25 聖女の指導役
聖山ランゲルからクラリスとシャットンが帰ってきた。今はまた皇城の客間に滞在している。戻ってくるなり、今更ながらに狙われて、皇城に侵入しようという者まであらわれた。
なぜ、警護の薄い時期ではなく、わざわざ警備の分厚い皇城にいるところを狙うのか。皇帝シオンは理解に苦しんでいた。
(いい迷惑だが、無碍にも出来んし。今更、奪還しようなどとは。ただただミュデスとやらが愚かなだけだからな)
皇帝シオンは、うんざりしつつ通常の執務に追われ続けていた。広大なドレシア帝国の運営である。大量の書類仕事は嫌いではないが、責任のあらわれでもある、と自覚していた。
「本当に勲章はいいのかね?あと、特別手当もだ」
シオンは従者のペイドランに問う。
ある日、ふらっと執務室を出たと思ったら、侵入者5名のうち4名を始末し、1人を生け捕りにしてきたのである。
「いつも申し上げてますけど、そういう目立つの、俺はダメです」
遠慮でもなく固辞でもなく、いけないことだ、と大真面目な顔でペイドランが禁じてくるのだった。
得意とする武器が不意討ちに特化しているので駄目だと言うのである。
「だが、聖女クラリスを狙って狼藉しようとした他国人だった。そうでなくとも皇城に侵入しようとしたのだ。君はそんな罪人を捕まえたのだよ」
シオンは地方への軍費を算出しつつ告げる。
侵入しようとしたのは、フェルテア大公国人でありミュデス公子の手下であった。攫ってフェルテア公国に戻せば魔塔を倒せると踏んだらしい。生き残った1人から聴取したことだ。
(本当に愚物なのだな、どうしてくれようか)
隣国が愚かすぎると自国も迷惑する。今の大公は温厚にして問題のない人物であるが、息子の代になればその限りではない。シオンは思考を巡らせていた。
「バーンズって人も一緒でした。あの人の手柄ってことにすればいいんです。生け捕りにしたのは実際、あの人だし」
一生懸命に考えて工夫した、という顔でペイドランが言う。
16歳から21歳となり、少年から青年となったペイドランである。多少、凛々しくはなったが、愛嬌と可愛げもまだ健在だった。
(しかし、こう見えて、男爵殿だからな)
シオンはフェルテア公国への対応を考えつつ思うのだった。
結局、妻のイリスも既に職探しを止めた、とのこと。
(それはそうだ。男爵夫人というのも相応に忙しい)
男爵となったので、ペイドラン夫妻も既に貸家を出て、下賜した屋敷で暮らしている。
使用人の管理に屋敷の運営を、とイリスも忙しくしているらしい。相応に充実感もあるようでペイドランから聞く限り、元気にもしているようだった。
「そんなことより、イリスちゃんがまた、領地を巡視しなきゃって言うんです」
ペイドランが不満げに言う。何が不満なのか。
「なんで、最初から一緒に行こうって言ってくれないんだろ」
そしてすぐにこぼして不満が明らかとなった。やはり一緒にいたいだけなのである。
さほど広くなく、皇都近くとしたがペイドラン夫妻には領地もあるのだった。ペイドランも頑張っているようだが、シオンについていなくてはならないから、領地の運営もイリスが中心だ。
元聖騎士セニアの従者だったこともあって、感覚として貴族というものが何をしなくてはいけないか知っていた。あとは細かい点を人に聞きながら。時には皇帝のシオンにも聞きながら頑張っている。
「それは、夫の君に負担をかけたくないという愛情ではないか」
思わず笑ってシオンは告げてしまう。
「でも、一緒にいたいんです」
ムスッとむくれてペイドランが言う。手柄も直近で立てていて、報いる必要がシオンにもあった。
「では、休暇を申請するのかな?」
シオンは、フェルテア大公国の情勢についてのシェルダンからの報告書に目を通しながら告げる。
ペイドランがイリスから離れようとするわけもない。
「1人はダメです。妊娠してるし、赤ちゃんもまだ小さいし」
2人とも21歳だが、既に第一子をイリスが無事に出産し、出産してほどなく第二子を授かったのだった。第一子はレルクという男児である。既に『赤ちゃん』という年齢ではない。だが、溺愛しているペイドランには赤ちゃんに見えるらしいのだった。
「そんなことを言っていたら、イリス嬢は何年も家から出られないではないか」
思わずまた笑って、シオンは指摘してしまう。
ペイドランがイリスと長男を好き過ぎるのである。思いの強さがよく分かるのだった。一方、妻のイリスも相変わらず満更でもなさそうなのである。
「よく分かんないけど」
ペイドランが首を傾げる。
「休暇はとにかく欲しいです」
やはり一緒に行くつもりなのであった。
許可を出し、休暇簿の書類を整え、決裁までつけてやっていたところ、うるさいぐらいのノックが響く。
「あ、クリフォード殿下だ」
なぜだか扉の開く前から察して、ペイドランが言う。
「兄上、よろしいですか?」
やはりペイドランの言う通り、腹違いの弟クリフォードである。
「入りなさい」
いつも面倒事しか持ってこない弟だ。シオンは苦笑して言う。
「兄上、おかしなこととなりました。とりあえず、あの聖女を燃やしてもよろしいですか?」
部屋に入ってくるなり、クリフォードが来客用のソファに身体を沈めて、物騒な問を発する。
「だめだが、どうした?」
燃やしたがりの物騒な提案を当然に却下して、シオンは訊き返す。
「それが、セニアに弟子入りしたいなどと。神聖術を教えろ、と私の妻に、私のセニアに迫るのです。身重だというのに。あの美しく、可憐なお腹にいるのは私の可愛い第一子ですよ?よって燃やそうと思います」
その第一子が、隣国の聖女を燃やした燃やしたがりの父親を、将来どう思うこととなるか想像出来ないらしい。
だが、確かに燃やしたくもなるだろう。気持ちだけはシオンにも理解出来た。
妊娠している妻に負担をかけたくないというのは世の愛妻家共通の願望なのだから。ペイドランも珍しく頷いていた。
「あなた?」
するとクリフォードの開けっぱなしだった扉から、当の本人聖騎士セニアも入ってきた。多少、以前よりふっくらしている。シオンと目が合うと軽く頭を下げた。
以前が細すぎるくらいだったので、むしろ美しさが増したぐらいだ。そのくせ、並の男どころか巨漢の騎士団長ゴドヴァンと同じぐらいの怪力を誇る。
「悪しざまに言うのはダメですよ。民のために魔塔を倒したい、というのは正しいことだもの。ただ、私も」
セニアが美しい眉を曇らせる。
「聖騎士の神聖術と聖女の戦い方は全く違う技術ではないかと思うの。私を先生にしても、あまり参考にならないんじゃないかしら?」
言われてみれば、そもそも不器用なセニアに指導が出来るのか、という、あまりに致命的な問題がある。
シオンもクリフォードと顔を見合わせて苦笑いだ。
「そうだね。聖騎士の神聖術は聖剣ありきだからね」
セニアの指導力への疑義には言及せず、クリフォードがコホン、と咳払いをして告げる。
「でも、あの聖女の人が自分で魔塔を崩してくれるならいいですよね」
ペイドランが口を挟んできた。
「ええ、確かに法力はあるの。それに魔力もあるって、あなたが言っていたわよね」
セニアが夫のクリフォードを見やって告げる。クリフォードも深く何度も頷いた。
「ふむ、人材としては悪くないのだね、やはり」
シオンも真剣に検討することとした。
セニアを指導者とするかはともかく、誰かが伸ばせば伸びる人材なのかもしれない。
「誰か、フェルテアの聖女の技術にも詳しい人間、か」
シオンは呟く。
確かにペイドランの言う通り、聖女クラリス始めフェルテア大公国の戦力が自力で魔塔を崩すなら、ドレシア帝国にとっても話が早い。
「あっ」
ふとペイドランが声を上げた。同じく真面目に考えてくれていたらしい。
「どうしたのかね?」
シオンは愛嬌もあり、飛刀の技術にも長け、直感も冴えわたる従者に尋ねる。
「シェルダン隊長」
ペイドランがここにはいない軽装歩兵時代の元上司を挙げた。
部屋にいる全員があぁ、という顔をする。
「あの人なら、何を知っててもおかしくないですよ」
ペイドランの言うとおりだった。なぜか聖騎士の神聖術にも精通していた男である。
「でも」
セニアが異を唱えた。
「あの人のしごきに、クラリスさん、耐えられるかしら」
どうやら散々な目にあわされたらしい。
「それにまだ、知っていると決まったわけではないからね。本人が了承するまで、この話は内密に頼むよ」
偏屈な変わり者のシェルダンである。シオンは穏やかに告げるのであった。




