がウェイドを」
ロングスカートのひだに縋りついてケイティが答える。
言いつけにきたのだった。ウェイドというのは第二子にしてケイティの弟、長男の3歳児だ。
カティアはため息をつく。
「分かったわ、行きましょ」
軍人として昇進し、爵位を得た夫のシェルダンではあるが、領地経営や社交界等、貴族というものについては無知だ。
(本当は昇進したくなかったの、知ってる。でも、それを受けてくれたのは)
娘の、自分と同じ紺色の髪を見下ろしてカティアは思う。
子爵というのは自分とシェルダンにとって、特別な意味を持つ。
(私の実家、ルンカーク家を再興しようと考えてくれてるのよね、多分)
かつての実家よりも広々とした我が家を、カティアは娘の手を引いて歩く。
与えられた領土も各魔塔でのシェルダンの働きに報いるためか、旧アスロック王国の、肥沃なラルランドル地方の農村地域だ。カティアにとっては運営しやすく順調に収益も上げていた。
シェルダンもルンカーク家については照れ臭いのか言葉にしたことはなく、カティア自身もそのことについて自ら言うほど野暮ではない。
「お母様、レイダンお祖父様は、どうして怖いの?」
ケイティが自分を見上げて素朴な問いを発する。
「どうしてかしらね?男の人だから、ウェイドを強くしたいのかしら?」
カティアは苦笑して答える。自分だって分からないのだ。
「ラウテカのお祖父様はとっても優しいのに」
ケイティが可愛らしく口を尖らせるのだった。孫2人をカティアの父は溺愛している。
ビーズリー家の邸宅、その敷地には現在、離れが2棟建てられていた。1つはシェルダンの実家レイダン・ビーズリー夫妻のもの、もう1つはカティアの実家ルンカーク家のものだ。
カティアを困らせるのはシェルダンの実家、ビーズリー家の方だった。
「お義父様、困ります。おやめくださいっ」
カティアは庭の隅に作られた訓練場につくなり、声を上げた。
義父であるレイダン・ビーズリーの足元でウェイドがべそをかいている。精悍な元軍人レイダンの手には石のついた縄が握られていた。
「困るな、カティア殿。ウェイドももう3歳だ。そろそろ訓練を始めさせないといかん」
レイダンが渋い顔で言う。
泣いていたウェイドが立ち上がり、泣き声もあげずに自分の脚へ縋りついてきた。
ウェイドの髪色はシェルダンやレイダンと同じく旧アスロック王国民に多い灰色である。ケイティも弟を優しく抱きしめて慰めるようにしていた。
「この子はシェルダンとは違うし、シェルダンもお義父様とは違います。シェルダンのおかげで子爵にまでなったのですよ?我が家は」
キッとレイダンを睨みつけてカティアは告げる。事あるごとにウェイドに何か荒っぽいことばかりを教え込もうとするのだ。
「知っていると思うが、ビーズリー家は代々、一介の軽装歩兵だ。シェルダンは昇進してしまったが、本来は違う」
レイダンも負けじと言い返す。
この舅のたちの悪いところは、カティアと揉めた場合、シェルダン本人を責めにかかるところだ。自身も快適に暮らしているくせに、この舅はシェルダンの昇進からして気に入らないらしい。なお、姑のマリエルの方とはカティアは良好な関係を維持している。よくお茶をする仲だ。
(また、シェルダンが苦労をすることになるのかしら)
カティアはチクリと胸を痛める。
疲れた顔で帰還して、嫌な顔1つせず、自分とレイダンの間を取り持とうとしてくれるのだ。
「そういうことは、きちんと本人に選ばせるべきです。それにこの子は、まだ3歳ですよ?」
カティアはごく一般的かつ常識的なことを告げる。
どうやらシェルダンも得意とする武器の鎖鎌か何かを使う、初歩的な訓練を施そうとしたらしい。他にはよく、1000年続くビーズリー家の歴史や知識を教え込もうとしている。
「シェルダンの時は1歳から始めた。結果はあなたも知ってのとおりだ」
硬い表情でレイダンが言う。シェルダンを見れば自分の教育は正解だと言いたいらしい。
「そんなの、ほぼ洗脳じゃないですか」
呆れてカティアは告げる。
(よく、こんな教育を受けて、あの人、あんな素敵に仕上がったわね)
そして、心の内でカティアは惚気けるのであった。
「ケイティがルンカーク家を再興し、ウェイドがビーズリー家を継ぐ。これで全て元通りではないか」
さらりととんでもないことをレイダンが言うのだった。子供たちの人生をなんだと思っているのだろうか。
(それは元通りではなくて、逆戻りというのよ)
カティアは呆れるのだった。
「私とシェルダンの子供たちは、家の帳尻を合わせるためのものじゃありません」
よって、カティアはにべもなく告げるのだった。
何かレイダンが言い返そうとする。
「僕、おじいちゃまとお勉強するのは好き」
ウェイド本人がカティアもレイダンも思いもしなかったことを言う。
「でも、石をクルクルするのはやだ。痛いんだもん」
べそを拭ってウェイドが言う。
どうやらシェルダンのしている鎖鎌の回転、これの初歩として縄にくくった石を回転させていたらしい。石を自身に当ててしまい、ウェイドが痛い思いをしたのだろう。
「むぅ、そうか。仕方ない」
レイダンが渋々と頷いた。
「分かった。今日は書見としよう」
書見というのは延々とビーズリー家の歴史と家訓とを学び続ける果てしのない作業だ。
「うん!」
嬉しそうにウェイドが祖父の方へとトテトテと駆け寄っていく。
レイダンも満更ではないようで、抱き上げて離れの書斎へと向かう。結局、孫が可愛いというのも間違いはないらしい。
(でも、あれ、何が楽しいのかしら)
カティアは思い、ケイティと顔を見合わせて首を傾げるのだった。




